5.
レンディアの大人たちは子供のいたずらには寛容だ。しかし、それも時と場合による。
成り行きを聞いた城臣のヤペルは、客人をもてなす長の代わりにセディムとノアムを引っ立てていった。
二人は予想通り手厳しく叱られた。
城臣たちの中でも年の若いヤペルは怒る声にも他の者にはない力強さがあった。
「恥ずかしい」
そう言って、ヤペルは何度も首を振り、嘆いた。
客人に向かっていたずらを仕掛けるなど、何と礼儀知らずなことか。レンディアの城臣たちは皆、恥ずかしい思いをした。
まして長の心の内は量りようがない。
「お前もお前だ」
ヤペルの叱責の鋭い矛先は、ノアムにも向けられた。
「セディム様の思いつきをお止めするのが本当だろうに、並んで見ているとは何事か」
「ノアムは止めたんだよ」
セディムは聞きとがめて顔を上げた。
「僕が投げる方が早かったから間に合わなかったんだ。ノアムは悪くないよ」
しかし、その言葉尻は力を失って、セディムはまたうなだれた。兄貴分のノアムも居心地悪そうに黙りこくったままだ。
ヤペルはひと息、ため息をついた。気まずいのも無理はない。あろうことか相手は女の子だ。
「よろしいでしょう。罰として一章ずつ暗記しなさい」
ヤペルは二人に分厚い書物を手渡した。
「覚えたら私のところまで来て諳んじてみせなさい。出来たら外へ行ってよろしい。あの娘といっしょに草地に行くのもよいでしょう」
これを聞いて子供たちは顔を見合わせた。
暗記はいい。無論嬉しくはないが、まあいい。だが。
「やっぱり俺達が遊んでやるの?」
ノアムはおそるおそる尋ねた。あんなに気まずい思いをした後で、いったいどんな顔をして会え、というのか。セディムも口を挟む。
「だってヤペル。女の子となんて遊べないよ。だって、女は……すぐ泣くじゃない」
「泣かせないように面倒をみて、遊んでやるんです」
ヤペルはじろりと若君を見下ろした。
「それが年上ってもんです。みんなそうしてきたでしょう」
ヤペルは振り返りもせずに部屋を出ていった。後には書物を抱え、厄介ごとも抱えて二人が立ち尽くしていた。
6.
エフタから来たメルという少女はセディムより三つ年下の、大人しい子供だった。
びっくりするほど大きな目ばかりが目立つ、鳥のヒナのような風情。だが、口の方はさっぱり開く様子をみせない。
祖父のアルドムに促されても喋ろうとせず、実際その名前ですらセディムたちはアルドムの口から聞いたのだ。
「さあさあ、子供たちは天気のいいうちに外へ。牛を放してやりなさい」
「遊んで来ていいの?」
「書き取りはしなくていいの?」
騒ぎたてる子供たちに負けまいと、ユルクは声を張り上げた。
「陣取りもよし、駆け比べもよし。牛たちに腹いっぱい食わせるまで、好きなことをして遊んでよいぞ」
子供たちは城の戸口から押し出されるようにこぼれ出ると、歓声をあげて散り散りに駆け出していった。
岩と草の斜面を、のんびりと夏雲の影が横切っていく。
子供たちは牛を追いたてて小道からはずれたり、また戻ったりする。その様子は鳥の群れが風に乗って、時折身を翻すのによく似ていた。
幼い双子のディンとダルは手当たりしだい見つけた岩に登りたがるのを、年上のスレイに止められていた。
「牛を連れて行くんだか、赤ん坊を連れて行くんだか。わかんないよな、これじゃ」
スレイが大人ぶって呟くと、ノアムはお前もそうだった、と子供たちの首領らしい口ぶりで答える。
しかし、同じ言葉をノアムも口にしたことがある。そう思い出したセディムは幼馴染のわき腹を肘でつついた。
そのセディムの袖をひっぱる子供がいる。
見ればレンディアで一番幼い少女、ライナだった。
「くっつけてよう」
ライナの手にはお気に入りの枝が真っ二つに折れて握られている。
彼女がごっこ遊びでまじない師になる時の必需品なのだが、どうやら少々熱が入りすぎたらしい。
「ねえ、くっつけてよう」
「見せてごらん」
セディムは難しい顔をして折れ口を見ていたが、ふと思いついてあたりを見回した。
いつもならこんな調子でいいのだが、今日は事情が違うのを思い出したのだ。いつものレンディアと馴染みのない当人、お客のメルは他の子供たちから離れてとぼとぼと歩いていた。
セディムとノアムは顔を見合わせた。
これほど大人しい子供はレンディアでは見たことがなかった。同じ女の子でもライナやその姉のスーシャなら泣きわめいても主張し続ける。かえって話は簡単だ。
しかし、喋らないとあってはどう扱えばいいのか、二人はまったくわからなかった。
それでも城臣たちからは仲良くしろ、とはっきり言い渡されている。知らぬふりを決め込むわけにはいかなかった。
「これから大岩の先の草地に行くんだ」
ノアムは責任を感じたらしく、少女に話しかけた。
「岩がたくさんあるから矢のあてっこにちょうどいいんだ。自分の弓、持ってきた?」
メルは今にも泣きそうな顔をして首を振った。
「じゃあ、俺のを貸してやるよ」
しかし、今度は否とも応とも答えはない。どうしたらいいか、とノアムは助けを求めてセディムを見た。
「ノアムの弓はすごいんだよ。木にだってぐっさり刺さるんだ」
しかし、少女は口をつぐんだままだ。兄貴分への憧れがあふれたセディムの言葉は空回りした。
メルは一層下を向いて、ついには手の甲で涙を拭いはじめた。
セディムは慌ててノアムの姿を探した。だが、ちょうどとんでもない方向へ走り出した双子を捕まえに駆け出したところだった。
援軍はこない。
そう悟ったセディムは腹を決めて、上着から布切れを引っ張り出した。その日の昼のパンを包んでいたものだ。
「これ」
勢いよくふるってパン屑を落としてから、メルに突き出すようにした。
一瞬、何のことかと思ったらしいメルは泣くのをやめた。そして、それを受け取ると目をこすって、セディムに返した。
その時、ほんの少しだが少女の表情が和らいだ。
セディムは驚いて布をしまいこむ手をとめた。――たぶん、笑った。そんな気がした。
だが、それはほんの一瞬のことで、メルは再び悲しそうな目をして子供達の後を追って歩いていった。
その姿をセディムはぼんやり眺めていた。
7.
スーシャは毎日年上の女たちと水汲みに出かける。
秋に婚礼を控えた娘は一人歩きを許されない。村の女達と連れ立って細い水流のほとりまで行くのがスーシャの唯一の楽しみだった。
ノアムやセディムら男の子と遊びまわって大きくなったお転婆娘には、これが辛いらしい。
「こんなに毎日家の中にいるなんてつまらない。こんなことなら早くエフタに行きたいわ」
「今のうちだけよ」
まわりの女達は娘の背中をからかうようにつついた。
「そのうち風が吹こうが寒かろうが、畑に出ることになるんだから」
女たちは水桶をぶらぶらさせながら、男どもが起き出す前のひと時を楽しんでいた。
その時スーシャが足をとめた。忘れ物をした、と呟くと、女達が止める間もなく走り出した。
「すぐ戻るわ。先に行って」
そうして村へ戻る道をあっという間に下っていった。
スーシャの足は村の手前で止まり、辺りに人がいないのを確かめてから岩地を上っていった。
大きな角張った岩陰に身を滑り込ませると、スーシャは腰に手をあてて口を開いた。
「何なの、あんた達」
岩陰でしゃがみこんでいたのはセディムとノアムだった。
朝露にしんなりと濡れて、どことなく情けない風体だ。
めったに一人にならない幼馴染のスーシャをつかまえようと、かなり朝早くからここにいたらしい。いつもの遊び場から手を振っている二人を、スーシャが運良く見つけたというわけだ。
「スーシャ、助けてくれよ」
ノアムは縋るような目をした。
驚いたスーシャは大人の目の届かないところを探して座るように促した。
いかにも困り果てた様子のノアムと、それでも何か考えようとしているセディムが持ちかけた相談は、あのエフタの少女メルのことだった。
アルドムとその孫娘がレンディアに着いて三日になる。
しかし、その間メルは一言も口をきかなかった。確かに誘えば頷くし、手をひけば大人しくついてくる。
「だけど喋らないし、声をかけなきゃ端っこに座って黙って見てるだけなんだ」
「ディンたちはすっかり誘う気を無くしちゃって……」
二人は幼馴染を見上げた。
「こんなの大人たちに知れたら怒られるよ。どうしたらいいと思う?」
「どうって……」
スーシャは話を聞きながら草をむしっていた手を止めた。
「これまで何をして遊んだの?」
今度はノアムとセディムが言葉につまって顔を見合わせた。
「弓の使い方と、いい泥玉の作り方」
「ばかね、あんた達」
スーシャはすっぱりと言ってのけた。
「アルドムの孫でしょ。おとなしい子だって聞いたわ。泥玉を当てられたのに作り方なんて教わってどうするの。それに女の子が弓の使い方なんて、喜んで聞くわけないでしょう」
だってスーシャは好きじゃない、というセディムの言葉は威勢のいい娘の前では雪のように融けて消えた。
しかし、七つの女の子の気に入るものを察しろ、というのは少々無理な話だったかもしれない。
数年前の不作の年にたくさんの子供が亡くなり、今、レンディアの子供といえばほとんどが男の子だ。
唯一人の少女ライナも姉のスーシャによく似たお転婆娘だ。つまり子供達は『男らしい』遊びばかりしてきたのだ。
スーシャはそれに思い当たってため息をついた。
「いいわ。ライナにあんた達に手を貸してやれって言っとくわ」
セディムたちは顔を見合わせた。
「ライナはメルより年下だよ」
「年上のあんた達よりはましでしょ」
スーシャは立ち上がって草を払った。