3 Novel 後奏

 
  12
 わたくしの国の王家には、古いしきたりがありました。
 王の子は十を過ぎると成人の日を迎えます。大人になったと認められ、父王から祝福と共に、王子は冠を王女は笛を授けられるのです。
 兄たちの祝い日は近く、わたくしと母は毎日、晴れ着の支度をしました。刺繍の模様、宝石の色はどれがよいかと決めかねて、エリドの姿を見るたびに相談しました。
「ねえ、エリド。兄上たちの冠にはどの色が合うかしら」
 彼は誰よりもわたくしをわかってくれて、そして、わたくしも誰よりエリドのことを知っているのですから、彼に一番に尋ねるのはあたりまえでした。
「とても美しい冠なのよ。細い、銀の細工で……」
 けれど、エリドは向こうをむいて、たったひとこと。
「俺には関係ないことだから」
 兄たちの冠にも、成人の日にも興味はないと言いたげな声に、わたくしはとまどいました。
 ですが、その目を見て気づいたのです。エリドも本当は冠を望んでいるのだ、と。
 兄たちと同じ銀の冠。
 それを戴くエリドを思い浮かべ、わたくしは嬉しくなりました。きっと立派な姿でしょう。いいえ、あの冠よりもっと美しいものがいい。
 そう考えて、思わず口を開きました。
「エリド、わたくしが冠を差し上げるわ」
 エリドの目は大きく見開かれ、驚いてこちらを見つめました。
「……本当に?」
「もちろんよ」
 そんなことを言う彼が可笑しくて、わたくしは笑いました。
 何でも知っている、大好きなエリド。どうしてわたくしが嘘などつくというのでしょう。
「ですから、お返しに笛を捧げてね。きっとよ。お約束しましょう」
 それでエリドが笑うなら。
 何より美しい冠をあげようと思いました。
 花を咲かせなさいと父が言うように、それはわたくしだけの務めだと思ったのです。

 いったい、どんな冠がいいでしょう。
 兄たちの衣装を整えながらも、わたくしはエリドのための贈り物を思い描きました。例えば金の細工、宝石をはめた品……。
 望めば手に入らないものなどありません。どんな願いも、父はいつでもかなえてくれたのですから。
 ですが、わたくしは誰にも相談するつもりはありませんでした。
 何よりも美しい冠をあげよう。わたくしが選び、この手で渡そうと決めていたのです。
 そして、悩んだ末に選んだのは紅の花でした。
 長い冬の終わりのこと。庭の枝についているのは、どれも固い蕾ばかり。
 ですが、わたくしとエリドしか知らない、奥まったところに咲く花を見つけたのです。
 灰色に煙る冬空を見つめ続けたあとの春。朝やけの色の花は、このうえなく美しい姿でした。
 それを、わたくしは摘み採って花冠に仕立てました。
 けれど、その冠はとうとうエリドの額を飾ることはありませんでした。
 返礼の笛も彼の手に握られたまま、わたくしに渡されることはなかったのです。

 それは、兄たちの成人の日の朝でした。
 わたくしは奥庭をめぐる回廊で、エリドと向かいあいました。
 手にした冠は淡い紅。すぐそこまで来ている春が零した最初の花です。それを見つけた嬉しさと、摘んで捧げる誇らしさに声も詰まりそうでした。
「わたくしの庭で咲いた、今年初めての花です」
 そうして差し出した花冠を彼は受け取り、微笑んで笛を捧げてくれる。
 ――そのはずでした。
「エリド?」
 ですが、笑顔は返ってはきませんでした。
 見上げたその表情に、その目の暗さにわたくしは胸を衝かれました。
「こんな、子供だまし……こんなものが欲しかったのじゃない!」
 のども裂けるような苦しげな言葉を残して、エリドは駆け去ってしまったのです。
 わたくしは口もきけずに、ただ立ち尽くすばかりでした。気がつけば、この手から花冠は滑り落ち、壊れてつぶれておりました。

  

  13
 それきり、わたくしとエリドは顔を合わせることもなくなってしまいました。
 あの花冠のことを、わたくしは折にふれて思い出しました。何故、彼は受け取ってくれなかったのでしょうか。
 これまでわたくしの差し出すものを拒んだ人はなく、わたくしが愛したものをエリドが喜ばないなどと考えたこともありませんでした。
 わたくしには、どうしてもわからなかったのです。
 ただ、つぶれた花の香りを、あの瞳をいつまでも忘れられませんでした。
 心に刺さった棘のように在り処も形も見えないまま、ただ痛みだけが残ったのです。

 それから何年かがすぎ、城では悲しいできごとがおこりました。
 父王が病で身罷られ、母宮もその後を追ったのです。
 兄たちの諍いは激しくなり、大臣たちは厳しい顔で、足音も高く行き来するようになりました。それを侍従たちは冷ややかな目で見つめたのです。
 城の中は張りつめた空気でいっぱいで、まるでたわめられた木の枝のよう。
 手を触れれば恐ろしい音をたてて、何もかもをなぎ払ってしまうように思われて、わたくしはそこから逃げ出しました。
 城の奥庭へ。秋の風に葉の落ちた、花枝も木々も眠る場所。
 かつて父がわたくしに与えた平穏の中へ隠れ入ったのです。目を閉じ、冬の風に耳を押さえて、ただ時が過ぎるのを待とうとしました。
 ですから、その出来事にわたくしは驚いたのです。

「この部屋を出て、城のはずれにお移り下さい」
 ある日、侍従がわたくしの部屋を訪れて、王のご命令だと言いました。
 どちらの兄の、と尋ねると侍従は言うのです。兄ではなく、エリドが王位に立つのだと。
「ですが、兄上たちのどちらかが国を継ぐはずではありませんか」
 驚いたわたくしを見て、老侍従は苦い顔で言いました。
「いたしかたないのです。兄上たちのなさりようはセアラ様もご存知でしょう」
 エリドが王となり、わたしに最初に与えた言葉。
 それは顔を合わせることもなさそうな城のはずれに移り住み、そこから出てはならない、というものでした。
 あの優しかった彼からそんな言葉を聞こうとは思わず、それでも王の命とあれば、わたくしは従うしかありませんでした。そして、その理由をエリド本人に問う機会もないまま。
 海と山を越えた遠くの国へ、わたくしは政略のために嫁ぐことになったのです。

 

  14
 嫁ぐために城を出て、わたくしは生まれて初めて外の世界を知りました。
 揺れる馬車の中、わたくしの気持ちをひきたてようと侍女は窓の外を指差しました。
 行き交う馬車や緑そよぐ畑のさまを聞くにつけ、城から離れた心細さにうつむいていたわたくしも、つい顔を上げました。
 四角い馬車の窓から顔を出す。風が頬を撫でる。
 そこに広がる風景は、エリドが語ってくれたそのままでした。
 白い石畳や町角、木の緑。牛や馬、行きかう人々の笑い声。紋章のついた馬車を見て駆け寄ってくる人々。
 ある者は嫁ぐわたくしに祝いの言葉を、あるいは国を去ることを惜しんでくれました。
 ですが、ある者は食べる物を無心し、ある者はこれを買って欲しい、と羽飾りを差し出したのです。
 わたくしはとても驚き、とまどいました。
 それは王から騎士たちへ褒賞に与えられる飾りもの。それが何故、こんなところにあるのでしょう。
 侍女はあわてて窓を閉ざしました。ですが、王女のわたくしを呼ぶ声は馬車を追い、いつまでも聞こえておりました。
 父が亡くなり王座が空だった間に、民の暮らしはどれほど苦しかったのか、それを思うとわたくしは胸が痛みました。わたくしの喜びが彼らのものでもあるなどと、どうして信じていたのでしょう。
 やがて、街道は途切れがちになり、荒れた野山が見えました。寂れ、崩れた村々が続き、城のそばでは豊かだった川は次第に細くなりました。
 その涸れた川床を踏みながら濁った水を汲む親子を見て、ようやくわたくしも気づいたのです。エリドは決してすべてを語っていたのではなかった、と。
 わたくしの暮らした世界の、何と小さかったことか。
 城壁に守られた、緑の庭園。父王と母宮、双子の兄。そして侍女と園丁と庭の鳥。これが世界のすべてでした。
 誰もがわたくしを守り、悲しいものを見せまいとしていたのに、それに気づきもしなかったのです。
 わたくしは何と愚かな子供だったのだろう。
 嫁ぐ国へと向かう馬車の中、わたくしは涙を流しました。

 エリドの手に握られた、あの小さな銀の笛。
 どうやって手に入れたものかなどと、これまで考えたこともありませんでした。
 そして、あの紅の花冠。
 わたくしは持てる中から、一番美しいものを差し出したつもりでした。
 ですが、父から与えられ、園丁の手になる花をどうして自分のものと思ったのでしょう。
 望まれたのは銀の冠だったのに、その思いを花冠がどれだけ汲んだと言えたでしょう。
 そう考えると恥ずかしく、恥ずかしくてなりません。
 あの日、拒まれた理由にようやく思いあたり、そして、今まで気づきもしなかった愚かさがいたたまれませんでした。
3 Novel 後奏
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