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春を待つ城 6

 あの平原の麦――。
 セディムはイバ牛の背に揺られながら考えていた。畑の収穫はあらかた終わり、村の男達は篩を弓に持ち変えていた。
 秋が深まるにつれてあちこちで餌を溜め込む山の獣が見られるようになった。皆、穴を掘り木や草の実を埋めている。また、暇さえあれば食べ物を口に運び、自分の身に蓄えていた。
「山ウサギだ」
 セディムは狩人の声に我に返った。
 草が秋らしい色になった山の斜面では村人がイバ牛を走らせ、思い思いにウサギやリスを追っている。あわててセディムも弓に矢を番えたが、それを待っているようなのろまなウサギはいなかった。
「狩に身が入らないとは珍しい」
 がっかりして弓を下ろしたセディムに、村の若者ノアムが声をかけた。
「城にこもって書物を見ている間に腕がなまったのではないですか」
 セディムは、ついむっとして幼馴染を睨み返した。
「そういうお前も、まだ二羽だけか」
「たったの二羽では今日の晩飯にもならないと、女たちにどやされるのはごめんです」
 ノアムはもったいぶった仕草でイバ牛の向きを変えると、にんまりして見せた。反対側にはリスやらウサギやらアカツグミが鈴なりにぶら下げられていた。
 からかおうと開いた口をそのままにセディムは獲物を見つめたが、すぐに笑いがこみ上げてきた。
「書物を放り出して、弓のけいこに励んだ甲斐があったな」
「知恵では腹はふくらみません。狩でも畑仕事もいいから体を動かしていれば、何かしら腹に入ります」
 単純明快なノアムの答えにセディムは頷いたが、すぐに元の浮かない表情になった。ノアムは自分より年下の若長のそんな様子に気をとめて尋ねた。
「いったい何を見ていたんです。ここいらではもう獲物はなさそうだ」
「畑のことを考えていたんだ」
 セディムは自分のイバ牛の首を撫でて労いながら答えた。
「皆が狩に出ては畑の人手が足りない。今からでも何人か村に返した方がいいだろうか。どう思う?」
 セディムはあの長い冬の経験から考えに行き詰まったら周りの者に聞いてまわることに決めていた。
 長といっても十五や十六の頭では思い至らない事の方が多すぎる。仮に村人にたよりない長と思われようが、判断を過って彼らの命を危うくするよりはるかにましだ。それだけの立場にあるということは、すでに頭に染みこんでいた。
「刈り入れの後始末のことですか? 心配いりませんよ。女達は慣れっこだし、城臣たちがうまいことやるでしょう。だが、狩だけは急がないと。獲物は待っていちゃあくれません」
 そのきっぱりした言葉に、セディムはほっと息をついた。
 去年のようにある朝突然雪が降らないとも限らない。今年は働き手が足りない。城臣たちは早くヒラ麦を刈ってしまいたくて、昼夜なく働いているだろう。
 だが、狩に出るのをそう先延ばしにすることもできない。
「……獲物が巣篭もりしてからでは、矢の放ちようがないからな」
 ようやく気が済んだように、セディムは頷いた。
 セディムは迷ったことを先延ばしにするのが嫌いだ。取り返しがつかなくなるのを怖れるのは父の教えの成果だろう。
 幼いころから書物嫌いなセディムのために、父や城臣は手を変え品を変えして長の仕事を覚え込ませた。教訓は夕食の後の炉辺での昔話に織り交ぜて、それでなければ木切れ人形を使ってレンディアの歴史を再現して見せるといった具合だ。
 父が生きている間に、分厚い書物でももう少し読んで見せれば喜んでくれたかもしれない。もっとも、もうどうにもならないのだが――。
「行こう」
 セディムは迷い事をすっぱり断ち切ろうと頭を振った。
「腕がなまったなどと言われて、そのままにしておくわけにはいかない」
「いいですね。まずは射る的がなけりゃしょうがない」
 セディムは幼い頃からの競争相手をちらっと見た。リスに山ウサギ、七羽か。
「八だ」
「は?」
「八羽くらいは軽く仕留めて見せる」
 ノアムは笑って幼馴染の肩を叩いた。
「そうこなくちゃ。だが、こっちもこれで終わりにはしません」
 二頭のイバ牛は乗り手に急かされて、斜面を斜めに駈け下った。岩だらけのカバラス山脈を身軽に走るのは、この地で育つイバ牛だけだ。
 セディムはふと思い出すことがあってノアムに話しかけた。
「あとで、新入り二人の牛を取り替えやってくれないか」
「子供たちですか?」
 この秋は狩人の数が少ないと、まだ十になったばかりの少年二人も弓を持たされた。
 しかし、これまで的と言えば動かない潅木、イバ牛といえば村から草地までを、尻を叩いて歩かせることしかしたことがない。ウサギの一羽も仕留めれば上々だろうという一員だ。
「アベルは左利きだからあの斑の方がいい。あれは前にベルカムが乗ってた牛だろう」
「――ああ、ベルカムも左利きだった」
 ノアムは内心舌を巻いた。まったく面倒見のいい長だ、と思った。
 しかし、傍らを駈けるセディムは先程とはまた別のことを考えているようだった、

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