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春を待つ城 3

 まず一矢。
 貴重な羽根を傷つけないように、風向きを確かめてセディムが放った矢は狙いを過たず、雪鳩の足を傷つけた。
 雪鳩は痛みに耐えかねるかのようにひと鳴きした。片翼を奇妙な角度に広げて岩の上から羽ばたき上がろうとしている。が、風を掴むには高さが足りない。獲物は風を探して雪の上を飛び歩きはじめた。
 そこへ違う角度から矢が飛んだ。
 行く手を阻まれた獲物は斜面を下る。それをまたイバ牛に遮られて横へ逸れた。
「降りろ、もっと下るんだ」
 セディムは早くもはずみ出した息を抑えながら呟き、夢中で獲物の後を追った。
 潅木を避け、岩をよじ登りながらも目は獲物から決して離さない。今一歩、とセディムは間合いを推し量っていた。
 岩を回れば狩りの成り行きは大きく変わる。急斜面の狭間の岩陰に、ほとんど風はない。狩人の勝利が待っている。
 雪鳩がもはや引き返せないところまで下ったのを見定めると、セディムは夢中で弓弦を絞り、解き放った。 
 が、その矢はまるで見当違いの空を切った。
 鋭い叫び声を上げたのは獲物ではなくセディムの方だった。
 白く雪をかぶった岩と見て足をかけたのは、潅木に覆いかぶさった雪の吹き溜まりだった。
 セディムはとっさに頭をかばい、肩から落ちた。枝を揺さぶって身を投げ出す。それで済むはずだった。
 しかし、雪の上に落ちた瞬間、左肩に鋭い痛みが走った。肩から肘にかけて、まるで獣に食いちぎられたかのようだ。
 脳裏に折れた潅木の鋭くとがった枝が思い浮かんだ。セディムはそのまま気を失った。


 山肌にこびりつくような風情の小さな国――レンディアがもっとも潤うのは春先のほんのふた月ほどだ。
 ツルギの峰から雪が融けて流れる。それがレンディアの畑に湿り気を与え、申し訳程度に暖まった春の陽気でヒラ麦が育つのだ。
 潅木は新しい芽を吹き、長い冬に飢えた獣たちの空腹を和らげる。岩の間に指先ほどの白い花が姿を見せる短い春。そして初夏がやってくる。
 しかし、ツルギの峰を覆う厚い氷は夏でも決して融けることはない。
 冬に降り積もった表面の雪は初夏までに流れ落ちてしまい、あまりに急な斜面は水を長い間とどめておいてはくれない。
 乾いた夏の間、水場を求めて歩き回る村人の頭上では峰が冷たく光っている。
 やがて、僅かばかりの収穫が秋風とともに訪れ、村人を急きたてる。雪の季節がすぐそこまで来ていると。
 一年を通してレンディアは飢えの恐怖と戦っている。
 カバラス山脈の痩せた土地からとれる糧はたかが知れている。山の民は働いて老いては土に還り、村にはまた新たな赤子が授けられる。
 村人たちはよくこう言った。ハ−ルはつりあいが取れていることをお好みだ。連れ去った命は同じだけ村へ返して下さる。村人の数は増えも減りもせずにいられる。
 セディムは冬の終わりのこの時期が嫌いだった。
 気をもたせるように淡い陽が射したかと思うと、また白いものが峰々から舞い落ちてくる。本当に春が訪れるまで貯蔵庫の残りを気にしながら細々と命をつなぐのだ。
 まるでこの小国の息絶えかけた姿そのものではないか。
 ただ、冬のために働き続ける春と夏。そして冬にはただ春を待つしかない。
 長となって八年。
 セディムはそんな夏と冬の繰り返しに飽き果てていたのだった。

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