真冬の光  第三部 護り願うもの 2章-1
真冬の光 目次 2章-3
 
第三部 護り願うもの
二章 護り願うもの - 2

 
 ヤペルは眉を寄せた。無言の返答だ。
 いつもは穏やかなウリックが、兄弟子のことになると頑なな表情をすることにセディムはしばらく前から気づいていた。ラシードも薬師らしい仕事は大してしていないようだ。ギリスが命を取りとめたことで人々の目はいくらか和らいできた。だが――。
「ラシードが薬師部屋ではなく、城臣の間に居候しているというのは本当なのか」
「ウリックは頑固ですからな。こうと決めたら、めったなことでは考えを変えません」
「幼馴染だろうに」
 厳しい声でそう言い、セディムは足早に歩き出した。
「同じ薬師の炉辺に育った者だ。言ってみれば、同じ立場の私とティールのようなものだろう。それが助け合うどころか、口もきかずに互いを避けるなど――」
「ラシードの方はそんなつもりはないようですが。だが、あえて話そうともしとりません」
「では、ウリックにも原因が?」
「もとは、ラシードのようですな」
 ヤペルはため息を飲み込んだ。
 彼らを見て、いつも思い出すのは子供の頃の姿だ。ラシードとウリックは血のつながりはないが、親を亡くしたのを前の薬師が引き取って育てた、いわば癒しのわざでつながる兄弟だった。
 ラシードがレンディアを出て行ったとき、ウリックは取り残されたように思っただろう。薬草の知識に長けた兄弟子が去ったことは、若い薬師見習いには現実に負担となった。
 そして、約束の時が来てもラシードは帰ってこなかった。誰もがラシードは死んだと考えるようになった。
(諦めていた挙句だからな)
 ヤペルはそう思う。
 だから、ウリックはラシードを許せないのだ。生きて帰ったことを責める気は無いにしても、薬草も剣も、すべてが腹立たしいのだろう。
「ご心配には及びません」
 首を横に振って、ヤペルはきっぱりと言った。
「考えても詮無い類のことです。長を煩わせて申し訳ありません」
 その時、柱の影から矢のような勢いで子供たちが飛び出してきて、ヤペルにぶつかった。
「とうげをこえるぞ!」
「したくはできたか。おくれるな」
「これ、お前たち、静かにせんか。長の前だぞ」
 十人ばかりの子供らは、どの背にも毛皮の束を背負っている。彼らは長、と聞いて顔を輝かせ、セディムたちを取り囲むと恭しく頭を下げて挨拶した。
「おさ! ふたたびおあいできるとはおもいませんでした」
「おしさしゅうございます」
 険しい顔をしていたセディムだが、この口上には思わず笑いそうになった。彼らは長い長い旅の途上なのだ。ていねいに会釈を返すと、
「道中無事でなにより」
 そう答えて、彼らの背中からずり落ちそうになっている旅の荷物――丸めた上着――をなおしてやった。
 子供たちは長の言葉をありがたく受け取り、そして意気揚々と次の峠、つまり西の塔をめざして歩きはじめた。石の廊下にはその歓声がいつまでも響いた。
 彼らを見送りながら、セディムはふと胸の奥が疼いた。自分とティール、ノアムやスレイはああやって夏の日にともに遊んだ。互いを信じて、どこへ旅するのも一緒、冒険が過ぎてヤペルに怒られるのも一緒。いや、信頼がなければ、冒険もできなかった。同じ矢の鏃と矢羽、鞍と端綱のようなもの。
(そのティールと言い争うようなことがあるんだろうか?)
 長い、長い旅を語ったラシードの言葉に嘘はなかったように思う。決して故郷を忘れたわけではなかったのだ。それだのに、ウリックは幼馴染を受け入れることができないのだろうか。
 いつかティールがエフタの長となり、自分と話をすることもあるかもしれない。その時に、互いのすることを不審の目で見ることなどあるのだろうか。
(そんなことはしない。絶対にしない)
 廊下の奥から、峠道にあえぐ旅人の声が盛大に聞こえてきた。
「やれやれ。地蜂の巣を突ついたような大騒ぎですな」
 傍らでヤペルが盛大にため息をついた。我に返ったセディムは口元を引き締めて、物思いを頭から押し出し、からかうように城臣を見た。
「たしか子供の守りには慣れてると言わなかったか? ノアムや私では物足りなかったか」
「一度に十人というのは、また別の話です」
「もっと、大騒ぎしてやればよかったかな」
 ヤペルはわざとらしく頭を下げてみせた。
「加減して下さったとは、ありがたいことで」
「長生きしてもらわないと困るからな」
「致しますとも」
 城臣は楽しそうに答えた。「長の御子を抱くまでには、子守の腕も上がりましょう」
 セディムは驚いて、思わず立ち止まった。ヤペルは一本取った、といった満足気な顔で頷いた。
「そんなに驚かれますな。すぐですぞ。すぐ」
「すぐは無いだろう」
 セディムは顔をしかめてみせた。許嫁のエフタの姫はまだ幼い。婚礼など、五年は先の話だ。しかし、ヤペルはそんなことは気にもしないようだ。
「なるほど。では、年寄りの先の楽しみとしましょうか」
 笑いながら言う城臣のあとを歩きながら、セディムは困ったような、怒ったような表情になった。

 雪崩の部屋の惨状は話に聞く以上だった。
「容赦なくやられましたなあ。そこらの岩場とたいして変わらん」
 ヤペルは思わず呟いた。その隣で、セディムも言葉をなくしてしまった。
 半ばまでくずれた壁は雪に埋もれていた。ところどころ雪が汚れているのは、苗床にするための土がまざってしまったのだろう。苗箱の木っ端も散らばっている。まずは雪をかき出そうと男たちが十人ばかり集まって、立ち働いていた。
「ヨウっ、その石を運び出せ」
「手を貸してくれ。一人じゃとても持ち上がらんぞ」
「押せ、押せ」
 男たちは壁の残骸を片側に寄せ、雪を押し出す。そして、ぽっかりと空が望めるようになった瓦礫の向こうへまた雪を運び出す。
「早いところ、苗を育てる場所を決めたいですな」
 ヤペルがぽつりと言った。「どこを使うにせよ、支度に手間がかかります」
 その声に含みを感じて、セディムは城臣を振りかえった。その目を見れば、同じことを案じているのがわかった――力仕事ができるうちに、春の用意を整えたいのだ。セディムはおもわず身震いした。
 雪はまた降る。いずれ食べ物はもっと少なくなり、立ち上がるにも難儀するかもしれない。村人らに甲斐のない仕事を続けさせるわけにはいかないのだ。
 ヤペルが他の城臣との相談事をすると言って去ると、セディムはあらためて男たちの仕事を見守った。作業は延々と続くが、いつまでたっても進んだようにはみえなかった。セディムは裾の長い衣を脱いで、彼らに交じって黙って雪をかきはじめた。
「おい。ここはもういいぞ。それよりあっちの……おおっ、セディム様?」
 雪かき作業を仕切っていた村人は、石を運ぶ若者が長であると気づいて目を瞠った。てっきりノアムかと思って、と慌てているのをセディムはなだめたが、今度は激しく首を振った。
「長はこんなことをせんで下さい。ここは俺たちがやります。まさか、長にこんな……」
 だが、セディムはかまわず手頃な鍬を持って雪をひと掻きした。
「手は多い方がいい。やらせてくれ」
「しかし」 
「覚書を前に唸っていても、いい考えなど浮かばないさ。ただし――」
 セディムはいたずらっぽく笑って、声をひそめた。
「城臣たちには言うな。頭に血が上って倒れるぞ」
 村人はにやりとして、セディムと並んで雪をかき始めた。
 晴天の空から薄日がさしたが、よほど空気が冷たいのだろう、雪はたいして融けもしない。雪は重みで押し固められていたから、ずっしりと重かった。
「いっそ融ければ、いくらか嵩も減るだろうに」
 誰かがぼやいたが、他の者が不愛想に首を振った。こんな量の雪の下に水が流れ出したら、すべってどうにもならない、と。
「手を惜しむな。つまらんこと言ってねえで、働け」
 そう言われて、みんなまた黙々と働きはじめた。






 

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