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芸術 2

「源流の記憶 ― 「黒部の山賊」と開拓時代 ― 山と渓谷社
伊藤正一 写真・著

 


ベストセラー『定本 黒部の山賊』の著者・伊藤正一氏は、知られざる稀代の写真表現者でもあった。貴重なモノクロ写真と潤いあるカラー風景写真で構成された、著者92歳にして発表する、畢生の写真集。


 「黒部の山賊」の舞台である北アルプスの、1950〜60年代の貴重な写真集。モノクロだけかと思ったら、半分くらいカラー。この頃にはカラー写真ってそれほど普及してないと思っていたので、意外でした。

 山小屋建築のために、険しい山を材木を一本ずつ運び上げる歩荷たちの姿。山の晴れ間を縫って土台を積み、骨組みを組んで作られた山小屋。しかし、その小屋もたった1日の荒天であっさりと吹き飛ばされてしまう。厳しい環境を視覚的に見せてくれる本でした。また、「山賊」たちの顔つきの力強さ。圧倒されました。

 他にも、峰々や高山植物も多く撮られていますが、これは、正直いえばちょっと物足りないですかね。山の奥行が伝わってこないのは、昔のカメラの限界なのか、プロのカメラマンではないからかもしれませんが。

 それでも、人を寄せつけない高山と、そこを闊歩する「山賊」たちの姿を丸ままとらえた見ごたえある写真集でした。

(2022.5.7)

 

「祈りの回廊」 小学館文庫
野町和嘉 写真・著

  祈りの回廊 (小学館文庫)


人は何故祈るのか。チベット仏教、イスラム教、エチオピア正教とカトリック――それぞれの聖地における祈りの姿を通して、風土、人間、宗教の関わり合いを考えたフォトエッセイ。

1 チベット ― 極限高地の仏教 ―
2 メッカ ― 十二億ムスリムの中軸 ―
3 エチオピア ― アフリカに生きる旧約聖書の世界 ―
4 ヴァチカン ― 西欧文明の源流 ―


 著者の講演会で何点か作品を紹介されてましたが、約100点という数をまとめて見られたのが嬉しい本でした(文庫なので小さいですけど)。

 著者は1972年以降、サハラをはじめ世界のいわゆる辺境地域を訪ねて、そこに生きる人々を撮影されています。この本では、彼らが抱いている自然への畏怖や感謝、神との対話としての祈りの姿が集められています。
 宗教によって捉え方は異なるけれど、人知を超えた存在に心の拠りどころをもとめる人間がいる。その一方で、宗教の名における暴力が暴走している世界の現状がある。
 この現実を少しでも解きほぐそうと思う、視点の持ちようを示してもらった気がします。

 私はチベットの写真めあてにこの本を手にとりましたが、4つの宗教の信仰の姿をあわせて見られるのがいいと思いました。
 印象に残った写真や言葉は、

・チベットの高地では、凍土の上をわずか30cmほどの厚さでおおう表土が動植物の食物連鎖を支えている。
このような自然環境と仏教の死生観から、鳥葬などのチベットの風習が生まれている。

・モンラム(祈願祭)に来たチベットの遊牧民の家族。

・西アフリカや東南アジアからメッカを訪れる巡礼者たちが身に着けた、色鮮やかな各地の民族衣装。
それとは対照的に、すべての帰属を無くしてアッラーと向き合うための真っ白な巡礼着を着て祈る群衆の写真。

・岩盤を十字架の形に掘り下げて作られたエチオピアの地下教会。中世ヨーロッパでは、ここがプレスター・ジョンの国ではないかと考えられた。

・聖ピエトロ大聖堂で、ペテロ像の足に額をあてて祈る修道女の姿。

・「聖戦などはない。どのような紛争も宗教のなかに口実を設けてはならない」(1996年 世界諸宗教平和集会での宣言)


 本の最後で著者は、(排他的な一神教的世界観ではなく)多様な思想が共存していくところに生き延びる知恵があるのではないか、と締めくくっています。
 なるほどと思いつつ、宗教は他宗教を認めることができるのか、無宗教・無神論主義までふくめた多様な思想を、はたして容認できるのだろうかと考えさせられます。宗教がこれを乗り越えようとすると……やはり、一番ハードルが高いのは一神教なのでしょうか。
(2009.5.7)

 

「ゆるす言葉」 イーストプレス
ダライ・ラマ14世 著  野町和嘉 写真

  ゆるす言葉 (Dalai Lama’s word collection)


「生きること」「思いやり」といった永遠不変テーマをかたるダライ・ラマの言葉集。巻末に、2008年4月の成田での記者会見の様子、チベットの歴史、ダライ・ラマ14世についてのQ&Aを収録。

第一章 思いやり、愛するということ 
第二章 自由と権力 
第三章 祖国・チベットについて
第四章 再生、平和への道


 チベットの風景、そこに暮らす人々をとらえた、光も色も鮮やかな写真。声や音まで聞こえそうな気がします。そして、人がよりよく生きていくためのヒントを、この上なく易しい言葉で綴るダライ・ラマのメッセージ。
 この二つが融け合って、ページをめくるのが楽しみな本でした。

 好きな写真は、

 - 東チベットの夏の放牧地。
 - 法要のあとでツァンパ(麦こがし)を投げて僧侶を見送る人々。
 - 四川省北部アバ高原を駆ける遊牧民たち。

 一番好きな言葉は、

 自信を喪失してはいけません。
 人間は皆、同じ能力が備わっています。
 「私は価値の無い人間だ」と考えるのは、間違っています。
 全くの誤りです。自己を欺いているのです。
 私たちは誰でも考える力が備わっています。
 これ以上、何が欠けているのでしょうか。

(2009.11.2)


「西蔵放浪」 朝日文庫
藤原新也 写真・著

  西蔵放浪 (朝日文芸文庫)


印度のそばに、なぜヒマラヤがあるのだろうかと思う。――8年にわたるインドでの撮影のあと、泥の中の蓮を思わせるヒマラヤ世界へ向かった著者の写真と言葉による遍歴記。

第一部 潮干の山を越えて
      蓮華の下
      妙音鳥
      天に優しき地獄
      遠くの彩
      僧
      僕から生まれた山犬が、山の向こうで哭いた

第二部 天の宴
      雲の影
      幻鳥
      経を食む犬
      相似の山
      水中の月に似たもの


  以前に書いた感想をうっかり消してしまったらしい。私が持ってるのは1985年の版で、感想もこれによっています。書影は今も入手できる文芸文庫の方にリンクしておきます。おそらく中身は同じかと。

 著者が抱いた印象が濃くにじみ出てくるような文章で、具体的な撮影地はまったく書かれていません。
 本文に「十年ほど前にインドへ亡命したダライ・ラマ」「十数年前の中国と西蔵の抗争」と書かれているので、1970年代の撮影のようです。写真は今のラダックや、ヒマラヤを越える亡命者の様子が書かれているので、そのルート近辺にも行かれたらしい。

 写真は鮮明なものもあれば、夢の風景のように消え入りそうなものもあります。
 断崖と石だらけの土地。傘蓋をかかげて歩く僧侶。麦畑。薄暗い僧院。マニ石――。 独白のような文章と併せて見ると独特の雰囲気。好みは分かれそうですが、「言葉による映像。写真による言葉」の本だと思うと、すごく納得できます。私は好きです。


 「インドの対極」という思いを抱いて向かった地では、期待のいくらかは叶い、いくらかは早々に裏切られたらしい。

 僕よりももっと鮮烈な生き方をしているとか、まったく逆に、人間の持っている神々しい愚かな面を、今まで見たこともないくらいさらけ出しているとか、やはり西蔵の坊さんというのはその気候や風土が尋常でないように、常人ではありませんようにという、一種の祈りにも似た気持ちを僕は持っていた。

 インドで強烈な写真を撮られた著者だから、チベットにただ幻想を抱いていたわけではないでしょうが、僧院のだらだらのんびりとした雰囲気には途惑ったらしい。
 また、帰れない祖国への思慕を罪のない嘘をつきまぜて語る男、現世よりも来世に徳という財産を蓄えている貧しい男。ある章では、出会った人々の顔写真と名前・年齢がたくさん載せられています。その数、108。生きて、やがて死んでいく煩悩をかかえた命、ということなのでしょうか。

 以前に読んだ時は突き放したような文章に馴染めませんでしたが、今読み返してみると、出会う人々の滑稽さ、真剣さへの著者の愛しさが感じられました。

 また、インドへ亡命していく人々の様子も書かれています。

 生き神様が自国から逃亡を余儀なくされた時、ひとびとはそのあとを追ったのであった。何しろ神様の居ない自分の国なんて、そんなものは国じゃなかった。神様の居ない土地なんて、そんなところに種まいても、よいものが実るはずがない。それよりも神様の居ない自分なんて自分じゃなかったのだ。

 仏像、食べ物、日用品を運んでいく長い行列。行き倒れた者から衣服をはぐ者もいる、という凄絶なことも記されています。
 インドで屍を撮りつづけたのち、何かを求めて向かったチベットで目にしたのがこの風景であった、ということに著者は何を感じたのだろうか。
 清らかさも汚濁も、崇高なものもばかげたものも、どちらも見落とさない著者の視線の鋭さを感じます。久々にじっくり読み返してみましたが、どこか怖ろしい、でも手放す気になれない魅力ある本です。

 上のような旅立ちの経緯があるので、この本の前編にあたる「印度放浪」から続けて読まれるのもよいかもしれません。
(2009.6)

  

The Lord of the Rings
 The Art of THE FELLOWSHIP OF THE RINGS」
Houghton Mifflin Company
Gary Russell  著
0618212906The Art of the Fellowship of the Ring (Lord of the Rings)
Gary Russell
Houghton Mifflin (T) 2002-06-12

by G-Tools
映画「ロード・オブ・ザ・リング」の美術設定集。

Introduction
Locations
Costume
Armory
Creatures


 本棚を買って、中身を整理していて見つけました。もう、片づけは後回しでした(いそいそ)

 アラン・リーの水彩画、鉛筆画、重厚なアクリル画、彩色した線画(ちょっとコミックタッチ)、映画の場面写真。さらに、オークのフィギュアや衣装設定の布地見本も見られて、幸せになれること請け合いです。あ、私はオークは遠慮しますが。

 特に気に入っているのは、モリアの地下宮殿の鉛筆画。ホビット屋敷。そして、アラン・リーの描く裂け谷。映画よりももっと古びた雰囲気だったのが意外でした。
(2011.7.30)

 

「すぐわかる 日本庭園の見かた」 東京美術
尼崎博正 監修
仲 隆裕 / 今江秀史 / 町田香 著

  すぐわかる日本庭園の見かた


イラストによる庭園俯瞰図と写真で、奈良時代から明治時代以降まで各時代の特徴をあらわした17の代表的日本庭園を紹介。伝統的造園技術に精通する執筆陣ならではの視点からその歴史や作庭のねらい、庭の構成および鑑賞のポイントを解説。

第1章 飛鳥・奈良〜平安時代 「庭」の発祥から「自然風景式庭園」へ
第2章 鎌倉〜室町時代 書院造庭園・石庭・回遊園路の誕生
第3章 桃山〜江戸時代 庭園文化の変遷と普及
第4章 明治時代以降 自然風から永遠のモダンへ


 庭園スタイルの変遷を時代ごとにまとめ、それぞれの代表的庭園を挙げて見どころや特徴を解説しています。

 仏教の世界観が表れた貴族の庭園から、質実剛健な武家の気風を映す形式への変化。茶の湯文化の影響、江戸時代の大名文化で生まれた形式、そして明治以後は知識人や富裕層が庭園の担い手となった――等々。
 実際に日本各地の庭園の図解を見ながら、池や石、植栽が何をあらわしているのかを見るのは楽しい(^^)。過去に訪れた場所はもちろん、あちこち行ってみたい場所が増えました。

 特に気になったのは、平等院と二条城二の丸庭園と京都・大徳寺孤蓬庵庭園、福井市の一乗谷朝倉氏遺跡庭園。

 平等院では池越しの阿弥陀堂。池越しだと夕日の方角になるので、西方浄土からの光と阿弥陀如来の来迎を思わせるという、それはそれは荘厳な光景でしょう。
 二条城と孤蓬庵の庭園は小堀遠州作。孤蓬というのは遠州の号なのだそうです。遠州の故郷・琵琶湖の風景を見立てた庭だそうなので、それは一度見てみたいです。
 そして、朝倉氏庭園は掲載されている写真がとても美しかったので。戦国時代に作られた庭だそうですが、楓の巨木と、これも巨大で野性味のある石組と滝石が風情があります。実物を見てみたいなあ。

 章の間にはさまれたコラムでは庭石や植栽が取り上げられて目からウロコの思いも。
 庭師は植栽の形状を長く保つために木の種類に合わせた剪定をするとか。木々のつくる明暗が歩く人に視覚的変化や錯覚をおこさせるとか。まさに庭師とは庭園の演出家でもあるんですねえ。庭園とは最初に作られたときだけでなく、その後の手入れが重要とわかります。文中では『日本庭園は策定が四分、維持管理が六分』とありました。

 読めば読むほど、噛めば噛むほど……いや、楽しい本だわ(笑)

 内容はもちろんですが、本のつくりも大きな理由だと思います。
 図版も写真も大きいし注釈もわかりやすい。庭園の全体図にはもちろん方角を示してあって、やるなあ、という感じ。何より、間違いがない(涙)。
 こういう細かい解説本って、きちんと校正されていないと内容が台無しなんですよね。さすがに美術書の専門出版社の仕事だと感嘆しました。
(2018.2.10)

 

「名作家具のヒミツ」 エクスナレッジ
ジョー・スズキ 著

  名作家具のヒミツ


Yチェア、バタフライスツール、イサム・ノグチのコーヒーテーブル……。誰もが知る名作家具の、誰も知らないヒミツを教えます。あの有名デザイナーは、本当は家具なんて作りたくなかった? 年間20脚しか売れない椅子が見事に復活したのはなぜ? 普段目にするあの家具を見る目がかわる1冊。


 数多くのデザイナーやインテリア企業の経営者のインタビューをもとにして、名作家具の魅力を語った1冊。
 家具、特に椅子の知識を整理したくて手に取りました。裏話的なエピソードを知っていたらよく覚えられるかな、と漠然と思っていたのですが、読んでみたら(失礼ながら)思いのほかデザイナーの理念や家具メーカーのビジネス事情を知ることができて楽しかったです。

 20世紀の名作家具が生まれた背景に「美は裕福な人のものだけではない、安価で美しいものを誰もが手に入れられる社会に」という思想があったこと。そして、合板やスチール、ウレタンなど新素材の加工法の目覚ましい進歩が斬新な作品の誕生を後押ししていたことがよくわかりました。
 デザインは「付加価値をつくる」と言われるけれど、それだけだと受け手を狭く絞り込んでいく方向に向きがち、とよく感じていたのですが。いまは『誰にでも、いつまでも』必要とされる、という視点がもっと必要なのかもしれませんねえ。

 特に印象的だったのは、ウィリアム・モリスとアルテック社社長の話。
 美しい壁紙をデザインしたモリスが晩年は「簡素な漆喰壁と木製の椅子とテーブルのある部屋に住みたい」と考えていたとは意外。モダンデザインの時代を感じ、そこに新しい理想というか美しさを見出していたのかも。そこからの新しい「ウィリアム・モリス」も見てみたかった。

 そして、アルテック社のミルック・クルベリが「家具は流行という考え方と馴染まない」と考えていたこと。
 大変おこがましいけれど、私もファッションからインテリア業界へ転職した時にトレンドマーケティングがほとほと嫌になった経験をしていたので、つい身近に感じてしまいました。

「家具は長年使うのに、トレンドを追いかけて一体何になるんでしょう」

 ですよね。

 それだけではなく、家具を販売するにあたって自社製品の買取・再販売という画期的なプロジェクトを実現させて、長く使える家具を買いたい、というユーザーの気持に応えたり。また、ヴィトラ社の傘下に入ることを持ちかけ(買収されるのではなく)、それによって物流面や新たな顧客分野を開拓するというビジネスセンスに驚きました。
 会社を発展させる経営者というのはこういうものなのだな、と感嘆しました。

 こういったエピソードが、著者の知識と家具への愛情、ビジネスへの情熱、作り手への敬意に裏打ちされていることが、この本の魅力だと思います。
(2022.1.3)

 

「音のデザイン 楽器とかたち INAX
INAXギャラリー名古屋 企画

   音のデザイン―楽器とかたち (INAX booklet)


楽器はなぜそのかたちをしているのか。音の出るしくみや改良をかさねられてきた楽器のかたちについて、写真、図版つきで説明する。また、五線譜ではない曲の表記方法、現代の技術による新しい楽器制作など、未来の音楽へ向けてのさまざまな試みを紹介する。

 複数の著者によるテーマ別の章立てなので、面白かった話をいくつか上げます。

楽器の形と装飾について(「楽器のシンボリズム」より)
 美しい音を出す手段として作られる楽器。音響学の法則に合うように(作り手が意識していなくても)つくられた形が、結果として芸術作品と呼べるほど美しい、という話には、あれこれと現物を思い浮かべて納得。
 さらに、文化や時代によっても美しさの意味が異なるということにも触れています。好まれる音階、音質が文化によって違うこと。機能的でシンプルな形を好む現代と、(現代から見れば)過剰とも思える装飾を楽器にちりばめたバロック時代の違い。美しい音や形が呪術的な空気をかもしだす、と話は広がっていて、とても興味深かったです。

ピアノの誕生と発達について(「近代西洋音楽の集大成」より)
 チェンバロからピアノへ、そしてピアノの改良を重ねてきた歴史について紹介しています。
 音を出すしくみの変化、音域の広がり、枠の強度が上がることで音の源である弦の張力が変わり、ハンマーや鍵盤などほかの部分も変化する。それによって新しい音、奏法が生まれる――「物」が変わることで「事」が変わっていくという話でした。
 ある図版で、16Cのチェンバロと現代のピアノの鍵盤数が比較されています。後者では9オクターブもあるのに前者は4オクターブしかありません。18世紀後半のピアノでも5オクターブ。バッハはこれで何とかやっていたのですねえ。

楽譜の表記方法について(「楽譜のデザイン」より)
 五線譜はヨーロッパ音楽のためにつくられた表記方法で、非ヨーロッパ地域の音楽のリズムや音程には合わないことも多い、という話には頷いてしまいます。音の美意識からして違う文化の中で生まれた「楽譜」として、謡曲の謡い本を例に挙げてあります。また、新しい音楽への試みも紹介されます。

かつて、音楽は「作曲、演奏、再現」という方向を一方向にたどることだった。……(中略)……しかし、演奏も創造のはずで、演奏家は再現だけではなく創造を生み出していく存在であるべきなのだ。

 このような考えを中心に据えた「図形楽譜」という新しい表記の試みは……眺める分にはきれいだなあ、と(笑)。私は実験的な芸術はあまり好きではないので。
 でも、音楽のあたらしい楽しみ方が生まれるのは、嬉しいことだと思いました。
(2007.9.15)

 

「ミュシャ ART BOX ― 波乱の生涯と芸術 ― 講談社
ミュシャ・リミテッド 編 島田紀夫 監訳

   ミュシャART BOX 波乱の生涯と芸術 (講談社ARTピース)


アール・ヌーヴォーの華、ミュシャを掌に。プラハ・ミュシャ美術館が収蔵する代表作、遺品、写真などをくまなく収録した作品集。「スラブ叙事詩」、素描、ポスター、パステル画、デザインを掌で楽しめる。

 片手で持てるサイズのミュシャの画集です。小さいけれど、収録されている絵は幅広い。パリ時代のポスターから食器や宝飾品のためのデザインスケッチ、パステル画や油彩、写真。年表もついています。
 基本、私は判の小さい画集は評価しないのですが、これは良い本だと思う。もちろん、個々の絵をじっくりと見るには不向きですが、てのひらサイズで絵をどんどん見ていけることで、作風や繰り返し登場するモチーフの扱い方に注目したり、肖像画と元になった写真の比較がしやすい。

 今回読んでみて今さら気づいたのですが、ミュシャがパリで成功をおさめたのは30代も半ばの時だったんですね。もっと若い時のような気がしていました。
 当時の30代半ばというのは、人生折り返し地点も過ぎた感じではなかったかと思う。パリで7、8年も新聞の挿絵でやっと食いつなぐような貧しい生活をして、その後ようやく訪れた成功。その大きさがわかると、その後帰国してあらたな題材に取り組んだミュシャの決意がうかがえるようです。

 他にも、いろいろ知らないことがありました。ロダンやゴーギャンといった芸術家たちと親しかったこと。まだ人気が出る前に挿絵を依頼してくれた雑誌編集者アンリ・ブルリエとは生涯に渡って交流があったこと。彼はミュシャが病気だったときに前金で仕事を頼み、医者を呼んでくれたりしたそうです。こんなエピソードを知ると、ミュシャが身近に感じ られました。
 そして、パリで一躍有名になってからのポスター制作中の職人ぶりも面白かった。一点ものの絵画と違ってリトグラフでは多くの職人の手が加わるわけですが。ミュシャがあまりに忙しくて下絵を紙に描く暇がない時、職人の手に見本の絵を描いて指示することもあったそうです。一方で、デザイナーのために装飾図版集を作成するなど、忙しい中でもより大きな仕事のための準備も怠りなかったらしい。絵からも窺えますが、勤勉な人だったのだな、と感じました。

 また、これも気づかなかったのですが、当時は神秘主義思想がもてはやされていた時期だったのですね。シャングリラ伝説、コナン・ドイル……と以前に読んだ本とつながってびっくりしました。ミュシャには占い師や運命の女神をモチーフにした作品がいくつもあり、こういう思想背景に影響されていたのかと思うと、絵を見る目も違ってきました。
(2015.5.28)


「ゴッホの魂」 二玄社
構成・文 利倉隆

  ゴッホの魂 (イメージの森のなかへ)


太陽を追う旅人、その最後の2年間…「ゴッホの魂」。光の渦のなかにこだまする声にじっと耳を傾ければ、もう美の扉は、あなたの感性に開かれています。

 わかりやすく、やわらかな言葉遣いで書かれた入門編美術書です。ゴッホの代表作数点を取り上げて描かれた背景や筆致を解説。絵画に馴染みのない人がゴッホの作品をより深く味わえるように導いてくれています。

絵の具の盛り上がりや塗りこめた重さが伝わる写真はすばらしいです。また、ゴッホがよく描いた自画像も何枚も収められていて、それを比べ見られるのもよかった。
もとから美術に詳しい人には物足りない(作品数も解説も)かもしれませんが、絵画を味わう見どころを教えてくれるいい入門書だと思います。
(2019.11.15)


「名画でみる聖書の世界 〜新約編〜 講談社
西岡文彦 著

  名画でみる聖書の世界 新約編 (講談社SOPHIA BOOKS)


キリスト教に馴染みがなくても誰もが知っている「最後の晩餐」や「受胎告知」のエピソード――これらの絵画には約束事があり、それによって名画にこめられた意味を知ることができる。また、絵画の表現からはキリスト教義の解釈をより深く知ることができる。約330点の図版をのせた解説書。

第一章 受胎告知
第二章 東方三博士の礼拝
第三章 キリストの洗礼
第四章 悪魔と奇跡
第五章 山上の説教
第六章 最後の晩餐
第七章 裏切りと嘲笑
第八章 ゴルゴダへの道
第九章 十字架のイエス
第十章 ピエタ
第十一章 キリストの復活
第十二章 最後の審判


 アトリビュート(裸の女性がりんごを持っていればイヴである、というような約束アイテム)の説明を満載した名画解説かな、と思っていましたら。それもありますが、日本人に馴染みのうすい聖書のエピソードの解釈、カトリック教会をとりまく16世紀の社会、美術史の流れなどなど、話が広がっていて面白かったです。
 美術作品と聖書の解説、その分量比は6:4くらいか、と感じました。

 美術関連の解説で面白かったこと。
 ひとつは宗教画へのスポンサーの影響。中世のヨーロッパで、教会と折り合いの悪い(笑)銀行家は寄付をしたり宗教画を描かせて、精神的埋め合わせをしていたのですが(実利もあったのかも)。最初は自分を絵の中に小さく描き込んでもらっていたのが、時代が下るにつれて天使や聖母と同等の大きさで描かれた作品が多くなってくる。
 また、聖母を描いた作品に「美人画」の性格が強くなるなど、世俗の影響がはっきりと作品に現れるようになる。
 こうした時代の変化は絵画の様式の変化とも重なっているようで、面白いです。

 また、16世紀の宗教改革が美術にも大きな影響を与えたこと。教会が豪華な宗教画を発注することに批判がなされて、芸術家たちは職にあぶれていく。一方で、カトリック教会はプロテスタントへの巻き返しとして、宗教美術に力を入れるようになる。このあたりを、著者は「世界最初のメディア合戦」と表現しています。
 カトリック教会が著名人ミケランジェロへシスティーナ礼拝堂の天井画を依頼したのも、こんな時代背景があってのこと。もっとも、できあがった作品には教会への痛烈な批判のメッセージまでも含まれていた――なんて話が面白い。

 そして、聖書の解説として印象的だったこと。
 新約聖書が書かれた1〜2世紀はヨーロッパは「未開」で、東方が文化の先進地だったこと。また、西欧で描かれた宗教画が広まったために誤解されがちだが、そもそも聖書のエピソードは東方を舞台にしている、と説明。確かに、聖書に出てくる人間が北方系の顔をしているはずがないのですよね。
 こんな風に先入観を取り払うところから始まって、ユダヤ教とキリスト教の違い、神と人間との契約更新書としての聖書を、絵画を例にあげて説明しています。

 また、キリストの磔刑から復活までの弟子たちの描かれ方が情けなく、愚かであることについて。
「放蕩息子の帰還」のエピソードでわかるように、キリスト教の救済は美徳ではなく悔い改めの精神を重視している。つまり、弟子たちは裏切りと絶望と赦しを経て、そののち伝道者として生まれ変わったのだと解釈。また、彼ら弟子たち(敗残者)の変化に注目した宗教学者エリアーデの言葉が挙げられています。

「逃亡者の一群がイエスの復活に接して、死を恐れぬ断固たる信仰集団に変容した点にこそキリスト教の特色がある」

 これはこれで、怖い話だけれども。

 解説文はわかりやすく面白い。何より、図版がきっちり揃っていて嬉しかったです。
 絵の中で注目すべき部分は拡大図を掲載、似たテーマの作品もまとめて載せてあります。また、図版の抜け落ちがない。丁寧に構成された本だと思いました(←これくらい基本だと思うのですが、これまでいい加減なつくりの「入門」書に散々悩まされたから、つい絶賛してしまった)。
(2008.10.22)

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