「今日は、いいものを拝ませてやるぞ」
町の空気のせいなのか、<丸槌亭>のあるじの声は明るかった。そのもったいぶった口ぶりに、杯を傾けていたなじみの職人たちは、いっせいにふりかえった。
注目をあびていることは百も承知、あるじはゆっくりと棚の奥から壺をとりだした。
そうして、王侯貴族にでも捧げるような手つきで中の液体を杯にそそぐ。
「ほおお!」
そのとたん、あたりからため息がもれた。
月の光をとかし込んだかのような、白金色の酒。たちのぼる芳香も天の聖女をおもわせる。場末の酒場では一生一度拝めるかどうか、という品だ。
「月の雫酒というのだ」
あるじもまたその色合いにうっとりと見入った。その年のはしりの葡萄をしぼって作った、最初のひとすくいなのだという。
「めでたいハールの祝祭も近いことだし。ここは一杯、皆におごろう」
おおっ、というどよめきが店にあふれた。
「さすが、おやじさん。太っ腹だ」
と、それぞれが杯を持ってあるじのところへやってくる。それを見て、あるじはあわてて手を振った。
「ちょ、ちょっと待った。冗談じゃねえ。皆に一杯ずつってわけにはいかねえよ」
「え?」
「一杯を皆に、だ」
「ええ?」
職人たちはぼうぜんとした。
「あたりめえだろう。この酒が一杯いくらすると思ってんだ」
動揺したせいか、職人あがりのあるじの口からは昔の口調が飛び出してきた。
「銅貨……ううむ、十枚くらいか?」
「いや、いや」
あるじは首を振った。「それじゃ、ひとなめがせいぜいだ」
これを聞くと、若い職人たちはいっせいに肩を落とした。
「ひでえおやじだ。おれたちの懐具合なんぞ、女房より心得てるだろうに」
口々にぼやくお客を見回して、あるじはにやりとした。
「おい、職人に金はねえが、みんな頭と口があるだろう」
何のことか、とお客たちは顔を上げた。あるじは雫酒の杯をかかげて見せた。
「どうだ。この店の中で一番気のきいた小話をした奴に、まるまる一杯飲ませてやるぞ」
そのとたん、職人たちは生き返ったように歓声をあげた。
「いいぞ!」
「面白え」
「だが、どれが一番かは全部聞いてから決めるのだろ」
「けちなおやじの、たまのふるまいって奴だ」 |
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