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天空の塔の物語
昔々、神さまがこの地を歩かれた頃の物語
第四夜   みるなの塔

 天にそびえるハールの塔。
 そのてっぺんのハールの庭は風より高い、雲の上にあります。
 いつも陽に照らされていますから、時が流れているのかいないのか。そこに住むアルカにすら、はっきりとはわかりませんでした。

 ある日、アルカのもとへ神官がやって来ました。
「御娘(みこ)よ。古い日が去る時が来ました。新しい年が明けるのです」
 そう言って、部屋の窓を閉めてしまったのです。
「何故、窓を閉めるの?」
 石の窓辺に肘をのせ、うずまく雲を眺めていたアルカは口をとがらせ尋ねました。
「開けておいても閉めておいても、年は明けるじゃないの」
「新しい年が来るのですよ」
 神官は恐ろしそうに目をつぶり、ハールに許しを請うしぐさをしました。
「何事もなく古いものが去り、ハールのあらたな恵みがあるように、塔はひとたび眠りにつかなければなりません。眠らなければ新しい朝は来ないのですよ」
「でも……」
 アルカはぼんやりと、昨日庭で見かけたハールの姿を思い出しました。
 珍しく人間の姿で、まわりに狐や鹿をはべらせて寛いでおりました。
 梢では銀の鳥たちが夢を呼ぶような歌をさえずって、あれはきっと眠りもせずに夜通し遊んでいたのに違いありません。
「今日から五日。塔の扉という扉、窓という窓を閉ざします」
 神官はきっぱりと言いました。
「御娘は息をひそめてハールに祈り、きたる一年はどんな年でありましょうか、とお尋ね下さい」
 そこで、アルカは庭園へ出かけていきました。

「聞いて、ひどいのよ」
 アルカは池のほとりでハールを見つけました。ハールは今日も人の姿で、銀の庭園をぶらぶらしておりました。
 アルカは頬をふくらませて文句を言いました。
「今日から五日、窓も扉も開けてはいけないというの。新しい年が明けるのですって」
「……そうらしいな」
 その声に何かを感じ、アルカはハールの顔を見上げました。
 背の高い、男の姿はいつもよりぱりっとして見えます。文様をほどこした夜の色の衣、白い肩布、銀の石……。
「ハール、どうして今日はいい恰好なの?」
「ほんの野暮用があってな」
 アルカは息をのみ、ハールの衣をひっぱりました。
「出かけるの? どうして? 外が見られないのに、一人では退屈だわ」
「おお」
 ハールはおおげさにうめきました。
「私を退屈しのぎにするのか。おお、何ということだ……」
 いかにも痛む風に頭を押さえるハールの前で、アルカは口をとがらせました。
「つまらないわ。つまらないわ、一人で遊んだって」
「アルカ、私は遊んでいるわけではないぞ。神もたまには忙しい。留守居をしっかりと頼むぞ」
 やっぱり留守番なのね、とアルカはため息をつきました。
「いいか。私以外の誰が来ても扉を開けてはいかん。食べ物につられるなよ」
 ハールは指を振って見せました。
「あと、白くてふっくらした手を見せてくる輩もいるが、これもだめだ」
「やさしい、きれいな手でもだめなの?」
「いかん、いかん。せいぜい肘までのことだからな。本体もそうなら、手だけ出すわけがないだろうが」
 そして、ハールは振り返り、庭の小道をアルカに示しました。
「退屈しのぎが欲しければ、この小道の先で石の塔を見るといい。四つの部屋のある塔だぞ。そこの鍵をお前にやろう」
 そう言ってアルカのてのひらに落とされたのは……
「これが鍵? 石ではないの?」
 それは奇妙な色の石でした。
 最初は黒かと思いましたが、光があたるたびに白や銀にも見えました。
「鍵がいつでもそれらしい形をしているとは限らんぞ。錠に合えば、それは鍵なのだ」
 それも道理だ、とうなづいた時、アルカは妙なことに気づきました。
「ハール、部屋は四つと言ったのに。……鍵は三つしかないわ」
 ふいに風がやみ、葉ずれが息をひそめました。
 そして、ハールはうっすらと奇妙な笑みを浮かべたのです。
「塔の三つの部屋を、お前は見てもかまわない。だが……一番奥の部屋だけは、決して入ってはいけない。わかったか?」
 その声は珍しく威厳にあふれておりました。アルカは首を傾げましたが、すぐに答えました。
「大丈夫。鍵がなければ開かないもの」
 ハールは満足そうにうなづくと、衣の裾をひるがえして立ち去りました。

                    *

 さっそく、アルカはハールが示した石の塔へと出かけていきました。
 それはアルカが見上げるほど大きな塔でした。石壁は上の方が崩れて、銀の鳥が出たり入ったりしています。
 弧を描く門をくぐると、塔の中にも陽の光が降りそそいでおりました。白く輝く光のすじは壁を這い下り、床を辿り、アルカに扉を示しました。
 丈高い、その扉にはしっかりと錠がおりています。黒光りする取っ手には竜の顔が彫られておりました。
「さあ、どの鍵が合うかしら」
 アルカは懐から三つの鍵を取り出しました。
 ひとつは闇のように黒く、尖った石で、銀のすじがついています。
 ひとつは銀の丸い石で、にぶい光を宿していました。
 残るひとつは白と黒。それが溶けて混ざったような、奇妙な模様におおわれていました。
 ですが、どうやって鍵を開けたものでしょう。
 扉にも取っ手にも、それらしい穴はどこにも空いていません。竜の目がじっとこちらを見つめています。
 アルカは黒い石を、竜の口に差し込んでみました。けれども扉はびくともしません。竜は銀のまなこでアルカをにらみ返しています。
 アルカはため息をつき、「わかったわ」
 その口に銀の石をはめてみました。まるで、竜は命の珠をくわえているようです。
 すると、扉は軽くふれただけで静かに動き、アルカを奥へと通しました。

 そこは、大きな丸天井の部屋でした。
 床から天井まで、古びた書物が並んでいます。誰一人いない、音ひとつない。薄暗く、ほこりっぽい部屋にアルカは佇んでおりました。
 石の床は、歩くと冷たい音をたてました。部屋の真ん中には、割り石細工の卓がありました。
 そこに重なり置かれていたのは、厚い書物と大小の楽器でした。
「いったい、誰が置いたのかしら?」
 書物の背には何か書いてあったのでしょう。ですが、紙が剥がれて落ちて、とうに読めなくなっておりました。
 そっと触れると、アルカの指にはうっすらと塵がつきました。その智恵を開く者もいないのでしょう。
 楽器は丸みのあるかたちで、細い弦が張り渡してあります。まるで熟れた果物のようでした。
 ふれれば弾けて音がこぼれそうな楽器は、しかし弾く人もなく、そこに横たわっておりました。
 張られた弦は右と左を引き寄せて、その力に、やがて楽器はたわんで壊れてしまうでしょう。 そうすれば、どんな音がひそんでいたのか、誰にもわからなくなりましょう。
 歌う者も、語る姿もない部屋を見るのが寂しくて、アルカはそこを後にしました。

                    *

 アルカは二つの鍵を取り出し、次の扉の前に立ちました。
 扉は一面、闇の黒。そこには細い銀の輪が描かれていました。
 輪はアルカの足元に始まり、手も届かない高いところへ昇りつめて、また下りてきます。そのひとところが欠けていることに、アルカは気づきました。
 右手には白黒まだらの石、左に銀のすじの石。
 アルカはすじのある方を選び、輪をつなげるように石をあてました。すると、輪に沿って燃え立つ銀の炎が走りぬけ、音もなく扉が開きました。

 そこは、一面の草むらでした。
 夜の帳がすべてを覆い、昇ったばかりの月は草むらに磨かれて、まんまるい形です。淡い白や銀の蔓、茎や葉が天をめざして、その手をのばしておりました。
 ざわり、ざわりという音は、葉蔓がのびて動いているのでしょう。ここもまた、誰の姿もない静かな庭でした。
 その時、アルカは不思議なことに気がつきました。
 草むらは音をたててのび上がっています。それなのに、その高さはいつまでも、いつまでも変わることがないのです。
 銀の草むらはまるで時がとまったかのよう。見ればどの蔓も根元から枯れて朽ち、斃れていくのです。
 天にかかる月、月を飾る星々。
 それに向かって手を伸ばす葉蔓は、根元から崩れて地に還る……。いくら若芽をのばしても、決して天にとどくことはありません。
 生きたまま朽ちていくような庭の姿がおそろしく、アルカはそこを後にしました。

                    *

 最後の扉の前で、アルカは白と黒のまだらの石を取り出しました。
 真っ黒な扉は夜のよう。どこが取っ手で、どこが鍵穴なのか、いくら目をこらしても見えません。アルカはその滑らかな表に指を滑らせ、ようやく鍵穴を探りあてました。
 ハールがくれた石をそこにはめると、白と黒は渦をまいて交じり合い、やがて闇に溶けて消えました。
 扉は押せば軽くきしんで、アルカを招き入れました。

 そこは消え入りそうな光に照らされた、灰色の石の庭でした。
 背の高い柱が並んで立ちつくしています。
 どれも天に向かって尖っており、そこには何か文字が刻まれておりました。
 ですが、アルカがいくら目をこらしても、その字を読むことができません。
 あたりはひどく薄暗く、幽かな光は柱の向こうから差しているので、文字の刻まれたこちら側は影に沈んでしまうのです。
「もう少しだけ、明るくなればいいのに」
 アルカは呟き、そこに腰を下ろしました。もしかすると、これから太陽か月が昇り、文字を照らしてくれるかもしれないと思ったのです。
 この石の塔の中に、時間は流れているのでしょうか。
 この薄闇は暁の前触れなのか、それとも光の消えゆくしるしなのか。
 それさえアルカは知りようもありません。
 膝をかかえ、冷えてくる肩をこすりながら、アルカは待ち続けました。
 ですが、いくら待っても光はさしてはきませんでした。
 寂しさと寒さに待ちきれず、アルカはそこを後にしました

                   *

 アルカはうつむき、黙って手のひらを見つめました。
 ハールのくれた鍵は、もうひとつも残っていません。ただ、胸のなかに石のように冷たく、重い気持ちがしこっているだけでした。
 寂しくて、心細くて、アルカの目に涙が浮かびました。どうしてハールは、こんな寂しいところをアルカに見せたのでしょう。
 涙をこすりながら顔をあげたその時、アルカの目に別のものが映りました。
 白く、輝きに包まれた、四つ目の扉。
 そのあたたかな光に抗いきれず、アルカは扉の前へ歩いていきました。


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