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春を待つ城 8

 あの麦を見るまで、セディムはレンディアは貧しいと感じたことがなかった。
 確かに寒さは厳しく、レンディアの土地は痩せているが、そういうものとしか思わなかったのだ。
 山はその名前のとおりに切りつける風で温もりを奪い、雪は融けて流れながら乏しい土を畑から押し流す。それでも村人は皆乏しい食糧を分け合い、一切れのパンもハ−ルに感謝を捧げてからしか口にしない。
 かつて平原からやってきた父祖たちに、ハ−ルがこの地を祝福して授けた、ということを疑う者はいなかった。
 あまりにつましい、それなのに安定も進展もない日々。
 あの軽い穂のヒラ麦だけを頼りに、セディムにはこのままレンディアが先細りするとしか思えなかった。
 何故レンディアはいつも貧しいのか?
 この秋のように豊作であればまだいい。だが、それでもまだ貯蔵庫の中身は心細いものだ。この先にまた不作や狩の不手際があれば村人の命が代償になる。
「何故なのか知りたいだけだ」
 セディムはじっくり考えたあともう一度口を開いた。
「ハールが与えも奪いもするということは子供でも知っている。だが、与えられるものを受けるだけでいいなら、ハールはどうして私たちに考えろと言うんだ?
 長い冬の前に獣たちが深く巣穴を掘るのは何故だ? 月のない夜にイタチが巣穴を変えるのは? 何故それを見落とすなと言い伝えてきたのか」
「昔から、そう覚えろと言われてきたからです」
 ヤペルは戸惑いながら答えた。
 つまるところ、ヤペルも昔気質だった。日々の暮らしにも父祖から伝わる言葉にも、疑問など持ったことはない。
「考えろ」
 セディムはヤペルの目をまっすぐに覗き込んで瞬きもしなかった。
「もしハ−ルが知恵を与えて下さっているなら、それを使うんだ」

 外は雪嵐。
 城の壁を叩くような強い風だったが、部屋の中は静かで小さな灯りが卓を照らしている。冬の城の夕卓を囲むのはいつも城臣たちとセディムだけだ。
 そして、これもいつもと同じように長の祈りと共に祝福のパンが城臣たちに分けられた。
「聖なる峰の上にあなたが手をかざし……」
 セディムは割いたパンを持つ手を一瞬とめた。
「……あまねく……この地に恵みを下さったことに感謝します」
 祈りが終われば、それから賑やかに食事が始まる。
 今年こそ次々に干し肉や汁物が運ばれてくるが、去年の冬は何日もこの祝福のパンだけ、ということもあった。
「セディムさまのお祈りには、いつもひやひやじゃ」
 横で城臣が笑った。「いつもどこかでつっかえずには終わらんのですからな」
「細かいことはハールは気にされないさ」
 セディムは軽口を受け流して、肉をちぎった。
「味はどうだ、ヤペル?」
「なかなか美味ですな」
「違う、違う。肉ではなくて」
 ヤペルは不思議そうにセディムを見返した。
「……パン、ですか。はあ、うまいですな」
「若干、甘いような気もしますがな」
 と、横からレベクが助け舟を出した。
「で、何事でしょうか」
「こっちが昨日と同じパンだ」
 セディムは別の籠からひと切れとりあげて、これも割いてレベクに渡した。
「やはり今日の方がうまいですな」
「昨日のはヒラ麦のパン、今日のは平原の麦でつくらせたんだ」
 レベクはぎょっとして顔をあげた。
「去年のあの麦ですか。あれは種麦にするという話では?」
「もう、ひと握りしか残っていなかったさ。それよりはっきり確かめておいた方がいい。同じひと握りからどれだけ麦粉がとれるか、味はどうなのか。手に入れる価値があるのかどうか」
 セディムの言葉に他の城臣たちも手をとめた。
「平原の麦を手に入れる、と仰る?」
「そうだ。ヒラ麦よりいい品種だ。手に入れるたびに食べ尽くしていたらきりがないから種麦にしようと思う」
 平原から麦を手に入れる。つまり買うということだ。
 レンディアでは口に入れるものは何でも自分たちの手で調達する。ふもとで買わなければならないのは木材や珍しい織物といった贅沢品だけだ。
 いったいどれだけの代価が必要なのか。それを考えて、城臣たちはざわめいた。
「手に入れると申しましても」
 トゥルクが言葉を捜すように、もそもそと呟いた。
「平原での買い物には金がいります。その金を手に入れるための代わりのものが、今のレンディアにはありません」
「よく知ってる。だからふもとで売るために毛皮を集めるんだ。今すぐにというわけではない。ひと季節の狩で獲物を取り尽くしては、翌年難儀するからな」
 口々に意見を言い合っていた城臣たちは、それを聞いていっせいに口をつぐんだ。
「その、つまり……何年かかけて、ということでしょうかの」
「必要なら何年でも」
 セディムは汁物の皿をパンでこすりながら、落ち着き払って答えた。
「できれば三、四年で、といきたいが、こればかりはハールが決められることだ」

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