1.
ユルクは手紙の封印を破った。
隣国で彼と同じように城臣を勤める友人から手紙が届いたのだ。
手紙は古風な挨拶にはじまり、しかし気心の知れた昔馴染みのこと、本題に入ると懐かしい声が夢中で話しかけてくるようだった。
几帳面に、ぎっしりと並んだ筆跡を見ながら思わず呟きがもれた。
「奴め、相変わらず爺馬鹿じゃ」
誰かその場に居合わせれば笑って言ったことだろう。
ユルク、あんたといい勝負だろうに。
確かにユルクも名前を口にするだけで笑みが浮かぶほど、孫のノアムを可愛がっていた。
「じゃが、これは確かにいい話だ。何でこれまで思いつかなんだか」
支度は早くて悪いことなどない、と独り言を言いながら、上機嫌のユルクは部屋を出ていった。
2.
岩陰の山ウサギ。
その影にむかって、セディムは弓弦を引き絞った。 狙いすぎて腕が震える前に、的を捉えて矢を放つ。
空想の獲物のウサギを見事捕らえると、セディムは狩人の誇らしそうな表情を浮かべた。きっと思い描いた獲物は丸々と太っているに違いない。
岩陰には夏の野花が揺れるだけだったが、そんなことはちっともかまいはしなかった。
セディムは満足げに弓をおろし、大人たちを真似て意気揚揚と獲物のところまで
歩いて行った。
軽い身のこなしはリスか山鹿の仔のようだ。十になったばかりだが、その矢を引く姿は父親によく似ていると言われていた。
真新しい弓を手に、セディムは幸せいっぱいだった。
去年まで使っていた子供用の弓ではない。 自分の腕の長さに合わせて作られた、自分の弓だ。
もっともこれも、腕が伸び背が伸びれば、また体に合うものと とりかえられることになるだろう。
一人前なんて、すぐだ。
そう考えながら手近の岩に登ると、城の方を振り返った。
今朝からずっと待っている知らせはまだ届かない。セディムは苛々と手にした小枝を打ち鳴らしたが、気は晴れない。
ちょうどその時、遠くに待ちわびたノアムの姿が現れた。セディムは歓声をあげて岩から滑り降り、幼馴染を迎えに走った。
ノアムはぼんやりと考え事から覚めない様子で、セディムに迎えられた。
「遅いよ、ノアム」
セディムは怒鳴った。
「城臣の誰かに返事を聞いたらすぐ戻るって言ったじゃないか。どこに寄り道したんだよ。ものすごく、待ったんだよ」
しかしノアムはそれには答えず、神妙な顔つきでセディムを見返すばかりだ。
「まさか……」
セディムは恐れていたことを口にするのに勇気を振り絞った。
「まさか、僕は狩りに行けないってこと?」
「いや、違う」
ノアムは何とも奇妙な顔をして弟分の問いに首を振った。
「俺たち、二人とも行けないんだ」
ざあっと峰から風が吹き降りて、斜面の草をなぶった。
なんで、どうして、といつものように口を開きかけたセディムは、続く言葉に仰天した。
「俺たち、子守りさせられるんだ」
3.
小振りの弓の弦を鳴らしながら、時々はぐれた牛を追いながら、セディムとノアムは山の斜面を下って行った。
「だって、おかしいじゃないか」
堪りかねたようにセディムが弓を振った。
二人は今年こそ夏の狩に参加させて欲しいと願っていた。
自分達はもう幼い子供と一緒になって牛を追う年ではないと、二人は信じていた。少なくともノアムはそうだ、と。
弓の腕は大人たちからほめられるほどに上達した。実際、セディムですら自分の弓を持つことを許されたのだ。
だがノアムが城で祖父から聞いてきたのはこうだった。
次回の狩には二人とも連れていかない。それよりエフタから城臣が訪問してくることになっている。一緒に孫を連れて来るからその面倒をみてやるように。
しかもユルクは念押しまでしたのだ。
みんなで遊んで、仲良くしなさい。一番年上のお前がきっちり面倒見るように。
セディムは弓が風を切って鋭く鳴ると、それはそれで気に入ったらしく、なおも弓を振り回した。
「ノアムはぜったい大丈夫だと思ったんだよ。だってもう十二だもの。大人だよ」
「うん」
「今年こそ狩人の仲間入りだって、みんな言ってたんだ」
セディムは不機嫌に足を踏み鳴らした。
「おかしい、絶対おかしいよ」
「まあね」
ノアムは弟分ほどには憤慨していなかった。
ひとつにはセディムの怒りようがまるで自分のことのようだったので、かえって気が殺がれてしまったのだ。そしてもうひとつ。
ノアムは最近、祖父の様子がおかしいと思っていた。
「なあ、セディム」
二人は日当たりのよい岩を見つけると、その上に並んで腰をおろした。夏の明るい空を、山鳥が斜めに横切っていく。
「おかしくないか? 子供が城臣について来るなんて」
「ティールだって来るじゃない」
「ティールは長の子だからさ」
「そうか。じゃあ、何で?」
「気になるんだ。何で爺さんがあれほどうるさく世話をしろ、仲良くしろって言うんだか。それに、驚くなよ。来るのはエフタのアルドム爺さんだ」
さっとセディムの顔が曇った。
「暗記のアルドム?」
「そう。アルドムの孫なんだから、つまり子守りなんてのは……」
「嘘っぱちだ」
セディムもようやくぴんときて、言葉尻を引き取った。
「夏の間勉強しろって。その子を見張り役にしようってわけだよ」
書物とセディム、暗記とノアム。
どちらもまったく合わない組み合わせだった。二人の間では、アルドムは死の使い扱いだ。
その時、城の窓から歓声が上がるのが聞こえた。畑の先、隣国へ続く道に人影が見えた。まさに噂の主だろう。
「見に行こう、ノアム」
セディムは岩の上にすっくり立ち上がった。
「やな奴だったら、一発お見舞いしてやろうぜ」
「あれか?」
二人は上着の隠しから泥玉飛ばしの道具を取り出して頷きあった。
それから狩の時のような叫び声を上げると、死の使いを迎え討ちに駆け出していった。
4.
村境い、大岩の傍でエフタの客人はイバ牛の足をとめた。
急斜面の段々畑には麦がそよいでいる。その緑の波の向こうから、城臣ユルクが急ぎ近づいてくる姿が見えた。
客人はイバ牛から降りると、その背にちょんと乗っている小さな姿に大人しく待っているようにと手振りした。
その彼らの頭上、大岩の上に這いつくばって身を隠している者がいた。
セディムとノアムはそっと頭を上げて下の様子を窺った。ちょうどユルクがやってきて息切れがおさまるのを待っているところだ。
噂の子供が深々と帽子をかぶって佇んでいた。二人はそっと言葉をかわした。
「きっとアルドムのお気に入りなんだ」
「旅の帽子なんてかぶって、格好つけてるよな」
セディムは通りがかりの畑からひと掴みしてきた泥を丸めた。
水気を含んだ土は、彼らの経験から見て絶妙の大きさの玉に整えられた。しかもよく飛ぶようにと振り回すための小道具つきだ。
セディムはレンディアの子供たちの中でも群をぬいてこの類に腕がたつ。半身を起こして、的をきっと見据えると泥団子を振り回しはじめた。
「久方ぶりじゃな」
「ハールの恵みがこの地にもあるように」
「いや、エフタにもますますのご愛顧があるように」
「ところでそなた、随分若返ったようだが……」
そののどかな挨拶を見守っていたノアムは、突然はっとして腰を浮かせた。
「セディム、だめだ。あれは……」
しかし、ちょうど充分に勢いのついた団子がセディムの手から離れたところだった。いつもと変わらず、狙い違わず泥団子はエフタの子供の帽子を飛ばした。
「ああ……」
ノアムは頭を抱えた。
セディムも自分がすっ飛ばした帽子の下の顔を見ると呆然とした。
「お、女の子だ」
少女の肩の上で短いおさげがゆれている。彼女は一瞬何が起こったかわからない様子で身動きもしなかった。
しかし、すぐにその大きな目から涙がこぼれ、驚きのあまり言葉も出ない口の横を流れ落ちた。
ようやく異変に気づいた城臣たちは、岩の上で呆然としている姿を一喝した。