真冬の光  第三部 護り願うもの 3章-2
真冬の光 目次 3章-4
 
第三部 護り願うもの
三章 山のこころ - 3

 
「……ヤペル、ヤペル! 苗の件はどうなった?」
 ゆったりと朝の茶を啜っていた城臣は思わずむせ返り、飛び込んできた長を恨めしそうに見上げた。
「朝っぱらから驚かさんでください。年寄りはすぐに喉を詰めると……」
「何か思いついた者はいたのか?」
 しかし、セディムの耳には入らないようだった。容赦なく急かされ、ヤペルは涙目をこすりながら首を振った。
「東の棟を挙げる声が多いようですな。しかし、それでも強く推す者はいません。何せ世話をするのに不便すぎる――」
 だが、これを聞いてもセディムはがっかりした様子もなかった。
「考えたことがあるんだ。ちょっと来てくれ」
「は?」
 気が急くあまり、もう部屋から飛び出しかけていたセディムはふり返った。
「――苗を育てる場所がある」
 ヤペルやショルたち城臣が引っ張り出されたのは、城の奥にある遠見の塔だった。レンディアの城は長い年月かけて造り足し続けたために込み入っているが、この塔はその中でもごく古い時代に建てられたものだった。
「しかし、上の部屋は狭すぎやしませんか?」
「部屋じゃない」
 セディムは薄暗い階段を指差した。
「階段? 部屋ではなくて?」
「苗を育てるのに、ここの階段を使えばいい。幅も広いし、窓から陽も射し込む」
 ショルが塔を見上げて首を傾げた。「だが、それなら向こうの塔でもよいのでは? 窓ももっと大きい」
 しかし、セディムは首を振った。
「ここでなければ、いけないんだ。この下には何があると思う?」
「下?」
 セディムは城臣たちの後ろの階段を指差した。
 薄暗い階下からは人の話し声がかすかに聞こえてくる。朝の牛の世話を終えた村人たちがこれから食事にありつこうというところだ。あっと声を上げたのはトゥルクだった。
「広間、か。皆が一日中集まっている」
「そう。朝から晩まで、炉の火を絶やすことがない――ここは城の中で、一番あたたかい部屋の上なんだ」
 たしかに、広間の扉はいつも閉められていたが、それでももれ出す空気のおかげで、この辺りは心なしか冷え込みが緩かった。
「それに、雪が多くても風がやまなくても、明け月になれば陽が当たるようになる。寒ささえしのげれば、苗を育てられる」
「だが、そううまく行きますかな」
 きびしく尋ねたのはヤペルだった。
「ここまで水を運ぶのもひと苦労だ。長には申し訳ないが、妙案とは言いかねますな」
「わかってる。それも、ここでなければならない理由だ」
「理由とは?」 
 どこまでも用心深いヤペルの目を、セディムは挑むように覗きこんだ。
「塔の上を壊して、穴を開けるんだ」
 城臣たちは息をのんだ。
「あ……穴?」
「遠見の塔を、壊す、と仰るのか?」
 若い長の考えを受け入れよう、たとえ突飛に思えたとしても――そう心づもりしていた城臣たちも目を瞠った。レベクなどは唸ったきり立ち尽くしてしまった。
 朝から城臣連中が集まって何事か、と村人も見にやってきたが、セディムは目にも入らない様子で話し続けた。
「穴を開けて、階段の上に雪を吹き込ませる。その後、穴を閉ざして、雪が少しずつ融けて流れ落ちていくようにするんだ」
「――つまり、階段を段々畑にしようというわけですか」
 トゥルクは髭をしごいて唸った。
「しかし、土はどうしますか。土がなければ、水をとどめておけません」
 セディムは息をのんだ。横からヤペルも懇々と説明した。
「土が水を留め、温めるのです。土がなけりゃ芽は出ません」
 その時、話を聞いている村人らの中から、おずおずと声が上がった。アラゴだった。
「あの、古い壁掛けが使えないかね?」
「壁掛け?」
 長の訝しげな顔に、彼は言い継いだ。
「あれを細く切って、こう、階段に並べたら。土にはかなわねえが、苗床のかわりにならんですかね?」
 周りで聞いていた村人の中から賛同のつぶやきがもれた。
「そうか。苗が育つまでの間だけだ」
「芽がのびてきたら苗床ごと外へ運び出せばいい。それまでは、かえってあまり陽に当てない方がいいかもしれん」
 セディムはヤペルを一瞥して考えた。
 重大なことだった。来年もレンディアが生きのびられるか否かがかかっている。
 例年の苗部屋を建て直すことはもう論外だった。だが、塔を水溜めにするという自分の案にも慎重でなければならない。なにせ、こんな話は聞いたことがないのだから。
(本当に、問題はないか?)
 セディムは口元を引き締め、幾度も考えたことをもう一度並べ挙げた。
 苗が育つだけの暖かさを望めるのか。広さは充分か。水やりの手間を省けることもここを使う理由のひとつだ。日に日に食事はさらに少なくなるだろう。寒さと空腹をこらえている者たちに聞かせる気はなかったが、この先、水を運ぶような力仕事ができるかどうか、城臣たちは訝っていた。
 セディムは腹を決めた。
「ここで、苗を育てよう。何が必要だろうか」
「水を流すのが、ちと難儀ですなあ」
 唸りながらトゥルクは答えた。だが、村人をまとめていくような仕事には彼はうってつけだ。セディムはアラゴに向き直った。
「よく思いついたな。ありがとう」
「……いや、何とかしなけりゃならんのですから」
 彼はぶっきらぼうに答えた。長から礼を言われるとは思わなかったらしく、もぐもぐと何か呟いて、目を伏せてしまった。その肩を叩いて、セディムはきっぱり言った。
「そうだ。皆で何とかやっていこう」
(種麦が温もるように。雪解け水を吸って芽吹くように。どうか育つように。どうか――)
 それぞれ今日の仕事へ戻る村人らを見守りながら、セディムは胸の内で願いの言葉をかみしめた。何よりも深く強く願っていた。
 城臣たちは種麦の覚書を調べるために長の間へ、そしてセディムとヤペル、数人の村人は、遠見の塔の上を見るために階段を上っていった。

 それからまもなく、嵐の晴れ間に準備が始められた。
 幸い――というのも、おかしいのだが――窓が風ではずれかけていたので、そこを開けて雪が吹き込むようにした。それだけでは足りないだろう、と数人掛かりで階下から雪の塊を運び込んで積み上げた。
 また、城のあちこちにあった古い壁掛けがはずされて、階段の幅にあわせて細く切り裂かれていった。麦わらを敷くという案も出たのだが、今年はむしろ牛の餌や炉の薪として使うことにした。
 この壁掛けを切る前に、セディムはしばらく考え込んでいた。そして、村の女たちが集まっている台所へ出かけていって、頭を下げた。何か月、時に何年もかけて女たちが作った織物をだめにしてしまう、と。謝られた女たちの方が驚いて、そんなことはいいのですよ、と慌てて言った。
 変化に慣れない村人たちは、最初はセディムの思いつきを受け入れるのに苦労したようだ。だが、概してうまくやっているようだった。
 冬も三月(みつき)が過ぎようとしていた。村人らはセディムを長と呼ぶことに慣れた。むしろそうでなかった日々を思い出すことの方が難しくなっていた。

 夜更けの廊下で、ヤペルは窓の鎧戸を細く開けて、空を見上げていた。
 風がやんで、束の間の星が冬の空に瞬く晩だった。廊下は芯から冷えていたが、それよりなお凍てつく星空にヤペルは目を奪われていた。
「――詩心でもついたか」
 ふいに話しかけてきたのはトゥルクだった。そんな風流なものが似合う爺ではない、とヤペルは笑った。
「いや、このあいだセディム様がここに立って、外を眺めておられたのでな」
「長が?」
「ケルシュ様もよくそうしていたことを思い出したのだ」
 やはり親子だな、とトゥルクは言ったが、ヤペルは首を振った。
「そうでもないぞ。ケルシュ様はいつも静かに、何か待つようにしておられたが――」
 今度はトゥルクも苦笑を返した。
「そうだな。何か天から降ってくるまで待つなぞ、セディム様はなさらんな」
「それはいつなのか、とハールに祈って尋ねかねない」
「いや、このところの気負いようでは、手が届くものなら掴み取りかねない」
 二人は低く笑い声を上げた。
 レベクあたりが聞けば顔色を変えそうな冗談だ。ほんのふた月も前ならば、ヤペルも若い長の性急さを案じただろう。しかし、今はその先にあるだろうレンディアの姿を待ちわびる気分もある。
「――ついこの間まで牛を追っていた子供は、どこへ行ったか」
「そうなあ……」
 そう呟いたあとは続く言葉もなく、二人は黙って夜空を見上げていた。






 

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