11 Novel 13
春を待つ城 12

 高く晴れ渡った空に今年はじめての狩笛の音が響いた。
 するとそれに答えるように別の笛が鳴る。
 ひとつ、またひとつ。それぞれ微妙に高さの違う笛の音が重なり、やがて共鳴して山の澄んだ空気を震わせた。
 それをセディムとティールはヒラ麦の畑、畝の間で聞いていた。
「ハールが我々子供らのことを思い出して、狩を祝福して下さるように」
 セディムが小さく呟くと、ティールも一瞬目を閉じて祈った。
「さあ、次の畑を見に行こうか」
 二人は土を見ていた手をはたいて立ち上がり、だらだらと続く段々畑の間を歩きはじめた。
 セディムはあちこちの畑で今年試そうとしている新しい植付けや、この何年かに収穫を増やした畑の造りを友人に説明した。ティールはそのひとつひとつに驚いたり、疑問を投げかけたりした。
 確かにこの数年でレンディアの畑の様子は変わった。
 そしてその結果、どれだけの収穫を見込めるようになったかは前の日に得意顔の城臣から聞かされていた。
 ティールはしょっちゅう足を止めて畑に見入っていたが、セディムは次の畑へ行こうと、つい足早になった。
「待って下さい、従兄上。狩は今日だけじゃありません」
 ティールが笑いながら言うと、セディムは思わず困ったような顔をして見せた。
 セディムは実のところ、早々に狩に行きたかった。春一番の狩は狩人たちにとっては一年で最も心躍るものなのだ。
 しかし、春の小王国の関心事といえば、まずは畑の植つけ。麦の苗の育ち具合や植え替えたものの根づき具合。それを春の使者に見せてからでなければ礼を失することになる。
 ヤペルの小言はごめんだ、と、セディムは何とか落ち着きはらった態度を保っていた。
「ここには何が植えてあるのですか?」
 ティールの問いに、セディムは通り過ぎかけた畑に目を戻した。
「今は何も」
「何も?」
「去年までヒラ麦を植えていて、この冬の間は根菜だった」
 セディムはその土をひと掴みして手のひらで握った。
 雪解け水を含んで黒々としており、まさに種が植えられるのを待っているかのように見える。しかし、セディムは土の匂いを嗅ぐとそのまま畑に戻した。
「ここは何年も続けて植えすぎたんだ。すっかり土が弱くなっている。今年一年ほどは休ませなければならないだろうな」
「しかし、その分はどこで補うんですか? 畑をあまり増やせば、ここらへん全体の土が弱ってしまう」
「南の畑か、東の崖の下あたりで収穫が増えるといいと思っているよ。もっともツルギの峰が許してくれるかどうかはわからないが」
 セディムの言葉にどこか棘があるのを感じてティールは不安げに友人の顔を見た。セディムはその様子に気づいてため息をついた。
「苛立ってすまなかった。その、ここは失敗したんだ」
「失敗?」
「ああ。あんまり毎年あれこれと植付けを変えるものだから、どの畑の土が弱っているか、見落とした。私も城臣たちも気づかず……」
 セディムは唇を噛んだ。「春一番に根菜を堀りあげて見て慌てたというわけだ。あっちで収穫が増えればこっちで減るようだな」
「でも、前に私が来た時とはずいぶん変わりました」
 ティールは足元の畑を指差し、見下ろしながら言った。
「畑も増えたし、石垣の積み方も変わった。それに、あの新しい畝のつくりは父に伝えます」
「エフタでも効き目があるといいな」
 セディムは明るい顔をした。二年ほど前だったか、土の水気を長く止めておこうと畝の向きを変えて畑を作ってみたことがあった。あれはセディムと城臣たちが収めた成功のひとつだ。
「今年もまた新しいことを試しているんだ。あそこを見てくれ」
 セディムが指し示した先を見て、ティールは感嘆の声を上げた。
 そこはあの平原の麦を植えた一画だった。
 葉は青々として丈も高い。となりのレンディアのヒラ麦とは手のひら二幅ほども高さが違う。
「これは……」
 ティールは驚いて口を開けて声も出なかった。それを見て、セディムは満足げに笑った。
「大きいだろう。これが平原の麦だ」
「これは……どうしたんですか?」
「買った」
「買う? 種麦を?」
 いったいいくら払ったのか、ティールは想像したとたんに眩暈を感じて思わず立ちどまった。
「雪鳩の毛皮が十枚に、イタチやらウサギやらの小さいのを確か二袋ほど」
「十枚も……」
 セディムは真顔になった。
「悩んだよ。もう一年待った方がいいかもしれないと何度も考えた」
 それを決めた去年のことを思い出したか、長らしい厳しい目で畑を見下ろした。
「だが、一昨年はあまりいい収穫ではなかった。君も覚えているだろうが。だから、どうしても欲しかった。今年こそはその埋め合わせが必要だと思ったんだ。種麦を高く買うなどばかげていると言う者もいる。だが」
 セディムは幼馴染を振り返った。
「この麦はよく育つ。今年はいい年になる。今年こそだ」

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