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春を待つ城 1

 長い雪嵐がやみ、レンディアに淡い陽の光があたったのは午後のことだった。
 雫月も終わろうというのに、この寒さはいつまで続くのだろう。
 白く凍てついた城の窓辺で、ヤペルは膝をさすりながらため息をついた。
 年老いた彼を嘆かせたのは薄く、いつまでも温まらない冬山の空気と村人が城へ持ち込んだちょっとした仲違いの知らせ。
 そして、目の前の椅子に長々と身を任せた若者の姿だった。
 レンディアの長、セディムは崩れ落ちそうなほど浅く腰掛けて椅子の背にもたれ、足はといえば真っ直ぐに机の上に放り出されている。
 うたた寝でもなく、かといって起きているわけでもなさそうだ。若木のように伸びやかな姿といえば聞こえはいいのだが、しかし、あの皺だらけの上着――。
 城臣であるヤペルは諦めた体で首を振り、手にした覚書を読み上げた。
「ヒラ麦は十袋ばかりですが、お祭り騒ぎでもやらかさなければ雪融けまでもつでしょうな」
 しかし、長は固く目をつむり、返事をする様子もない。
 だが眠っているわけではないことは、話を促すように軽く上げてみせた手でわかっていた。
 前の長が亡くなられて、セディム様が長となってから七年、いや八年だろうか。すっかり責務を覚え、命を下すことにも慣れたご様子。どうやら暇をもてあましてすらいるようだ。いや、その身分らしい重々しさだけはまだ身につかないらしい。
 ヤペルの報告は長々と続いた。ヒラ麦の植付けの時期、雪嵐に傷んだ城の修理。冬の終わりの山国には片付けなければならない仕事が限りなくある。村人たちが厄介ごとを引き起こすのもこの時期だ。厳しい生活を強いられた冬のあとで、あれやこれやと忙しくなることが彼らの気持ちを逆立てるのだろう。
 考え事で頭がいっぱいになっていたヤペルは、その時になってようやく長の息が深くなったことに気づいた。「セディム様!」
 若長は大儀そうに目をこするとほっそりした身をおこした。
 身軽そうに足を机から振り下ろす。明るい茶色の髪は潅木にひっかかった枯れ草の塊のようだ。髪と同じ色の目はまだ眠そうだが澄んだ光をたたえて早速頭を働かせているのが伺える。
「いったいこの山積みの厄介ごとをどうなさるおつもりで?」
 ヤペルは覚書の束を振って見せた。
「後から後からわしのところへ持ち込まれますが、貴方様が起きて聞いて下さらんかぎり一向に減りませんわ。もうすぐこの爺の頭からこぼれ落ちそうですぞ」
「そうわめくな。皆が皆、急ぎのものでもないだろう」
「どこぞのお方が手をつけて下さいませんのでな」
 ヤペルは皮肉を言った。「――そのうちみんな急ぎになりますわ」
 ヤペルはそっとため息をついた。
 いい若い者が、まるで熾きているか消えているかもわからん昼間の炉のようなありさまでいるとは。手塩にかけて育てたはずの若君の今の様子は、ヤペルの気を揉ませた。
「そう言うな。雪が融けなければ何もどうにもならない。麦も野菜も、春の狩も、だ」
 ヤペルのため息には気もとめず、セディムは伸びをしながら窓辺に寄ると霜を掻き落とした。
「今日もまだろくに陽が射さない。植付けにはまだ早いだろうな」
「その植付けのことでナーチャとシスカが仲違いを始めました」
 セディムはレンディアの中の出来事はこんな小さなことでも知りたがった。
 ちょっとした諍いなど城臣たちがかわりに仲裁すればよいのだが、どうやらそんな面倒も長の楽しみの一つらしい。
「また口喧嘩か」セディムは軽く笑った。
「では、二人で城の屋根に登らせるんだな。一緒に煉瓦の積み替えでもすればくだらんことも忘れるだろう」
 そう言うとセディムは裾の長い上着を脱ぎ捨て、古びた鞍を壁からはずした。
「雪鳩を探してくる。この天気がもつうちの気晴らしだ」
「お待ちください。縁組の話はどうなさるおつもりで?」
「縁組だと? 誰のだ」
「貴方様のです。エフタから使者がついたのは半年も前の話ですぞ」
 人ごとのような長の言葉に噛みつきたくなるのを、ヤペルは精一杯抑えた口調で続けた。
「年が明けてからの返答の方が縁起がよいとそのままにしてありましたが、もう雪融けも間近です」
「では、喜んで、と伝えろ」
 長がさして考える様子もなく答えたものだから、ヤペルは聞き違えたかと目を瞠った。
「エフタの姫は春の陽のように美しいそうだ。花を愛でながら物語りでもすれば一年は退屈しないだろう」
「エフタの姫君は書物など見向きもしない、闊達な方だと聞いておりますが」
「ふむ」
 セディムはふと意外な顔をした。
 幼馴染のエフタの継嗣は書物に囲まれているのが一番幸せな男だ。妹は兄とは似なかったとみえる。
「それもよかろう。三年は楽しませてくれるだろうからな」
 そう言うと、セディムは哀れな城臣を置いてさっさと出て行ってしまった。

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