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第四部 真冬の光 |
一章 雪幻 - 3 |
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結局、小屋の修理には四晩かかった。 吹きすさぶ風に阻まれて作業はなかなか進まなかった。誰もが疲れて体が思うように動かなかった。弓矢で見張りを務める者たちも似たような有様だった。寝もやらず空腹で、気力も萎えがちだ。力が出ないので、使い慣れているはずの弓弦を張り直さなければならない者もいた。 そんな中、当然のように薬師部屋を訪れる者も増えていた。 最近は、二人の薬師は協力して病人を診ていた。ウリックは薬師部屋への階段を登れない村人のために日に何度か広間へ出かけ、ラシードは部屋に残って腫れた喉や凍りかけた手脚を診ていた。 「とうとう牛小屋の修理が終わったらしいぞ」 城中を見回って、ウリックが戻ってきたのはある夕方のことだった。ラシードは少なくなった薬を作り足していた。 「ああ、道理で今日は怪我人も少なかったな。そっちはどうだった?」 「ミーチェの咳はあいかわらずだ。ロドは熱が出ている。オルムは悪い風につかまったらしい」 そう言って、ウリックは炉の前に胡坐をかいた。 ふと、傍らに並べられた草葉の包みに目をとめた。中には薬草を乾かしてすりつぶした粉をくるんである。よく使うので、レンディアの薬師は暇があればこの包みを作り貯めておくのだ。 細い茎からとった繊維で包みを結んでとめてあるが、ラシードのそれはウリックが作るものより大きく、おおざっぱな結び方だった。ウリックは思わず手を出しそうになって思いとどまり、かわりに注文をつけた。 「包みはもっと小さくしてくれ。子供に飲ませるにはそれでは少し量が多い」 ああ、と気づいてラシードは手をとめた。次に作るものからでいいから、とウリックが言うと、頷いて次の葉をとりあげた。 一緒に働くと決めたのだから、互いのやり方に慣れなければいけない。二人はぎこちなく衝突したり、話し合いながら働くことに慣れつつあった。 ウリックは炉にかけられた皮鍋をのぞいた。 ゆっくりと煮出されている茶はいい頃合いだ。ほのかな香りに腹が鳴りそうになった。思えば、今日は早くにオルムの部屋へ呼ばれたために、朝から何も口にしていなかった。 「たくさんの人間がいっしょに暮らしているから、病がうつると困るな。だが、新しい風を入れたくても、こうも寒くては……」 手をこすり、温かい茶を飲もうとしたウリックはふと眉を寄せた。薬草を千切っている兄弟子の表情が気になった。 「――誰か具合が悪かったのか?」 すると、ラシードは黒い瞳にからかうような笑みを浮かべた。 「ここに来る者はたいていそうだ――ああ、病じゃない」 ラシードはむっとした表情のウリックを押しとどめた。生真面目なウリックと皮肉屋の兄弟子との会話は昔と変わらない。だが、ラシードは笑みをおさめて、声を落とした。 「このところの皆の顔つきが少々気になる。平原でもよく見た――余裕のない、疲れた顔だ」 「それは、冬だからだ。嵐は耐えるほかない。冬が去るのを待つしかできない」 「そうじゃない。敵わないものを前にして、追いつめられ、逃げ場のない者の顔だ」 ウリックは椀を置いた。 「――穏やかではないな」 平原での旅の間、幾度も目にした人々の顔を思い出したのだ、とラシードは言った。 援軍が来ないのを知っている兵士たち。盗賊どもが村を荒らすのを、隠れてやり過ごすしかない女たち――。 「平原には平原の苦難があるのだな」 ウリックは軽くため息をついた。しかし、ラシードの表情はもっと深刻だった。 「――誰もが、ただ耐えるしかない。耐えてその先を待てるならいい。だが、何も望めないと気づいた時にはどうなると思う? 崩れていくのだ」 「ばかなことを言うな」 ウリックは腹立たしげな声できっぱりと遮った。 「町ではそうかもしれん。だが、ここでは違う。雪嵐を相手に文句を言ってもどうにもならない。そんなことは皆が知っている」 「……」 「ハールがお護りくださる。それを知っているから堪えられる。これがレンディアの強さだ」 「それを信じられるから、だな」 皮肉めいた言葉にウリックはさっと色を失い、思わず声を荒らげた。 「お前、長を何と思ってる。長はハールの子。レンディアの父だぞ」 だが、すぐに息をのんだ。 「……すまん」 「いいさ。疲れているのは皆同じだ。俺も言い方が悪かった」 ラシードは茶を啜った。ウリックも同じように椀を手に取ったが、飲むでもなく弄び、やがて口を開いた。 「俺たちは……セディム様はハールとレンディアをつなぐ結び目になるのだと考えてきた。それこそ、こんなに小さい頃からな」 と、掌を低く掲げてみせた。 「背が伸びたといっては喜び、怪我でもされれば心配した。狩の腕を上げられれば、なお喜んだ」 そう話しながら、ウリックは目が潤んでくるのを止められなかった。 「そうやって慕ってきた長を信じられなくなるなど、どうして考えられる?」 しかし、ラシードはそれでも言いかけたことを取り消さなかった。 「それでも怖れというものはある。人とはそんなものではないのか」 ウリックは返す言葉を失った。 長を慕い、信頼もしている。だがそれでも、このところの城にはいい知れない不安や苛立ちのようなものが漂っていた。 そのとき、石の廊下を誰かやってくる気配がした。 「ウリック、居るかね?」 扉から顔をのぞかせたのはシスカだった。 「ノルドの子の咳の薬をもらえるか? 奴はちょっと手が離せないから、かわりに来たんだが」 ウリックは立ちあがり、石棚においてある袋の中から薬包をひとつ取り出してシスカに手渡した。 「これでもまだ咳が止まらなければ、連れて来るように、とノルドに言っておいてくれ」 「わかった」 シスカは請け合い、それからとまどいながら言い足した。 「あのな。寒いことは寒いが、みんな慣れてる。長も居られるし。なんも心配は要らんさ」 そういうと、気恥ずかしそうに目をふせながら階段を下りていった。 「――聞いていたようだな」 炉の前に座って二人のやりとりを見守っていたラシードが言った。「口論とでも思ったか」 「ああ」 シスカを見送りながら、ウリックは生返事を返した。再び炉の前に戻って胡坐をかいても、しばらくは黙ったままだった。 「皆が長を信じていることはわかっている」 そんなウリックを見て、ラシードは言った。 「――だが、信じていても不安を捨てられない者もいるかもしれない。そういうことを薬師のお前は忘れないでくれ。城臣たちには却ってわからんのかもしれないから」 村人の長への信頼と、長の気概――そのどちらが綻んでもレンディアはやっていけない。 ウリックはふと身震いした。うすら寒くなったのは、炉の火勢が弱いせいだけではないだろう。 煮えた湯からは茶の煮詰まった香りが立ち上ってきた。ウリックはかたわらの壺から雪をひと掬いして、皮鍋に放り込んだ。真っ白な雪はたよりなく崩れ融けて無くなった。 つぎの嵐はいつもよりも長く続いた。 晴れ間の分を取り返そうとするかのように峰からは冷たい風が昼夜なく吹きつけ、石の城はどこまでも冷え切っていく。外の雪をすくうために扉を開けることも少なくなり、水は常に不足気味だった。 真っ暗な外を見るのも気が滅入るので、窓には分厚い幕がかけられた。陽が射さないので、いつ朝が来るのかわからない。印をつけた獣脂蝋に絶えることなく火を点し、それは城中が寝静まる間も部屋のすみで揺れていた。 風が妙だということは、村中が知っていた。いかに雪が降ろうとも、いつもならば、これもハールの手の中のこと、堪えて春の恵みを待つもの、と山の民なら思うだろう。 だが、最近それではすまない不安が村人の間に流れていた。 ――この空の色はどうだ。とても年明けとは思われん。 ――ハールは我々を見捨てたのではあるまいか。 ――まさか、この世界から去ってしまわれたのでは。 中には、罠をしかけたことがハールの怒りにふれたのではないか、と怯える者もいた。城臣たちはそんな言葉を窘めた。ハールの御心などそう簡単にわかることではない。少なくとも、自分たちより長の方がよくご存じだ。仲間を惑わすようなことを口にするものではない、と。 だが、吹きつのる風の音は村人らの心に影をおとす。腹のすわった者でさえ、この風の音を冬中聞き続けて、どうにかなってしまいそうだった。 神に見捨てられたのでは、などという声は、できれば若長には聞かせたくないものだと城臣たちは考えていた。 |
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