Novel 第一話


 日暮れ時、タジルの酒場通りはいつもと変わらぬにぎわいだった。
 いや、ハールの祝祭日を明日にひかえて、普段よりもふわふわと浮き立つような空気が漂っていたかもしれない。


 丸槌亭にて

はじまり 

「今日は、いいものを拝ませてやるぞ」
 町の空気のせいなのか、<丸槌亭>のあるじの声は明るかった。そのもったいぶった口ぶりに、杯を傾けていたなじみの職人たちは、いっせいにふりかえった。
 注目をあびていることは百も承知、あるじはゆっくりと棚の奥から壺をとりだした。
 そうして、王侯貴族にでも捧げるような手つきで中の液体を杯にそそぐ。
「ほおお!」
 そのとたん、あたりからため息がもれた。
 月の光をとかし込んだかのような、白金色の酒。たちのぼる芳香も天の聖女をおもわせる。場末の酒場では一生一度拝めるかどうか、という品だ。
「月の雫酒というのだ」
 あるじもまたその色合いにうっとりと見入った。その年のはしりの葡萄をしぼって作った、最初のひとすくいなのだという。
「めでたいハールの祝祭も近いことだし。ここは一杯、皆におごろう」
 おおっ、というどよめきが店にあふれた。
「さすが、おやじさん。太っ腹だ」
 と、それぞれが杯を持ってあるじのところへやってくる。それを見て、あるじはあわてて手を振った。
「ちょ、ちょっと待った。冗談じゃねえ。皆に一杯ずつってわけにはいかねえよ」
「え?」
「一杯を皆に、だ」
「ええ?」
 職人たちはぼうぜんとした。
「あたりめえだろう。この酒が一杯いくらすると思ってんだ」
 動揺したせいか、職人あがりのあるじの口からは昔の口調が飛び出してきた。
「銅貨……ううむ、十枚くらいか?」
「いや、いや」
 あるじは首を振った。「それじゃ、ひとなめがせいぜいだ」
 これを聞くと、若い職人たちはいっせいに肩を落とした。
「ひでえおやじだ。おれたちの懐具合なんぞ、女房より心得てるだろうに」
 口々にぼやくお客を見回して、あるじはにやりとした。
「おい、職人に金はねえが、みんな頭と口があるだろう」
 何のことか、とお客たちは顔を上げた。あるじは雫酒の杯をかかげて見せた。
「どうだ。この店の中で一番気のきいた小話をした奴に、まるまる一杯飲ませてやるぞ」
 そのとたん、職人たちは生き返ったように歓声をあげた。
「いいぞ!」
「面白え」
「だが、どれが一番かは全部聞いてから決めるのだろ」
「けちなおやじの、たまのふるまいって奴だ」



第一話  けちな職人のはなし 第六話  約束
第二話  きつねの恩返し 第七話  旅修行のはなし
第三話  置き土産 第八話  リジア姐さん
第四話  大嘘つき 第九話  狩人
第五話  ラ ヴァルカ オルデール 第十話  杯とり
 おひらき
Novel 第一話
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