真冬の光  第三部 護り願うもの 3章-4
真冬の光 目次 4章-2
 
第三部 護り願うもの
四章 ハールの祝祭 - 1

 
 夜月になった。一年が終わりを迎えようとしていた。セディムはようやく祝祭日の贈り物を決めて支度を済ませた。
問題は山積みだった。食料は確実に減り続け、炉にくべるタパレも足りなかった。子供たちがためていた粗朶はスレイの手伝いで城に運ばれたが、その量はたかが知れていた。塔での苗床づくりは少しずつ進められたが、寒い石の廊下での作業は堪えた。
 中でも、イバ牛に食わせる麦藁が少なくなってきたことが一番の気がかりだった。

「誰もそんなことをしたいとは思っとりません」
 そう言ったモルードの顔も苦かった。
 長の間に集まった城臣たちは揃って渋い顔で、今のうちに一頭か二頭つぶした方がいい、と一番奥に座る長に提言した。
「だが、食べ物はどうしようもなく足りんのです。古い年代記を見ても、長い冬の後は葉月まで雪が残っている」
「飢えているのは牛も同じです。言いたくはないが……牛が痩せはじめてからつぶしても意味がない」
 セディムは城臣らの言葉をかみしめながら、炉の傍らの暦台に目をやった。
 石を削って円形の刻みをつけたその上には小さな白い石が置かれ、毎日刻みひとつ分ずつ動かされる。ハールの全き力を表す円をひとめぐりすると、城臣が古びた暦帳に書きうつす。こうやってレンディアには時が流れてきた。
 石が幾めぐりすれば春になるのか。決断を急ぐ彼らの言葉ももっともなのかもしれない。
 だが、セディムは頑固に首を振った。
「イバ牛はともに働く仲間だ」
 苛立たしげに膝を叩いて立ち上がり、城臣たちの言葉を一蹴した。
「レンディアの宝だ。まだ他に何かできることはないのか」
「考えつくことはすべてやりました」
「すべて?」
 セディムは厳しい目線を返した。
「では、これまで考えなかったことをやってみよう。それからでなければ、牛をつぶすなどできない」
 しかし、そう言い切ったもののセディムはため息を押し殺した。いずれは選ばねばならないかもしれない。だが、まだ尽くす手があるかもと思うと決断できないのだ。誰もが胸にさまざまな思いを燻らせたまま、今日の話し合いはお開きとなった。
 そろそろ夕餉の頃だった。その前に城の中をひと回りしようと城臣たちは部屋を後にした。その中でひときわ背の高いひとりに目をとめて、セディムは声をかけた。
「ラシード。あとで、ローシュのところに行ってみてくれないか?」
「ローシュ?」
「しばらく前に、崩れた壁石運んでいる時に足に落としたらしい。今日もまだ足を引きずっていた」
 薬師は訝しげに眉を寄せた。
「薬師部屋には一度も来ていないが……」
「ローシュは、自分からは絶対に薬師部屋には行かない」
「なるほど。では、あとでウリックに言って……」
 しかし、長はそれを遮った。
「すぐ診てやってくれ。ウリックと薬師見習いの二人だけでは手が足りないんだ」
 ラシードは何か言いかけて、やめた。それを見たセディムは厳しい表情でラシードに言った。
「できることは何でもするんだ」

 ラシードは村人が寝起きしている棟に向かった。
 廊下は広間へ向かう者、話し込んでいる者でごった返している。彼らをかきわけ歩いていたラシードは、ローシュの部屋の前で足を止めた。向こうからやってきた、馴染みの姿を見つけたからだ。ウリックは兄弟子に気づくと、かたい表情になった。
「ここで何をしている」
 その冷ややかなまなざしに、ラシードはやりきれない思いがした。
「ローシュを診に来た。けがをしたと聞いたのでな」
「ああ、聞いたところだ。だが、俺ひとりで十分だ」
「それは、見てみなきゃわからん」
 ラシードは憮然として言った。
「俺も長から頼まれたのだ。一度診てみないわけには……」
「セディム様には俺から言う」
 ウリックはぴしゃりと遮った。
「薬湯さえ作れれば、誰でも薬師というわけではない」
 ラシードの顔色が変わった。
「それは――」
「おい、薬師なんぞいらんぞ」
 二人ははっとしてふり返った。当のローシュが扉を開けて、呆れたといった表情で二人を眺めていた。
「こんなのはけがのうちに入らん。じきに治っちまう。帰れ、帰れ」
「まあ、そう言うな」
 しかし、ウリックは慣れた様子でローシュの肩を叩いて、座れと促した。ラシードは二人の後について部屋に滑り込んだ。傷は治った、と本人は言うが、薬師二人は自分の目で見るまでは信じようとしなかった。
「腫れているなら、これで……」
 そう言いながらウリックが取り出した練り薬を見て、ローシュは顔をしかめた。
「あの臭いやつか。足が治っても鼻が曲がっちまう」
「放っておくわけにはいかん」
「酒で十分だ」
 ローシュはしれっと言った。
「傷にかけるのか? 口に入れるのか?」
「両方に決まっとるだろうが。ともかく、そいつは嫌だ」
 と、ローシュは下履きの裾をひっぱって、皮靴の中に押し込んでしまった。ウリックは眉を寄せた。
「おい、ローシュ。そのままにするわけには……」
「いいじゃないか。別に薬を塗る必要もない」
 後ろから口をはさんだのはラシードだった。ウリックの顔色が変わった。
「いいかげんなことを言うな」
「嫌だというのを、無理強いすることもなかろう」
「そうだ、そうだ」
 それ見たことか、というように、ローシュは嬉しそうに大きく頷いた。だが。
「いざとなれば、切る、という手もあるしな」
 続く薬師の言葉に彼はさっと青ざめた。「き、切る?」
「ああ。ギリスの時はうまくいったから、たぶん今度もうまくいくだろう」
「たぶん?」
「そいつはつくるのに手間のかかる貴重な薬だ。嫌がるのを無理強いする必要もない。さあ、ウリック、次の病人を診に行こう」
「それも、そうだな」
 納得したらしいウリックは薬草袋の口を縛りながら、立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 薬師の上着の裾を、ローシュはあわてて掴んだ。
「塗らないと、まさか死んじまったりするのか?」
 先の長は傷がもとで命を落としたことが思い出されたのだ。ラシードはおおらかに笑った。
「死ぬことはない。足の一本などすぐに切ってやるからな。任せておけ」
「任せてって……」
 ローシュの顔が情けなくゆがんだ。その目の前に、ウリックは薬草袋を掲げて見せた。
「それじゃあ、どっちがいい?」






 

3章-4
真冬の光 目次 4章-2






inserted by FC2 system