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エッセイ・詩歌 1

「心は孤独な数学者」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   心は孤独な数学者 (新潮文庫)


ニュートン、ハミルトン、ラマヌジャン。著者が憧れた3人の数学者の故郷を訪ね、その足跡を辿った紀行文。

 インドにもアイルランドにも行ったことがない、そして「分割数の漸近公式」「四元数」が何のことなのかさっぱりわからないのに数学者の心情を近くに感じる、不思議な本でした。ラマヌジャンの話がとても印象的。インドの混沌から精緻な数式が生まれる意外さ、植民地で生まれた青年の宗主国の学者たちへの畏れ、天才を悩ませた杞憂にすぎない不安。これらがいっしょくたになって読む人を話の中に引き込んでいく力になっています。その中で明快な真理として光る定理の美しさを、知らないことが少々くやしいほどです。
(2004.7.11)

「はるかなるケンブリッジ」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス (新潮文庫)


イギリス、ケンブリッジに教授として招かれた際の著者の体験記。アメリカの数学界と違う風潮、学生の気質、風変わりな学者たちとの親交が描かれている。

 ちょっと(相当)おかしいイギリス人へのからかいや驚き、歴史ある国ならではの国際感覚に触れています。下の「若き数学者のアメリカ」も面白かったのですが、著者は紳士の国への愛着も強く持っておられるのかな、と思わせる温かいユーモアのある文章でした。アメリカとは違うイギリスの古典数学に惹かれているという著者の好みがどういうことなのか、さっぱりわからなかったのですが(涙)、数学に詳しい方ならもっと楽しめるのかもしれません。
(2004.7.3)

「若き数学者のアメリカ」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   若き数学者のアメリカ (新潮文庫)


大学の研究員としてアメリカを訪れた著者の体験記。学者の研究生活、日常生活を見て感じたことや、外国人の目から見たアメリカ文化について書かれている。

 今から30年以上昔の訪米記なのですが、著者が見るものに興奮したり、緊張したり、気負ったりする様子が飾り気なくて面白いです。「アメリカに溶けこむとはオーケストラで自分の音を出すようなものかもしれない」と著者は書いています。ヴァイオリンでもフルートでもピアノでも、自身の音を持つから全体で美しいハーモニーを作ることができる。日本人の持つよさは海外でも評価されるのだから、それを捨ててはいけない、という。現在でもアメリカがそういう国だと言えるのか私は知らないのですが、それでも「自分の音を持っていられる場所」と、おそらく多くの人に思わせた独特の魅力のある国なのだろうと思いました。
(2004.6.22)

「古風堂々数学者」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   古風堂々数学者 (新潮文庫)


20世紀の最後の数年に書かれたエッセイ集。教育、政治、ケータイに怒ったり嘆いたり、時々喜んだり。著者の小学校時代の思い出「心に太陽を、唇に歌を」を収録。

 暑苦しいまでに(失礼)力強い主張なのに心地よいのは、滑稽なほど何かに夢中になることを恐れない強さがあるからだな、と思いました。そして可笑しさや優しみのようなものが文章のあちこちから漂ってくるのが好きです。
 この本の中で切なかった話は「外国語と母国語」「心に太陽を、唇に歌を」。笑ってしまったのは「気高い人になりたくて」「樹を伐る」。著者の意見が興味深かったのは「数学と年齢」でした。
(2004.7.8)

「父の威厳 数学者の意地」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   父の威厳 数学者の意地 (新潮文庫)


日本には無意味な決まりが何と多いことか。長男の修学旅行をめぐって家庭と学校との間でかわされた論争「苦い勝利」その他を収録。

「それは確かにおかしい決まり事だ。でも、そこまでしなくたっていいのに!」と思いました。ですが不可解に思う気持ちもわかる。学校というのはわけのわからない決まりと、意味のない拘束が詰まった閉鎖社会だと思います。夫婦と子供とが顔をつきあわせて、学校に従うべきか否かを論じている。検便ひとつにも無意味に屈服(?)しない姿が爽快です。
(2004.5.30)

「数学者の休憩時間」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   数学者の休憩時間 (新潮文庫)


著者が、父である新田次郎の没後に、その取材旅行と同じ行程を辿った旅の記録「父の旅  私の旅」その他を収録。

 亡き父と同じルートを同じ日程で辿り、立ち寄った場所を訪ねて歩く。同じ食堂で同じメニューを頼むまでする、到着時刻まで確認する緻密さは、さすが数学者だなあ、と文系の私は思いました。その緻密さゆえに、変わってしまったものや父の不在が、父と自分(著者)との違いが何だか不可思議に思えて、読みながら涙が止まりませんでした。難しい言葉も大事件もないけれど、ただ軌跡を「なぞる」という行為に没頭する中から生まれてくる情感が豊かで、とても美しかったです。
(2004.4.15)

「数学者の言葉では」 新潮文庫
藤原正彦 著 

   数学者の言葉では (新潮文庫)


数学者であり、作家を両親に持つ著者のエッセイ。数学と文学、両方の世界に親しんだ著者が、二つの世界の共通と相違点について語る。

 最初、数学的な考え方や論理性に触れたいとこの本を手に取りましたが、期待はいい意味で裏切られました。確かに例えや文章論理は正確、繊細で、他の職業の人のエッセイとは違うと思います。しかし読み終わって残ったのは見知らぬ美しさに触れたという感じ。これは芸術家の話なのではないかと何度も思いました。知的好奇心が強い、野心的、執拗、楽観的であること。数学者に望ましいとされる資質を述べた上で、天才について語る言葉に力があります。
「啓示は天から降りてくるのではなく、ギラギラした気魄で天から奪い取るものだ」
(2003.12.28)

「果てしなき流れのなみに」 中公文庫
藤原てい 著 
(2004.7.30)

「憧れのまほうつかい」 新潮文庫
さくらももこ 著 

   憧れのまほうつかい (新潮文庫)


子供の頃から絵を描くのが好きだったという著者が出会った、画家エロール・ル・カイン。その絵本をめぐる思い出、画家の眠る地イギリスへの旅行の様子、絵について語ったインタビューが収録されている。

 図書館で見つけました。この方のエッセイは、特に面白いものと、それほどでもないものがあるので「さて、これは?」と、開いてみたところ。……世にも美しいイラストがたくさん掲載されていました! さくらさんの? いえ、エロール・ル・カインさんという画家の方の……。すみません。変な引きとオチをつけてしまった。
 いや、でも、さくらさんの絵もとてもユーモラスで素敵でした。びっしり描きこまれたイラストは、ル・カインの作品とは違うけれど、夢見るような雰囲気が似ています。色とりどりで、やんちゃで可愛らしい。いつまでも童話の世界に遊んでいたくなるような、ちょっと怖くて楽しい気分になりました。さて、さくらさんの愛の注がれる先について。

エロール・ル・カイン(1941〜1989)
シンガポール生まれの絵本画家。アニメーション製作などに関わり、その後絵本を多数発表。アジア各地を転々とした生い立ちの影響か、色彩にあふれたエキゾチックな画風。


「まほうつかい」と呼ばれるのがぴったりの、不思議な雰囲気、美しい色が素敵です。この画家に憧れて、イギリスにまで向かった(でも、取材先で居眠りしてしまった)さくらさんのお喋りが楽しい。一見ほのぼのとした、実は熱い愛とパワーに圧倒されそうです。著者のイラスト集を見たル・カインゆかりの人の言葉に頷いてしまいます。

「あなたがル・カインのことを大変に好きだったことがよくわかるわね。」

 後半のインタビューでは、いわさきちひろに夢中だった中学時代、ル・カインと出会った高校時代のことが語られています。好きなものに猪突猛進な(笑)様子、そして好きな画家さんのために18万円ぽーんと出した学生さんの姿がさわやかでした。
(2006.8.2)

「さるのこしかけ」 集英社文庫
さくらももこ 著 

   さるのこしかけ (集英社文庫)


「インド旅行計画」「台風台湾」の旅行記や、デビュー時の上京の思い出「集英社に行く」など24編と、巻末に映画監督、周防正行氏との対談を収録したエッセイ集。

 時々、ふっと読みたくなります、さくらさんのエッセイ。マンガもアニメもつまみ見しかしたことないのですけど。
 こういうことあるなあ、と笑ったのは「名前のわからない物の買い物」。詰まったトイレの掃除道具とか(名前は結局わからずじまい)、CMに使われている曲のCDなど、名前を知らないものを買うための必死の説明が、気持ちがわかるだけにおかしい! ちょうど最近、『しまりの悪い蛇口』という言葉の入った曲を探してのたうっていたのでツボにはまりましたが、もちろん解決方法は書かれていませんでした(笑)。これ、誰かご存知でしたら教えてくださいー。

 この方のエッセイを読むたびに、不思議な目をした作家さんだなあ、と思っていました。「いさお君がいた日々」では、小学校の特殊学級に通っていた男の子の思い出が書かれています。

 他のこどもたちとは少し違う、笑いも怒りもしないけれど『自分の中心を持っている』感じがするいさお君が好きだった。彼の絵には風景のすべてが描かれて、何も選んだり、見落としたりしない目線がある――。
 
 それに気づいた著者も、めったにない無色透明な感性だと思うのです。
(2007.5.20)

 

「ももこの世界あっちこっちめぐり」 集英社文庫
さくらももこ 著 

   ももこの世界あっちこっちめぐり


 ああ素晴らしき、この世界! スペインでガウディにキュンとして、バリ島で毎日ナシゴレンを食べ、父ヒロシと長年の憧れグランドキャニオンに飛び……。行く先々で思いもよらない出会いやハプニングがある。それがももこの旅。1996年5月から約半年間にわたって世界じゅうをめぐった記録。

 雑誌掲載された旅行エッセイ。「どこへでも行って、なんでも好きなことをしてください」という企画だったらしい。そんな太っ腹に応えた、子どもみたいなワクワクが伝わってくるエッセイでした。

 行き先にまず選んだ「絵皿の国・スペイン」そして「フォークロアアートのバリ島」というところが著者らしいなあ。どこへ行っても素敵だと思うものへの愛が全開。自称・怠け者みたいに言いながら、好きな作品の作家さんを探し出して訪ねていく、という行動力もすてき。
 本当に、絵の好きな人なんですね。心から素直で愛にあふれてる人なのだなと思う。

 特に好きだったのは、バリ島編。魚の絵を描いた初老の作家との出会いのエピソードです。

 パルワタさんはすごくいい顔をしていた。落ち着いた、充実した人生を送っている人の顔だ。絵を描く時に大切にしていることは、イマジネーションが湧くための静けさや安らぎの時間だと語ってくれた。

 パルワタさんの絵がすばらしいのは、テクニックの上手に加えてこの人の静けさと安らぎが溶け込んでいるからなのだ。

(2022.10.24)

 

「檀流クッキング」 中公文庫
檀一雄 著 

   檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)


著者が自分の料理のレパートリーの中から世界の料理92種の作り方を紹介。

 レシピ本として読むには分量の記載がないし、エッセイと呼ぶにはとことん料理の方法しか書いてない。これで食べたことのない料理をつくれるのだろうか!?でも、何となくおいしい物をつくれるような気分になりました。ツボにはまる表現もたくさんあって楽しかったです。「漬物器で重しをすると、二日、三日目頃、素敵なはずだ」「からしみそをレンコンの穴につめるのは、きわめて愉快な事業」だそうです。文豪って、レシピを書いてすら面白い。
 いや、これは……。料理本の形式にのっとったエッセイだったのか。ざくざくとおおらかな調理姿が楽しいです。
(2004.7.18)

「わが百味真髄」 中公文庫
檀一雄 著 

   わが百味真髄 (中公文庫BIBLIO)


『喰べるということは愉快なことだ』
 人間は大きいものでは鯨から小さいものでは黴にいたるまで、あらゆるものを食べる雑食の動物だ。そして、それが生き生きとした命を造り、支えている。家族友人と食べたもの、一人で味わったものなど、著者の愛する43品の紹介。

 柳川を旅行したときに「ああ、この人も柳川出身だった」と思い出したので、借りてみました。ここに書かれた食べ物のほとんどは食べそこねていますが、また行こう、という口実になります。
 野太い、自然の力をそのままたべているような料理。そして、それを紹介する文章がとても楽しそうです。『自分の命となるものをつくる喜び』が弱火でじわじわと伝わってきました。

 太宰治、吉行淳之介ら友人との思い出話もありました。いずれの作家の作品も私は読んだことがないのですが、お好きな方にはちょっと楽しい裏話でしょうね。

 ところで、後書き(息子の檀太郎氏による)にかかれたエピソードには思わず汗をかきました。つまり、太郎氏の知人の知人が著者について「ああ、お料理の先生の檀一雄さんでしょ」と仰ったという……(笑)。
 私はそこまでは思っていなかったけれど、しかし、この著者のお料理エッセイしか読んでいないのですよね。さて、どっちが酷いのだろう?
(2006.11.2)

「海の泡」 講談社文芸文庫
檀一雄 著 

   海の泡 檀一雄エッセイ集 (講談社文芸文庫)


エッセイ集。昭和十九年から亡くなる前年である昭和五十年までに発表されたエッセイをまとめたもの。旅先での見聞や、友人である作家たちの姿を書いたもの等。

 著者の本は、実はエッセイ以外読んだことがないので、概要も感想も書きにくいんです。すみません。この本に登場する作家の作品も読んだことない。三島由紀夫も坂口安吾も……私は日本文学と相性が良くないのかも。

 では、どうしてこの本を手にとったのか? 上の「檀流クッキング」の語りが、読み心地良かったのです。飄々としていて、ユーモラス。雲の中に常に一点、空がのぞいているのを見ているような、気持ちの晴れやかさを感じたのでした。以下は気に入った一節。今後、私小説を書くのならば、としての一文。

「なるべく拡がりの方に……、なるべく柔軟な光りの方に……、豊かで、惑いに満ちた展開をこころみてみたい。」
「自分自身を誘導する方向は、与えられた情況より、より豊かに、より柔軟に、自分の限界を越えるこころみに近づきたいものだ。」
(2005.9.10)

「漂蕩の自由」 中公文庫
檀一雄 著 

   漂蕩の自由 (中公文庫)


「旅は行当たりバッタリが一番いい」という著者の、フランス、ポルトガル、モロッコ、ギリシャ、韓国、ドイツを放浪した旅エッセイ集。

 行き当たりばったりの読書でも、受けとめてくれそうな懐の深さを感じて、また読んでます。
 とことん行き当たりばったりな旅の話。そのアバウトなやり方が、酒場で「やあ」に落ち着くとほっとするし、水商売の女性に有り金全部持っていかれると、「ああ」と脱力します。いや、最後に『落ち着く』ことなどたいして気にしていない旅だから、話もふわふわと漂ったまま、流れて終わっていくのでしょう。
 面白い、です。こんな旦那は厭だけど。
(2007.9.20)

「父たちよ家へ帰れ」 新潮文庫
宮脇檀 著 

   父たちよ家へ帰れ


インテリア雑誌(年代不明)に連載されたエッセイをまとめたもの。建築家である著者が、どのように美しく、楽しい家を作ってきたかを語ってくれる。下の「住まい・・・」より体験談的なまとめ方になっている。

 男の気ままでクールな一人暮らしだったはずが、娘が転がり込んできてそれどころではなくなってしまった!しかしこれはこれでなかなか楽しいもんだ。ご満悦の様子に読んでいるこちらも嬉しくなりました。でも娘世代としては「お父さん、中国粥つくって〜」と甘えたくなってしまったのでした。
(2003.5.5)

「住まいとほどよくつきあう」 新潮文庫
宮脇檀 著 

   住まいとほどよくつきあう (新潮文庫)


1985年にインテリア雑誌に連載されたエッセイをまとめたもの。住宅の建築家である著者が、仕事のウラ話や自身の暮らしの中のちょっとした話を交えながら住まい方の美学を語っている。

 美しい住まい方を辛口に語る、といえば当然美しくない住まい方も痛烈に批判されているわけですが、語り口がしゃきっとしていて楽しい。つい「あいたた!その通りで、旦那」と呟いてしまったのでした(笑)
 今は北欧デザイン&ミッドセンチュリーが注目されてますが、その時代にさくさく働いてらした著者に「どうです?今時のインテリアは」と聞いてみたいです。
(2003.4.30)

「西蔵回廊〜カイラス巡礼」 光文社文庫
文:夢枕獏   写真:佐藤秀明

   西蔵回廊―カイラス巡礼 (知恵の森文庫)


チベットの聖地カイラス山を経てラサへ。かつて日本人僧侶河口慧海の辿った道を歩く旅行記。

 著者が旅をしながら執筆する様子がファンには嬉しいだろう、と思われます(残念ながら私は読んだことがないのですが)。慧海だけでなく歴史上の人物の旅にも触れており、同じ道を歩いて彼らの考えていたことを想像しては楽しむ著者の姿が、私は実は一番面白かったです。写真と文で綴るチベット旅行記ということで、「西蔵放浪」を思い出しました。
(2004.5.7)

「ラダックの風息 
 - 空の果てで暮らした日々 -
ブルース・インターアクションズ
山本高樹 文・写真

   ラダックの風息 空の果てで暮らした日々 (P‐Vine BOOKs)


「納得いくまで時間をかけて、ラダックのことを見て、書きたい」と考えた著者の長期滞在記。ツェチュ祭やチャダルを歩く旅、種蒔きと収穫などラダックの一年を写真とともに語る。訪れた土地の地図やラダック語の日常会話、現地の交通情報なども記載。

 発売の頃に購入したのですが、就寝前の楽しみに少しずつ読んでいたら、感想をUPするのが遅くなってしまいました。とりいそぎ、東京での写真展のご案内。

山本高樹写真展「ラダックの風息、儚い夏、凍てつく冬」
期間:2009年3月10日(火)〜5月8日(金) 東京都三鷹市にて
http://ymtk.jp/ladakh/2009/04/post_126.html

著者のブログ Days in Ladakh



 通りすぎて振り返らない旅行記ではなくて、土地の人と同じ時間を過ごした毎日を綴った本。
 撮影や畑仕事のあと、「おかえり」という声のする家へ帰る。チャダルを旅して、また同じ道を歩いて帰る。
行っては帰る――そのくり返しに、何ともいえない幸福な気分になりました。

 特に好きだったのは、チャダル(冬の間、河が凍結してできる道)をいく旅の章。 冴え冴えとした氷、空と真っ白な太陽の写真が見事でした。
 また、ガイドさんや途中の村の子供との会話には笑いました(「こういう」話は世界中どこも同じらしいですね!)。
 雪と氷の鮮烈な写真のあとに、あらためて他の写真を見るのも楽しい。マーモットやヤク、花、たわわに実る果物が目に残りました。

 ところで、この本を読んでいた時。ラダックの服装を紹介するコラムの小さな写真に目がとまりました。トルコ石と真っ黒なウールの「ペラク」という装飾品をつけた女性――。
「あれっ? これ見たことある」と思い出したのは、「西蔵放浪」
(藤原新也 文・写真)
 こんな服や装飾は、他のチベットの写真では見ないなあ、と思っていたのですが……ラダックなのですね。

 ラダックはかつては王国でしたが、今はインドのカシミール州に属しており、中国、パキスタンと未確定の国境を接しています。同じ習慣を持つ民族が国境のあちらとこちらにいる、という状況は「花の民」の章にも描かれています。
 この章を読んで、思い浮かんだ心象がありました。
 半透明のシートに地図が――国境がくっきりとひかれ、国名が大きく書かれている。また、文化圏があざやかな色に塗り分けされた別のシートがあるけれど、地図の下に置かれているので、ぼんやりとしか見えません。
 上から眺めると国境線ばかりが目立つけれど、人の習慣とか言葉、信仰心はそれとはまったく違う次元にあるのです。

 この隠れて見えにくいシートを地図の上に浮かび上がらせた――そんな本のようにも思えました。
(2009.4.13)

 

「バター茶をどうぞ」 文英堂
渡辺一枝/クンサン・ハモ 共著   

   バター茶をどうぞ―蓮華の国のチベットから


「チベット人の普通の暮らしを知って欲しい」――そんな願いからうまれたフォトエッセイ。表情ゆたかなチベット高原の風景と人々の笑顔、町の様子などの写真と、日常生活をこまやかにつづった文章で構成された1冊。

1章 どこいくの?
2章 ところ変われば、家変わる
3章 神話の時代から現代へ
4章 一日一年、褻の日・晴れの日
5章 僧院生活
6章 おしゃれなチベット人
7章 誕生・結婚・お葬式
8章 バター茶をどうぞ
9章 子どもの情景

 1章では、チベットの自然環境とチベット人の自然観を紹介。
 2章以降では人々の日常生活を紹介しています。牧畜民と農民(半農半牧生活もふくめ)、町の人、僧侶……とそれぞれの暮らしぶりが詳しく紹介されています。また、各地方の伝統の民族衣装や髪型、アクセサリー好きぶりも書かれています。
 最終章ではチベット本土の現状(2001年現在)について、1949年の“解放”以降を知りたい読者のためには巻末に参考文献が紹介されています。
 8章では食べ物について書かれています。バター茶、ツァンパ談義が楽しい。

「ツァンパほど力になる食べ物はないさ。毎日、米の飯なんか食べてたら仕事にならないよ」

 特に朝は絶対ツァンパ! と文中のツェリンさんはきっぱり言い切ってます。日本人と逆だ〜。でも、言い方が同じなところが面白いですね。バター茶、トゥクパ(うどん)、ショコカッツァ(じゃが芋料理)のレシピが載っています。モモのレシピも欲しかったです。

 私が特に印象的だと思ったのは、僧院での子供の教育についての一節。
 一般の学校教育とは異なり、僧院では経典の素読と暗誦に重点がおかれている、と書かれています。リズムに乗って経典を読み上げ、文字を見なくても自然に口をついて出てくるほど繰り返して覚える、とのこと。

「大人が生涯かけても理解しきれない仏教の真理を身に染み込ませ、やがてある日、そのうちの一節でもスーっと心にとけてわかっていくとすれば、それこそが真の文化の継承と言えるでしょう」

 どのページを開いても、温もりのある写真と穏やかな言葉にあふれた素敵な本でした。
(2003.8.17)
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