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小さき花と、夏の鳥 6

19.
 ノアムの祈りも空しく、ユルクは城臣たちが使う大部屋へと孫を連れて行った。
 まだ昼前のこと、誰の姿はなく、がらんとした薄暗い部屋は絨毯の匂いしかしなかった。ノアムは汗を拭った。
 うまくすればセディムも今頃は登りきったかもしれない、と思った時だった。部屋の奥に腰掛けた姿が見えた。
 その膝にすっぽり収まるようにしている小さな姿も。アルドムとメルだ。
 ばれたか、と一瞬思ったものの、ノアムは何とか声をあげるのを堪えた。小言ならメルがここにいる必要などない。
 きっと気にし過ぎているのだ、とノアムは自分に言い聞かせた。
 開け放たれた窓からは穏やかな風が入ってくる。部屋の中ではうすら寒い、などと文句が出ないうちに、ノアムは窓を閉めた。それから城臣たちに茶を淹れる。
 茶を飲みながら友と話す。
うまくすれば二人とも窓辺になど近づかないだろう、と最後の願いをこめてノアムは湯を注いだ。
 アルドムはメルを膝から下ろすと、機嫌よくユルクと言葉を交わした。
「夏らしい空模様がありがたいな。道中、楽でよい」
「明日はもうエフタに帰るとは」
 ユルクは首をふり眉をしかめ、何とか友人を止めようとしていた。
 酒も飲み足りない、歌も足りない。連れ合いを亡くした者同士というのに何ともつきあいが悪いというわけだ。
「いや、長居したいのは山々なのだがな。何せ我が息子の狩の手際はよろしくない。ここは一つ、わしが腰を上げねばどうにもならんのよ」
 そう言って、アルドムは音をたてて茶を啜った。
 ノアムは大人しくユルクの傍に控えながら、そっと目を瞑った。
 確かアルドムの息子は、レンディアにまで名を知られた狩人だ。幾つになっても、腕を上げても一生言われ続けるのだろうと思うと、相手が大人ながら気の毒に思えた。
「ところで、ノアムはなかなか腕がよいそうじゃな」
「いや、これもまだ子供。そろそろ狩人の仲間入りしたいなどと言いおるが、どうしたものか」
 もしや願いが叶えられるか、とノアムは唾をのんだ。が、その夢想は、その時扉が開いて一瞬で吹き飛んだ。
「おお。揃いで何をしているのか」
 顔を覗かせたのはヤペルだった。
「こんなところで茶を飲みかわし、とは悠長なことだな。おや、ノアムまでいる。お仲間は……」
「畑のことで聞きたくて来たんだよ」
 ノアムは大声でヤペルの言葉を遮った。よりによって、どうして一番来て欲しくない者が顔を出すのか。
 一刻も早く追い払おうとノアムが必死で口実を考える間に、ヤペルはさっさと仲間の間に居座ってしまった。
「神妙な顔で、いったい何を話していたのだ?」
「狩の話よ」
 そう言うとアルドムは傍らのメルを呼び寄せてもう一度膝へ抱き上げた。
 メルは服の皺を伸ばしながら大人しく座った。年寄りばかりの部屋の中で、そこだけ日が当たったような可憐さが少女にはあった。
 その細い糸のような髪を撫でつけながら、アルドムは目を細めた。
「男の子もよいが、やはり可愛がり甲斐があるのは女の子供だな」
「まただぞ」
 アルドムの祖父馬鹿は友人たちの間でも知られている。笑い声を上げるヤペルとユルクに挟まれて、アルドムは浮き浮きと言葉をついだ。
「メルを嫁にやるなら腕のいい狩人のところと決めておる。ノアム、そなたがよい相手と思うがどうだ、うん?」
 するとユルクも嬉しそうに口を開いた。
「メルは行儀のいい、よい子じゃ。またとない話だろう」
「まさにそのとおり」
 城臣二人は頷きあうと満足そうに笑った。

20.
「ちょっと……そんなこと、聞いてない!」
「初耳だぞ!」
 ノアムと、何故かヤペルも同時に叫んだ。
「何でそなたが言うんじゃ」
 ユルクは怪訝な面持ちでヤペルを見返した。
「わしの孫の話じゃ。わしが決めてどこが悪い」
 どこも悪い、と言いかけたが、ノアムは声も出なかった。道理でこのところの祖父は様子がおかしかった。
 しかし、すぐに驚きと不満がわき上がってくる。
「俺はまだ狩にも行かない子供だぜ。何で? 第一、メルにだって早すぎるじゃないか」
「いいや」
 ユルクとアルドムは揃って首を振った。
「支度は早くて悪いことなどないのだぞ」
 ノアムは口をぱっくり開けて、泣きそうな顔をした。
「そんな……いや、メルがいい子なのは知ってるよ。だけど」
 その横から、何故だかヤペルも汗をびっしょりかきながら口を挟む。
「いい話には違いないが、ではセ……」
 若君の名を口にしかけて、ヤペルはそれを飲み込んだ。いくら何でも本人がいないところで、その心の内を明かすわけにはいかない。
「この秋の狩から、ノアムも一人前になる」
 ユルクは重々しい声で宣言した。
「数年もすればレンディアきっての狩人となれるだろう。その時にはメルもよい年の頃となる」
「それまでには嫁入り仕度も進むというもの」
 そうアルドムも言葉を添えた。
「平原の刺繍をした上布がよいな。あれならメルによく似合うぞ。どれ、爺がひとつ手に入れて……」
「そんな!」
 ノアムが必死に抵抗の声を上げた時だった。
「ノアムはこっちだって?」
 明るい声が廊下から響いた。
「そんな……」
 ノアムは他に言葉も思い浮かばず、頭を抱えた。
「これ見てよ、立派な岩雪草なんだ。これならきっと気に入ってくれる……」
 夢中で喋りながら、野花を手に飛び込んできたのはセディムだった

21.
「おお、セディムさま。父上にはよく謝りましたかな?」
「セディム、来るな!」
「今、めでたい話をしてましてな……」
 ほとんど同時に話しかけられて、セディムが足を止めた時だった。
「……ない」
 どこかで声がした。
「え?」
 虚を衝かれて、大人たちはその姿を見た。
「ノアムとはけっこんしない」
 アルドムは膝の上の少女をまじまじと見つめた。
 アルドムだけではない、その場にいたノアムもユルクも。誰も大人しい少女が否というとは思っていなかった。
 セディムは何の話か掴みかねて、まだぼうっと立ち尽くしていた。
 メルはといえば言い馴れない口ごたえに自分で臆したか、後はただ俯いて首を振った。
「お前、何故だね?」
 アルドムは孫娘の顔を覗き込んだ。
「ノアムが嫌いなのかね?」
「……ううん」
「怒らないから言ってごらん」
 メルの声はいっそうか細く、しかし風でも倒れない花のようにしっかりと言葉を継いだ。
「だってノアムは、すごく好きって言ってくれるんじゃないんだもの」
「しかし……」
「それにお嫁さんになるって、ティールさまと約束したんだもの」
 それだけ言うと、あとは黙ってぽろぽろ涙をこぼした。
 城臣たちは互いの顔を見合わせた。どうも雲行きがよろしくない。子供には子供の事情というのもあるらしい。
 アルドムはメルを抱き上げると背中を叩いてあやしてやりながら、ノアムに目配せした。
 ノアムは別に気にしない、という顔で頷きかえした。
 それぞれが違うことを思いながら出て行くと、後には少年二人がぽつりと取り残された。

22.
 部屋に差し込む夕暮れの色に、もの思いから我に返り、ユルクは重い腰を上げた。
 あれこれと思い返すうちに、午後いっぱいをやり過ごしてしまったようだ。
 麦穂のざわめきが耳に入り、ユルクはそっと窓の外を見た。濃い黄色に染まった畑の石垣にはセディムが腰かけて、ひとり足をぶらぶらさせている。
 手には弓を握っているが矢を番えるでもなく、ただ弦をはじいていた。
「可哀相なことをしたな」
 それを見てユルクは首を振った。
 いきさつは孫息子とヤペルから聞かされていた。セディムのもの思いなど、言われるまでまったく気づかなかったのだ。
 だが、咲く気のない花を摘んで器に活けて、花嫁に仕立てるのも不憫なこと。それにしてもセディムがあれほどしょげかえっているのも、初めてだった。
 まったく可哀相なことをした、ともう一度呟いた。
「夏の小鳥よ、戻っておいで」
 ユルクはふいに思い出した歌を低く口ずさんだ。昔、亡き妻が若かった時に聴かせてくれた歌だった。

  夏の小鳥よ、戻っておいで
  悲しみの底から
  光の彼方から

 その続きを思い出そうとしながら、ユルクは部屋を出ていった。

BGM: Flores Para La Mamita(Musiques des Andes: BoliviaManta)
Las Golondrinas(Eduardo Falu Best: Eduardo Falu)
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