Novel |
ホワイトデー企画(2004) | ||
雫月の聖なる日 | ||
「今、かまわないだろうか?」 レンディアの城の台所に珍しい姿がのぞいた。ライナは鍋をかき回す手をとめてそれに答えた。 「切りのいいところでしたよ。何でしょうか、セディム様」 長が用事と言うのなら断る者がいるかしら。妙なことを言うものだわ。 ライナはそう考えて笑みを浮かべた。 目の前に立つ長は、確かに普段とは趣が違った。 落ち着きなく手のひらをこすったり、何度も一人で頷きながら話の糸口を探しているようだ。 何か言いたげに振る手は何度もセディムとライナの間の空を切る。 そして、どうやら糸口を掴んだらしい。 「明け月にチョコレートを贈る、という行事を知っているか?」 「ええ、でももう終わりましたよ」 その途端にぎこちない沈黙が吹きぬけた。 そこでライナはようやっと、幼馴染でもある長の真意に思いあたった。 「つまり、雫月のお返しのことを?」 セディムの顔は一瞬にして明るくなった。こらえていた息を吐き出すように、あとは次々と言葉が紡ぎ出されてきた。 こういった行事には疎いこと、チョコレートを贈られるなど今年までなかったこと。にも関わらず、先月の半ば、突然山のような数の菓子が贈られたこと。 あの数からすると、村中の娘からと考えて間違いないだろう。 「しかし、礼としてあげるようなものを何も用意していないんだ。どうしたらいいと思う?」 「ないって……」 ライナは首を傾げた。 「つまり蜜菓子も砂糖も飾り石も、なし?」 「ない」 セディムはこれだけはよくわかっているらしく、きっぱりと答えた。馴染みのある備蓄の話題になると迷いはないらしい。 何もないって、毛皮はどうしたんです?秋の狩には狩人の取り分があるはずでしょう? そう言いかけてライナは口を閉じた。 聞くだけ無駄だ。 長が自分の正当な分け前を要求しないのは周知のことだ。受け取りなさいと、みんなが言うのに聞かないんだから。 そう考えるとライナは少しばかり腹が立った。 しかし、当のセディムは本当に困っているらしい。ない、というなら文字通り何も持っていないに違いない。ライナはため息をついた。 「では、こうなさっては?スレイが木か石の残りを持ってるはずですから、それをもらって何か作ればいいんです。飾り物でも護符でもいいと思いますよ」 「彫りものはあまり得意ではないのだが・・・」 「いいんです。あまりうまくできなかったけれど、と、ひと言添えればいいのですよ」 「スレイの方が腕がいいが?」 「あなたが作るというのが肝心なんです!」 間のぬけた問いにライナが我慢できず、ついに声を荒らげたところで長はようやく納得した。 ほっとした様子で、しかしセディムは最後まで首をひねっていた。 「何故、今年に限って皆チョコレートをくれたのだろう?よりによって……」 ライナは、ふといたずらっぽい笑みを浮かべてその言葉を受けた。 「今年だからですよ」 何年もの間、城臣たちをやきもきさせてきたセディムの婚儀がついに今年と決まったのだ。 二人の縁組は、これまでエフタとレンディアの間では言うまでもなく決まったこととされてきた。それでも姫の年がゆくまでは、と、話は先延ばしにされていたのだ。 「ひょっとして、ひょっとするかもと考えたら、気軽に贈り物なんてできないじゃありませんか」 「しかし、婚儀が決まるというのに?」 「だからですよ。決まったとなれば安心して思いっきり皆で盛り上がれるってものじゃないですか」 「そんな馬鹿な」 どこからそんな理屈が、と呟きながら、セディムはふらふらと立ち去った。 それを見送りながら、ライナは鍋に薬味を放り込んだ。 何てまあ、鈍感で不器用なこと。あんな調子でこの先お嫁さんとうまくやっていけるのかしら。 ライナの手が止まった。 しかもエフタの姫はまだ15。しかも並みはずれたはねっかえりだという。 「本当に大丈夫なのかしら?」 呟いた時に、手元から立ち上った香ばしい香りにライナは我に返った。 慌てて鍋を混ぜる手を早める。貴重な冬の食料を無駄にすることなどできないのだ。 「まあ、あれでいてセディム様は結構目がきくから」 ライナは心配を振り払うように一人言を口にした。 殊にまわりにいる者の気持ちには聡い方だから。 何とかうまくやっていくでしょう。 そう考えて、ライナは鍋の底を擦ってみた。 「何とかなるでしょ」 満足そうにそう頷いた。 |
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終 |
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