Novel
バレンタイン企画(2009)
山苺


 春の使者がレンディアへ向けて発つと、その後を追うように山の雪はゆるみはじめた。
 斜面のあちこちに黒い土が顔を出しはじめた頃、シアとメリナはどちらからともなく声をかけた。
 ――そろそろ、行こうか。

 ある朝、エフタの娘たちは尾根筋の岩陰へ出かけた。
 そこは二人だけが知っている山苺の群生地だった。雪をおしのけて咲く花は、アカヤナギとならんで山に春をもたらすものだ。花はほんの数日のうちに爪の先ほどの小さな実をつける。二人は幼い頃から毎年ここに早生の実を取りに来たものだ。
 だが、それも今年が最後になるだろう。シアはこの秋、ティールのもとに嫁ぐし、メリナもまた来年あたりに村の若者と一緒になる約束をかわしていたからだ。
 今の二人の関心は、近づく婚礼の支度にあった。
「帽子の飾りをどうするか、まだ決めてないの」
「あの赤いししゅうのじゃないの?」
「母さんもそう言うわ。でも、白の方が映えるんじゃないかと思うのよ」
 娘たちは腰をかがめて瑞々しい実を摘んでは、手にした籠に放り込む。ときどき、口にも放り込む。
「そうね……」
 せっせと手を動かしながら、メリナは友人の姿を思い描いて考え込んだ。
「白はきれい。でも、赤もいいわよね。どうしよう……」
 自分のことのように迷うメリナの横で、シア当人もむずかしい顔をしていた。
「母さんは、絶対、赤だって言うの。祝い事は昔からそうだって」
「でも、白い糸も好い兆しを表すっていうじゃない」
「……でしょ」
 二人は考えあぐねて身をおこし、顔を見合わせて吹き出した。
「あんた、その口!」
「シアこそ! シアこそ、そのほっぺた!」
 たがいに指さす二人の手も口も、汗をぬぐった顔まで赤紫の汁に染まっていた。
「いやだっ。子供みたい」
 けらけら笑って涙をふいた。すると目尻が紫に染まって、また笑うしかない。
 ひとしきり笑ったあとはもう息もろくにできなくて、二人は腹をおさえて苦しんだ。
「はあ。可笑しい」
「のどがかわいたわ」
 と、息をきらせたシアは懲りずに苺を口にふくんだ。それを横目にメリナはくすくす声をこぼした。
「……それで? 何を頼んだの?」
 シアはきょとんとした。
「頼む?」
「買い物。ティール様は町へ行ったのだもの。何か頼んだのでしょ」
 今年の春の使者はエフタから立った。ティールとその妹のアーシアは若枝を持ってレンディアを訪ね、その後ふもとの町へ行くらしい。
 だが、シアは首をふった。「何も言ってないわ」
 メリナは目を丸くした。
「何も? 糸も飾り石も、何も?」
「だって、今頃毛皮が売れるわけないし。それに、今回は長から何か頼まれたんだって。市を見る暇なんてないわよ」
「でも……」
 メリナは口をとがらせた。
 ティールの性格ならよく知っている。頼めばどんなに忙しくても、それこそ眠る時間を削ってもみやげ物を探してくれるはずだ。これを聞くとシアは微笑んだ。
「だから、よ。何も要らないって言ったの。かわりに、おみやげ『話』をいっぱい聞かせてもらうわ」
 その軽やかな笑顔にメリナはあっけにとられた。
「さあ、いつまでも食べてないで。早く摘んで帰りましょう」
 シアはすっぱり言って立ち上がった。が、ふと戸惑いがちに幼馴染の顔をのぞきこんだ。
「メリナ。これ、煮るときに手伝ってくれる?」
「え? ああ、いいわよ」
 シアは見るからにほっとした。
「よかった。あたしが煮ると、かならず焦げるのよ。今年はきれいに作りたいの」
「なぜ?」
 問われると、シアは苺に染まった頬をさらに赤くした。
「婚礼の時の贈り物にしたいの」
 メリナはおもわず笑みを浮かべた。自分の籠をちょっと持ち上げてみせ、
「これもあげるわ」
「甘煮は……」
「コツを教えるわ」
 そして、二人は残り雪で顔を洗いながら、村へと下って帰っていった。


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