真冬の光  第二部 早雪の底 2章-4 真冬の光 目次 3章-2
 
第二部 早雪の底
三章 雪に閉ざされる - 1

 
 ギリスの治療は無事終った。治療と呼ぶべきかどうか、携わった薬師たちにもわからなかったのだが。
 ラシードはギリスの右腕と右膝から下を切り落さねばならなかった。雪の中で幾晩も過ごして弱っていた体に荒っぽい治療を行なったわけだから、経過を案じたウリックは昼夜枕辺に立って面倒をみた。
 だが、さいわいにも狩人は頑強だった。眠っては目を覚ますたびにギリスの顔色は良くなり、まもなく薬師部屋から自分の部屋に戻ることになった。この調子なら、半月後には外へ出ることもできるだろう、とウリックは請合った。
 ギリスはもう弓をひくことも畑を耕すこともない――だが、ともあれ命は助かったのだ。

「その杖は早々に作り直した方がいいぞ」
 ウリックは薬膏を手早く練りながらギリスに言った。
 薬師は毎日ギリスの部屋を訪れて荒療治のあとを検めた。痛ましげな傷だったが、着実に治りつつある。塗り薬ができると、ウリックは腕を出すように促した。
「杖といっても、もとは朽ちてはずれた扉の木だ。仮ごしらえに過ぎない」
「ああ。春一番に山を下りる者に、木を切って来てもらうつもりだ」
 ギリスは答えながら、ちょっと顔をしかめた。ラシードがもちかえった平原の薬は慣れない匂いと感触だった。薬の上から布を巻いて治療が終わると、ギリスは置いてあった杖に左手をのばし、
「――なあに、ひと冬くらいはこれで十分だ。前よりも、かなり目方が減ったしな」
 そう言って、おおらかに笑った。
 その笑顔が前と変わらないことにウリックは内心胸をなでおろした。傷はもちろんだが、むしろギリスの気力を案じていたのだ。
 レンディアにも不具の者はいる。たいていは父なる神の何らかの計らいと信じているが、中には天の怒りを招いたのだと考える者もいないではない。それに、ギリスは三十を越えたばかりの男盛り、働き盛りだ。それが片手片足を失って、狩にも畑にも行かれなくなるのは辛いだろう。することもなく、誇りも生きる意思もなくしてしまうのではないかと密かに心配していた。
「お前――」
「うん?」
「これから、どうするつもりだ?」
 薬師の問いに、ギリスはきらりと目を光らせた。
「そうだなあ。杖をついて畑を歩いて、種を播く穴を穿つか。それとも、麦穂をたたいて実を落とすか」
 そう言ってくつくつと笑っていたが、やがて真顔になった。
「まあ、選ぶ余地はない。城に上がる。城臣になるさ」
「……」
「いずれはそうなるのだ。多少、早まっただけのこと。それに、長はまだお若い。血の気の多い城臣の一人や二人いるのも悪くないだろう?」
 ウリックはふと尋ねた。
「長のことをどう思う? うまくやっておられると思うか?」
「そうだな――」
 ギリスは考えながら、とつとつと言葉を紡いだ。
「さすがに、まだケルシュ様のように威厳ある長とはいえないな。だが、何というか……セディム様の仰ることは『わかる』のだ」
「わかる?」
「そう、何年も俺たちといっしょに狩に出て、畑をめぐり、牛の世話をしてきた。セディム様の言われることは誰にでもわかる。同じように、きっと俺たちの思いもわかって下さってる。そんな気がするのだ」
「確かに、ケルシュ様よりももっと俺たちと近しいように思えるな」
「お若い長のもとでレンディアがこれからどんな風になっていくのか、この目で見られるのは幸運なことだ。まあ――」
 ギリスは目を細めて笑った。「まだ、山を渡るどんな風なのか、わからないがな」
「――では、お前は長にお仕えするのだな」
「ああ」
 と、ギリスはとまどいもなく頷いた。
「生きて帰れるとは思わなかった。この命は長が助けてくれたようなものだ。今度は俺が長のお役に立ちたい」
 傷の手当がすむと、ギリスは杖をつきながら部屋を出て行った。体がなまらないように、一人でもやっていけるようにするのだという。残されたウリックはひとり黙って薬草袋をかたづけ、部屋をあとにした。

 ウリックは重い足取りで廊下を歩きながら、兄弟子のことを考えていた。
 二人の薬師の間はあいかわらず寒々しいままだった。ギリスの薬草はラシードが用意したが、ウリックは傷は自分が診ると言った。だが、前ほど厳しく手伝いを撥ねつけたわけでもなかった。この数日、どうにも心にかかって離れないものがあったのだ。
(薬師は無力なものだ)
 ウリックはふと窓のそばに立ち止まった。
 手足を切る――あの晩、ラシードから思わぬ方法を示されてウリックは迷った。
 薬師として、ギリスをどうにか助けてやりたいと思ってはいたが、兄弟子が示した方法は理解を越えていた。いってみれば、薬師の仕事とは思えなかったのだ。行為としては、狩の獲物に対するのと同じだ。人に対して同じことをするなど考えたこともない。まして、それがどういう結果をもたらすのか、薬湯と膏薬ばかりを扱ってきたウリックには判断の手がかりがなかった。
 また、チャルクと同じようにも考えた。
(そこまでするとは、ハールに逆らうことではないのか?)
 もし、ハールがギリスを招いていたのだとしたら――。
 命が助かったとしても、ギリスはハールに逆らったという事実を抱えて生きていかなければならない。父神との絆を失った者を薬師が支えることなどできるのか。
 ラシードは終始黙っていた。切るべきか否か――結局ウリックは決められず、長に尋ねることになった。かつてであれば、ギリスの命はただ、ハールの手に委ねられただろう。これが、レンディアの薬師が受け入れられるぎりぎりだった。
 平原の薬師たちも迷うのだろうか。そう考えてウリックは悩んだ。
(村人の命を預かる、などと言いながら。見知らぬことを突きつけられた途端に何の判断もできなくなるとは)
 情けなさと戸惑いに幾晩も眠られず、拳を噛んでやり過ごした。ラシードは平原で同じようにしてやったことがあるという。彼もまた悩んだのだろうか?
 窓から遠くを見やれば、雲間からもれた薄日が雪のおもてに届いていた。いまは雪の原の起伏がうっすらと見て取れるのだが、雲が厚くなれば、また世界は白一色にかえってしまうだろう。
 ウリックはふたたび冷たい廊下を歩きはじめた。ラシードへの怒り、自分への不信、ハールへの疑問――そんなものが落ち着く先を見つけられないまま胸に淀んでいた。






 

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