真冬の光  第三部 護り願うもの 1章-3 真冬の光 目次 2章-2
 
第三部 護り願うもの
二章 護り願うもの - 1

 
 うす緑色が山の斜面を覆っていた。
 まだやわらかい若草。伸びはじめたばかりの蔓。そして、それを踏みしだいて集まってくるイバ牛たちもつややかな長毛をまとっている。牛の背にある男たちはみな新しい狩衣だった。
 濃い青の空。春まだ浅い山の、身を切るような空気。冬の気配を吹きとばす風の匂いをセディムは胸いっぱいに吸い込んだ。こんなに爽快な日は久しぶりだ。
(新しい矢をたくさん作っておいてよかった)
 春の狩はその成果というより、仲間と息をあわせて今年の狩の成否を占う意味合いが強い。天候に恵まれ、牛たちの調子も上々となれば、当然心も浮き立ってくる。
 その時。何か動くものを認めた気がして、セディムは顔を上げた。
 狩場からかなり離れた岩の向こうに人影があった。見慣れない、古びた外衣をまとった男だった。彼は山の風景も、狩笛にすら気づかない様子でただ黙々と登っていく。セディムは訝しんだ。小王国を訪れる旅人などめったにあるものではない。
 ふいに風が吹きわたり、旅人の衣の裾を翻した。長い、真っ黒な衣が風に流れる。その裏側に銀色の――星のような光が瞬いた。

「……長。長、よろしいですか」
 セディムはぎょっとして身を起こした。弓を握りしめたはずの手が空なのに気づいて、あわてて見回すと、村人らが笑いながらこちらを見ていた。
「気持ちよさそうに眠っておいででしたなあ」
「すまなかった。そんなに?」
 セディムは額の汗をぬぐって居住まいを正した。今日は城の広間で、城臣や村の男たちとともに来年の植えつけの相談をしていた。
「どこまで覚えておいでで?」
 遠慮も手加減もなしの口調のヤペルをセディムは憮然として見返した。だが、話し合いの途中に居眠りとあっては弁解の余地はない。
「ヒラ麦をどの畑に植える、という話だったかな」
「その苗です」
「――そうだった」
 セディムは思わず口元をひきしめた。
 城臣のみならず、村人も交えての話し合いになったのは数日前の雪崩のせいだった。城の南東端を守るようにそびえている崖、そこから崩れ落ちた雪は回廊とそれに続くひと棟を襲った。さいわい巻き込まれた者はいなかったが、麦の苗箱も、冬の間に苗を育てる部屋も雪の下に埋もれてしまった。
 セディムは目をさまそうと、冷えてしまった茶を飲みほした。
「種播きまでにどうにかして苗箱を用意しなくては」
 一同は難しい表情を浮かべた。もう一度用意するといっても、雪に降り籠められて材料の木など手に入らない。苗を育てる場所もまた問題だった。毎年、南東の部屋を使ってきたのには理由がある。比較的あたたかく外から水を運び込みやすいからだ。
「他にどこがある?」
「つぶれた部屋を直すしかあるまい」
「そんな悠長な」
 誰かがうめき声ともつかない言葉をもらした。
「壁から直さねばならんのだぞ。屋根も。しかも、雪はあとからあとから降り積もる……埒が明かない。それより、他の部屋を使おう」
「西の棟はどうだ。いささか狭いが」
 これを聞くと、モルードは首を振った。
「あそこまで水を運ぶというのか」
「そりゃ、無理な話だ」
 セディムも考えた末に口を開いた。
「それより、奥の塔の下がいいのではないか」
 だが、村人の一人が反対した。その塔のうしろは崖になっていて、そちらも雪崩が起きてもおかしくないという。ついでながら、もうひとつ、とヤペルが重々しい声で口をはさんだ。
「苗箱だけではなく、土をどうするかも考えねばならん」
 一同ははっと息をのんだ。苗箱だけではない。秋に用意してあった土もまた雪崩の下に埋もれてしまったのだ。誰かが苦々しげに口を開いた。
「やはり、いつもの部屋を直してはどうだ。土はどれだけ残ってるかわからんが」
「壁の石も雪に埋もれているのだぞ。掘り出してこれから普請するというのか?」
 ああでもない、こうでもない、という声で部屋は溢れ返った。耳がおかしくなったような気がして、セディムは軽く頭を振った。
「――わかった。みんな、こうしよう」
 セディムは手をあげて、それぞれの話を打ち切らせた。
「このことは、もう少しゆっくり考えよう。今日は来ていない者も多い。部屋へ帰ってから、他の者の意見も聞いてみてくれ。誰かいい案が浮かぶかもしれない」
 では、明後日もう一度集まろう――そう決めて、一同はばらばらと部屋から出て行った。セディムはほっとひと息ついた。

「珍しいことを仰る」
 石の廊下を歩くヤペルとセディムに声をかけてきたのは、薬師のウリックだった。
「ゆっくり、とは長には珍しい仰りようです。それに、居眠りも」
 セディムは思わず赤くなった。
「ゆうべは風の音が気になって、眠れなかったんだ」
 風と雪つぶてが窓をたたく音は明け方まで続いていた。それに、苗や罠の事も心に懸っていた。期待の罠のいくつかはうまく獲物を捕らえたが、食糧庫を見れば気休め程度にすぎない。
「確かにひどい風でしたな。最近、ぼんやりしている者が多い訳だ」
 ヤペルの言葉にセディムは足をとめた。
「そうなのか?」
 薬師はうなづいた。
「気になるというほどでもありませんが。ただ、足に湯をこぼしたとか、石刃を持つ手がすべったといって薬師部屋に来る者がいるのです」
「薬師が二人いるのはありがたいな」
 しかし、ウリックは硬い表情で口を閉ざした。
 セディムは傍らの窓鎧に手をのばした。冬の風に揺さぶられて留めがゆるんだ窓は、押すとがたがた音をたてる。
「城中の鎧戸もすぐに修理しよう。何日も眠れないのは堪えるだろう」
 しかし、ウリックは長の顔を見つめた。
「――薬湯を用意しましょうか。寝る前に飲めば……」
「いや、大丈夫だ」
 すぐに断るセディムをヤペルはからかうように見た。
「確かに、あれは苦くて頂けない味ですからなあ」
 そんなことはない、とセディムは笑ったが、結局薬師の勧めを断った。
「大丈夫。たいしたことはないんだ。今晩はよく眠れると思う」
 しかし、ウリックが立ち去ると、セディムは一転眉をひそめてヤペルを振り返った。
「あの二人は、まだああなのか?」






 

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