真冬の光  第四部 真冬の光 1章-3 真冬の光 目次 1章-5
 
第四部 真冬の光
一章 雪幻 - 4

 
 幼いルシカは今日も毛皮にくるまって長い一日を過ごした。
 風の音も、食べ物が無いことも恐ろしい。だが、なによりも伏せっている兄のロドのことが心配だった。もともと痩せぎすな少年は食べ物が少なくなった頃から青白い顔をしていた。
 ルシカは今、すっぽり身体を覆う毛皮の下で、石鉄の細工をせっせと磨いていた。父親に頼んで作ってもらったのだ。この数日、昼夜の別なく牛小屋の修理に出かけて疲れているはずだったが、ルシカが兄のために、と言うと微笑んで頷いてくれた。
 小さな刃物は見ようによっては昔語りの英雄が持つ剣に見える。兄はなんといっても、勇者のケリン・ドゥールが好きなのだ。きっと喜んでくれるに違いない。
(本当は長い柄があったら、完璧なんだけど)
 少女は残念そうに溜息をついた。
(でも、いい。ぴかぴかになったらスレイに頼んで星の模様をつけてもらおう。だから――)
 ルシカはふと手をとめ、目をとじた。
(天のお庭におわします父神ハール。どうかお兄ちゃんを元気にしてください。あたしの毛皮の上着を差しあげますから)
 しかし、自分の上着では背が高い――そういう姿だと教えられた――ハールには合わないかもしれないと気づいて、あわてて言いなおした。
(去年もらったきれいな石を差しあげます。とってもきれいなんです。だから、どうかお兄ちゃんを元気にしてください)
 その時、頭上から母親の声が降ってきた。
「ルシカ。寝るなら、もう一枚毛皮を着なきゃ」
「寝てないもん」
 ルシカは憮然と答えた。目を瞑っても眠っているのではなく、お願いをしているのだ。そう説明しようとしたが、うまく言えない。腹立たしく思いながら、少しばかり寂しくなった。
(お兄ちゃんがいてくれたら、大人にもわかる言い方を教えてくれるのに)
 何せあまりに空腹で、ろくに考え事もできないのだ。イバ牛をつぶした汁物も食べてしまえば、また空腹が戻ってくる。だが、ここでやめるわけにはいかない。
 ルシカは気を取り直して、もう一度ハールに祈りはじめた。
 
 ルシカだけではなかった。村人はなにかにつけて祈る機会が増えた。子供よりも、自分の手にできることを知っている大人の方が祈ることは多かったかもしれない。
 家族が冬を越せるように。エフタにいる親戚が無事であるように。若い長に知恵と守りがあるように。
 そして、春の兆しがはやく訪れること。年が明けた今、ハールの惠みはすでに山に隠されていると誰もが信じている――信じようとしている。しかし、冬のひとつの区切りが過ぎると、春を待つ苛立ちがかえって募るようになっていた。
 最初はたいていごく些細なことだった。
 作りかけの石鉄のかけらがあちこちに飛び散ってかなわないとか、牛の世話に時間がかかりすぎると不機嫌になる者が増えてきた。文句のある当人同士が顔を合わせれば気が済む程度のものだ。
 ところが、それが片付かないことが多くなってきた。
(おい、俺の革袋はいつ返してくれるんだ)
(いいや。もう返しただろうが)
(お前は嘘ばかりつく)
(何の話だ)
(とっとと返せ)
 話がかみ合っていないのだが、当人たちは気づいていない。
 話し合っていると思っていたのが突然殴り合いになるものだから、まわりも収めようがない。下手になだめると、どっちの味方だと言われて手が出て、怪我人が増える。
 後から後から、他愛ない悶着の種は尽きない。
 毎年こういったいざこざはあるものだから、城臣たちは慣れた風に村人を諫め、非がある方には適当な罰を与えた。数日間イバ牛の世話を引き受ける、あるいは奥の間の片づけをする、といった具合だ。
 大の大人がひとり寂しく掃除などさせられると情けなくて、たいていの者はおとなしくなる。最初から頭を冷やせばいいのだ、とまわりも神妙になる。
 ところが、それで済まない出来事が起こったのだった。


 ある夕方、ラモルの部屋をテルクは訪れた。何日か前、弓を削るために借りた道具を返すと友人が言ったからだ。
「あれは、使い勝手がよかったな。ありがとうよ」
「ああ。握りやすいように削ったんだ」
「おかしいな。どこへ行った? 今度、作り方を教えてくれるか?」
「いいとも」
 無くしたはずはないんだが、と呟きながらラモルは荷物の間に顔を突っ込んでいた。そろそろ夕食どきで辺りには誰もいなかった。
 テルクはのんびりとあぐらをかき、見つかるのを待つことにした。だが、何気なく傍らの小さな袋を開いたとき、凍りついた。
「……お前、これは」
 あっと叫んで、ラモルがまろび寄ってきた。テルクの手から袋を奪うと、胸にかかえて隠そうとした。
「これは、俺のだ。勝手にさわるな」
「お前のって……そんなわけがないだろうが!」
 テルクはそっぽを向いた友人の肩を掴んで振り向かせる。ふり払おうとしたラモルの手から袋がこぼれた。ぱらぱらと軽い音とたてて床に散ったのは、干した木の実だった。
「何だ、これは」
 テルクは怒鳴った。
「どういうことだ。食べ物はいっさい分け合う決まりだろう」
 この長い厳しい冬のはじめ、食べ物はひとつ残らず食料庫に集められた。食べ物だけではない。粗朶もタパレも、冬の備えは村全員のものだ。
「野菜も干し肉も全部出せと、ヤペルに言われたはずだ」
「他は全部出したさ」
 ラモルも引かなかった。
「だが、これは俺のものだ。これは夏の初めに見つけて何人かで分けたんだ。他の者はすぐに食べた。だけど、俺は干して取ってあったんだ。だから、これは渡さなくていいはずだ」
 何を、とテルクは怒りで震える声を絞り出した。
「食料はみんなのものだ。皆が従ってる。ラモル、寄越せ」
「嫌だ!」
「何だと」
「俺から取り上げて、お前が食うのだろう。そんなことさせるもんか」
 テルクの拳が飛んだ。殴られたラモルは起き上がりながら、相手を睨んだ。
「絶対に、渡すもんか」
「何だと」
「おい、何をしてるんだ?」
 ラモルがテルクに殴りかかるのと、廊下から城臣のショルが駆け込んで来るのとほぼ同時だった。
 テルクは起き上がりながらも、目は相手から離さない。ショルは二人の間に割って入り、もう一発返そうとしていたテルクの手を掴んで押さえた。
 だが、テルクはふいに抗うのをやめた。半身をかばうように身体を引く。その肩をショルが掴むと、上着の反対側の裾がふくらんでいるのが見えた。
 ショルは眉を寄せた。
「テルク、それを見せろ」






 

1章-3
真冬の光 目次 1章-5






inserted by FC2 system