真冬の光  第三部 護り願うもの 1章-2 真冬の光 目次 2章-1
 
第三部 護り願うもの
一章 罠と祈り - 3

 
 このところ、風の音はより鋭く耳につくようになったが、それを聞く間もなく女たちは働いていた。
 日中かけて挽いた麦粉を集めて厨房へ運び込む。それがその日の夕飯になるのだ。
「今日は何にしようか」
「何って、この粉では粥にするしかないよ」
 女たちのとりまとめ役であるラディアがさっぱりと言った。粥、と聞いて厨房に集まった女たちの間から押し殺した溜息がもれた。
 殻が混じって灰色がかった麦粉の山を見ると、そのもそもそとした舌触りが想像つく。もちろん、口に入るだけありがたくはあるが、誰も旨いとは言わないしろものだ。
「でも、根菜をつぶして水でのばす、なんてのよりはいいね」
 誰かがそう言ったとたん、女たちは笑いだした。
 近頃、セディムは乏しい蓄えをどうにかしようと様々な思いつきを試していた。それは狩や薪にとどまらず、乏しい食料の料理法にまで及んだ。いかに腹持ちがよく、量が増えるか、かなり真剣に考えたらしい。
 だが、これには女たちが黙っていなかった。これは長の心配されるようなことではありません、とラディアが穏やかに、だがきっぱりと言ったので、セディムもそれに従った。実のところ、セディムの料理の腕はぱっとしない。男たちは狩の時にセディムがつくる食事をよく知っていたので、ほっと胸をなでおろした。
「最近、よく厨房へ来られて、何を考えてるのかと思ったら」
「長はお若いから、口に入れば何でもいいだろうけど」
「でも。どうせ少ない食べ物なら、おいしく食べたいよね」
 うんうん、と女たちは深く頷きあった。喋りながらも、どの手もタラ根の皮をむいたり豆をつぶして忙しく働いている。
「今日は赤根ではなくて、お芋を入れてみようか」
「あら、おいしそう」
「そうそう。量も増えるし」
「温かければ何でもおいしいよ」
「お母さん」
 にぎやかな女たちの横で麦を挽いていたライナは、母親の袖を引っ張った。
「麦、これくらいでいい?」
 母親はライナの差し出した袋を覗きこんで何か言いかけたが、ふと娘の手を見て表情をやわらげた。
「もう、これくらいでいいよ。あとは明日にしようよ」
 ライナの手は石臼を回し続けたせいで、真っ赤になってあちこち擦り剥けていた。ライナはほっとして、麦の袋に寄りかかってすこし休むことにした。
 最近は始終空腹を覚えて仕方がなかった。食事はあっても量が少ない。あっというまに腹が鳴る。汁物はたっぷりあるけれど、中に入っている肉や野菜は日に日に少なくなっていた。
(パンが食べたいなあ。丸い大きいのがいいなあ)
 何気なく考えて、ライナはあわてて首をふった。食べ物があるだけいいのよ、と母親に窘められるのはわかっている。
 とはいえ、この冬の先行きをライナはそれほど不安に思ってはいなかった。空腹は珍しいことではないし、今までだってうまくやってきたのだから。
(去年の冬は、今まで生きてきた中で一番お腹が空いたけど。それでもみんな大丈夫だったもの)
 まだ十にも届かない少女の幼い言葉を聞けば、周りの大人たちは笑っただろう。けれど、本人は真面目だった。むしろ、ライナの物思いは他にあった。
 冬の初めの葬儀のあと。両親はライナに、これからはセディムのことを長と呼ぶように告げた。ライナはとまどった。セディムはセディムなのに、と。
 だが、雪が降り積み、嵐が長びくうちにセディムの顔つきは変わってきた。先の長とそっくりだと気づいて、ライナは寂しいようなうらやましいような不思議な気持ちになった。
 スレイやディンもまた狩人として認められた。これまで兄のように慕ってきた幼馴染たちはすっかり大人になってしまったのだ。それでは、自分はどうしたらいいのだろう。
「ライナ」
 呼ばれて、少女ははっと顔を上げた。母親が炉にかけた鍋を混ぜながら手招きしている。
「団子を汁の中に入れていってね」
 手渡された器の中身は、水で固く練った麦粉だった。匙ですくって丸めながら、炉にかけられた汁に落とすと、一度沈んでまた浮き上がってきた。
「これ、本当は肉団子じゃないの?」
「まあね」母親は笑った。「たまには、麦の団子もいいでしょ」
 少し味見をしたライナは驚いて母親を振り仰いだ。
「脂も一緒に混ぜてあるから、肉みたいな味なのよ。うまく考えたでしょう?」
 母親の笑顔を見ると、ライナはほっとした。
「皆、喜ぶかしら?」
「もちろんよ」
 ライナは嬉しくなって、真剣な表情で団子を丸めては鍋に落としていった。そして、団子の種が終わると、また片隅に腰を下ろしてごりごりと麦を挽きはじめた。もういいよ、と母は言ったけれど、足りていないらしいことは子供でもわかっていた。汁物が煮えた頃には、ライナの袋にはけっこうな量の麦粉がたまっていた。
「まあ、ありがたいね」
 通りがかりに覗き込んだラディアがびっくりしたような声を上げた。
「明日の粥もつくれそうだよ」
 ライナはほっと胸をなで下ろした。つまりは明日も食べるものがある、というわけだ。ふと気になってラディアの顔を見上げた。
「明日は違う味?」
 これを聞くと、まわりの女たちは笑い崩れた。
「そうだね。まあ、粥は粥なんだけど。明日は葉野菜でも入れてみようか。きっと目先が変わるよ」
 母親も笑いながら鍋をかき混ぜていた。
 その姿を見て、ライナは何となくほっとした。父親が炉の前で弓を磨いているときも、きっと大丈夫だと思える。誰もが自分の仕事をしているからだ。
(きっと、セディムもそうね)
 心の中では呼び捨てで構わないだろう。
(自分にできることをやってる。セディムもスレイも、お母さんも、みんながそうするから、みんながほっとするんだわ)
 その中で、一人だけ子供のままで置いていかれるのは嫌だった。
 ライナはそれからしばらく臼を挽き続けていた。そして最後のひと粒まで挽き終わると、ひっそりとした足取りで厨房をすべり出て行った。


 狩人の間の炉辺では、集まった男たちが休みなく手を動かしていた。なめしてあった皮を切ったり蔓を裂いたり、春にそなえて狩の道具を手入れする、いつもと同じ冬の光景だ。
「おい、そこの獣脂を取ってくれ」
「皮ひもが余っていないか? うんと細いのがいいんだが」
「これはどうだ?」
 一人が隣に座っている仲間に鹿革のはぎれを示した。だが、相手は首を振った。
「ちょっと短いな。あとで誰かに聞いてみるよ。ありがとうな」
「いったい、何を作るんだ? 鏃をつけるにはこれで十分だろう」
 細工師の男はちょっと迷ってから答えた。
「いや。あの罠につけたら、もっとよく動くんじゃないかと思ってな」
 炉を囲んでいた男たちはふと手を止め、互いに顔を見合わせた。
「そうか――ああ、悪くない考えだ」
 数日前に仕掛けた罠はいくらかの獲物を村にもたらした。村人らは初めて「狩に出ずに」得た獲物をもの珍しそうに見た。冬に入って痩せはじめてはいたが、今の村には貴重な食料となった。食糧庫の一件のせいで村人の気持ちは沈みがちだったから、何かできるということだけでも慰めになっていた。
「そいつのおかげで獲物があったのだものな」
「おおいに役に立っている」
 頷く者もいる。だが、何人かは今もとまどっていた。
「だが、俺はどうも落ち着かんなあ」と、アデルが呟いた。
「長が祈って下さるのだから、狩には違いないのだろうが。こうして炉辺に座っている間に獲物がかかるというのが、よくわからん」
 賛否は半々――これが、村人の今の様子だった。
「必ず捕まるとは限らんぞ」
 誰かが混ぜ返した。
「ハールの計らいが無ければ、知恵の働く獣が罠になぞかかるものか」
「慣れるには時間がかかるさ」
 きっぱりと言ったのは、先の罠を作っていた男だった。手にした枝をしならせて、弾くように指を離してみせる。
「こんな狩があってもいいのかもしれない。もちろん、長が祈って天に問うてくれての話だがな」
「弓矢は要らんというのか?」
「そうじゃない。弓矢は必要だ。でも――」
 彼は作りかけの罠を見つめた。
「いつかセディム様が仰った――これも力だ、と。俺もそう思うよ。春まで生きられるように、せっかく授けてもらった腕を使わない方がどうかしてる。そりゃあ、何をしてもいい訳じゃないが」
 アデルは眉を寄せたままだ。
「でも、俺は落ち着かん」
「それも、いいさ。でも、俺の手は何か作るようにと授けられた」
 細工師の手は革ひもをくるりと器用に巻いた。
「よくよく考えて、恥じるところないと思うなら、作るよ」
 狩人たちは神妙な顔つきで黙り込んだ。
 それをノアムは片隅で眺めていた。細工師が言ったあの晩のことはノアムもよく覚えていた。今日と同じように皆が炉辺に集い、狩の道具を手入れした。だが、罠を見る村人らの表情は今は大きく違っている。ノアム自身もこの使い慣れない道具へのとまどいが消えつつあった。
(何かが変わったな)
 そう考えて、ノアムは苦笑した。当たり前だ。レンディアを束ねる長が代わったのだ。
(そして、俺たちだけじゃない。セディムも変わったんだ)
 レンディアは新しくなるのだ。若い長とそれを支える村人らはこうして冬を乗り越え、春を迎える。やがて、実りの秋が来る――。
 遠い来年のことを考えながら、ノアムは外の風の音に耳をすませた。






 

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