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魚のスープ 2

 その時だった。
「皿を作らないのは、奴には才がないからさ」
 冷たい声に振り向くと、杯を手にした若い男だった。街の陶工のネルスだった。
「どういうことさ」
「どうもこうも、奴には才能がないのさ。奴がつくるのはどこかで見たようなまがい物ばかりだからな」
 そう言ってネルスは口の端で笑った。
「知ったような口を聞くんじゃねえ」
 ホークは馴染みの船乗りから教えてもらった、とっておきの目つきで凄んでみせた。
「ディルは城に皿を持ってったこともあるんだ。まがいだなんて言わせないぞ」
「子供にはわからんのさ。いい土といい窯。それだけじゃ皿はできない」
「じゃあ、何なんだ」
 ネルスはもう一杯、と空の杯をあげて、いきり立つホークを見下ろした。
「後はじいさんにでも聞くんだな。もしも、ご存知だったら教えてくれるだろうよ」


「ネルスがそう言ったのか?」
「嫌な野郎なんだ」
 いつものようにホークは夕食をかき込み、ディルはその傍らで筆や絵皿を洗った。
「鼻をこう突き出して、こ狡い目つきしやがって」
「だが、腕はいい」
 息巻くホークとは反対に、ディルは黙々として手を動かした。
「嫌な野郎だぜ?」
「ああ。知ってるさ。しかしいい手を持ってる。それで充分だ」
 ホークははじめて手を止めて、ディルを見つめた。
「土と窯と、あと何がいるっていうのさ」
 ――才と意思、腕に運。
 しかし、ディルは答えなかった。
「昔、貴族のお館でいい壺を見たことがあった」
 ディルは言葉を探しながら、煙管に煙草を詰めながら話した。
「何とも艶のある壺だった。首を傾げた女のようで、黙ってこっちを見ていたよ」
「壺が?」
「そう。いい皿や壺はそういうもんだ」
 ホークは食べかけの皿を横に押しやって、まっすぐにディルを見つめた。
「今日、街で聞いてきた。王様がお抱えの職人を雇うんだって」
「お抱え?」
「お城に王子様が生まれたのさ。王子が使う皿や椀をつくるために新しく職人を雇うんだ。身分は関係ない。城に職人が集められて、王様がじきじきに皿や壺を見て決めるんだって」
 ホークは興奮して身を乗り出した。
「あんたも行くよな、ディル」
「わしは港で売れる皿ができれば十分。女たちがそれに肉だの魚だの盛って、笑ってくれればそれでいい」
「でも、お抱えになったら嬉しいだろう?」
「持っていく皿などないさ」
「あるじゃないか」
 そう言ってホークは暖炉の上を指差した。
「くだらねえことを言ってないで、さっさと寝ろ」
「ディル! 口惜しくないのかよ」
 しかし、ディルは立ち上がり、ホークの頭の上から決めつけた。
「あれはそんな皿じゃない」


 ――まがい物か。
 夜更け、ディルはランプに灯を入れた。
 確かにそうだ。バイリスには嘘があふれている。
 炎が揺らいでディルを照らす。
 街の小路のそちこちの澱んで腐った水たまり。お忍びの貴族は質素な身なりで女遊びにくる。羽振りよさげな商人は、持ち船が沈んだのを隠して金貸しの扉をくぐる。
 男は一番愛してると言い、女はあんた一人だと嘘をつく。
 この自分だって田舎者相手のしけた商売だ。どこかで見て覚えた絵をつけては高価な皿だと偽った。いつからこんなことを始めたのか。いくら考えてもディルには思い出せなかった。

 翌朝、朝日に照らされてディルは一人目を覚ました。
 何かが足りないと思った。
 ホークの姿はなく、燃え尽きた炉の上の壁は空だった。

                              *

 城の回廊は市場と見まごうような賑わいだった。
 バイリスのおおかたの職人が集まっていただろう。誰も彼もが自慢の品を、王の目につくところに置こうと腐心していた。
 その中でホークは飾り皿を胸に抱え、行き場所もなくうろうろしていた。
 いったいどうやって王様はこんなにたくさんの壺や皿を見て回るつもりなんだろう?
 確かに職人の数だけ、いやそれ以上に器があった。そして、どれもこれもが夢のように美しかった。
 海のような青をたたえた皿、果実のようにまろやかな壺、壺に描かれた文様。朝露のように光るのは宝石だろうか。
 ホークはようやく見つけた隙間に体をねじ込んだ。
 宝石なんてなくてもいい。
 少々色が褪せて見えたが、ディルの皿はあいかわらずきれいだ。
 ホークは口をぎゅっと結んで、皿を前に押し出した。
 ちょうどその時、贅沢な衣装をまとった一行が通りかかった。
「その壺はずいぶん大きいね」
 ゆったりとした低い声で、貴人は問いかけた。
 ホークの横の職人が上ずった声で答えた。
「はい。王子様のお部屋に花を活けることもございましょう」
「ふむ、悪くはないね。どうかね?」
 王は傍らの王妃を振り向いた。
「美しいわ。でも王子が花を愛でるようになるのはもう少し先のことでしょうからね」
 確かに、と笑って王は行き過ぎた。
 王妃は微笑を絶やさず、並べられた品ひとつひとつを見て行った。
「これは、貴方が作ったのかしら?」
 隣の職人に肘で突かれて、ホークはようやく自分に話しかけられているのに気づいた。
「いいえ、その……、代わりに持ってきたんです。作ったのはディルです」
「そうなの」王妃はゆっくり頷いてみせた。
「……とても綺麗ね」
「王妃、さあこちらへ。この壺などどうかね?」
「すぐ参りますよ」
 王妃はしょうがないとばかりに肩をすくめ、愛らしい仕草でおつきの者へ扇を振った。
「どれか王子にふさわしい名品はありまして?」
 王の後を追って王妃が立ち去るのを、ホークは呆然と眺めていた。
「いくらだね」
 おつきの男から突然話しかけられて、ホークは皿を取り落としそうになった。
「いくら?」
「王妃様はお前の皿をお気に召したようだ。なかなか愛嬌のある絵だからな。壁にでも掛けられるのではないかな」
 それを聞くと、ホークは身を固くして後ずさった。
「あの、これは……売らないんだ」
「いいのかね。献上にきたのではないか」
 男はホークを頭からつま先まで眺めた。
「それとも、何か入り用のものをあげる方がよいかな」
 ホークは歯をくいしばって首を振った。
 その時、人波の向こうで歓声が上がった。
 決まったのだ。
 王と王妃の前に膝まづいているのは、あのネルスだ。緊張はしていても痩せた顔にあふれる笑みは隠しようもない。そして、まぎれもなく自信も。
 人々は新しいお抱え職人の誕生に興奮して、回廊は熱気に包まれた。
 ホークが顔を上げると、大騒ぎの向こうにそれが見えた。
 背の高い壺と揃いの大皿。
 壺の細い首は渡り鳥のように優美だ。皿のふちは細やかな細工で飾られている。
 ネルスの手によるものだった。

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