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第二部 早雪の底 |
二章 突風 - 1 |
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城へ移れと伝えられると、村は急にあわただしくなった。 女たちは着替えなど身のまわりの品を並べ上げ、運ぶのは頼んだよ、と夫や息子に言い残すとそのまま城へ向かった。大勢の人間が暮らせるように城の広間を調えなければならない。いや、まずはその晩の食事をどうにかしなければならないのだ。 さいわい、十数年前の凶作の年を覚えている者たちが誰に言われるまでもなく避難暮らしの切り盛りをはじめていた。 「タラ根はこれしかないのかね」 「ヤペルが言うには、ひと籠で五日分だそうだよ」 「おや、まあ……」 しかし、女たちの顔は暗くはなかった。 レンディアの者はたいてい気楽な性格ではある。『雪の日こそ笑え』という昔ながらの言葉もある。厳しい暮らしの中では、なるようになると思うのも知恵なのだ。 「この麦粉は粥にした方がいいね」 きっぱりと言ったのは、女たちの中でも年嵩のラディアだった。七人の子を産み、今はそのうちの一人と一緒に暮らしている。さっぱりとおおらかな性格と決断力で、村人だけでなく城臣からも頼りにされていた。 「粥の方が無駄がないから」 「そうそう、嵩も増えるしね。まったく、うちの人ときたら……」 「『底なし大腹』と一緒になると気を揉むねえ」 女たちはどっと笑いくずれた。 そこへ、城臣のモルードが顔をのぞかせた。 「どんなものかね」 ラディアは笑顔のまま振り返った。 「何とかしますよ。わたしらががっちりしてますからね」 「野菜くずも無駄にはしませんよ」 モルードは女たちの肩をたたいた。 「頼んだぞ、若いものは堪え性がないからな」 これを聞くと、女たちはけらけら笑った。 「別に若いからってことはないでしょ。オルドムなんて、髭が白くなっても気が短いじゃないの」 「そうそう。若いのは、なんて文句を言ったら長から怒られるわ」 「いやですよ。この歳になって、孫みたいなセディム様に怒られたくない」 わあっと笑い声が上がり、あまりの賑やかさにモルードはめまいがしそうだった。食べ物のことは女の方が慣れているし、どうやら相槌を期待されているわけでもなさそうだ、と考えて、早々に退散していった。 男たちもまた忙しかった。雪を踏み分けて引越しの荷物を運ぶのだが、晴れ間はいつまで続くかわからない。空になった家の扉のすきまには粘土を詰めて、春まで閉ざしていく。手はいくらあっても足りないくらいだ。 そんな中、狩人たちは特別な思いをもって送り出された。 分厚い狩衣に身をつつんだ男たちがイバ牛の背に乗り、雪に覆われた小道を通りすぎていく。引っ越し荷物を運んでいた者たちはいっとき足を止め、頼むぞと声をかけたり、無言のまま祈りのしぐさを贈った。 薄日のさす冬の山に、ときおり獣を真似た狩笛が上がった。 笛の音は地リスやウサギをさそい、キツネや山狼に狩を呼びかける。しかし、それに乗ってくる獣の姿はなかった。まばゆい雪のおもてには染みひとつない。動く黒い影に狩人がはっと目をやれば、それは仲間のイバ牛の姿だった。 彼らは誰言うともなく集まった。分厚い毛皮の上着で、帽子を深くかぶっている。氷雪があまりに眩しいので、鼻と口を覆う布を目元ぎりぎりまで引き上げている。それでも動くものを探し続けて、誰の目も真っ赤になっていた。 「獲物は眠ってる。起きているのは人間くらいだな」 軽口を叩いた男が面布を引きおろした。ギリスだった。腕の立つ狩人だが、その弓は今日はほとんど引かれていなかった。腰にくくりつけた小さな鳥一羽が今日の成果らしい。昨日も一昨日も似たような状況だった。 「今日も無駄骨か」 「おい、そんなことを口にするな」 思わずこぼれた弱気のつぶやきを誰かが咎めた。言葉が現実になるのを怖れているのだ。 獲物がないのは珍しいことではない。だが、寒さをおしての狩が無為に終わるのは堪える。今日ばかりはハールの恵みのあることを誰もが願っていた。 「……長も来たくてしかたなかったろうな」 これを聞くと男たちは声をたてて笑った。いつでも勇んで狩に出てきたセディムは城に足止めされて、さぞ不満を溜め込んでいるだろう。 「城臣どもはとどめるのに苦労してるらしい」 「別に、長が狩をしてもかまわんではないか。ハールも目をとめて下さるかもしれん」 「いずれはな」 年長の狩人は重々しくうなづいた。 「だが、今は村全体を見る目を養ってもらわねばならん時だ。いずれ立場に馴染まれたら一番に出てこられるだろうよ」 「どうだ、ノアム。長はこらえて務めておられるのか」 それまで黙って雪の原を見張っていたノアムははっと顔をあげた。 「どうかな。最近、会っていないからわからない」 ノアムはもう半月もセディムの顔を見ていなかった。城臣からもれ聞く様子では、奮闘というよりもどうやら衝突しているらしい。だが、加勢できるようなものでもなかった。城の窓を見上げるたびに伯父の言葉がよみがえった。 ――お前が城へ行っても、できることなどない。するべきことをしろ。 セディムはレンディアの長――村人とハールを結びつける格別の立場になった。その立場に慣れて、より遠くを見通そうとしているのだ。 (それなら、俺は狩に行く) ノアムは弓を握りしめた。村のために狩をして、畑を耕す。できることをするしかない。 「雪鳩だ」 ふいに、誰かが天を指した。狩人の間から溜息がもれる。 あれだけ待ちのぞんだ雪鳩の姿は、しかしあまりに高い風の上にあった。空をななめに切り、峰の裏側へと見えなくなってしまった。人はそれを見送るしかなかった。 「ハールが俺たちの気力をためしておられるのよ」 「あるいは、雲との根比べだ」 気がつけば、足元の雪が煙のように流れて斜面を下っていく。風が出てきたのだ。 「さあ、もう一巡りしてみよう」 ギリスはそういって手綱を握りなおした。だが、数人の狩人は顔を見合わせた。 「そろそろ帰った方がいいのではないか」 「風が荒れそうだ」 しかし、賛同の声もあがった。 「まだ夕暮れまでには間がある」 「そうだ。雪鳩が姿を見せたんだ。まだ保つだろう」 その時、辺りを見張っていた若者が低く、だが鋭い声をたてた。 「おい、クロ鷲だ。二羽いるぞ……!」 その言葉とともに、尾根のむこうから大きな鳥があらわれた。 二羽は鳴き声を交わして旋回した。一羽は弧を描いて別の風をとらえ、もう一羽は雪の丘の向こうへ身をひるがえした。 「行こう」 ギリスはきっぱりと言った。「まだまだ、肉が足りないんだ」 狩人たちはそれぞれ近いほうの獲物をめざして走り出した。 彼らは狩を続けた。しかし、半刻もすると風の中に氷の粒がまじりはじめた。 もういけない、と気づいた誰かが今日の狩の終わりを告げる笛を鳴らした。風をしのぐ鋭い狩笛がくりかえされる。その頃にはもう反対する者はいなかった。峰は厚い靄と霧に包まれて見えなくなった。そして、空は灰色の雲におおわれた。 その暗い空を、レンディアの城では長や城臣が思わしげに見上げていた。 彼らのもとに村人が駆け込んできたのは、陽暮れ近くだった。 |
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