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天空の塔の物語 昔々、神さまがこの地を歩かれた頃の物語 |
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第一夜 塔 ある小さな村に、アルカという少女がおりました。 でも、そこをアルカははっきりと覚えてはいません。 何故ならまだ幼いうちに故郷を離れ、遠い都へ行くことになったからです。 その旅人がやって来たのは、アルカが五つの時でした。 白い鬚、灰色の長い外套を着た老人は、この村に五つになる子供はいないか、と尋ねました。その子供は空を映した色の目をしているはずだ、と言いました。 村人たちは驚いてアルカを連れてきました。彼の言う姿にアルカがぴったりだったからです。 老人はアルカの前にしゃがんで、その瞳を見つめました。 「この子は夢のお告げの通り。天を映す目を持っている」 アルカは首を傾げました。「私の目は雨の日もこの色だわ」 旅人は笑ってアルカの頭を撫ぜ、村人たちに言いました。 「この子は御娘(みこ)となる。神がこの子を選んだからだ」 旅人は遠い都の神殿の神官達のひとりでした。神であるハールの選んだ子供を捜しに旅に出たのです。 アルカが選ばれたことを村人たちは喜びました。当の少女は御娘とはいったい何をするのか、さっぱりわからなかったのですが。 アルカは白と黒の飾りをつけた馬車に乗り込み、こうして故郷を後にしたのです。 森を抜け河を渡り、白い靄に煙る山なみを行きすぎる頃、ゆく手に高い塔が見えてきました。 それは都の神殿でした。都で一番高くそびえ、上は雲に隠れて見えません。 その階上、朝は一番に陽に照らされ、宵にはどこよりも長く残光を見守るところに奥の神殿はあるのです。 老神官は今日からアルカがそこの主となるのだと言いました。 アルカは馬車から身を乗り出して、無数の窓と柱が刻まれた塔を見つめました。 「あんなに高い。登るのにいったい何日かかるのかしら」 アルカの呟いたとおり、神殿に入り、その奥の間に辿りついたのはそれから三日後のことでした。 「御娘って、いったい何をするの?」 神殿の奥の間。飾り布と重い糸房をひきずるような御娘の衣装を身につけて、アルカは老神官を見上げました。 「行けばわかります」 しかし神官はこれしか言ってはくれません。横から女官たちが言葉を添えました。 「行けばわかります。あなたは選ばれた御娘なのですから」 「じゃあ、どうしてわかったって自分でわかるの?」 「代々の御娘でわからなかった子はおりません。さあさあ」 奥の神殿の黒くて重い、天井まで届くような扉が開かれました。 「中には空の玉座があります」 神官はアルカの背を押しました。 「その昔ハールが座っておられた玉座です。今は主の帰りを待っています。 あなたはその前で祈りを捧げるのです」 「祈るとどうなるの?」 「祈ればわかります」 アルカの後ろで重い音をたて、扉が閉まりました。 何度もずり落ちてくる肩布をかき上げながら、アルカは辺りを見回しました。 細やかに刻まれ、白と黒で唐草の描かれた柱。見たこともない不思議な渦巻き模様が壁といわず天井といわず、腕を伸ばしています。 その一本を辿っていったアルカは、その先の薄闇の中に座る姿に気づいて驚きました。 一番奥まった、幾重にも飾り布を垂らした天幕の中。 大きな玉座にもたれてこちらを見ている男がいました。 「あなた、誰?」 アルカがあえぐように尋ねると、男は黒い口を開きました。 「私はこの地の神だ。ハールと呼ばれている」 奥の間のすぐ外では御娘のお告げを聞くために神官たちが立ち並び、女官たちもその列に加わろうとしていました。 その時、たった今閉じたばかりの扉が細く開いて、中から少女が滑り出てきました。 そっと扉を背中で閉め、アルカは老神官に呟きました。 「中に……誰かいるわ」 老神官と女官長は顔を見合わせました。 「そんなはずはございません。あなたさま以外に誰も入ることはできません」 「でも、いたわ。玉座に座って、こちらを見てたの。名前はハールというのですって」 「まあまあ、それはようございました」 アルカは慌てて言葉を継ぎました。 「本当よ。この地の神だなんて言うのよ」 「そうでしょうとも」 老神官は厳かに神の名を讃えるしぐさをして、アルカの背中を押した。 「きちんと祈っていらっしゃい。くれぐれも失礼のないように」 「でも!」 部屋に押し込まれたアルカの背中で、もう一度扉が閉まりました。 その様子を、男は面白そうに眺めておりました。 「いったいどこから入ったの?」 アルカは首を傾げて言いました。 「あなた、きっと怒られるわ」 「やれやれ。空の椅子に向かって祈るのは味気なかろうと思って戻ってやったのに」 そう言って男は悲しそうに首を振りました。「自宅に帰って責められるとは身の置き所のないことよ」 「ここに住んでるの? だって誰も・・・私以外には誰も入れないって言ってたわ」 「お前以外に誰も入らないなら、誰が掃除するのだ、うん?」 「そ……?」 掃除、とあやうく呟きそうになりながら、アルカは男を見つめました。 黒い髪、星を抱く夜のような瞳。 男がその手を軽く上げると、手のひらにぽうっと丸い灯りが現れました。 すると、その灯りに応えるように、周りの壁の渦巻きの中にも無数の光が浮かんだのです。 アルカは思わず息を呑みました。 男を中心にして、渦巻きの光は脈打つように流れ瞬きました。 「手を出しなさい。お前に目をあげよう」 言われるがままに両手を差し出したアルカは、その灯りを受けとりました。 それは呼吸するように瞬くと、そのまま手のひらに溶けて消えました。 「これが目?」 男は椅子にもたれかかっていた身を起こして、アルカをまっすぐ見つめました。 「そう。天の輝きを映す目を、お前にあげよう。 まばゆい青や闇に浮かぶ無数の光を、お前は見ることができるのだ」 アルカはおそるおそる口を開きました。 「本当に? あなたは本当に本当のあなたなの?」 「それは間違いなかろうよ。私はいつでも私だからな」 そう言うと男はため息をつきました。 「まったく、今時の子は勝手が違っていかんな。信じたい者は魚の頭にでも祈るくせに、疑い出したら魚も魚と思わん」 その独り言を聞きながら、アルカはめまいを覚えました。 「神さまは白い長い鬚をしてるのだと思ったわ。もっと年寄りで、難しいことを言うものと思ったわ」 どう間違っても、神その人の口から魚だの掃除などという言葉が出るとは思わなかったのです。 「信じずともかまわんよ、アルカ。おや、名前を知っているからと、そんなに驚かなくてもいいだろう。 何せ神だ。知らないことなどあっては名に偽りありということになってしまう」 「何故なの?」 アルカは男の膝に登らんばかりに身を寄せて、夜の瞳を覗きこみました。 「何故私を選んだの?」 「お前は知りたがりだな。さっきから聞いてばかりだ。何故、何、どうして、どうやって?」 男は、しかしそう言って笑うだけでした。 それから玉座を離れ、窓辺に立ちました。 「アルカ、私と遊びをしよう。お前は何でも聞くといい。春の天候も秋の収穫も、望むものを何でも見せてやろう」 「何でも?」 「但し、あんまりくだらんことはいかんよ。人の身に未来を見せるなどという大した力を使って、知りたいのが明日の夕飯の献立というのでは均衡がくずれてしまう」 「どうしてそんなことをしてくれるの?」 男は振り返りアルカを見ました。まるで森で見かけたリスのしぐさを面白がっているような顔でした。 「尋ねて答えを得る。昔から神に会ったらすることは決まっているのだ」 その時、雲が切れたのか、窓から明るい光が差し込みました。 窓辺の男を見つめていたアルカは一瞬目をかばい、それからそっと目を開けました。 「ハール?」 さっきまでそこに立っていた黒い姿はどこにもなく、かわりに日差しが四角い陽だまりを作っていました。 部屋から出てきたアルカに、神官たちは恭しく頭を垂れました。 「御娘よ、祈りは終わりましたか?」 「ええ」 アルカは上の空で答えました。「聞けば何でも答えてくれるって、約束してくれたの」 それはよかった、この御娘の世もこの地は安泰だ、と彼らは喜びあっておりました。 長い長い回廊を神官たちに導かれながら。 あれは本当に神さまだったのかしら、とアルカは考えました。 もう一回会ってみたい。 本当に何でも答えてくれるのかしら。均衡って何だろう? 今度会ったら何を聞こうかと考えると、初めて一人で過ごす夜も寂しくはありませんでした。 |
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