真冬の光  第四部 真冬の光 2章-4
真冬の光 目次 2章-6
 
第四部 真冬の光
二章 目録 - 5

 
 このところの風向きを見るに、冬は葉月まで長引くというのが多くの者の意見だった。そして最近、村人の間ではある事が口にのぼるようになっていた。
「わしは反対です。とても良い案とは言えん」
 ドルモの慎重な言葉は、しかし他の苛立ち含みの声にかき消された。
「では、どうするのだ?」
「いや、先々を考えるべきだ」
 長の間には城臣だけでなく、村の男たちも集まっていた。小さな炉の炎では部屋はなかなか暖まらない。だが、皆の表情がこわばっているのはそのせいだけではなかった。
「ドルモの言うとおりだ。食べ物が残り少ないとはいえ、種麦に手をつけるなど賢明とは思えん」
 城臣の言葉に、部屋には重い沈黙が流れた。
 春になったら――暦だけではなく、ほんとうに雪がとけて南風が吹きはじめてから植える根菜の種株、そして時期をずらして春に植える種麦。その袋を開けてはどうか、という声が村人の間でささやかれるようになっていた。
 夏になれば狩の獲物や草の実があるのだから、それまで種芋を食べてしのごうという者は少なくなかった。しかし、城臣たちの間でも意見は分かれていた。
「夏に獲物や収穫に恵まれるとは限らない」
「しかし、取っておいても、村が全滅しては何になるというのか」
「そうだ。これだけあれば、ひと月はやっていける」
「だが、昔の覚書にも厳しい冬のことが書かれている――ここに書かれた年に結局は何人死んだと思う?」
 二百年ほど前の年代記に残る言葉は、レンディアを襲ったある過酷な冬を今に伝えていた。
 実月の初めに降り始めた雪は城の三階にまで届いたらしい――その頃はまだ塔はなく、城のほとんどが雪に埋まったことになる。麦粉は明け月には底を尽き、七頭のイバ牛をつぶして雫月まで食いつないだ、と書かれていた。しかし、待ち月になっても嵐はやまず、人々は種麦と種芋に手をつけた。村の半数近くがハールの許へ召され、雪が解けはじめたのは葉月に入ってからだったという。
 まさに今の自分たちの姿だと考えて、多くの者が身震いした。
「しかも、この年の秋にも多くの命が失われた。麦も芋も植え付けができなかったのだから当然だろう。そんなことを繰り返すわけにはいかない」
「だが、このまま死者が増えるのを手をこまねいて見ているのか!?」
 袋を開けるべきと主張するギリスは言った。
「今を生きのびさえすれば、何か方法がある」
「いいや。種芋や麦はいかん。これだけはどうしても取っておかねば……」
 議論が口論になりかけたその時、それまで黙っていた長が手を挙げ、城臣たちをとどめた。
「――もう一度、牛をつぶそう」
 皆は口を噤んだ。
 思えば、今日の話し合いが始まってから、長は一度も口を開いていなかった。意見が出尽くすのを待っているのだろうと村人らは思っていたようだ。だが、ヤペルらはそうではないことを知っていた。来るべきものが来たということだ。
 だが、そうにもかかわらずセディムの声は穏やかだった。
「雪が降り始めてから八月が過ぎた。皆が弱っている。夏になればと言うが、それをあてにするわけにはいかない。もっと早く決めるべきだった。すまなかった」
 その言葉に皆が黙り込んだ。
 今、残っているどの牛にも共に狩場を駆けた記憶がある。生まれた日の姿を思い出せるものもいる。誰の気持ちも沈んだ。
 その空気を振り払うようにヤペルは顔を上げた。
「よし。わかりました。そうとなれば、どの牛を選ぶかはよくよく考えねばなら……」
「牛はもう決めてある」
 セディムは静かに遮った。
 さては若い尾白か、トルムの大牛だろうか、とあわてて考えたヤペルは、しかし長の顔をふと見て目を瞠った。
「それは、つまり……」
 他の城臣たちも息をのんでセディムをふり返った。
「まさか、ルサを?」
 村人らの顔色も変わった。
「ま、待ってください。他にも牛はいるのに」
「亡くなったモージェが乗っていた黒牛でもいいのでは?」
「いくら何でも、それは――」
 しかし、セディムはきっぱりと首を振った。
「あの黒牛は痩せすぎている。それに、それではだめなんだ」
 セディムは膝の上の拳を握りしめた。名をつけた牛をつぶせと命じるのだ。自分の牛をおいて他を選ぶわけにはいかない。そんなことをすれば、長への信頼など無くなるだろう。そして、それは一日でも急ぐべきことだった。
(明日、それも早い時間がいいだろう。この雪風はじきにおさまる。そうしたら牛小屋から連れ出して――)
 そう言おうとした。だが、声が出なかった。
 熱いものでも呑み込んだように、皆がセディムを見つめていた。炉の中のタパレが崩れてかすかな音を立てた。しかし、続く言葉はなかった。
 声のかわりに涙が出てきそうになってセディムは唇を噛んだ。
「……この話は、明日にしましょう」
 ややあって、口を開いたのはヤペルだった。
「長がためらわれるなら、すくなくとも今日は決めてはならないということ」
セディムははっとして顔をあげた。
「待ってくれ! そうじゃない……」
 もう決めたのだから――そういう言って城臣を止めようと手を上げかけた。しかし、それもできなかった。横に座っていたトゥルクがセディムの肩に手をかけた。
「種麦はとっておいて、芋だけ食べればどうでしょうかな。芋ならやりようがある。作付けを考えれば、収穫を増やせるかも……」
「馬鹿なことを言うな!」
 セディムは城臣の手を振り払い、きつく言い返した。
「仮に良い風に恵まれたとしても、同じ畑から二倍も収穫できるわけではないだろう!」
 そんな希望に村人の命を預けるわけにはいかない――そう言いかけた時だった。
「――待って下さい。牛をつぶさんでも済むかもしれない」
 皆が一斉に振り返った。おずおずと言ったのは若い村人のイディスだった。
「何だと?」
「山を、降りたらどうだろう?」
 一瞬、何を言われたかわからず、皆が顔を見合わせた。
「降りる? 平原に、ということか」
 城臣たちははっと息をのんだ。
「そうか」
「暦の上ではもう待ち月。ここでは雪でも、平原ならもう春の野草が育っている」
「ウサギか、地リスもいるかもしれない」
 にわかに村人らの顔が明るくなった。
「平原ならば――」
「ああ、何かしら食べるものがあるはずだ」
「待て」
 今にも立ち上がって旅支度をしかねない彼らをおしとどめたのはセディムだった。厳しい目を薬師に向ける。
「ラシード、どう思う? 以前に、平原は豊かだと話していたな。畑からはレンディアの三倍も恵みが与えられるのだと」
 その言葉は、嵐の後の陽光のように一同に染みわたった。しかし、セディムはなおも薬師に迫った。
「だが、ふもとまでは晴れていても七日はかかる。雪で難儀すればもっとかかる。このところ好天が三日と続いたためしがない。それでも、危険を冒すだけの見返りはあると思うか?」 
 そう言ったとたん、セディムの脳裏にひとつの風景が浮かんだ。
 山道を行く見慣れない人影。風にその外衣が翻る。どこかで聞いた言葉もよみがえった。この地は美しい。吹く風も寒ささえも――。
 ラシードは考えながら答えた。
「獲物は――春先だから、そう期待はできんでしょうな。野草や茸はそれこそ天候次第だから、行ってみなければわからない」
 もっともな言葉に一同は肩を落としかけた。
「だが、麦が買えるかもしれない」
 イディスがぱっと顔をあげた。
「麦があるのか?」
「秋播きの丸麦がもうじき収穫期を迎える。だから、去年の麦の余りが手にはいるかもしれない」
 余った麦、という聞き慣れない言葉に皆が静まり返った。セディムは男たちを見回した。
「どう思う? これまでこんな時期に山を降りたことなどなかった」
「賭けとしかいいようがないですな」
「だが、手に入る物のことを考えれば、価値ある賭けです」
「種芋を食ってしまうより、よほどいい」
「よし、行こう」
 セディムはしばらく考えた末に口を開いた。
「平原に食べるものがあるなら、行って手に入れよう」
「しかし……」
 とレベクがとまどいがちに尋ねた。
「どうやって買うのですか? 平原では、何かと引き換えでなければ果実ひとつも手に入らない。去年の毛皮は秋にあらかた売ってしまいました。いずれにせよ、春では見向きもされないでしょうが」
 セディムは少しためらってから、答えた。
「晴着の飾り羽根を売ろう。できれば、石も。女たちには悪いけれど。少しでも多くの麦が手に入るように交渉するから」
 ヤペルははっと顔をあげた。セディムは立ち上がって言い継いだ。
「荷物を背負う者を募ってくれ。四人でいいだろう。できるだけ早く出発しよう。そう、この嵐がやんだ夜明けにでも」
「お待ちください」
 ヤペルに呼び止められた。
「四人でいいと?」
「ああ。あと一人、旅の長は私が務める」
 村人らは顔を見合わせた。






 

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