Novel |
バレンタイン企画(2006) | ||
2・15 | ||
扉が開いて、雪まじりの風が部屋に吹き込んだ。 炉辺にあぐらをかいていたスレイは彫りかけの木切れから顔を上げた。 「早く閉めろ、ノアム。部屋が冷え……」 「お前、明け月にチョコレートを贈るって、知ってたか?」 飛び込んできた幼馴染の剣幕に、スレイは驚いた。ノアムは雪まみれになって、どうやら毛皮の帽子を被ってくるのも忘れたらしい。 だが、青ざめているのは寒さのせいだけではないようだ。いつもどっしりと、それこそイバ牛のように落ち着いたノアムには珍しいさまだった。 スレイは手にした小刀をかたわらに置いた。 「チョコレート? ああ、知ってる。だが、贈るのは女の方だぞ」 「ど、どうしよう。食っちまった」 その言葉に、スレイはにやりとした。 「本当か? やったじゃないか。どの娘だ」 「ばっ……」 ノアムの顔にぱあっと血が上った。「何考えてんだ。チョコレートだ」 ちぇっ、何だ、とスレイは肩をすくめた。 「チョコレートは食い物だ。食ってどこがまずいんだ」 「ただのチョコレートじゃない」 ノアムは必死になって、その形状を説明しようとした。 「こんな形で……上に、何か書いてあって……」 と、手は宙を泳ぎ、丸みを帯びた複雑な形を描いて説明するのだが、うまくいかない。そうこうする間にノアムの頼りない記憶は散り散りになって、描かれる形も得体の知れないものになった。 「だが、いったい何が書いてあったのか、憶えてないんだ。読む前に食っちまった」 「何て言って渡されたんだ?」 「受け取ってもらえますか、って言うから、その通り受け取って。で、腹が空いてたから食っちまった」 スレイは眉根を寄せた。取った行動は間違いではないのだが……。 「普通と違う贈り物だとは気づかなかったのかよ。こう、変わった包みとか、袋とかで」 「厳重に包んであるとは思った」 スレイは天を仰いだ。 この無骨な友人の美的感覚を、どうぞハールよ、憐れみたまえ。 「で、相手は誰なんだ?」 「アレーナ」 「ちくしょう、うまいことやりやがって」 軽く舌打ちして、スレイは手近の木っ端を炉に放り込んだ。 アレーナはころころとよく笑う可愛らしい娘だ。レンディアの若者の多くが彼女を気にかけている。 その告白を告白とも思わなかったという、食い意地の張った話にスレイはむっとした。 こういう機微には疎いノアムのことだ。チョコレートを腹におさめた頃になって、行事の意味を人から聞かされたのだろう。 「読まなかっただって? どうする気だ」 「だから、困ってるんだ」 ノアムの声は悲鳴に近かった。 「これじゃアレーナに何を言われたのか、わからない」 それをスレイは冷ややかな目で見返した。 馬鹿め。 贈り物のチョコレートに書いてある言葉なんて、みんな似たりよったりだ。それが大事なのではない。 どう応えるか、が肝心なのだ。 だが、事の当人はそこには気づいていない。告げられた言葉を読まずに食った。そのことにうろたえきっている。 「どう責任をとる気だ?」 スレイは意地悪く言った。 「どうって……」 「考えてもみろ。女が一世一代の勇気を振りしぼって告白したのに、お前は気づきもしないで食ったんだぞ。こんな失礼な話があるか?」 「その通りだ。すまん」 「俺に謝ってどうする」 山の民には珍しい饒舌で、スレイは幼馴染を責めた。 「かわいそうに、アレーナ。こんなこと、じきに皆に知れわたるぞ。そうしたら恥ずかしい思いをするだろう。もう嫁にも行けないかもしれない」 「そんな……」 ノアムは目を瞠った。「そんな馬鹿な。そんな話は聞いたことも……」 「そりゃ、そうさ。贈り物を早々に食っちまう馬鹿なんざ、聞いたこともないもんな」 「俺は……」 ノアムはがっくりと肩を落とした。「俺はどうすればいいんだ?」 「アレーナを嫁さんにしろ」 スレイはきっぱり言った。 「幸せにしてやれ。それしかもう手はない」 呆然としているノアムの肩に手を置いて座らせ、その目をスレイは覗き込んだ。 「いいか、ノアム。雫月には返答の贈り物をするんだ。そして、嫁さんになってくれと頼め。男らしく、言い訳はいらん。そのひとことだけでいい」 「……わかった」 ノアムは口元を引き締めた。とうとう腹を決めたらしい。 「で、返答の贈り物とは何だ?」 「菓子、だ」 「菓子?! まさか俺が作るのか?」 「当然だろう」 スレイはさらっと答えた。「お前の贈り物だ。お前が作らんでどうする」 今や、追い詰められた獲物のように絶望しきったノアムは、一縷の望みを抱いて尋ねた。 「他のものではだめなのか?」 「目には目を、菓子には菓子を、だ。知らんのか」 ノアムはとどめを刺されてうな垂れた。 「そうがっかりするな」 その肩を、スレイは叩いてやった。 「一人でやれとは言ってない。そうだな、ライナに聞けよ。事の次第を説明して、俺に言われて来たと言うんだ。きっと助けてくれる。あいつ、頼りになるいいやつだからな」 「……ありがとうよ、スレイ」 何から何まですまん、とノアムは頭を下げた。 そこへ山ウサギの帽子を被せてやって戸口へ押しやりながら、スレイは言った。 「ノアム。本当に、幸せにしてやれよ」 「ハールに誓う」 そうして黒い瞳に決意の光を漂わせて、ノアムは出ていった。 後にはスレイと、しんと冷たくなった空気が残った。 熾きを突いて火を強めると、スレイはもう一度炉辺に座った。 石鉄の小刀を握り直し、だが、取り上げた木彫りに手をつける気にはなれなかった。 「ちくしょう、ノアムのやつ。うまいことやりやがって……」 つぶやいた言葉に、さっきと同じ勢いはなかった。 木彫りは花のかたちになるはずだった。それを見て、あの娘が笑ってくれる。 そう信じていたのだ。 「何のことはねえな。きっとアレーナは笑うんだから」 その横にいるのが、自分ではないというだけのはなしだ。 そのまま消えてしまえ、と言わんばかりに、スレイは木彫りを放り上げた。 花になる前の彫りかけのかたちは、消えてなくなるはずもなく、スレイの手にぽとりと落ちて返ってきた。 |
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終 |
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