Novel 11
春を待つ城 10

 それから翌年まで、その翌々年にかけても、セディムはたくさんの案を城臣たちと練り、試し続けた。
 手痛い失敗に終わるものも多かった。工夫と変化は少しずつしか進まなかった。厳しい冬の傷跡はまだ何年もの間、レンディアに残っていたからだ。失った働き手にかわる子供たちが育つのに何年も要したし、飢えすれすれの貯蔵庫が再びもとの量を取り戻すのにも時間が必要だった。
 小さな獣が地を這ってようやく山頂を目指すように、長い時間をかけてレンディアは元の姿を取り戻しつつあった。
 そして、思い温めていた計画にセディムが手をつけたのは、それから五年後のことだった。

 待ち月がくると、がれ石の灰色と雪が織りなす斑の急斜面に薄い緑が芽吹きはじめる。
 石の下の巣穴から山リスが顔を出している。温まった地面と草の匂いに誘われてだろうが、その傍らを足音と影が通りかかると慌てて穴にもぐっていった。
 それを目にしたセディムは、無意識のうちに狩人の習慣で巣穴の場所を頭に刻み込んだ。
 しかし実のところ、心は手にした麦の苗のことでいっぱいだった。
 前の年の秋、苦労して捕らえた雪鳩の毛皮を持って男たちが山を下りた。そして、引きかえに平原の種麦を持って帰ったのだ。
 予想以上に種麦は高価だった。
 しかし、支払った甲斐はあった、とセディムは考えた。かつてふもとから持ち帰ったのと同じ、丸く、重い実をつける平原の麦が手に入ったのだ。セディムが持っていたのはそれを植えた苗だった。
 外の気温が上がるまでは城の中で芽を出させ、雪が融けたころの畑に植え替えるのが山の麦の育て方だ。
「セディムさまだ」
 石垣に登って見張りを務めていた子供たちが口々に叫んだ。畑には既に村人が集まって長が来るのを待ちわびていた。明るい陽の光のもとで見ると、苗はいっそう生き生きと力強く見える。
「丈も充分、葉の色もいい。よく育つに違いない」
 セディムはそう言うと、待っていたかのように耕された畝に苗を植えつけた。男たちもそれに倣い、苗を手に畝のそこここに散らばっていった。
 軽い色に晴れ渡った空の下で、新しい麦の葉がそよいだ。
 植付けが終わると一同はセディムを半円に囲んで頭を垂れた。セディムは全ての畑がハ−ルの恩恵を受けられるように、そして新しい麦を植えた一角が特に護られるようにと祈った。
 村人たちはその言葉を復唱してから、早速春の畑仕事にとりかかった。セディムは誇らしげに畑を見回した。
「今年はよい年になりますな」
 長の心を読んだかのように、ヤペルが声をかけてきた。どうやら若い者の植え方が不満で指南したと見えて、袖を捲り上げた肘まで土まみれだった。
「新しい鞍がいいかな」
 セディムは考えをめぐらせながらヤペルを窺った。
「それとも帽子でもいいぞ。ヤペル、そなたは何にする?」
「いや、今年は賭けはやめです。これ以上何か巻き上げられてはかないませんからな」
 そう言うとヤペルはあたふたと畝の間に戻っていった。
「せっかく何でも作ってやろうというのに」
 それを見送りながらセディムは笑った。
 素晴らしい春の日だった。長い冬の後だけに光が体に染み入るようだ。
 セディムが上機嫌で小道を歩いて行くと、大きな籠を抱えた女たちが笑いながら話しかけてきた。畑の石垣の修理が終わったこと、春一番の根菜の掘り上げを始めたこと。そして、畑の上の雪を融ける前に下ろしたという。
 これは雪が融けて流れながら土を流すのを防ごうと、この年からセディムが命じて始めた作業だった。
「――長!」
 その時、城の窓辺から呼びかける声が降ってきた。
 見上げればノアムが窓から身を乗り出し、手を振りまわし村はずれの方を指し示して何やら叫んでいる。
 セディムは手近の石垣に登って、目をこらした。
 ちょうど遠く離れた大岩の影から人の姿が現れたところだった。イバ牛に乗り、さして急ぐようでもなく歩く姿はまだ誰やらわからない。その背中には木の枝らしきものが括りつけられているようだ。
「春の使者だ」
 小王国の遅い春を告げるアカヤナギが芽を出すと、その枝を持って互いを訪ねるのがレンディアと隣国エフタの習慣だ。
 この芽が出ればついに長い冬が終わり、生き残った者の季節がやってきたと実感できるのだ。
「何てこった。また今年もエフタが先に春を迎えたらしい」
 言葉は悔しげだが、二人とも声は明るかった。
 エフタとレンディア、どちらで先に花芽を見つけようとめでたいことにかわりはない。
「ノアム、誰か城臣を見つけて酒の支度を頼んでくれ。春の使者は丁重にもてなさなければさっさと帰ってしまうぞ」
「ご心配なく」
 そう言ったノアムの後ろから次々に城臣たちが顔を出した。
「酒はとっときの壺を、トゥルクが開けるそうですぞ」
「宴と言えば炙り肉と熱い酒」
「お前は食い意地ばかりはっとる」
 セディムはくすくす笑って窓を見上げた。
「私のすることはなさそうだから、使者を迎えに行って来る」
 畑からもようやく使者の姿が見えるようになったらしい。歓迎の声が上がっている。セディムはエフタからの使者を待たせまいと足を早めた。

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