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魚のスープ 3 |
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ホークは行きより重くなった皿を抱えて帰った。
胸が痛かった。
家の中ではディルがいつものように煙草をくわえ、壺と絵筆を手に腕を伸ばしたり、目を細めたりしていた。
戸口に滑り込んだホークの姿を見ると
「気がすんだろう」
それだけ呟いて筆を置いた。
ディルはホークから大皿を取り上げるといつもの場所に掛けなおし、それからホークの横に座った。
「ネルスがつくったのを見たか?」
「……うん」
「よかっただろう」
しかし、ホークはそれには答えなかった。
「祭りの輪で同じように踊っていても、何とはなしに目をひく娘がいるだろう」
ディルはそう言って煙草の灰を落とした。「いい皿ってな、そんなものさ」
「わからねえよ」
ホークは横のディルに顔を見られたくなくて俯いたままだった。
「ちょっとばかり練習すれば誰だって踊れるようにはなる。だが、同じように手を上げても首を傾げても、えらく可愛く見える娘がいるもんだ。あればっかりは持って生まれたもので、欲しがって手に入るものじゃないのさ」
「そんなこと何でディルに関係あるのさ。じいさんのくせに」
ホークは必死になって憎まれ口を探した。
こんな風に並んで座っているなんて落ち着かなかった。
ディルはいつだって頭の上から怒鳴りつける。何だって、男同士みたいに隣で煙草をふかしたりするんだ。
「わしも若い頃はいろんな皿をつくったさ。目新しい絵付けがあると聞けば見に行ったし、貴族の目にとまろうと随分気張った皿も焼いたものだ。だが、才の無いのに振りだけ立派な皿は見苦しい。だからもう、そういうのはやめにしたんだ」
「わからねえよ」
ホークは自分の鼻も喉も詰まっていたのに気づいた。
「何でだめなんだよ。みんな喜んであんたの皿を買うじゃないか。王子様だって喜ぶかもしれないじゃないか」
「まあ、気晴らしにはなるかもしれんな」
ディルはのんびりと煙を吐いた。
「やめろよ、じいさん。目が痛いじゃないか」
「そうか」
そう言いながらもディルはふかしてみせた。
ホークは目をこすったが、辺りが滲んでくるのはどうしようもなかった。
「ごめん、ディル」
「そうか」
――とうにあきらめた筈の願いは、幽霊のように現れる。
ディルの若い頃は妬みと羨望が手にまとわりついて、昼も夜もなく苦しかった。
そんな時に慰めとなったのは何くれとなく世話をやく女たちがつくる夕食だった。塩気のきいた鮮やかな色の魚のスープ。
やがてディルは飾り皿をつくるのをやめた。
――もしも。
幾度となく繰り返した問いを、また思い起こす。
まがい物というならそれもいい。
市場で聞かせる御託やら、鳥やら花やら果物のしけた絵柄の壺や皿。
それでももしもその中に、思いがけず美しい皿ができることがあるのなら。嘘とまがい物が、ひょっとして本物になることがあるのなら。
それくらいは願い続けていてもかまわないのだろうか?
*
それから何年も後。ホークは港町を出て風渡りの稼業についた。平原を行く商人やその荷を盗賊から守る、いわば用心棒だ。
実入りは悪くなかったし、何よりどこに落ち着くでもなくふらふらしているのがホークの性に合っていた。何年もの間、広い草の海を渡る暮らしが続いた。
海の都バイリスから平原の奥まで旅をする。やがて馴染みの宿屋もできた。
「あたしもイベリスに行ったことがあるのよ」
たいていはそれが始まりだ。
「海っぺりの市場は楽しかったわね」
「あそこはえらく稼げるんだぜ。あんたみたいなおのぼりさんが多いからな」
「そお? でも色々買って楽しかったわ。あの入り口の飾り板ね、船乗りが海の上で暇な時に彫るんだって」
そう言って、彼女は鍋をかき回す手をとめ、得意げにホークの方を窺う。
「銅貨五枚っていうのをまけさせたのよ。三枚でそれとスープ皿を買ったの」
彼女は熱々のスープをホークの前に置いた。
よくある値段だ、そう言おうとしたホークは口を閉ざす。
「ね、ちょっときれいな皿でしょう。イベリスの貴族が使うのと同じ柄なんだって。まあ、絵が一緒なだけでまがい物でしょうけど、この皿だと何だかおいしそうに見えるのよね」
白地に色とりどりの絵。
スープの鮮やかな赤と黄色。
たちのぼる湯気には懐かしい香辛料が香った。どれもホークには馴染みのものだった。
あの時ディルは何と言ったろうか。
これでいい、と言っただろうか?
「この味付け、イベリスで教わったのよ。懐かしいでしょう。冷めないうちにかっこんじゃいなさいよ」
ホークは珍しく言われたとおりに黙って、スープを口に運んだ。
「言っとくけどこの皿、誰にでも出すってわけじゃないのよ」
彼女は物言いたげに首を傾げた。
えらく可愛い女だと、ホークはそれに見惚れたのだった。