真冬の光  第三部 護り願うもの 第二部 真冬の光 目次 1章-2
 
第三部 護り願うもの
一章 罠と祈り - 1

 
 その昔、セディムがまだ可愛がられ放題の幼な子であった頃。
 花芽ほころぶイワヤナギの枝を母親のところへ持って帰ったことがあった。明るい黄色の花に母親は微笑み、セディムはその膝にもたれて尋ねた。
「どうしてイワヤナギが好きなの? 仙山草の方が早く咲くのに」
 母親は子の髪を撫でながら、
「あの花は小さくて白いでしょう。季節はずれの雪のよう。あれを見ると、お父さまが悲しそうな顔をなさるからよ」
「父上は雪が嫌いなの? どうして?」
「冬の雪はいいのよ。そのおかげでたくさん芽が出るのだもの。でも、春の雪は畑をだめにしてしまうの」
 セディムは不安になって顔を上げた。
「麦が枯れるの?」
 母親は不安げなセディムを抱きあげて、背中を撫でた。
「今年は大丈夫。もう春になりましたからね」
 そう言った母親の顔を、セディムはよく思いだせない。確かに笑っていたと思うのだが。
 ――その年の冬に母親は病をこじらせて亡くなった。


「セディム様。これは何ですか?」
 ヤペルが訝しげに目をすがめ、身を乗り出した。
 ある朝、長の間に集まった城臣とセディムの前には、見慣れないものが置かれていた。念入りに組まれた長く細い枝、そこに蔓が結わえつけられている。
「罠、だ」
 短く答えたセディムは珍しく長の衣をまとっていた。仕掛けを手に取ると、枝を軽くしならせた。
「秋に作ったのとは仕組みが違う。まず十個ほど作って様子を見たい」
「それは……」
 眉を寄せたレベクをセディムは手で制した。
「罠を喜ばない者が多いことは知っている。だが、これは必要なんだ」
 あの日、命を選べと言われて感じたのは、吐き気、ついで怒りだった。
 村人にとって、長に従うとはハールに従うことだ。一方で、長は「村」を守るために事を決め、命じる。この二つが組み合わさって一つ絵を成していることに気づいたのだ。
 レンディアがこんな仕掛けで生きながらえてきたことがセディムは腹立たしかった。
 もっと、できることはあるだろうに――ただ、黙って飢えと寒さを耐えるばかりではなく、狩のやり方も畑の造りも、何か試してみるくらいできるだろう。
 だが、同時にやるせない思いも込み上げてきた。それでも、自分たちはそうやって生きてきたのだ。何代も、何代もの間、長と天に従ってきた。そうやって身にしみついてきた諸々はないがしろにできるものではない。雪のないレンディアなどレンディアではないように、祈りを捨てることなどできはしない。
 だが、それを守りながらも、この手でできることはないのだろうか?
「――長?」
 セディムは我に返った。見れば、城臣たちは続く長の言葉を待っていた。
「今ある食糧では足りない。ここに無いなら――」
 と言って、覆いのかかった窓を指す。
「外から手に入れるしかない」
「ですが、狐も鹿も巣篭りして、たまに外に出ても用心深い」
「だから、罠を使うんだ。雪が積もった今なら弓矢よりも罠の方がいい」
「セディム様」
 押しとどめたのは、一度は口を噤んだレベクだった。
「ハールは恵みとさだめを併せて与えられる。どちらかを選んで受取ることはできません」
「では、できることを試しもしないのか」
 しかし、セディムも引かなかった。
「最初から、すべてを諦めてハールに任せるなど間違ってる。大昔の長たちは言い伝えの力で雨でも獲物でも呼び寄せただろう? それと同じだ」
「セディム様、それは……」
「何でもするべきだ。我々もただ追いつめられるだけの獲物とは違う。それと、イバ牛をつぶすことを考えている者もいるようだが――まず、できることをする。それからでなければ、狩の仲間に手をつけることはしない」
 城臣たちはあらためて満座の中心のそれを見つめた。
 細い枝が組まれて、蔓を引き張っている。それがはずれた時に獲物を捕らえるのだろう。蔓の結び目のゆがみは、あきらかに細工物の苦手なセディムの苦労のあとだ。熱意だけはあるものの、いかにも不恰好な頼りない仕掛けだった。
「獲物がかかるかどうかはわからない」
 それでもセディムは身を乗り出して言った。
「だが、試さなければ、受け取ることもできない。ハールに与えられたものを無にするわけにはいかない」
「……必ずや獲物が与えられると仰るのか?」
「違う。ハールは人に知恵を下さった。それを無駄にすることこそ不敬だと思う」
 城臣たちは顔を見合わせた。だが、セディムはかまわず話し続けた。
「そして、狩の前には薬草を焚いて、初狩の儀式もしよう」
「儀式? 今頃ですか?」
「いつだったか、父上がこう言っていた――罠を仕掛けて、その後どうするのか、と」
 あの時、セディムは父の質問の意味を勘違いしていた。
 レンディアは、ハールが与えるものは苦境も幸もそのまま受け入れようとする。罠はいくらかの獲物をもたらすかもしれないが、同時にそんなレンディアの生き方を足元から崩すことになるだろう。
(だから、父上は尋ねたのだ。いちど罠というものを手にしたら、村人の生き方をどうやって守るつもりなのか、と)
 セディムは城臣一人ずつを見つめながら言った。
「これはただの道具だ。弓であろうと罠であろうと、獲物を送るのはハールであることに変わりない。だから、初狩の時と同じように天の加護を祈りたいんだ」
 皆はためらいながら、セディムの正面に座るユルクをふり返った。城臣を束ねる長老は目を細めて若い長を見つめていたが、やがて口を開いた。
「子が父に助けを求めるのを、ハールは拒まれはしないでしょう。狩の前に父の加護を願うのは当然ですな。それに――」
 その目にちらりと笑みのようなものがよぎった。
「"麦を蒔いた者が麦を刈る"というわけだ」
 それはレンディアの古い諺で、もとは働き惜しみを諫めたものだが違う意味も孕んでいる。城臣のある者は眉を寄せ、ある者は腕組みをしたまま考え込んだ。やがて、誰からともなく頷いた。
「……長がそこまで仰ることだ。ともかく、やってみてもよいかもしれん」
 セディムはほっとため息をもらすと罠を手に立ち上がった。
「細工師のところに行ってくる。これと同じ物を作ってもらおう。それから、城の北東の一階は閉ざしてしまえ」
「は。閉ざす?」
「どうせ雪に降り込められて、火も焚けないんだ。扉もはずして薪にしよう。卓や椅子も、使わなくてもすむものは薪にした方がいい。それも持って行っていい」
 と、座っていた椅子を指した。「長の椅子などなくても、話はできる」
 話しているうちに、次々とするべき事が浮かんできた。セディムは季節はずれの儀式を算段しはじめた城臣らをかき分けて、足早に部屋を出て行った。
 誰が何を用意するかと話しあっていたヤペルは、ふと顔を上げて長の後ろ姿を見送り、笑みをもらした。
 長の衣はセディムにはまだ今ひとつ似合っていなかった。丈はともかく、肩のあたりはかなり余っている。背ばかりのびる体躯は重さが足りない。だが、今日に限って、言われもしないうちから袖をとおしたのは、このためだったかと気がついた。
「そのうち、身に合ってこられるのだろうな」
 隣のモルードの呟きに、ヤペルも頷いた。新しい時代がやってくる――そんな予感がした。






 

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