真冬の光 第四部 真冬の光 | 2章-1 |
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第四部 真冬の光 |
二章 目録 - 2 |
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雪に閉ざされた小さな城では、悪い空気と食料不足から病が流行りはじめていた。 幼い子供たちが咳をしながら、それでも遊びたさに城中を走り回った。やがて年寄りや体の弱いものが熱を出して寝込むようになった。城臣の中の数人も咳をして次々に臥せった。面目ない、という彼らをなだめてセディムは毎日城中を歩き回った。 ある晩、寒さから幼子が二人が亡くなった。彼らは城の奥の間に床を用意された。まっくらな中にぽつぽつと置かれた獣脂の灯が揺れて、死者の顔を照らしていた。 村人らが見守る中、長と城臣たちが弔儀を行った。 セディムは長の衣の裾をゆらして亡骸のまわりを歩いた。古い祈りの仕草を捧げ、一人ひとりの前に身をかがめては祈る。これから、この者が行くから迎えて欲しいとハールに願うのだ。 「……旅の途上も迷うことなく歩めるよう、その道を照らしてください」 冷たい額に額をおしあててから身を起こす。そして、隣の死者にも同じ祈りをくりかえしていく。 弔いが終わると、村人らは死者に別れを告げ、部屋を後にした。子供を失ったばかりの若い夫婦はいつまでも去りがたく残っていた。 「ノルド、シア」 セディムはそんな夫婦のひと組に声をかけた。二人は身を振るわせたが、目を伏せ互いの手を握りながら礼を言った。 「これで、あの子も無事に旅ができることでしょう」 「ハールのお護りあるように」 その二人の肩を固く抱いてから、セディムは部屋を出ていった。ヤペルは灯に獣脂を足しながら、その後ろ姿を見送った。 それから数日後、冬のはじめに比べてめっきり寂しくなった食糧庫でノアムはヤペルの手伝いをしていた。 ノアムが残り少ない食料の袋や籠を運びながら数え、それを城臣が覚書とつき合わせる。とはいえ、今や蓄えはたかが知れている。大した時間もかからずに仕事は終わりになった。 「なあ、ノアム。お前、城臣見習いをやらんか?」 覚書を閉じた城臣の唐突な言葉に、ノアムはぽかんと口を開けた。 「俺は読んだり、書いたりには向かないと知っているだろう?」 「あほう。そんなこと、はなから期待しとらん」 ヤペルはきっぱり言った。 「じゃあ、いったい……」 城臣の仕事に読み書きは欠かせない。長の補佐であるから長当人よりも書き物に携わる機会は多い。それ無しに何をしろというのか。 ヤペルはため息をひとつ落とした。 「テルクとラモルのことは聞いたか?」 ノアムは頷いた。食べ物を隠し持つという無分別をして罰を受けていることは村人みなが知っていた。そろそろ蟄居を解かれるはずだが、それはそれで城臣たちの頭痛の種なのだろう。 「話を聞いて、わしは腹が立ったよ」 思い出すのも苦々しいのだろう、ヤペルは顔をしかめた。 「この冬の初め、わしは長に言った。今年は食べ物が足りないから、年寄の食事を減らしてくれ、とな」 ノアムは目を瞠った。 「セディムがそんなこと許すはずない。城臣はセディムにとっては家族同然なんだから」 ヤペルは、長と呼べ、といって若者を軽く睨んだ。 「……ああ。長は怒った。そして拒んだ。命に、残すに値する、しないなど無い。皆、平等に食べろと言われた。だが、それをあの二人は裏切ったのだ」 ヤペルは眉を寄せた。 「自分だけは生き残ろう、女子供を見捨てても――そう考えたのだ」 「……」 「耐えてこらえて生き延びられれば、レンディアはまた力を合わせてやっていける。それなのに、互いの信頼を裏切るような真似をしてみろ。もう、先はない」 「ばらばらになれば、元には戻れないと?」 「そうだ」 ヤペルは疲れたように踏み石に腰を下ろした。 「村をまとめるためには、長の思いを皆に伝える者がもっと必要だ。年寄りから若者まで、全員の腹の底に届くように伝えようというなら――城臣の中にもう少し若いのが欲しいのだ」 ヤペルは若者を見上げた。 「セディム様にとっても、気心の知れた者が近くにあれば、先々までも支えとなるだろう」 ノアムは黙り込んだ。 あの二人の行為を聞いた時にはノアム自身も気落ちした。 山に生きる者は命を切り捨てる決断からは逃れられない。だからこそ、山の民は互いの絆を大切にするのだ。絡みあう糸のようなつながりの中心には長がいる。長の言葉、行動、すべてが村人らをひとつに結びつけているのだ。しかし――。 「俺は……俺は行かない」 考えた末に、ノアムは首を横に振った。 「畑を耕して、秋には狩をする。それが、セ……長の助けになるのだと思ってる」 「……」 「もし、長に来いと言われたら、行く。だが、それまでは俺の居場所は村にある」 ノアムはそれだけ言うと口元を引き結び、自分の言った言葉の重さをかみしめていた。 ヤペルは黙って口下手な若者の答えに耳を傾けていたが、そうか、と答えて頷くと、重い腰を上げた。 「それも、いいだろう」 二人は黙って覚書をかき集めると、そろって部屋を出た。 テルクとラモルが出てきたのは、その日の夜だった。 レベクに付き添われ、二人が広間に顔を出した時、にぎやかだった部屋は一瞬に静まり返った。二人は顔を見合わせ、肩を落とした。 「このようなこと、二度としてはいかんぞ」 ユルクが二人の肩を叩いて、皆の方へ押し出した。部屋は静まり返っていた。 城臣が二人を連れてきたのは、慣例と長が定めた罰を受けて罪は償われた、と示すためだった。 だが、それにまつわる仲間の不信感はまた別の話だ。二人の裏切りは消しようのない傷となって皆の心に刻まれるのか、否か――ユルクさえも固唾を飲んで成り行きを見守っていた。 村人らは顔を見合わせた。とまどい、諦め、不服と不信、そんな気配が漂う中、静かに立ち上がった男がいた。 「俺の子は、食べ物が足りずに死んだ」 少なからぬ村人が息をのんだ。声を上げたのはシスカだった。 「あの子は、お前たちの木の実に対しては何の権利も持ってなかった。だが、ひと粒ばかりは食べられるはずだった。そういう決まりだったから」 テルクとラモルは項垂れた。シスカの幼い子のことはよく知っていたからだ。 シスカは暗い目をして拳を握りしめたまま、二人を見据えていた。仲間の裏切りをどう受け止めればいいのか、まだ思案していたのかもしれない。 その時、幼い子の声が響いた。 「あー」 「これ、静かにしなさい」 その場の緊張を感じたのか、両手をばたつかせる子を抱きなおして母親はあやした。 「ほら、ライナねえちゃんが遊んでくれるって」 子どもは高く笑い声をあげた。あわてた母親は、子供を抱いて部屋を出ていった。 廊下から聞こえる子供の声に大人たちの表情もゆるんだ。そして、震えるほど握られていたシスカの手もほどけた。 「……だがな。俺は責めない」 一瞬、苦しそうな顔をしたが、シスカは目をつぶってはっきりと言い継いだ。 「今、しなけりゃいけないのは争いじゃない。俺の子のかわりにあの子が春を迎えられるように祈ることだ。そう思う。だから、お前たちを責めるのはやめる」 村人らは落ち着かなげに顔を見合わせた。わだかまっていた気持ちの置き場所を探すように目を落とす者もいた。やがて、誰かがぽつりと言った。 「そうだな。するべきことは他にある」 それに応えるように、ノルドが二人に歩み寄った。また別の者も立ち上がった。 風が雲を押し広げるように、穏やかな空気が広がった。一人、二人と黙って進み出ると、テルクとラモルの肩を抱いた。 「レンディアにハールのお護りあるように」 「ハールが願いを聞き届けて下さるように」 「どうか、無事で春を迎えることができるように」 二人の男は項垂れ、やがて涙を落とした。 それを囲んで集まった村人らも同じように頭を垂れる。誰からともなく古い祈りの言葉が唱えられると、皆がそれに続いた。 そして、幾多にかさなる祈りの声が、ゆるやかに石の広間をおおっていった。 |