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クリスマス企画(2009) | ||
Good News | ||
「わたし、子供ができました」 そう婚約者に告げられて、ヨセフは言葉を失ってしまいました。何故なら、まったく身に覚えがなかったから。 「……マリア、それは誰の子なんだい」 「神さまの子供なんですって。ゆうべ天使が空から下りてきてそう言ったの」 「そ、それで……」 ヨセフはめまいを覚えましたが、それをこらえて尋ねました。「君は何て答えたんだい?」 「そんなはずはありませんって言ったわ」 マリアは慎み深く顔を赤らめました。 「でも、間違いないと天使は言うから信じてみることにしたの。なにごとも神さまの思うとおりになりますようにってお祈りしたわ」 なんで、あっさり信じてしまうんだ――と言いかけて、ヨセフはのみこみました。 マリアはそういう娘なのです。どんなに不思議なことが起きても素直に受けとめてしまう。そんな彼女をヨセフは深く愛していました。 ですが、ヨセフの心はいつまでも晴れませんでした。 彼は敬虔ではあったけれど、その目で見ていないことは簡単に受け入れられない性質だったからです。 (天使なんてそうめったに現れるものじゃないし、だいたい告げられたことが突飛すぎる) ヨセフは婚約者の話を信じることができませんでした。 (マリアが宿しているのは自分の子ではない。もし、不貞をはたらいたと人に知られれば彼女は石打ち刑だ。そんなことは考えただけでたまらない) (それとも、誰にも言わずに別れようか。そうすればマリアは無事でいられるのではないか?) そうやって悶々としていたヨセフの前に、ある日雲間から天使がおりてきました。ヨセフは声も出ないほど驚きました。 天使は彼の心中などお見通しだったのでしょう。呆然とした彼に向かって、ダビデの子よ、悩まなくてもよろしい、と請合いました。そして、赤子は男の子です、名前はイエスとしなさい、などとあれこれ世話をやきました。 それでもなお、この夫が不安げなのを見ると、天使は呆れかえりました。 「心配などいりません。神の子なんですよ!」 そう言い置いて、さっさと天へ帰っていってしまいました。 どうやら、お守りいただけるらしい――そう考えて、ヨセフは少しほっとしました。しかし――。 (神の子と言われてもなあ。いったい何を教えて育てればいいんだ?) ヨセフは大工でしたが、神の子に鑿だの鉋が必要とは思えません。ヨセフの父親は息子に向かって、敬虔であれ、とよく諭したけれど、それはいうまでもないことでしょう。 第一、マリアが聖霊によって身籠ったのなら、夫は何のためにいるというのでしょう。 そんなことをくよくよと思い悩んでいたせいでしょうか。 ある夕方、故郷へ帰る旅の途上でマリアが産気づいた時、ヨセフはその晩泊まる宿さえ決めていなかったのです。 太陽は西の地平へ向ってすべり落ちようとしていました。あわてて近くの宿屋へ駆け込みましたが、どこも満員。ヨセフは真っ青になりました。 子供をとりあげたことなどないし、しかも、旅の途中では頼りにできるような女の知り合いもいないのです。その狼狽ぶりを見かねて、ある宿屋の主人が厩でよければ貸してやろうと言ってくれました。 つのる不安を振り払おうと、ヨセフは夢中になって働きました。厩の藁で寝床をととのえたり、宿屋のおかみから水やら布やら貰ったり、その後の大騒ぎをヨセフは覚えていません。 ですが、その晩おそく。ともあれ、マリアは無事に男の子を産んだのです。 |
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「あら、まあ、まあ」 小さな厩のかたすみで、ヨセフとマリアは額をあわせて初子をのぞきこみました。 「普通の子だわ!」 「本当だ。光り輝いたり、生まれてすぐに歩いたりはしないのだね」 顔も手足も赤いし、よく泣くし、他の赤ん坊と何もかわらない。 普通の子だ――そう口にしたとたんにヨセフはほっとしました。いったいどんな赤ん坊を授かるのか、と心配していたのです。 もっとも、普通でないこともありました。どこから聞きつけたものか、立派な身なりの男たちがお祝いにやってきたのです。聞けば、東方からはるばるやって来た学者たちでした。 一人は威厳を漂わせた老人でした。彼はマリアと赤ん坊の前に膝をつくと、うやうやしく大きな黄金を捧げました。 二人目は肌の黒い若者でした。彼は静かに瞳をふせながら、生まれたばかりの子に没薬を捧げました。 三人目は思慮深い表情の壮年の男でした。彼は祭壇の前でするように、赤ん坊に乳香の壺を捧げました。 おどろく夫婦の前で、彼らは御子の健やかなることを祈ってくれたのでした。 「ねえ、マリア。よかったなあ」 彼らが帰ったあと。ヨセフは胸のつかえも下りて、みごとな贈り物にぼうっとなっていました。 「彼らは偉い学者だぞ。あんな人たちが祝ってくれるなら、この子の未来も安泰だ。ごらんよ、この黄金といったら……」 ところが、その言葉をさえぎってマリアは不機嫌に言い放ちました。 「黄金なんて何よ!」 「マ、マリア?」 ヨセフはあわてて妻の顔をのぞきこみました。さっきまで赤ん坊を抱いて微笑んでいたはずなのに。 「いったい、どうしたんだい?」 「あなた、贈り物を見なかったの?」 マリアは夫をにらみつけました。 「黄金もいいわ。乳香もいいわ。だけど、没薬なんて。あの人たちはこの子が死ぬと預言したのよ!」 ヨセフはぽかんとしてしまいました。たしかに没薬は埋葬に使うものですが――。 「でも……。でも、偶然かもしれないよ」 「普通、こんな贈り物はしません」 マリアはぴしゃりと言い返しました。 「神さまはこの子を召すおつもりなのだわ」 布にくるんだ赤ん坊を抱きしめて、マリアは夫に詰め寄りました。 「まだ目もあいてないのに、こんなに小さいのに。どうして死ななきゃならないの? 最初からそうさだめた子を、なぜ神さまは私に与えたの?」 そう叫ぶと、わっと泣き伏してしまいました。 ヨセフは驚いておろおろと手を揉みました。 「マリア、マリア。泣かないでおくれ。ほら、赤ん坊もびっくりしているよ」 ですが、マリアは泣きじゃくるばかり。それを前に、ヨセフは言葉もなくしてしまいました。 初めての赤ん坊――それが預言の子で、しかも死ぬさだめと言われれば誰でも胸が裂かれる思いでしょう。 それなのに、ヨセフは今の今まで、妻の不安などさっぱり気づかなかったのです。 (おれは、何てばかだったんだ。マリアも心細かったろうに、何も気づかなかったなんて) その時です。 「うあぁぁぁん!」 はげしい泣き声に、ヨセフとマリアははっと顔を上げました。 赤ん坊はマリアの腕の中で真っ赤になって泣き叫んでいました。 「ど、どうしたんだ?」 「寒いのかもしれないわ」 ヨセフはあわてて母子を上着でくるみこみ、マリアも涙をふきながら赤ん坊を揺らしてやりました。 「うえ、うえ、うえ」 「ああ、こら。泣くな、泣くな」 「うえええ!」 「あなた、声が大きいわ」 二人は慣れない手つきで赤ん坊をあやしました。話しかけたり揺らしたり、小さな体をなでてやるうちに、やがて赤ん坊は泣きやみ、とろとろと眠りはじめました。 |
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