真冬の光 第四部 真冬の光 | 3章-3 |
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第四部 真冬の光 |
三章 希求 - 4 |
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「ヒタキ 飛べ 飛べ」 「天に露置け!」 外から聞こえる子どもたちの歓声に、セディムは書物から目を上げた。 その午後、空は曇っていても明るかった。好天を幸いと男たちはイバ牛を外へ連れ出し、新鮮な空気を吸わせてやっていた。窓の下からは子どもの笑い声が響いてくる。こちらもようやっと外に出られたと雪の上を駆け回って遊んでいた。遠い厨房でも扉を開けているようで、女たちの声が風に乗ってきこえてくる。 静かだった。 セディムは窓辺に立ち、雪の上の赤や青の跳ね回る姿を見下ろしていたが、ふと何かが鳴ったような気がして顔をあげた。 雪野原には何も見えない。嵐に閉ざされたあとの耳にはあまりに静かな山の午後だ。遠くの山の尾根からはゆっくりと霧が流れていくのが見えるが、ここは淡い陽の光に温められていた。 しかし、セディムの表情は晴れなかった。胸騒ぎが去らないので書物を閉じ、しばらく考えてようやく理由に思いあたった。 「みんな」 セディムは眼下で遊んでいる子供達に声をかけた。 「今日は朝から何の鳥を見た?」 赤や青は動きまわるのをやめて寄り固まったが、すぐに答えを返してきた。 「なんにも、セディムさま」 「誰も見てません」 「山ツグミも?」 「なんにも見てません」 セディムは背筋が寒くなるのを覚えた。 山ツグミは雪がやむと真っ先に姿をあらわす鳥だ。そして嵐の前には他のどの鳥よりはやくねぐらをめざして居なくなってしまう。 そのやりとりにやはり不安を覚えてか、ヤペルは通りかかった女たちにイバ牛を中に入れるように言いつけた。 「ひと吹きするやもしれませんな」 「あっという間に日が翳るぞ。子供たちももう中へ入れたほうがいい」 「かき集めてきますわ」 ヤペルはそう言って重そうな腰をあげた。セディムはそれに軽くうなづくと茶椀を手に取った。 だが、口をつけるでもなく、椀は宙に浮いたままだった。 (ノアムたちはどうするだろうか?) まず思い浮かんだのはそれだった。 ともかくも避難する場所を見つけるだろう。岩の陰か、雪の斜面を掘って、そこで雪嵐が過ぎるのを待つのだ。いや、もしかしたらもっと早く雪風の匂いを嗅ぎとって雪穴を構え、今頃はもう体を暖めているかもしれない。 (大丈夫だ、みんな嵐には慣れている) だが、セディムは座っている気になれず、部屋の中をぐるぐると歩き回りだした。 幾度もおなじ言葉を自分に言い聞かせる。 その時、突然日が陰った。セディムは足をとめて窓の外を見据えた。 先程までとはうって変って薄暗い空のもと、風に舞い上げられた雪が煙っている。イバ牛を追い立てる口笛が吹き鳴らされた。 妙な天候だった。重い雲に覆われているのに雪が降らない。ただ、ただ空気が冷たくなっていく。みるみる間に水が凍り、いくら炉をふいても部屋が温まらない。 「何だ。おかしな天気だ」 村人らは首をかしげた。 「これだけ冷えているのに雪が降らない」 「ただ、風だけだ」 しかし、それも夕方までだった。風が力を増したと思った矢先、突然に雪が吹き荒れはじめた。いつ陽が落ちたのかもわからないまま、外は真っ暗になった。ぴったりと閉じた鎧戸の前にはさらに厚い毛織の壁掛けが下ろされた。だが、それ越しに寒さが忍び込んでくる。 「これは、もっと荒れますぞ」 「山を下りた者たちは大丈夫だろうか。今頃、どこにいるのか」 長の間には城臣たちが詰めかけていた。ざわめく城臣たちをセディムはひとまわり見回した。 「行く時は東の道から降りていった。雪の状態を知っているから、きっと同じ道で上がってくるだろう」 「この嵐の中を? 無茶だ」 レべクは首を横に振った。「きっと、やり過ごすことを考えるでしょう」 セディムは口元に拳をあてて考えた。 「皆はどう思う?」 「登って来るだろう。若いのは待ってられない」 「いや、ドルモがついている。無闇なことはしない奴だ」 「雪穴でも掘って嵐が去るのを待つのではないか」 「長。長はどう思われる?」 ユルクの問いに、彼らの視線はセディムに注がれた。 「ロカム」 セディムは少し離れて座っていた城臣の顔を見た。「この嵐は、どれほど続くと思う?」 「――そうですな」 彼は長い髭をしぼりながら考えた。 「どうも長引く気がしますな。風向きが冬のはじめと同じだ。少なくとも四日というところか」 「そして、ひどく冷え込むだろう」 セディムは静かにロカムの言葉を継いだ。 「さっき見たら、扉が凍って開かなくなっていた。手桶の水も凍って桶を割り開いている。炉を減らしたから、城の中も冷えきっている。これから、まだまだ寒くなる」 もう待ち月も終わろうというのに、この冬一番の寒さがもう一度村を襲うというのか。長の間は沈黙に包まれた。 「彼らは登って来る」 考えた末、セディムは答えた。 「最低限の食べ物しか持っていかなかった。荒れることがわかっている嵐と張り合う余裕はないはずだ」 そう口にしたとたん、山の風景が思い浮かんだ。 雪に覆い隠された岩々。風がなぶるように吹いて雪を舞い上げる。目の前は真っ白になって、どちらが前かもわからない――。 セディムはそっと拳を握って、寒さと恐怖からくる震えを隠そうとした。 「こうしている今にも、雪の中で迷っているかもしれない。城の場所がわかるように、塔の窓辺で火を焚こう。南東の角の窓でも――」 そう言いかけて、セディムは唇をかんだ。 もう、燃やせるものが無いのだ。今も暖をとるために扉を壊し、織物を裂き、牛藁も束ねて炉にくべている。かがり火を焚こうというなら、広間の炉を落とさなければならない。 この寒さで暖もとれなければどうなるのか。城臣たちも同じことを考えたのか、眉を寄せた。 セディムは城臣たちの顔を見渡した。 「皆に頼む。広間の火を消してくれ」 |