真冬の光  第二部 早雪の底 3章-5 真冬の光 目次 第三部
 
第二部 早雪の底
三章 雪に閉ざされる - 6

 
 このところ毎晩、城臣の部屋からは和やかな笑い声が聞こえていた。
 灯りの獣脂やタパレを節約するために、この冬はつましい夕食のあとは早々に床に就くのが常だった。だが、寝る前のひとときのくつろぎも必要だ。小さな炉を囲んで冗談を交わし、ほら話をふくらませる。気の揉めることもひとまず忘れて和やかに茶を啜る。
 そんな座のまわりをラシードは忙しく歩き回っていた。
「おお、ラシード。その毛皮を取ってくれんか」
「ついでに、茶はもう無いのかの」
「違う、違う。そっちだ」
 帰郷してから、ラシードは城臣たちの部屋に居候していた。弟弟子とはあいかわらずぎくしゃくしたままで、しかし幼い頃から薬師部屋住まいだったから他に行くあてなどない。しかたないので、何でもするから居候させろとヤペルに頼んだ。長年留守にした引け目もあって文字通りこき使われることになったわけだ。
 だが、ラシードはそれも苦にはしていなかった。城臣の多くはラシードを責めなかったし、留守の間の話も聞かせてくれた。世話になる礼に、とちょっとした薬草茶を作るとそれは喜ばれた。
 そんな変化のおかげか、最近では村人らもラシードに慣れてきたようだ。ギリスが命を取り留めたこと、その治療にあたったこと、それに際して長の命があったことが彼らの気持ちを動かしたらしい。少なくとも、顔をそむける者はいなくなった――ただ一人をのぞいては。
「そういえば、ウリックとはまだやり合っとるのか?」
 薄い茶を啜りながら尋ねたのはショルだった。ラシードは苦笑した。
「何も、やり合ってなどいないのだがな」
「やれやれ、まだ気が済まんのか」
 ショルは眉を寄せた。
「まあ、気長にやれ。ここに長居してもかまわんぞ」
 そう言いながら、惜しむように茶を飲み干したのはトゥルクだった。酒好きの彼が望んでいるのはもう少し濃いものだったが。
「薬師が手近にいるのは悪くない」
「そうだ。この間もらった何とかいう薬草茶はいい。まるで、十も若返ったような気分だ」
 その時、ラシードは座の向こうでヤペルが手を振っているのに気づいた。城臣らをかきわけて行くと、ヤペルは重そうに腰を浮かせて隣の席を空けた。
「ここに座れ」
「あの薬草なら、もう無いぞ」
「馬鹿をいえ。ちょっと聞きたいことがあるのだ」
「何だ?」
 ヤペルは真面目な顔つきだった。
「ケルシュ様のことなのだが……」
 ヤペルの隣、向こう隣の数人が物思わしげに視線を交わした。ラシードが言われたとおりに腰を下ろすと、ヤペルは小さく咳払いした。
「お前、村や長のお立場について、ケルシュ様と話したことはなかったか?」
 ラシードは訝しげに眉を寄せ、首を振った。
「ケルシュは昔から自分の胸のうちは喋らない男だったからな。悪いが――」
 城臣たちの間に小さなため息と同意の呟きが流れた。
「何故そんなことを聞く?」
 ラシードは城臣らを見回した。「長はまずまずうまく務めておられるではないか?」
 ヤペルはとなりで椀をあたためていたモルードとちらと目を合わせ、話し始めた。
「ケルシュ様は亡くなられる前にわしら城臣に言われた。セディム様には長となる自覚がまだ足りない。それを補ってやってくれ、と」
「……」
「わしらはセディム様が幼い時からいろいろなことをお教えしてきた。畑のことも狩のことも。だが、長とハールの絆については、わしらではよう教え切らん」
 持ってまわった言葉にラシードは戸惑いながらも頷いた。
 レンディアでは、城臣が村の意見をまとめて長に伝える。牛の世話、畑の様子、天候のことなどだ。長はそれを聞き、城臣全員と相談して判断する。そこでの長の決断にハールの力添えがあるのは言うまでもない。
 だが時に、村人の要望と異なる決定が下されることはある。また、決断を急がねばならない時や長い目で見て別の考えの方が好ましいとハールに示されれば、長はそれを命じることができる。
「――そうなれば、誰が反対しようと長の命は絶対だ。ハールのご意志の現れなのだからな。長とは格別の立場なのだ」
 ラシードは手にしていた椀を置いた。ようやく話の行く先が見えてきたのだ。
「それが、あの若者にできるかと案じているのか?」
 気がつけば、他の城臣たちも押し黙って話のなりゆきを見守っていた。ヤペルは口ごもり、やがて固い声で言った。
「セディム様は勘違いしておられる」
「……」
「自分が村人の一人にすぎないと、いまだに思っておられるようだ。わしらが異なる意見を言うと最初は反発したが、最後はいつも引き下がる。説得し、押し通すだけの根拠を持っておられんからだ。そこまで煮詰めて考えてはおられないのだ」
「長を試したのか」
 ラシードは呆れた。「彼は怒るぞ」
「かまわん」
 横で重々しく頷いたのは、ユルクだった。城臣の中でも長老格の彼が口を出したことで、これが些細な問題ではないとラシードは思い知らされた。
「村の声だけ聞いていては、レンディアはやって行けぬ。酷な決断をしなければならないこともある。それを、セディム様はどこまでわかっておられるのか」
「つまり、あの若長を信じられないと?」
 遠慮のないラシードの言葉に数人は息をのんだ。しかし、ユルクの表情は変わらなかった。
「少ない麦を全員で分けて、誰の腹も満たせずにレンディアが全滅するわけにはいかん」
 周囲の城臣たちもうなづいた。
「ケルシュ様はそうした事を教えておられなかったのだろうか?」
「わしらも情けないこととわかってはいる。長年お仕えしながら、何を見ていたかと」
 トゥルクは苦い声だった。
「だが、長とハールの特別の絆にどうしてわしらが関われよう」
「お前は旅にさえ出なければ、万一の時に長の衣を継ぐ立場でもあった。何か聞いてはいなかったか?」
「ちょっと、待ってくれ」
 ラシードは手をあげて城臣たちをとどめた。皆が皆で同じ心配か、と内心若い長が気の毒になった。先日のセディムの相談といい城臣たちの思案といい、原因は同じところにある。
(ケルシュ。お前、息子に恨まれるぞ)
 思慮に富むケルシュが何ひとつ息子に教えていなかったとは思わない。だが、十分ではなかったのだろう。
 ラシードは再会してからの旧友の言葉を苦く思い起こしていた。セディムに話したように、ケルシュは息子が長の責任を負う前に猶予をやりたかったのだ。だが、皮肉なことにケルシュ自身の死によってその時間はなくなってしまった。
(そうしたのは奴の意地でもあったのだろう)
 妃を亡くして後添えを選ぶことを拒んだ時から――おそらく、ケルシュは息子に負い目があったのだ。三つか四つの幼子に母のない寂しさを味わわせ、唯一人の継嗣という責を負わせた。ケルシュ自身、病がちな父に代わってはやくから長の役目を肩代わりしていた。そのために、少なからぬものを諦めなければならなかったことをラシードは知っている。
 だから、ケルシュは長の責だけは何としても自分だけで担おうとした。少なくとも、あと数年は――。
(だが、命の長さを決められるのはハールだけだ。それを忘れたのか)
 もし目の前に旧友がいれば、ラシードはそう怒ったかもしれない。
「……言わせてもらうが」
 ラシードは毛織の敷物の上で座りなおした。
「俺はこの何年もほっつき歩いていて、その間のレンディアのことは何も知らん。村のことも長のことも。だがな、皆、少々気を揉みすぎではないのか?」
 と、城臣連中を見回した。
「確かに、ケルシュは息子のことを案じていた。天を畏れぬところがある。それが災厄を招きはしないか。長として村を束ねられるのか、と。だが、俺にはそれは見当違いにみえた。彼には彼の才がある。それは、ケルシュにもなかったものかもしれない」
「才、とは?」
 尋ねたヤペルの顔をラシードは見据えた。
「彼はたった二言、三言かわしただけで、ミーチェを家から連れ出したぞ。誰が何を言っても聞かなかったのに、あの若長の言うことなら従ったのだ」
 城臣らは黙り込んだ。
 先の長の葬儀の後、村はあっというまに雪に包まれた。悲しみと動揺、不安を抱えたまま人々は城に籠ったのだ。だが、セディムは悲しんでばかりはいられなかった。そうするより他なかったのではあるが、ともかく村人と顔を合わせ、城臣らと議論した。文字通り、長として歩き出していた。
「それだけではない。あの頑固者は細工物さえ始めているそうじゃないか」
 ラシードは彼らを見回してきっぱりと告げた。
「あの若長には力がある。彼とケルシュを比べるな。新しい長には新しいやり方がある。そうやって、レンディアは変わっていくのだ」
 城臣たちは顔を見合わせた。やがて、頷いたのはレベクだった。
「――ハールが下されたものを、まずは受けとめるべきだな」






 

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