真冬の光  第三部 護り願うもの 4章-2
真冬の光 目次 4章-4
 
第三部 護り願うもの
四章 ハールの祝祭 - 3

 
 祝祭日の朝。城は久方ぶりの歓声と笑いで目覚めた。
 嵐は夜の間にやみ、空は澄んでいた。そのもとで村人らはハールの恵みを、と挨拶をかわして肩を叩きあった。長い冬も半ばを迎え、雪をかぶった山々にも春の恵みが隠されている――そう信じて、城中に隠した贈り物を探し回るのだ。
 隠れていたものが顕わになる。眠っていたものが、目覚めて動き出す。神がそなえる新しい季節を信じて待つ小王国の祭りだ。
 贈り物探しがひと段落つくと、年越しの祭儀に連なるために村人らが広間に集まってくる。もちろん、全員は入りきれないから、あぶれた者で廊下や階段はいっぱいだった。
 大広間では薬草が焚かれて、目の覚めるような香りが広がった。
 その中心に肩布姿の長が立った。炉の上の祭壇には新しい布や鏃が供えられ、決められた順番で幾種類もの薬草が焚かれている。それから、長がハールに感謝の祈りを捧げた。神の庭の足元に護られていること、日々の糧にも恵まれた年であったこと、さらに厳しい冬であっても子は父を信頼しており、決して希望を失うことはない、と。
 それが終わると、長老で語り部であるユルクがこの世界のなりたちを語り始めた。
 無の闇――何もないところに、ハールが光を与えて世界は始まった。ハールは命あるものを作り、名を与えて治めた。やがて時代が移ると、ハールは一人の御娘を通して人に力を授け、その子らに地を統べさせることにした。子が死ぬと子の子が跡を継いだ。その子孫の末に連なるのが、古王国のアルダレスとアレイオスの兄弟だ。
 王国をめぐる二人の争いの末、アレイオスは尽きぬ死を厭い、国を出て地の果てへ去ることを選んだ。そして、ハールに導かれた長旅の末に、アレイオスとその臣下たちは山々に安住の地を見つけた。
 ――それが、小王国、エフタとレンディアだ。
 古い言い伝えに、村人たちはため息をもらした。この物語は何度聞いてもハールへの畏怖の思いがわき上がる。子供たちは自分と神話をつなぐ存在であるアレイオスの旅物語に夢中になった。こうしてレンディアの歴史は親から子、孫へと受け継がれていく。
 長い祭儀が終わると、長はハールの創世にちなんで数人の赤ん坊に名を授けた。

 その晩は、城は祝いの宴でにぎやかだった。
 食事はこの日のためにとっておかれたパンではじまった。全員に行きわたる頃には指先でつまめるような欠片になっていたが、それでもパンはパンだ。それぞれが額に軽くおし戴いてから口に入れた。仕舞ってあった酒壺も車座を行き来した。そして、祝祭日の贈り物を見せ合うのが皆の楽しみだ。
 女たちは贈り物をさっそく身につけて、互いに誉めちぎっている。
「きれいな飾り石ねえ! 真っ白じゃないの」
「ほんとう。山でとったそうだけど、平原の市で売ってるものよりきれいだわ」
「ねえ、首飾りもいいけど、耳につけたらすてきじゃない?」
 誰かがそう言うと、女たちはうなづき、明るい歓声をあげた。
 男たちも贈り物を楽しんでいた。
「お前は何をもらった?」
「女房から飾り紐をもらった。見てくれ」
「おおう、シアは器用だな」
 すると、近くで杯をなめていた男たちが身を乗り出してくる。
「どれどれ、ほう、よく出来てる」
「まったく、お前にはもったいない。もったいない女房だ」
 なんだ、そちらか、と言うが誰も否定しない。
「贈り物にはお返しだ。忘れちゃいまいな」
「そういうお前はどうなんだ?」
 調子に乗った誰かの歌が始まると、周りの者も加わって歌いだした。
 セディムは広間の奥の座にいた。朝から続いた祭儀も無事に終わり、あふれる他愛ない笑いと賑わいに身を浸してようやくひと息ついたところだ。
「長」
 その時、肩ごしに話しかけてきたのは、ウリックだった。
「ウリック――ハールの良き日に」
「レンディアに、父神のおおいなる護りがありますように」
 いつも生真面目な顔つきの薬師も今日は晴着を身につけて、少しはなごやかな雰囲気を漂わせていた。酒壺を示されたので、セディムは杯を干してから差し出した。横にいたヤペルが薬師にも注いでやろうと待ち構えると、ウリックは黙って杯が満たされるまで受けた。セディムはちょっと目を瞠って微笑んだ。
「珍しいな」
 いつもウリックはほとんど飲まないのだ。数口も啜れば十分と言ってなめる程度しかつきあわない。誰か具合が悪くなった時に薬師が酔いつぶれているわけにいかない、という理由もあっただろう。ウリックは穏やかにうなづいた。
「たまには、受け取るのも悪くないと思いまして」
「それは、いいことだ」
 ヤペルは鷹揚に笑った。
「お前もたまには酔えばいい。しかめっ面をするばかりが能でないぞ。おっと、もう空か」
 盛んに勧めたヤペルの方がもう上機嫌になっていたようだ。重そうな腰を上げて他の酒壺を探しに行ってしまった。
 ウリックはひと口、ふた口と飲んでから、ぽつりと言った。
「長、ありがとうございました」
「――何のことだ?」
 ウリックが懐から取り出したのは、銀灰色の山鳥の羽根――長からの祝祭日の贈り物だった。固い艶があるそれに指を走らせて、ウリックはしずかに言った。
「良い羽根です」
 セディムは素知らぬ顔でひと口酒をすすった。
「何を作るかは、好きにしたらいい」
「はい」
「飾りにしてもいいし、マデラにあげてもいいし」
「きっと……矢羽にも良いでしょう」
 ウリックはそう答えて、宴の輪に戻っていった。それを見送って、セディムはもう一杯、と酒壺に手をのばした。
(それでは、ウリックはわかってくれたのだ)
 その日、セディムは初めて長として村人に贈り物をした。
 ミーチェには弓弦にする腱を、歩きはじめたばかりの子供には護符、ひさしぶりに故郷に帰ったノアムの姉には編袋を用意した。
 そして、ウリックに羽根、ラシードには石鉄の鏃を贈った。
 彼らを見ると、ひとつ矢を飛ばすために異なる役割を担う鏃と羽根のようだと思ったのだ。似てはいないが強いつながりがある兄弟分――そんな関係が崩れるようなところは見たくなかった。
 もちろん、贈り物は何でも好きに使っていい、とウリックに言ったのはほんとうだ。薬師二人の問題である以上、セディムに言えることなどない。ただ、できることなら、古いわだかまりなど捨てて欲しいと願っていた。
 ――もう一度互いのつながりを思い出してくれたら。
 同じ薬師として認め合うことは、どちらにとっても幸いであるように思えた。ウリックが仲裁を受け入れたのなら――。
(あとは、雪が融けるのを待つだけでいい)
 そう考えて、セディムは久しぶりにほっと息をついた。

 酒も食べ物も慎ましいものだが、宴はなごやかだった。ローシュのように酒を楽しむ者もいれば、あちらの隅では歌が途切れない。また、ラシードは物語の才もあるらしく、遠い国のことを語っていた。
「アルセナで見た旅の楽師たちは粋だったぞ。揃いの毛皮の衣装に、ぴかぴかに磨いた楽器がそれはもういい音で」
「歌って、踊って」
「楽師は踊らんぞ」
「そうだ。だが――」
 ラシードの瞳が笑うようにきらめいた。
「古い恋物語を踊りにした曲があって、それを舞う娘たちの美しいこと」
「いったい、どんな話なんだ?」
「どんな風に踊るのだ?」
 ラシードが聞き手たちの前にうさんくさい手振りをしてみせると、座は一段と盛り上がった。
 恋物語はどこでもたいして違いはない。娘が恋仲の男を助けるためにハールが出した難題に答えたり、あるいは、さえない若者が命からがらの冒険の末に花嫁を迎える、といったところだ。だが、レンディアの者はいつも新しい物語に飢えている。しかも、ラシードの語りがうまいものだから、そのうち酒壺を回すのも忘れて皆聞き入っていた。
 セディムはそれを聞くともなく聞き流しながら、幾度目かの杯を空けた。もとから酒は好きなのだが、このところは気疲れが続いて飲む気もおきなかった。久しぶりの酒は骨にしみるほどうまかった。
「いかん、いかん。空ですな」
 はっとして顔を上げると、トゥルクが酒壺を手に待ちかまえていた。
「さては、美しい娘のいる物語の世界にとんでおられましたな」
 セディムは笑って言い返した。
「ああ、そうだ。帰ってきたら、ひげ面のトゥルクの出迎えだった」
 それはがっかり、という誰かの声に皆が笑い崩れた。
 セディムはしきりに勧められるのを断ろうと、杯に手をかぶせた。今朝から儀式で気を張っていたせいでさすがに疲れていた。
「今日は一年の終わりの日だ」
 酔いが回らぬうちに、とそろそろ立ち上がった。
「もうひと壺、出してきたらいい」
 めずらしい祝い振る舞いに村人らは喜んだ。途切れることのない笑い声に送られるように、セディムは広間をあとにした。

 石の暗い廊下を辿りながらも、遠くに人の声が感じられる。こんなに賑やかなのは久しぶりだ。
(それも、そうだな)
 セディムは思わず苦笑いした。
 夏以降、村がそろって喜べるようなことはなかった。収穫は急がされて、秋祭りは祭儀だけで終わったし、その後すぐに父がハールに召されたのだから。
 村の皆が笑っている――それが、これほどほっとする事とはセディム自身思ってもみなかった。去年の祝祭日は自分もあの中に居たのだ。まるで十年も昔のことのように思える。
 これで、冬も半ばといえる。ようやくここまで来た。
(一人の死もなく、もめごともなく、何とかやってきたんだ)
 そう考えると、気のゆるみから思わず涙が滲みそうになった、
 その時、不意に肩を引かれて、セディムは息をのんだ。ぎょっとして振り返ると、立っていたのはラシードだった。
「――何度か声をおかけしたが、気づかれなかったので」
 と、何か持つ手を差し出した。
「肩布を落として行かれましたな」
「え?」
 一瞬、何を言われたかわからず、セディムは相手を見つめた。
 そして、自分が羽織っていたはずの刺繍の肩布がラシードの手にあるのに気づいた。いつのまにか滑りおちたらしい。そして、驚きのあまり自分が嚇された獣のように息を荒くしているのにも気づいた。
「すまない、気づかなかった。ありがとう」
 口早に礼を言って、セディムは肩布を受け取った。
「お疲れのようだな。部屋までお送りしようか」
「いい」
 言ってしまってから、セディムは唇をかんだ。唐突で、まるで子供のような態度ではないか。
「ほんとうに大丈夫だ。ありがとう。それより広間に戻って、皆に話を聞かせてやってくれ。どうやら、薬草だけでなく物語にも才があるらしい」
「なんの。酔っているから聞けるというもので。特に風変わりな語りでもない」
 ラシードはおどけてみせたが、セディムは首を振った。
「皆の楽しそうな声は久しぶりだ」
 そう言って小さく笑い、ひとり居室のある塔へと登っていった。
 その後ろ姿が階段に消え、足音が聞こえなくなるまで、ラシードはそこで長を見送っていた。






 

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