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天空の塔の物語 昔々、神さまがこの地を歩かれた頃の物語 |
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第三夜 呼び名 それからというもの、アルカは毎日のようにこの白銀の庭園を訪れるようになりました。 ハールに目をもらって見ると、ここには何とたくさんの動物がいたのでしょう。 狐、くずり、ウサギに鳥。他にも羽虫や長虫、蛇といったものもおりました。 こんなにたくさん居るのにどうしてうっかり踏んづけたりしなかったのかしら。 アルカは首を傾げたものでした。 ある朝のこと。 露を乗せた下草を踏み分けてアルカが銀の庭園へ入っていくと、白い毛玉のようにふわふわとした姿が茂みの間にのぞきました。 「あら、<雪玉>だ。おはよう、ずいぶん早起きね」 その毛皮の白にアルカは見覚えがありました。 そう、庭園の生き物たちはそろって白や銀色をしていましたが、その色合いは皆少しずつ違うのです。 雪の白、雲の白、冬の空のような青っぽい白。 空から舞う雪そっくりの白ウサギは、アルカに呼ばれたのを喜ぶかのように茂みの中から現れました。 その時、後ろでアルカを呼ぶ声がしました。 「御娘どの、今日もお早いですな」 振り向けば、扉の前には長いひげの老神官が立っておりました。 <雪玉>は人なつっこい様子で、そちらへ跳ね駆けてゆきます。 神官はたっぷりと長い袖をたくしあげて<雪玉>を通してやると、アルカに向かって微笑みました。 「何かよい物は見つかりましたか?」 けれど、その問いにアルカは答えられませんでした。あまりに驚いて、喉がつまってしまって、開いた口を動かすのがやっとでした。 「あなたも……あなたにも<雪玉>が見えたの?」 「雪玉、ですと?」 神官は茂みに飛び込むウサギの姿を見て、合点がいった様子で頷きました。 「ああ、ウサギですな」 「あなたにも見えるの? どうして?」 アルカは神官の衣を引っ張りながら尋ねます。「見えるのは御娘だけ、とハールは言ったのよ」 「御娘よ、あなたはあのウサギを『呼び』ませんでしたか?」 「呼ぶ? ええ、雪玉、と話しかけたわ」 「そうでしょう、そうでしょうとも」と、神官はうやうやしく一礼しました。 「御娘が名を与えることで、我々人間にもその姿が見られるようになるのです」 「名を与える……」 アルカがそう呟くのを、神官は満足げに見つめました。 「この世に新しいものなどそう多くはございません。 ただ、人の目には見えないだけで、たいていは元からそこにあるのです。 目を開かれた御娘が名を呼び、形を与える。そうして初めて人の目にも明らかになるのです」 見れば、いつのまにか数えきれないほどの動物たちが二人を取り囲んでおりました。 私を名づけて 名前を呼んで どの目もそう言っているかのようです。 神官はアルカの様子に口元を綻ばせました。彼の目には映りませんが、アルカの様子からどんなにたくさんの動物が集まったか、想像がついたからです。 「名をつけて下さい」 神官は衣の裾を翻して立ち去りながら言いました。 「そして、我々にもその姿を見せて下さい」 アルカは動物たちの真ん中に座り、考えました。 私が名前をつけると、他の誰もが姿を見られるのね。老神官も女官も、もの言わぬ乙女たちも…… とまどいながらも、まず、かたわらの狐に目をとめました。 「お前の毛皮は、そうね。<霜柱>みたいだわ」 それを聞くと、<霜柱>は満足げに尾を振りながら立ち去りました。 これでいいのかしら? すると今度は、待ちきれないとばかりに小鳩が肩に降りてきます。 そのせっかちなことを笑いながら、アルカは言いました。 「お前の羽は<かすれ雲>のよう」 そして、その後は次々と思いつくままに呼び名をつけてやりました。 銀の花、朝露、氷つぶ、朝日、小雪、白い蕾。 名をもらうと動物達は翼あるものは空へ舞い上がり、四つ足のものは跳ねながらアルカの前から立ち去りました。 そして、その姿にもの言わぬ乙女たちも壺を傾ける手をとめ、みんな微笑んだのです。 アルカはすっかり嬉しくなって、残りの動物達を眺めました。 どの姿も美しく、どの姿を見てもすぐに名前が思い浮かびました。 丸雲、流れ雲、月光、夏の雲、雹、煙、銀のみずうみ 曇り空、波、水しぶき、流れ星、小さな実 小川、滝、雨つぶ、霧、雫、つる草 朝もや、満月、氷雨、残り雪 砂、三つ星…… …… いくらでもいいわ。アルカは思いました。 いくらでも名前をつけてあげましょう。 「お前の毛皮はどこかで見た模様ね」 いったいいくつの名を授けたかわからなくなった頃。アルカの目の前に銀色のリスがおりました。 銀灰色の毛皮の中で首の後ろだけは真っ白の襟まきのようです。 「その形は<新月>だわ」 しかし、リスはそこに佇んだままでした。 他の動物達は名をつけると満足したように去っていったのに<新月>は動こうともしません。 突然、木々のざわめきが大きく聞こえ、肌寒い風が吹き抜けました。アルカは首を傾げました。 「どうしたの? 気に入らないの?」 しかしリスはただアルカを見上げるだけ。 「お前の名前は<新月>よ。ぴったりでしょう。嫌なの?」 その様子を見ているうちに、アルカはだんだん悲しくなってきました。 違う名前にしようかとも思いましたが、やはりこの言葉が一番合っているように思えるのです。 アルカの目には涙が浮かびました。どうして名前が気に入らないの? その夜、アルカはなかなか寝つかれませんでした。 新しい朝。 アルカはまだ暗いうちに寝床から滑り降り、まっすぐに庭園へ向かいました。 白い草むらの中には昨日のリスが、アルカを待っていたかのようにじっと佇んでおりました。 朝日に輝くその姿を見つめてから、アルカは声を上げました。 「ハール、出てきて。聞きたいことがあるの」 「朝から騒々しいことだな」 見れば銀の大木の下、枝葉が切り絵細工のような影を落とす中に黒いマントにくるまった男の姿がありました。 「いったい何用だ? 私は朝が弱くてな。 叩き起こすからにはそれなり趣向を凝らした質問なのだろうな?」 「ハール」 アルカは<新月>と呼ぼうとしたあの姿を指し示しました。 「名前をつけたのに受け取らないの。何故だか教えてちょうだい」 「名をつける、とはな」 ハールはひとつ、あくびをすると目をこすりました。「古い。古いな。今どき、まだそんなことをしているのか」 「あなたはしたことがあるの?」 「ああ、ずいぶん昔のことだ。何せこの世の全てに名を授けたのだ。 少々骨が折れた。どうも、あれこれ作りすぎたな」 「どのくらいたくさん名前をつけたの?」 「数えきれないほどさ。いずれにしても名をつけるなど飽きた。時代遅れだ」 「でも私は初めてなのよ。ねえ、どうして気にいらないのかしら?」 「悪いが、私はもう飽きたのだ。せっかく起きたというのに、これか」 ハールはいかにもつまらなそうに唸り、もう一度温かいマントにくるまろうとしました。 その裾をアルカは慌ててひっぱりました。 「だって! 何でも教えてくれるって言ったじゃ……」 その時。アルカは口を閉ざしました。 男の黒いマントの裾がひるがえり、その裏側が見えたからです。 夜のように真っ黒だと思っていたその内側には、たくさんの星のような輝きが見てとれました。 「知りたいのか?」 そう言って身を起こした男の目は、無数の星を映して光りました。 「ハール、それはいったい何?」 アルカは星から目を離すことができずに呟きました。 「これは私が名づけた命だ。まさしく星の数ほど、というやつだな。 アルカ、お前も知りたいか。名をつけ、命を与え、その光を身のうちに息づかせたいか」 その言葉に応えるように、星が瞬きました。それをじっと見ていると、あたりがぐるぐると回るようでした。 「よ……よく、わかりません」 アルカはふらふらする足を必死で踏みしめました。「でも。力があるなら使ってみたいわ」 「いいだろう」 ハールは立ち上がると、星のマントでアルカを包みこみました。 「お前には目をやっただろう」と、ハールは囁きました。 「よく見るといい。彼らの毛のひとすじ、瞬きひとつまで見分けるのだ。この世に二つと同じ命はないのだから」 「どこを見て、どうするの?」 「見ればわかる」 ハールは笑いました。「よく見て、ふさわしい名を呼んでやるといい」 そしてマントからアルカを引き離しました。 「待って。それだけなの?」 「他に何があるというのだ」 そう言われて、アルカは口を閉ざしました。 木の葉ずれの中にハールは立ち去り、ふと気がつくと、あのリスがアルカを見つめておりました。 アルカは片膝をたてて座ると、語るでもなくリスと向かい合いました。 滑らかな毛並み、ふっくらとしたしっぽ。背中の白い柄は見れば見るほど新月に似ています。 それは確かにどこかで見た模様でした。 「ああ、そうだわ」 アルカは顔を上げました。 見覚えがあるはずです。昨日、アルカが名づけた動物たちの中にも、似たような月の形をまとった者がおりました。 きっと、この名前は誰か他の動物に授けてやった後だったのでしょう。 だからリスは受け取らなかったのに違いありません。 見た目は確かに新月に似ているけれど…… 「でも、それだけではだめなのだわ」 アルカは膝にあごを乗せ、ハールの言ったことを思い出しました。 よく見なさい。同じ命は二つとない。見て、名づけてやりなさい。 アルカはもう一度、リスを見つめました。 他の仲間たちは皆、去ってしまったのに、このリスだけはただ黙って待っていたのです。 その深い泉のような瞳を覗き込み、やがて胸に浮かんだ言葉をアルカはそっと口にしました。 「お前は<静かな瞳>ね」 そのとたん、リスは身を翻して枝々の間に消えていきました。 アルカはそれをぼんやりと見送っていました。 ふと気づいて上着の裾を裏返してみると。そこには小さな銀の星々が瞬いておりました。 |
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