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夢路
手。


葡萄を摘む手。

滴る汁に  指が染まる。

頭をあげれば  そびえる峰と
乾いた音のするような
青。

  雲が流れていく。

  やがて畑も  黄金に染まる。


秋の祭りの尽きない歌と
きらめく小さな赤い石。

   女たちの耳に揺れて
   果実のような光を宿す。

閃くように山に響くのは
あれは小鳥か。
それとも春の初狩の
笛が笛を呼ぶ声なのか。

    この手に馴染む
弓の滑らかさ。
矢が空を切る  風の音。

春を謳う  山の獣。
雪を融かす  陽の光。

   それを待ちわびる季節がある。


   永遠に続くかのような  風。
暗く、長い冬の日に見上げる
凍てついた峰。


それでも。

それでもあの白と、空の色は
晴れやかな絵としてしか
思い出せない。








「……長殿?」

    セディムがそっと目を開けると、村の子供が立っていた。
うたた寝している長を起こそうか、そうしてはいけないのか。
随分迷ったに違いない。
炉の炎はとうに尽きていた。
「どうしたのだ?」
「あの……あの、城臣殿がお呼びです」
    少年は唾を飲み込みながら口を開いた。
「アルセナ軍から使者が着いたのです。南の畑のことで、どうしても長においで願いたい、と」
    そう伝言を述べる少年の目には、隠しきれない燻りがあった。

苛立ちか、口惜しさか。

何と、この子も大きくなったことか、と驚きながら、セディムは身を起こした。
こんな少年にも、使者の用件は明らかだった。
人手か、食料か。
あるいはイバ牛をご所望か?
平原の民の要求は、終りを知らない。

    セディムはため息をついた。
「わかった。すぐに行こう」
「セディム様?」
    しかし、少年は真直ぐに長の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫、ですか?」
    その言葉の意味を尋ねようとして、セディムは自分の頬が濡れていたのに気がついた。
どうやら夢を見ながら、涙していたらしい。
「悲しいのですか?」
セディムは一瞬口を閉ざして、窓の外を見やる。
夢の続きのような空だった。

「いいや」

そっと首を振り、立ち上がる。
「いい夢を見たのだよ。だが、誰にも黙っていておくれ」
男同士の約束だ、と言うと、少年は力強くうなづいた。
それを見て、セディムは微笑んだ。

そう。

いい夢だった。

まだ、この胸の中に生きている風景。
変わったように見えても、レンディアらしいところは変わらない。

かつての友人の言葉がよみがえる。

あの美しい故郷を思い描ける限りは


まだ大丈夫だ。
まだ、参ってしまったわけではないのだ。


「大丈夫だ、行こう」
    そう言って、長は少年の背を叩き、薄暗い廊下を歩き出した。
その先導する幼い背を見ながら、セディムは考える。
いつか彼らがこの城を守る日が来るだろう。
だから今だけは

暫し  私を導いておくれ。

    その日をこの目で見られるだろうか。

風に揺れる  葡萄の実る
あの故郷へ。

連れて行っておくれ。


やがて帰る、懐かしい未来へと。







「風渡の野」以降のレンディア、セディムの話です。「風・・・」の紹介文から何があったか想像して読んで頂けると助かります。すみません、わがまま言って……

休日の朝、目が覚めた時に浮かんだイメージからできた話でした。
特に急いで書くつもりもその時はなかったのです。しかし連日、ニュースで戦争の報道を目にして、ナーバスになっていた時がありました。何故かわからないけれど、自分としては今、書いておかないといけない、後になったら書けない話かも、と考えて手をつけました。実際にその地へ赴く人には生ぬるい言葉だろうと思います。しかし何にせよ書くことが許されるならば、形にしておこうと思います。
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