真冬の光  第四部 真冬の光 3章-4
真冬の光 目次 3章-6
 
第四部 真冬の光
三章 希求 - 5

 
 この冬はじめて、城の広間の炉が消された。
 山道からでも見つけられる塔の部屋には急ごしらえの炉座が組まれた。かき集めた牛藁や粗朶に火がつけられ、村人が交代で番につくことになった。他の炉も病人の部屋をのぞいてすべて落とされた。女子供はこれまで寝起きしていた広間から、かがり火の部屋へ移ることになった。
「上着を忘れないで。ほら、ひきずらないの」
 粗朶や敷物を運ぶのに忙しい村人の間を、赤子を抱いた母親が上の子の手をひいている。慌ただしい雰囲気に浮かされたか、子供は半泣きだった。
「帰るー」
「何言ってるの。早く来なさい」
「おいてきちゃった!」
「ぐずぐずしないの」
「だって、おいてきちゃったんだもん!」
 そう言った自分の言葉に悲しくなってしまったらしい、子供はいよいよ本当に泣き始めた。
「うわああん、おまもりー」
「どしたの? あの鏃のお護り、置いてきちゃったの?」
 通りかかったライナが足をとめ、子供の顔をのぞきこんだ。うん、とうなづくのを見てライナは頭を撫でてやる。
「じゃあ、私が取ってきてあげるから」
「悪いわね、ライナ」
 大丈夫、と笑ってライナは階段を駆け下りていった。母親はほっとした顔で子供を急がせた。

 そんな村人らの様子を、少し離れたところでセディムとヤペルは見守っていた。
「城中が大騒ぎですな」
 しかし、セディムは答えなかった。
 女子供も、全員が火のある部屋に入れるわけではない。赤子を抱えた母親とごく幼い子だけだ。年上の子たちはもとの広間に残っている。ライナも忘れものを届けたあとはそこへ戻り、炉を落とした部屋で古い毛皮にくるまって寒さを凌ぐのだ。
(一晩か、二晩か。ノアム達はいつ帰るだろう)
 セディムは唇をきつく引き結んだ。
 幼い子や年寄りには辛い数日となることはわかっている。だが、やめるわけにはいかない。男たちが無事に帰るか嵐が過ぎるまで、かがり火を絶やすことはできない。それまで、何でもいいから燃やし続けなければ――。
 廊下の奥から、数人の村人が何かを運んでくるのを見て、セディムは眉を寄せた。
「麦苗の様子はどうだ?」
 彼らが運んでいたのは、遠見の塔で育てていたヒラ麦の苗床だった。広間の炉を落として温もりがなくなれば水が凍ってしまうから、かがり火の部屋へ移しているのだ。頼りない布の苗床を持ちながら、男たちは顔を見合わせた。
「今、運んでいる分は何とかなるでしょう。芽らしいものもまだ出ていないから」
「ですが――先に蒔いた分はいかんです」
「新芽が霜枯れて色が変わってる。あれは育たんでしょう」
 一同は顔を見合わせた。苗は今年の希望だ。
「嘆いても仕方がない」
 セディムはきっぱり言った。
「全部をだめにしないように、分けて蒔いてよかった。そう考えるしかない。ヤペル、みんなと一緒に行って、苗床を置く場所を決めてくれないか」
 彼らが去ると、石の廊下は静まりかえった。おおかたの村人も部屋に落ち着いたらしい。その時、鎧戸のがたつく音にセディムははっとふり返った。
(もしも、このまま嵐がやまなかったら――。)
 吹きつける突風とともに、ふいに眼前に雪野原の光景が迫った。

 吸い込まれるような白。

 黒い岩。いや、岩のように固まり蹲っているのは、麦袋を背負った男達だった。
 重い腕で雪をかき、それにも疲れ果てて身を寄せ合っている。風を避けようと斜面に掘った穴も、四方八方から吹きつける雪片で埋もれかけていた。
 雪に包まれているとやがて暖かく、いや暑くなってくる。こんな穴など要らなかったのだ。
 それより、早く外へ出なければ息が詰まってしまう。毛皮もいらない。いらない――。

 鎧戸が風に揺れて、セディムは我に返った。
 うす暗い廊下には誰の姿もなかった。風だけが窓をきしませている。
(何だ、今のは?)
 セディムは身震いした。
 はげしく動悸がして、手は冷たい汗にぬれていた。幻と呼ぶには息苦しさも雪の白も鮮明すぎる。不吉な想像に背筋が寒くなった。
 その時、風ではない何かが聞こえてきた。
 最初は音とも思わなかった、それは火を落とした広間からの村人たちの祈りの声だった。子供の細い声、大人の低く地を這うような呟きが重なり合う。
 セディムは眩暈をおぼえた。
 皆、よくわかっているのだ――ノアムたちが持ちかえる麦の意味を。
 レンディアの春、そして夏。恙なく暮らせるという、ハールからのしるしと言ってもいい。詠唱に呼ばれるように歩き出したセディムだったが、足をとめた。
 あそこへ行って、どうするというのか。長となった今はもう、ああやって仲間とともに祈ることはできない。
 セディムは目を上げた。うす暗がりの中にのびる階段――塔へと続く、狭くて急な石段をセディムは上りはじめた。やがて、聞こえる祈りの声は小さくなった。
 暗く、冷えきった塔の小部屋で、セディムは窓辺に手燭を置いた。小さな灯が闇をまるく押し広げる。その傍らに腰を下ろすと外を窺った。
 しかし、いくら見つめても白く渦巻くものしか見えない。時折、風で引きちぎられた潅木の枝が壁に、窓に叩きつけられる音がした。階下の詠唱は風にかき消されて聞こえなかった。  
 セディムは窓台に上がり込んで膝を抱え、毛皮の上着をすっぽりとまとった。そして、嵐の中に誰かの姿が見えないかと雪闇に目をこらした。


 雪つぶてを顔に受けて、ノアムははっと息をのんだ。
 面布についた雪を払い、かたわらのイバ牛の背からも雪を掻き落としてやる。
 男たちは寄り合って風を防ぎながら雪の斜面を登っていた。白い幕のような雪風の向こうにそびえるツルギの峰を目印に、しかしそれも見えないときはただ高い方を目指していくしかなかった。
 凍りつく風がふと弱まったように感じて、ノアムは顔を上げた。盛り上がった雪の丘は大きな岩か崖だろうか。その陰に入ったのだ。
 暖かい――そう思ったとき、ぐいっと腕をひっぱられた。
「窪だ」
 ラモルの声だ。気づけば、わずかな温もりにひかれて雪窪にはまるところだった。
 すまない、と手振りで応えて再び歩き出す。ノアムは登って行く先に目をこらした。
 息をも奪う風と果てなく続く白――このむこうに皆が待つレンディアの城があるのだ。必ず、帰れ。そう言って送り出してくれた長も。
(必ず、帰る)
 応え返すように誓って、ノアムはまた一歩を繰りだした。そして、面布の下で小さく笑みを浮かべた。
 年下の幼馴染み――彼はほんとうにレンディアの長になったのだのだな、と凍えながら考えたのだった。


 風の音を聞きながら、セディムは凍った窓を掻いたり時折まどろんだりしていた。
 やがて夜が明けたのか、外の雪片がかすかに白く見てとれるようになった。しかし、風は激しさを増して絶え間なく続いた。
 しばらく経つと辺りはふたたび暗くなった。雲が厚くなったか、また日が暮れたのだろう。山を轟きわたる風の音が夜中まで続いた。
 そのうち、自分がぼんやりと目を開けていることにセディムは気づいた。暗闇も雪も、まなうらにちらつく残像も見分けがつかなくなっていた。
 のろのろと窓台から下りると、こわばった足をのばした。風の音は目覚めてもまどろんでも止むことがなく、耳に蓋されたようにすべてが遠かった。雪ばかり見つめていたために目がやけるように痛み、赤くはれ上がっている。だが、そんなことは気にならなかった。登ってくる者たちも同じなのだ。
 ふと気づくと、手燭の灯が小さくなって揺らいでいた。獣脂はもういくらもない。セディムは首元に巻いた布をはずして細く裂き、火にくべた。やや勢いをとりもどした炎を見て、セディムはほっと息をついた。
 いつの冬だったか、ノアムといっしょに炉を見つめたことがあった。
 春の狩を待ちきれない少年たちは夜が更けるのも忘れて弓をみがいていた。あの時も、古い布が炎にくべられていた。寒さもからっぽの胃袋もまったく現実味がなく、遠い日の記憶の方が鮮やかに感じられた。
 暗い窓をたたく雪つぶての音にセディムははっと目を開けた。いつの間にかまどろんでいた。
(夢? 長く眠っていただろうか?)
 いや、手燭の布はまだ短くなってはいなかった。その時、階段を上がる足音がして、扉からヤペルが顔を出した。
「着きましたぞ。東の道を辿って上がってきます」
 セディムはぱっと立ち上がった。
「すぐに荷をおろして、温かいものを飲ませてやってくれ。それから――」
 言いかけて、ヤペルのかたい表情に気づいた。
「何があった?」
 城臣は黙っていた。待ちわびた麦が無事着いたようには見えない。
 ヤペルは首を振った。
「全員は戻りませんでした」

 窓をたたく雪つぶての音にセディムは顔をあげた。
 暗い部屋の中には誰もいなかった。
 塔は静まりかえり、ただ風だけが切り裂くように叫んでいる。全身から血が引いたように寒気が、ついで吐き気が込み上げてきて思わず口を押えた。
 セディムは窓辺の手燭をまじまじと見つめた。
 細くゆらぐ炎、確かにそこにくべたはずの布きれは、無かった。おそるおそる首元に指をのばすと、イバ牛の毛織の布がいつも通りに巻かれていた。






 

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