Novel 10
春を待つ城 9

 ヤペルは呆然として主を見つめ返していた。長はいったいいつのまにこんなことを考えていたのか。
 セディムはそのヤペルに向き直った。
「来年は多くてどれくらいのヒラ麦が採れると思う?」
 ヤペルは驚きから立ち直って頭を回転させた。
「そうですな。気候は良くなりそうですから、今年よりやや多めで……百袋というところですかな」
 しかし、ようやく戻ったヤペルの平常心は、セディムの言葉にまたどこかへ行ってしまった。
「私ならその一割増しは採れると思うな。何なら賭けてみるか?」
「セディム様、またそのようなことを口にして……」
「何もハ−ルの恵みを試すつもりなどない」
 聞くやいきり立つヤペルを手を上げてなだめながら、セディムは続けた。
「お前と私の知恵に賭けるんだ」
 セディムは椅子から軽く身を乗り出し、自信ありげな笑みを浮かべてヤペルを見つめた。どうやら本気、後にはひかないつもりらしい。そう見てとったヤペルは渋々口を開いた。
「では百袋の収穫に、そうですな、とっておきの矢羽根を賭けましょうかな。若い雪鳩の羽根です」
「よし。じゃあ私が負けたら鏃を作ってやる」
「いやいや」
 熱心に目を輝かせるセディムを、ヤペルは押しとどめた。
「年寄りには狩の道具より他の方がありがたい。革の薬草袋ではどうですかな」
 セディムは満足そうに頷いた。

 その冬の間、セディムと城臣達は翌年の畑の植付けのことで何度も議論を交わした。
 ヒラ麦、根菜、葉ものの野菜……すべてレンディアの共同の畑で採れる、村全体の食糧だ。特に主食のヒラ麦の出来高はレンディアの生死を左右する。
 多くの城臣は例年通りの作付けをしようという意見だった。
 前の年の冬の痛手からレンディアはまだ立ち直っていない。麦の備蓄が例年通りに戻るまでは冒険は無用。安定した収穫を見込める作付けを、というのが大方の意見だった。
 セディムの挙げた新しい作付けに賛成している者は数少なかった。
「これまでと同じように植えても、同じだけ麦が採れるとは限らん」
「だが、やり方を変えたことが裏目に出ないとも言い切れんではないか」
「反対だ。賭けをする余裕など、今のレンディアのどこにある?」
「賛同できないというのもわからないではないが」
 セディムは議論の中に入った。
 車座をぐるりと見渡し、それぞれの表情を読み取ろうとした。去年を思い出して眉根を寄せている者、年若い長への不安を隠せない者。
「新しいこと全てがいかんという訳ではありませんぞ」
 ヤペルが老臣たちを代表して言った。
「ただ、ヒラ麦の畑を減らしてタラ根や野菜の畑を増やすというのは、どうもわしらには図りかねまして……」
「麦の収穫を減らすつもりはない」
 そう言って、セディムは古びた書物を広げて指し示した。
 それは毎年城臣たちが、その年の収穫量を畑ごとに書きつけたものだった。毎年これを元にして何をどれだけ植えるのかを決めるのだ。
 セディムが示したところをヤペルは覗き込んで、細かい字を読もうと顔を近づけたり離したりした。
「東側の急斜面の畑の出来高ですな。狭い畑で、たいした収穫ではありませんな」
「削るのはこことここだ」
 セディムは指先で数箇所を示した。
「日があたる時間が短くて、もともとヒラ麦に向いた場所ではないんだ」
「では何故毎年毎年、麦を植えてきたのでしょうな」
「ここを最初に耕したのは八年前。この前の年は夏が短くて、多分野菜が足りなかったから、こんな狭い所に畑を増やしたのだ。そしてその後、何年もヒラ麦の不作が続いてここは麦の畑に変わった。
 だが、麦は草とりや水撒きに手がかかる。もっと広い、日当たりの良いところで育てた方がいい。だから、ここには根菜を植える」
「理にかなってますな」
 ヤペルは内心驚いていた。過去にこんな成り行きがあったことなど、きれいさっぱり忘れていた。他にも頷く者がいた。
「確かにタラ根なら手がかからん。植えたら掘り上げるまで放っておいてもかまいませんからな」
「かわりに南側の畑は全部ヒラ麦を植える。だから畑の数が減っても麦の収穫は増えるはずだ」
 セディムは城臣たちを見回した。長の説明に多くの者が納得したようだった。
「もしこれがうまくいけば、いつもより少ない人手でヒラ麦を収穫できる」
「あいた手は狩に出られるというわけですな」
 誰かの言葉に城臣たち皆が頷いた。
「冒険などは無用」
 セディムはぱしり、と書物を閉じた。
「だが、もしもっと豊かに暮らせる方法があるなら、何でもしようじゃないか」
 そう言って軽く笑ってみせた。
 長い話し合いの末、作付けの予定が決まった。
 ヤペルは腰を叩きながら立ち上がり、セディムが城臣たちにあれこれと言いつけるのを目におさめた。
 あの賭けの勝算はこういうことだったか。どうやら長らしくなってこられたようだ。
「この分ではひょっとすると、ひょっとするかもしれんな」
 呟いている口元に笑みを浮かべずにはいられないようだ。

 そして、その翌秋――セディムは美しく整えられた矢羽根を手にいれたのだった。

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