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第四部 真冬の光 |
二章 目録 - 1 |
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葬儀は嵐の合間を縫って行われた。 ミーチェは咳をして寝込んでいた。シスカの子供は急に熱を出した。もともと弱っていた二人は、眠っているとまわりが思っている間にハールの迎えがあったのだという。 なきがらは城で弔いの儀式を済ませてから仲間の背で山上へ運ばれた。村人らは雪の上に青いくぼみを残しながら、詠唱とともに山を登る。やがて、大岩を過ぎたところに赤い印旗が立てられた。 これが、彼らがこの世で見る最後の道標だ。そして、これを目印にハールが迎えにきてくれる。 長の祈りの言葉とともに、彼らは雪の中に横たえられた。そして、急に吹きつのってきた風に追われるようにして村人一行は城へ戻った。 城で待っていた女たちは男たちに温かい茶の椀を手渡していく。彼らはそれをおぼつかない手で受け取った。 「風の冷たいこと」 「手が凍ったぞ」 「さあ、皆ご苦労だったね」 戸口で足踏みして雪を落としたり、ようやくはずした凍りついた手袋をはずそうと苦心する者もいる。 「あれ、長。お茶がありますよ」 雪を払ったあと、そのまま階段を上がって行こうとしていた長に気づいた村人が声をかけた。だが、セディムは振返っただけで、 「いや。いい」 「それなら、ひとまず火にあたって……」 ヤペルも促したが、セディムは首を振った。 「しばらく部屋にいるから。用事があったら、声をかけてくれ」 しかし、セディムが戻ったのは長の間ではなかった。 数週間前に引き払った私室は、しばらく火を焚いていないのですっかり冷え切っていた。セディムは部屋に入ると背中で閉めた扉の前にそのまま座り込んだ。 (葬儀とは、こんなに寒いものだったろうか) 寒いのは、雪の中を歩いたせいばかりではなかった。 たった今、雪の原で別れたミーチェの顔が思い浮かべると悲しかった。いつかハールの庭で会えるとわかっていてさえ、臓腑をそっくり掻き出されるような思いがする。弔いは毎年のようにあったが、これほど空しい思いをしたことはなかった。 セディムは膝の上に投げ出すように乗せた拳を握りしめた。 ――長がいたから、だ。 父である長が天に祈って送り出してくれた、だから大丈夫――そんな安堵が、ぽっかりと空になった胸の中をかわりに満たしていたのだと気づいた。セディムは苦いため息をついた。 その時、ためらいがちに扉が叩かれた。 城臣の誰かだろう、そう考えたセディムはのろのろと立ち上がって戸を開けた。 だが、立っていたのはスレイだった。大きな毛皮の束と、片手に水を入れる小さな革袋を提げて、もの言いたげな顔つきだ。 「お……」 長、と言いかけて飲み込んで、しばらく言葉を探していたスレイはふいに顔をしかめた。 「寒くないのか?」 セディムはぼんやりと幼馴染の顔を見て考えた。 「そうだな」 スレイは呆れたようにくるっと目を回すと、今度は遠慮なく部屋へ入ってきた。 「何で火を入れないんだ。そいつを被っていろよ」 そう言って、手にした毛皮をセディムに放ってよこすと、炉に粗朶をおいて火種を吹きはじめた。セディムは言われるままに、ふさふさした毛皮を肩に巻きつけた。あたたかい、と思ったとたんに体が震えはじめた。 「何してるんだよ」 スレイは小さな炎の上に革袋をかざしながら文句を言った。二人でいる時は、以前とかわらない遠慮無しだ。しばらくぶりの幼馴染との会話にセディムはほっと息をついた。 「何かあったか?」 「薬師から薬湯を言いつかってきたんだ」 そういって、炉の上の革袋を示した。 「ウリック?」 「いや、新しい方の薬師だよ」 やがて薬湯が温まると、ノアムは椀に注いでセディムに渡してやった。 「全部飲むまで見てろ、って言われたんだ」 スレイは言葉通りにするつもりらしい。セディムが椀を吹き冷ますのを黙って見ていた。セディムは一口ふくんでぎょっとした。 「酒?」 たちのぼる湯気は強烈な薬草の匂いで奇妙な風味だ。しかも、どうみても湯よりも酒精の方が多い。 「平原の薬湯……のはずなんだけど」 濃い湯気にむせそうになりながら、スレイは自信なげに呟いた。 しかし、確かに薬効はあるようだ。数口飲んだところで腹の底が温まり、胸がすっとしてきた。 「今日は長とは呼ばないんだな」 「ああ。他に誰もいないからいいだろう? 第一、この部屋ではいつでもセディムの方が従者だったじゃないか」 幼馴染の言葉にセディムはおもわず笑った。 子供たちは、かわるがわる伝承のアレイオスとその従者になって遊んだものだった。あの日々が遠くに去ったように、その頃の記憶と結びついていたミーチェも旅立った。それに気づいて、二人は黙って炉を見つめた。 時折、炉の粗朶がはぜ、薬湯を啜る音だけがした。やがて重い口を開いたのはセディムの方だった。 「ミーチェは、聞いたんだろうか。ハールの声か、何かのしるしを」 「そうさ」 スレイはあっさりと答えた。かつての長に抱いていたのと同じ信頼を幼馴染の上にも持っているのがわかる、迷いのなさだ。 しかし、セディムは頑なに首を振り、強いまなざしをスレイにつきつけた。 「それなら、無事にハールの許についたんだろうか? 迷うことなく、不安もなく?」 「……セディム?」 「そうだ。祈ったさ。でも、それを聞き届けたという何のしるしも見えなかった」 スレイは息をのんだ。 「――そうなのか?」 セディムは頷いた。 「昔語りにあるような、天からの声も風もない。何もない。こんな――」 こんな長などいたことがあったか。その言葉は胸に詰まって出てこなかった。 (おかしい。絶対に酒のせいだ) 胸のうちをこんな風に話すつもりなどなかった。だが、ほどけた気持ちの弦を張りなおす気力は、酒精の湯気とともに消えてしまった。 いつだったか、ヤペルに命を選ぶ決断を迫られて、それを撥ねつけたことがあった。 長とはハールではないのだから、それが当然だと思った。だが、子供と老人の死はほんとうにハールのさだめと言えるのか。もっと早くに決断しなかった自分が招いた死ではないのだろうか。 「俺には責任がある」 膝の上の拳をつよく握って、セディムはつぶやいた。 「長だからってことか?」 「ミーチェに、生きろと言ったからだ」 セディムは部屋のすみの暗がりをにらんだ。 「ハールが答えてくださるから、それまで生きろと言った。それだけじゃない。牛をつぶして、食べて、それでも生きろと言ったからだ。だから、ミーチェも、他の皆にも責任があるんだ」 「……なあ」 幼馴染と並んで座り、炉の炎を見つめて考え込んでいたスレイはためらいがちに切り出した。 「信じられないよ。ハールが俺たちの祈りに答えないことがあるなんて」 「しるしを見落としたっていうのか?」 スレイはうかない表情で首を振った。スレイ自身もどう考えたらよいのか、わからないのだろう。 「でも、これは俺でもわかる。ミーチェは、ぜったいにマルヤと一緒にいるよ」 スレイは言い切った。 「二人はいつも一緒だった。あの家に座って、炉の前で茶を飲んでいた。あれがもう、あれっきり無いなんてはずがない」 セディムは瞬きもせず幼馴染を見た。 遠い昔、牛を追ったり遊びまわった後はミーチェのところに顔をだして、マルヤに甘い茶をせがんだものだ。ミーチェはそれを笑って見ていた。 (あの姿が無くなるはずがない) その言葉はセディムの腹にすんなりと入ってきた。それと同時に、たまらなく胸がいたんだ。 昔語りのような奇跡など望まない。それでも、ミーチェがハールの庭で無事に妻と再会し、幼いシスカの子供がもはや飢えることもなく健やかであるという確信が欲しかった。 「――ありがとう、スレイ」 セディムはかすれた声でつぶやいた。 「このことは、もう少しよく考えてみる。それから、さっき話したことは忘れてくれ」 「忘れろ?」 「誰にも聞かせないでくれ」 スレイは不審げに眉を寄せたが、 「――わかったよ」 そう答えて、重々しく頷いた。 セディムはもう半分眠ったような目つきだった。薬湯の効き目は明らかだったようだ。 「セディム? そんなところで寝るなよ」 しかし、もう返事はなかった。 スレイはため息をつくと、がっくりと首を垂れている幼馴染の肩を押して炉のそばに転がした。毛皮にくるまっていれば大丈夫だろうとふんで火を弱め、しかし消えないように粗朶を組んで置いた。 「長の上に、父神のお護りがあるように。――椀をもらっていくよ」 スレイはセディムの手から椀を引き取ると、足音をひそめて扉から滑り出ていった。 |
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