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第一部 晩夏 |
一章 夏の終わり - 3 |
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城の広間には狩人たちが集まっていた。 夏とはいえ、夜は炉に火を入れなければとても過ごせない。乾かした牛糞をくべた炉のまわりには七、八人ずつがいくつも車座をつくり、狩の準備に余念なかった。弓に脂をすり込む者、鋭い音をたてて弦の張り具合を確かめる者、石鉄を炉であぶってはかち割り、鏃に仕上げる者もいる。 明日は、この季節最初の大きな狩だ。 村の狩人のほぼ半数が狩小屋を転々としながら、何日もかけて獲物を追う。冬の食料を得るための狩だが、冬羽を整えはじめた鳥を射止めれば、美しい羽飾りとしてふもとの市で売ることもできる。今年は何頭、何羽を射止められようか、と賭けをする姿もあちこちに見られた。 その車座の一つ――若者たちが集まった一団の中で、セディムは黙々と自分の矢をこしらえていた。 矢柄に削り上げた鏃をつけようとして、うっかり逆棘で指を刺した。 「……っ!」 セディムは思わず声をあげた。その肩を、ちょうど通りかかった男がぽんと叩いた。 「要らぬ気負いは怪我のもと。矢を番えるのは明日のことです」 そう笑って、床に広げられた道具や弦の束をよけながら立ち去っていった。 セディムは自分の不器用に腹を立てながら、薄く血の滲んだ指を見た。以前は細いばかりだった指がこのところ骨が目立って、大きくなってきたような気がする。 セディムは黙って唇を噛んだ。 (あんな風に、怒りにまかせて話すつもりではなかったのに) 父との言い合いを思い出しては気が滅入って、狩の支度にも身が入らなかった。 長には、冬を案じる自分、そして村人たちの不安を伝えるつもりだった。父の言葉に疑問を抱いたことなどなかったが、今回ばかりは納得がいかない。あの畑を見て、どうしてあんなことが言えるのか、と考えるたびに苛立ちが募った。 しかし、最終的に長が決めたことには従うのが決まりだ。刈り入れは城臣たちも同意の上なのだろう――。 セディムはそっとため息をついた。できることをするしかない。麦が足りないのなら、その分は肉で補わなければならないのだ。 矢柄を削りはじめると、近くに座って同じように矢を作っていたノアムが声をかけてきた。 「なあ、今日来た、あれは誰だ? エフタにあんな男はいたっけ」 城にふらりとあらわれた客人の噂は、あっという間に村中に広まったらしい。セディムは首を振った。 「父上の従兄弟で、薬師らしい。もう何十年も前に旅に出て、ずっと帰っていなかったそうだ」 「聞いたこともないぞ」 生まれるずっと前の話にノアムもとまどったようだ。「死んだと思われてたんだな。気の毒になあ」 だが、セディムは黙々と手を動かすばかりだ。やがて、出来上がった矢を束ねて筒におさめると、ようやくすっきりした顔になった。 「ノアム。革を持ってないか? 幅は掌くらいあればいいけど」 この言葉にノアムは蔓を巻く手をふと止めて、声をひそめた。 「……まさか。もう一度、やってみるのか?」 「もちろん」 セディムは幼馴染を急かした。その手に握られているのは、今日集めてきたばかりの罠だ。 「おい。待てって」 ノアムはこめかみを押さえた。 「大丈夫なのか? 長に注意されたんじゃないのか?」 「そんなことはない」 セディムはむっとして答えた。 「もし、そうだとしても、実際に獲物があれば父上も認めてくれるはずだ」 「でも」 「ノアム。お前、悔しくないのか? あと、もうひと息なんだぞ」 「……」 ノアムは押し黙った。 期待ほどではなかったものの、罠の成果は前回よりはましだった。確かにセディムの言うとおり、もしかしたら次こそは――。ノアムは、もう、どうにでもなれ、という顔つきで革帯を差し出した。 二人は額をつき合わせて、罠の残骸をじっくり検めた。 「撥ね上げる力が弱いんだろうな」 セディムは蔓を引っ張りながらつぶやいた。 獲物をとらえつつ、二度と逃さない仕掛けにするにはどうすればいいのか。若者二人はそろって難しい顔つきになった。 「蔓をもっと短くしたらどうだろう?」 「それだと軽すぎるんだよ。風にあおられて仕掛けが動いてしまう」 その時、セディムの手元に影がおちた。ノアムが目くばせしたが、もう遅かった。 「セディム様。いま仕掛けとおっしゃったか?」 その声と、目に入った腰帯の護符で誰かはすぐにわかった。城臣のレベクだ。 「その革は何に使われるか、お聞きしてもよいですかな」 「ああ」 セディムは隠すつもりもなかったから、レベクを見上げてすぐに答えた。 「新しい罠を仕掛けるんだ」 「セディム様。罠は感心致しません」 厳しい声音に、狩人たちは手を止めた。部屋中が静まり返った。 セディムはきつい瞳でレベクを見つめ返した。 「何故だ?」 「狩とはハールが創られた命をいただくことです。獲物と向き合い、逃げる方も追う方も力を尽くす。だからこそ、狩人が命を受けるに値するかどうか証されるのです」 レベクは城臣の中でも昔気質で、こういう話では決して譲ったことがない。しかし、セディムもまた頑固だった。 「これも、力だ」 と、罠を城臣の前に突き出してみせる。 「獲物も人も知恵を尽くす。こちらが勝る時もあれば、獲物が逃げ遂せる時もある。弓矢を使う狩だって、巣穴や塩なめ場の近くで待ち伏せるじゃないか。何が違うんだ」 しかし、レベクは静かな声で答えた。 「我らが父祖のアレイオスがこの地に初めて立った時、ハールは石鉄と木のある場所をお示しになりました。弓矢を作って狩をするようにと配慮下さったのです。もしも、罠を掛けよ、というのなら、その方法も教えて下さったはずです」 「言い伝えに無いことは、何ひとつしないつもりなのか?」 よどみなく唱える城臣に、セディムは食ってかかった。 隣ではノアムが固唾を呑んで議論を見守っていた。 幼い少年の頃から彼らはいつもこうだ。セディムが何かを思い立っては走り出し、ノアムはそれに引きずられてつき合う。ただし、城臣に説教される時は並んで聞くのだが。 長年そうしてきたように、レベクは辛抱強く若者を諭した。 「獣が罠にかかったとき、狩人は何をしていますか」 「さあ。眠っているか、他のことをしているだろうな」 「そうです。何も賭けてはいません」 「賭けるもので力を量れるわけじゃない!」 とうとうセディムは怒鳴りつけた。 しかし、となりにいた年嵩の狩人がその肩に手をおいた。 「セディム様。狩られる獣と同じものを賭けるのは狩人の誇りを示すこと。罠にはそれが欠けています」 「でも――」 セディムの拳がゆるんだ。レベクだけではなく、仲間の狩人にまで止められるとは思わなかったのだ。 静まりかえった部屋で、結局口をひらいたのはレベクだった。 「冬に備えようと、考えて下さっていることは我々にもわかります。ですが、これはおやめ下さい」 レベクは穏やかに、だがきっぱりと言った。 「長も喜んではおられません」 セディムは革帯を握りしめて黙り込んだ。 |
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