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エッセイ・詩歌 2

「イタリア遺聞」 新潮文庫
塩野七生 著   
410118108Xイタリア遺聞
塩野 七生
新潮社 1994-03

by G-Tools
ヴェネツィアやローマを書き続けている著者が、旅先で求めた古い品や歴史史料から、中世の地中海世界を思い描くエッセイ。

 ハンカチ一枚、コーヒー一杯から遠い時代のイタリアやトルコの風景を引き出して見せてくれるような本です。しかも、その風景はどれも鮮やかで、現れる人物は良くも悪くも人間くさくて、読み返すたびに彼らの物語に聞き惚れて(読み惚れて?)しまいます。
 特に好きなのは、文庫本の創始者ともいえるアルド・マヌッツィオの一話、没落期ヴェネツィアと新生の国アメリカの出会いにまつわる史料を取り上げた一話です。コーヒーかワインを片手に、ちょっとしたおしゃべりを聞くようにして読むのが気に入ってます。
(2005.11.15)

 

「ハリー・ポッターの生まれた国」 日本放送出版協会
黒岩徹 著   

   ハリー・ポッターの生まれた国


イギリスの食事は本当に不味いのか、ペットとガーデニングへの情熱、古いもの好き――滞英生活16年の著者が「ハリー・ポッター」のエピソードを交えながらイギリスを語るエッセイ。

 ハリー・ポッターは一冊も読んでないのに、映画は一本しか見てないのに何故か読んでしまいました(笑)。もっとも、話題のいくらかがハリー・ポッターと関連があるというくらいで、むしろファンの方には物足りないだろうと思います。
 ところどころ、つけ足しのような「イギリスって」という結論を煙たく感じてしまったり、ロイヤルファミリーの話に他よりもページ数が割かれていることに「?」という気持ちになったり……好みの本とは言い難いですけど。
 面白かった表題を拾ってみると、

 三度食べてもおいしい? イギリスの朝食
 狩は禁止すべきか
 ストレンジな仮装パーティー
 魔法学校の食堂は、オックスフォード大にある
 ハリーもロンもお古を着ている

 また、お国柄をネタにした冗句もいくつか紹介されていて、笑ってしまったのはこれでした。
「イギリス人は動物を守るために殺し合い、フランス人はフランス語の純粋性を保つために死ぬまで戦う。イタリア人は食べ物以外のことではめったに怒ることがない」
 どうなのでしょうね(笑)。
(2007.12.27)

 

「なんくるなく、ない
- 沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか -
新潮文庫
よしもとばなな 著   

   なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか (新潮文庫)


沖縄と奄美で出会った人々、食べ物、森林、歌……著者が体中で感じた南の島の暮らしを書いた旅日記。写真とイラストも収録。

 沖縄へ行こうかな、と思っていたのですが、台風シーズンなので諦め……その代わりに、と図書館で借りてきました。

 読みながらどんどん五感が働き出すような感じがしました。自分の細胞が元気か否か、耳を澄ませているような、静かで幸せな読み心地です。 この方の小説は波長が合わないのですが、エッセイはまた読んでみたいと思いました。

 印象的だったのは、沖縄の森(亜熱帯降雨林だそうです)の生態の豊かさと繊細さ。 風や日の光を受ける森の上部と、雨の当たらない下部とで種類の違う生物が生きていること。また、伐採すると木の中の栄養分が雨で流されて、枯れ始めてしまうこと、など初めて知りました。南国というと、何となく「放っておいても何でもばりばり育つ、タフで豊かな土地」というイメージを持っているので、その繊細さに驚きました。多分、本土の森とは息づき方がずいぶん違うのでしょうね。

 笑ってしまったのは、海辺で落とした携帯電話の霊に祈りを捧げる酔っ払いたちの話。台風でホテルに閉じ込められ、暇だったので「急に金持ちになった友達の家に遊びに行く」ごっこをするいい年の大人たちの話。あほらしくて、楽しくて、ちょっとしんみりしました。
 また、唄も聞きたいです。近所に居そうなおじさんが三線を持つと、しゃきっと背筋をのばして唄いだす……こんな場面は、沖縄出身の知り合いの結婚式でも見たので、なるほどと思う。ぜひ、沖縄で聞きたいです。

 のどかな土地だけれど、いい人ばかりが居るわけではないし、楽しいことばかりでもない。そう語りながら、それでも出会った人々と一緒に過ごした時間を著者が大切にしていることが、よくわかります。

「お墓に持って行けるのは、そういう、すてきな人たちとのすてきな思い出だけです」
 この後書きの言葉に頷きました。

 行ったことのない沖縄の暮らし、住んでいる人の気持ちを知りたくなる。やわらかくて、不思議で、強くて、でも繊細で優しい……そんな形容詞ばかりが頭に浮かんだので、一度行って、見てみないといかんな、と思いました。ところで、この題名は何て意味なんだろう?
(2006.9.10)

 

「こんにちは! あかちゃん」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   こんにちわ!赤ちゃん―yoshimotobanana.com〈4〉 (新潮文庫)


臨月から出産、産後の体調と子供のアレルギーと向き合い、つきあう――2003年1〜6月の日記。

 赤ん坊がいるわけでもないが、読んでみました。
 予定日を過ぎてもなかなか生まれない、陣痛を今日か明日か、と待つ緊張感がすごい。かなり難産でらしたみたいで、お疲れさまとしか言いようがないです。
 産後もしばらくは自由に動けなかったそうで、自身と子供の体調を観察する視線が、しつこいほど細かくて、読み負けました。

 このねっとりとからみつくように、隙のない視線。この方、ひょっとしてホラーが得意ではないのかな、と思いました。すでに書いてたりして。きっと、ものすごく怖そうです。
(2008.10.9)

 

「引っこしはつらいよ」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   引っこしはつらいよ―yoshimotobanana.com〈7〉 (新潮文庫)


子供は商店街のある町で育てたい。そんな願いから思い立った新居探しの日々をつづる日記エッセイ。

 厚さ1cmの最中のような本。背表紙の厚さが1cmなんですが、その隅の隅にまで餡子がつまっていて、しかもその餡にはナッツやレーズンやドライフルーツのようなものがぎゅっと練りこまれている――そういう充実感のある本でした。

 日記(厳密に毎日ではないのですが)形式のエッセイなので、どこへいった、何を食べた、何を思ったのか、がぎっしり書かれているんですが。まあ、なんとも濃ゆい文章! 1日に3ページしか読めないエッセイなんて、初めて出会いました。
 大好きなものへのあふれるような愛情、不条理への断固とした怒りが洪水のように押し寄せてくる。著者は出会う人々とすごす時間を本当に大事にしてる人なのだな、と感じました。

 怒涛のおしゃべり。これが苦手な方にはまったくおすすめしませんが(読書しながら疲労するので)。でも、著者のこの情の細やかさには一度出会う価値あり! だと思います。
(2008.3.19)

 

「さようなら、ラブ子」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   さようなら、ラブ子―yoshimotobanana.com〈6〉 (新潮文庫)


子供と友人に囲まれた日常生活の中から去ろうとしているラブ子。親しい存在に近づいてくる死をどうやって受けとめ、残された時間をどのように共有するのか。愛犬と著者との最後の幸福の日々を記した半年間の日記。

 またも小説ではなく日記エッセイを読んでます。すみません、次回は小説も読みます。

 愛犬ラブ子を看病したエピソードは後半に集中しているのだけれど、前半の日常生活の描写の中でもいつも愛犬を見ている視線が感じられます。そのつかず離れずの距離感に、じんわり穏やかな気持ちになりました。
 犬でも人でも(と並べていいのか、と著者も書いてますけど)、大好きな存在とどれだけ幸福な時間を共有できるのか。そのためには何が必要で、何が要らないのか。考えさせられます。

 それにしても。きらきらした、印象的な言葉にあふれた日記です。
 愛犬のこと、ごはんのこと、フラのこと、本の話――あまりにたくさんのことが鮮やかに書かれていて、目が回りそうでした。それと同時に、この言葉の奔流にふれていると「凝りがほぐされる」感じがしました。

 川に喩えれば上流から中流あたり。渓流の勢いがまだあるけれど、そろそろ澱みもごみも無くはなく、それでも黙々と下流をめざして下っていく風景が思い浮かぶ。そこを夢中で泳いで、疲れて岸にあがると(本を閉じると)、気だるくて身体があたたかくなる。
 または、おいしい水を飲んで、それが身体に染み込むのを感じる時とよく似ている。

 本当に大切なことだけあればいい――そんな潔さが伝わってくる、素晴らしい文章でした。
(2008.6.19)

 

「美女に囲まれ」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   美女に囲まれ―yoshimotobanana.com〈8〉 (新潮文庫)


「子供には、バカでがむしゃらな自分の姿を見せたい」と考えるうちに、子供は二歳を迎えた。子育てが安定軌道に乗り出すと、小説を書きたくなってくる。創作への本格復帰直前の2005年1月から3月の日記。

 何でもよく見て、堪能しているのが伝わってくる。生活の密度が高いな、まるで離陸直前の飛行機か走り高跳びの助走中といた雰囲気、と思っていたら、お仕事復帰前だったのですね。
 牡蠣をあきらめきれないとか、台湾旅行で出会った麻薬のようなお茶とか、面白い話が満載でした。

 やられた、と思ったのは、マヤさん(MAYA MAXXさんですよね)のひとこと。

「でもな、男ってのはな、最後のところで女に負けてほしいものなんだよ」

 試合(何の?)に負けて、勝負に勝つってやつですか。男らしい、姐さん。
(2008.11.19)

 

「ついてない日々の面白み」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   ついてない日々の面白み―yoshimotobanana.com〈9〉 (新潮文庫)


病気になったり、ついていないことが続いた年を乗り切ったことが大きな力になった。台湾で食べた激烈薬膳、母・主婦・社長・作家という四つの仕事について、子供が別れの寂しさを覚えたこと――日々のできごとを書き続けた2005/4〜12の日記。

「書けないことが多すぎて、文が上滑りになっているのがよくわかる」と、あとがきには書かれているのですが、目が離せないような文や言葉が多くて、堪能しました。「さようなら、ラブ子」のように、1冊(1年)通して底に流れているものを強く感じるわけではないのだけれど、でも日記だからそれでいいのではないかな、と思いました。

 私はしんどくなると書くのをやめるのだけれど、書き続ける人もいるのだな、と気づいて面白かったです。あ、だから作家さんになるのか。

 以下は惹かれた言葉です。

 
弱気なときに考えた決心を、強気なときにもしっかりと抱いていたい。

 作家って基本的に偏っていて、頭でっかち、なまけもので、へんくつで、わがままで、実際的なことがあんまりできなくて、自分の考えの中に勝手に沈んでいて、世の中のすみっこでおどおどしてるもの。でもたま〜にその中からみんなの普通の生活を真実の光で明るく照らすような考えを拾い出してくるから、みんなは大切にしてくれるという職業だと思う。

 他人はいつもいっしょにいないからこそ優しいということも子供は知らないとだめだと感じる。

 おいしいものというのはレシピではなく、揚げ方、煮方、ゆで方なのだなあとますます思った。素材ですらない。

 チビは二歳だとモンスターだけど、七歳でナイトになる

 「誰も傷つけない文章なんてたいした意味はない」という気がします。全く意味がなくはないけれど。表現し続けることは誰かを傷つけるリスクを負い続ける覚悟をすることです。生きること自体がそうであるし、それでいいのだと思います。
(2008.7.1)

 

「愛しの陽子さん」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   愛しの陽子さん―yoshimotobanana.com 2006 (新潮文庫)


子供の幼稚園探し、ほんとうに良いフラのこと、会う約束もしていないのに何故かばったり会ってしまう人のことを綴った、2006年の日記。

 「あまり、陽子さんのことが出てないのは何故」と思って本の後ろを見たら、『陽子さんは家族のように大切な人だから、このタイトル』なのだそうです。可笑しい。
 内省的な視点の言葉が印象的、と思っていたら、本文からはわからないけれど変化の多い一年でいらしたらしい。その中でも良い言葉がたくさんありました。また、この一冊にもありがとう、です。

 子供を愛すること、それは一緒の時間を偏見なく生きることだという気がする。

 最近、「自分を大事にする」というとただ真綿にくるんでいやなものに触れないという考えのようにあちこちに書かれている。(でも)自分を大事にする、ということは、そうやって傷ついたときに痛みをもって人を切り離すことであったりもする。
(2009.2.2)

 

「なにもかも二倍」 新潮文庫
よしもとばなな 著   

   なにもかも二倍―yoshimotobanana.com〈2007〉 (新潮文庫)


歯医者通いにハワイ旅行、太極拳とフラ、事務所の引越し、サンフランシスコ、イタリア、タイ……。なにもかも二倍にふくらんだような、慌しい2007年の日記。

 本当に、お忙しい生活らしい。
 上に書いたイベント(?)の間に、ひょっとしたらあと一つ、二つ旅行が挟まっているんではないだろうか? 隅々まで餡子がつまったような文章に、いつもながらパワーをもらいました。
 面白かったのは、ますます育ってきたらしいチビくんのおしゃべり。

「幼稚園に行きたくないよ。だって悪い子がいるんだもん、二つも……」

 可愛いなあ。

 あとがきによれば、「だらだらと流し読みしていたら、自分にとってとんでもなく大事なことが入っていた。宝探しみたいな」本にしたい、とのこと。
 たしかに、こういう本です。入っている宝のきらきらした感じも、ぽーんと無造作に入っている感じも。もちろん、がらくたも好きです。
(2008.9.15)

 

「大阪の神々」 集英社文庫
わかぎゑふ 著   

   大阪の神々 (集英社文庫)


大阪生まれの著者が愛のあふれるつっこみとともに大阪の「神様」を語るエッセイ。

 旅行の予定があったものだから、図書館で目にとまって借りてみました。寺社の話かと思いきや、出てくる神様は「阪神タイガース」「戎さん」「家庭の守護神・おかん」……なるほど(笑)。
 密林のレビューを見ると、「誇張あり」「こういうところある、ある」「今は少し違う」などなど関西出身者でもそれぞれ意見があるようです。さらっと読めて、しかし唸らされる言葉もあって、私は面白かったです。

 楽しかったのは、大阪口説き・口説かれ文句、はんなり化するおじさんたち、商売人のご挨拶、家庭内主導権。ことに「自分流」の章は面白かったです。

「商売の勉強、それは人とつきあうことや、上手い自己主張の仕方、そして何より信用のされ方を学ぶことだ。そのためには当たり障りのないことばっかりではダメなんである」

 そうなんだよ、うんうん。「商売がうまい」というと、どこか「ずるい」みたいな印象がうっすらついて回るけれど、そうではないのですよ。こう言われると、自分もいい商売(仕事)したいものだな、と思いますよね。
(2007.4.10)

 

「東京おろおろ歩き」 中公文庫
玉村豊男 著   

  東京おろおろ歩き (中公文庫)


新宿歌舞伎町、六本木のディスコ、葛西臨海公園、クリスマス用品専門店……。1990年の東京の名所を、信州からやってきた二人連れが見物する、という体裁で書かれた都会探検紀行。

「おろおろ」という題名にふと心惹かれて、図書館で借りてみました。

 まず。これは1991年に刊行された本なので、書かれている名所や流行は今は思い出話としてしか読めません。当時を知っている人なら、のんびり読めると思います。
 きっと読み手の年齢によって「ああ、こんなのあったぞ」と思う事柄が違うのでしょうね。ある人にとっては「マハラジャ」、「御茶ノ水学生街」。私は「葛西臨海公園」、「分厚いアルバイト情報誌」かな。

 前半は、当時の東京の街のばかげたところ、めまぐるしいところが伝わってきて楽しい。また、あやしげな夜の街でのエピソードには大笑いしそうでした。ですが、後半は正直あまりぴんと来ません。話が無理矢理まとめられたり、落ちをつけられているような気がしました。
 あとがきの中で、東京と信州の行き来のなかで、著者自身の東京への欲望がしだいにしぼんでいってしまった、と書かれています。
 そ、そんなこと言われても読者は困りますって。そのなしくずし具合が伝わる、といえば、たしかにその通りなのですけれど。大昔の東京、昔の東京、今の東京、と考えるときの一点描としては面白いのですけれど……。
「都市・都会は面白い」「でも、私は帰る。田舎に」と締められても、釈然としません。だって、東京生まれには、ここが田舎ですのに。

 まあ、昔の本ですから、「これもいいですね」と思うことにしておきます。
(2007.7.31)

 

- 文明の大陸移動説 -
神の物々交換」
集英社文庫
荒俣 宏 著   

   文明の大陸移動説 神の物々交換―荒俣宏コレクション2 (集英社文庫)


旅と交易によってモノが伝えられ広まっていくように、文化も伝達されていく。食べ物やファッション、さらには神々までが人と人との交流の中で「交換」されていくさまを語る。

 どのジャンルがいいだろうと悩み、結局エッセイに落ち着きました。「旅日記」と言い切るにはちょっと風変わりだけど。

 話題は異文化交流、文化による未知のイメージのとらえ方の違い、情報の交換、価値観の変化……刺激的で興味はわきます。ですが、読みながらどこか落ち着かなくて、楽しい気分にならなかったのでした(私には怪奇趣味がわからない、ということもあります)。
 ごく個人的な感想なのですが。これは自分で考えるのが楽しい発想であって、人さまの話を聞いていても物足りないものなのかもしれません。もちろん興味深いのですが、読み終わってから自分で観察して考えてみないとどうにも腑に落ちない気がする。スポーツや料理に実体験が必要なのと似ているのかも。
 そんなわけで、面白かった言葉、考え方について覚書を羅列します。

* 新しい食品を普及させるためには、食べる人に幸福感を抱かせる調理法の発明が必要。ポテトチップスを皮切りに広まったジャガイモ食の話。

* ファッションは植民地事業。ファッションデザイナーは民族衣装に想を得るが、現地民には益はあるのか。ファッション界は一握りのデザイナーと文化人、ジャーナリストが支配する植民地国家。そこには奴隷である一般購買層と材料調達の場としての民族文化圏がある。

* 新大陸の発見。マヤの遺跡は、ヨーロッパ人に初めて「森に侵食される都市」「濡れた遺跡」というイメージを見せた。

* ジャガーとケツァルコアトルを信仰し、たくさんの神々を受け入れるマヤの神学。新しい神への寛容。サングラスをかけ、テンガロンハットをかぶったグアテマラの神像サン・シモン。マヤの現在の神々は「カトリックの喜劇」であると同時に、実は「マヤに奪われたカトリック」でもある。

* キリスト教はもともと古来の神々との交換によってスタイルを作った新参者だった。……異教の神々を限りなく吸収することで、キリスト教は高度な宗教から純朴な信仰までを取り込むことに成功した。

* プエブロ・インディアンのつくるカチナ人形。人形の色と形には決まりごとがある。この人形は、現代人が考えるような想像力を解放した結果ではなく、定型を遵守した結果なのだ。

* 「怪奇趣味がヨーロッパの闇の文化史を解明する鍵だ」澁澤龍彦

* 奇は、異ではない。奇はあくまで正統な体系のうちの一部に属する。……「奇」=「畸」が「いびつな田」を意味したように、かたちは奇妙でも一部である。……ところが、異は、体系の外にある。
(2007.4.10)

 

「吉野 弘詩集」 ハルキ文庫
吉野 弘 著   

   吉野弘詩集 (ハルキ文庫)


「I was born」「祝婚歌」「夕焼け」ほか、四季の風景、言葉遊び詩などを収録。

 詩も文学もさっぱり縁がないのですが、昔、合唱曲の歌詞になっていたのを覚えていて手にとりました。
 著者名では気づきませんでしたが、本を開いてみると見覚えのある詩「夕焼け」がありました。電車で席をゆずりつづけるはめになった娘さんを見守る詩……って、説明はひどいですか(笑)。国語の教科書で読んだ覚えがあります。

 わかりやすい、だからこそどきりとさせられる言葉遣いの詩集。空の雲や木々、小さな昆虫をじっと見つめる視線が厳しくも穏やかで好きです。
 たとえば木に問いかけながら、同じことを木が問い返してくるのを耳を澄ませて聞いている。そんな素直な心を感じられるようです。
 言葉遊び、漢字遊び詩は、谷川俊太郎よりも不器用で、温かみがあるような感じがします。

 昔から好きだったのは「雪の日に」。
 いいなあ、と好きになったのは「素直な疑問符」
 意味がよくわからないのだけれど、心にひっかかって、よく考えてみたいと思ったのは「貝のヒント」「雲について」。
 おもわず寒気がしたのは「冷蔵庫に」「湖」。
(2007.2.16)

「私のお化粧人生史」 中公文庫
宇野千代 著   

 私のお化粧人生史 (中公文庫)


美しくお化粧できることが毎日の何よりの幸せでしたと語る、恋に執筆に前向きに生きた小説家の自伝的エッセイ。

 作家の作品を読んでもいないのに、エッセイを読む――またも不可解なつまみぐい読書です。「生きていくために、とにかく一歩ふみだすこと」。この元気なひとことに惹かれて手にとりました。

 著者の芸術家との結婚遍歴は有名ですけれど、この本に書かれているのは十代の娘さんだったころのお話です。
 が、すでに強烈なエピソードがあったんですね。同僚の男性教師との恋愛がもとで学校を辞め、故郷を出る。当の男性教師が結婚するときけば、海外からでも会いに帰ってくる。毎朝早起きして洗顔に40分もかけたという、お化粧への情熱……。
 すごいです。今どきであっても相当風変わりに見えるでしょうが、明治〜大正当時の社会の中では、信じられないほどすっとんだ女の子に見えたことでしょう。

「顔のことばかり毎日考えていた私の青春」という題の章がありますが、まさに顔のことしか書かれていません。
 その「顔」のためにかける手間、可愛く見せるための工夫。その一方で、美しく化粧をしても人の目をだましているだけだと知っている。「美しくなければ幸福になれない」と思い込んでいた悲しさとお化粧がうまくできた時の恍惚とした幸せ――。
 多かれ少なかれ、十代の女の子の頭の中はこんなものだと思いますが、桁はずれに真剣な様子が可愛らしいです。

 同僚との失恋の話は、女性の目からみても怖かったですね。あまりに真剣すぎて。
 真剣をうけとめる気構えのない男性との、どうみても実らない恋の話。これには「十代のどこか自分勝手な恋でよかったね」と思いました。齢をかさねて、もう少し成熟した上でこんな恋愛をしたら、かえってお互いにたまらないでしょうから。まあ、いいんですけど(爆)。

 ものすごいパワーと幸福感が伝わってきます。しかし、不思議なことにさっぱり訳のわからん本です。
 教師を辞めたあと、上京したのだか朝鮮へ渡ったのだか、どちらなんでしょう。それとも、こんな大騒ぎを二回やらかしたんでしょうか。
(2007.7.3)

「河童が語る舞台裏おもて」 文春文庫
妹尾河童 著   

   河童が語る舞台裏おもて (文春文庫)


「芸術新潮」に1985年に連載されたイラストエッセイ。舞台美術家である著者が、舞台の仕掛けや工夫を紹介する。単に種明かしをするのではなく、演劇の舞台裏と表舞台がどのようにつながるのかを見せる。

 好きなんです、この方の絵。緻密で安心できて、ぬり絵心がくすぐられます(笑)。ことに、この本に収録されているのは実際に使われた舞台美術の指図書なので、説明が細かくて楽しくて、もう……(以下略)

 回り舞台のおおがかりな装置とか、背景美術に使われた意外な素材などという手品の種明かしのような話ももちろん面白いのですが、やはり、それらがひたすら「舞台で本物に見える」「盛り上がる」ために使われているのを説明する視点がいいのです。本物らしく見えるために作り物を使う、作り物で済ませられるところをあえて本物を使う。描かれる世界を本物らしく見せるために工夫を重ねるスタッフたちの連携。それらに圧倒されてしまいます。演劇世界を作り上げるためのこれらの工夫を見れば、劇場建築への苦言にも「そりゃあ言いたくもなるよなあ」と頷いてしまいました。
最後の一言がいいです。「観客あっての演劇なのである。芝居を育て、或いは滅ぼすのも観客である。だから、面白い芝居には拍手を、つまらないものには不満を!」

スタッフの方たちに拍手を!
(2005.10.1)

「河童が覗いたトイレまんだら」 文春文庫
妹尾河童 著   

  河童が覗いたトイレまんだら


「週間文春」に1989〜90年に連載されたイラストエッセイ。
「トイレを覗かせてもらえませんか?」著名人52人の自宅のトイレをスケッチして、トイレにまつわる話を聞く。

 どうしてこんなこと考えついちゃうんだろうなあ、と読み返す度に笑ってしまいます。よその家のトイレを取材というのももちろん、取材に応じた人たちのこだわりがユニーク。「トイレはただトイレなのに」と考える私の理解を超えた本でした。世の中、いろんなこだわりがあるのだな。排泄と対ということで、食生活を語る人もいれば執筆生活を語る作家さんもいる。トイレを通して語られる壮大もしくはちょっとした美学が面白かったです。

 この本に紹介されたトイレをおおざっぱに分けると「トイレは本来の使用目的のみ」派と「プラスアルファへのこだわり」派が2:1くらいの割合。プラスアルファ……本棚、メモ常備、電話あり、人形などのおもちゃあり、パソコンつき、テーブルつき(!)。ありそうで、なかったのがオーディオ完備トイレ。多分、世の中にはそんなトイレもあるだろうな。
(2005.10.10)

「河童が覗いた仕事場」 文春文庫
妹尾河童 著   

   河童が覗いた「仕事場」 (文春文庫)


「週間朝日」に1985年に連載されたイラストエッセイ。作家、音楽家、政治家、医者……様々な職業人の仕事場を著者が覗く。細かく描かれた俯瞰のスケッチと、取材に応じた側からの「河童を覗きかえす」感想コメントが収録されている。

「こんなもの、置いてありましたっけ」と、取材された本人から言われることもあったというイラストがすばらしい。収録のイラストのうちいくつかは、著者だけでなく「合作」になっています。外科医師の手術室は、手術嫌いの著者が貧血をおこしてダウンしたため、撮影とメモを同行の助手の方が行ったもの。また、撮影用に雲を描く画家、島倉二千六さんの仕事場では「線画では感じが出ないから」ということで、ご本人に壁の絵を縮小して描いてもらっています。共同作業の舞台美術家の方らしい気がして、合作も楽しい(助手さんの例はちょっと違うかもしれませんが)。

 オーケストラが演奏している、ある曲のある一瞬をとらえよう! という企画イラストは絶品と思われました。「(楽譜の)58ページ2小節目の頭の瞬間!」「ビオラは指先で弦をはじいている」「クラリネットの右の人は吹き終えリラックス。左の人は弱く吹き続けている」
 す、すごいなあ。もちろんオーケストラによってタイミングも違うので、絵だけで曲がわかるとまではいかないそうですが。こんな発想が面白いです。
(2005.10.10)

「河童の対談 おしゃべりを食べる」 文春文庫
妹尾河童 著   

  河童の対談おしゃべりを食べる (文春文庫)


親しい人と一緒に食べる、おしゃべりを食べる、をテーマに、著者と友人たちが招き招かれあっての対談と手料理レシピ。

出てくる料理は手のこんだ繊細なお品から家庭料理、お弁当、対談も演劇、恋愛、旅行、家族と幅広くて、盛りだくさんのあたたかい食卓についた気分で読みました。特に面白かったのは、「何でも知りたがって食してみる」「自分の家の電気はどこから来るか」「オーケストラに見る人間性善説」、おいしそうだったのは「扁炉」「本格インドカレー」「焼き山芋」……ごちそうさまです。
(2005.10.20)

「河童のスケッチブック」 文春文庫
妹尾河童 著   

   河童のスケッチブック (文春文庫)


旅で見たもの、食べたもの、もらったもの、差し上げたもの、珍しい品を集めた文字によるスケッチ、スケッチによるエッセイ。本を横に持って、縦に開くという珍しい体裁の一冊。

 話題が幅広いので、何の本なのかと言われれば「うーん。……スケッチブック」と、そっけない紹介になってしまいました。知っているものや場所が出てくると楽しさ二倍でした。知っていたのはインドのお弁当箱とサンバホイッスル、日本橋。
 イタリアへ壁を見に行く、山口から東京までのトンネルの時刻表をつくる、という妙な旅の話も面白いです。
(2005.10.28)

「まま子、実の子、河童ン家」 文春文庫
風間茂子 著 

   まま子 実の子 河童ン家 (文春文庫)


舞台美術家、妹尾河童氏の奥さんの著書。妹尾氏との出会いからタイトルどおり、まま子と実の子を育てられた体験をまとめた本。

 妹尾氏の著書(エッセイとスケッチ集)はよく読んでいましたが、奥さん側から見た話も面白いです。奥さんが書かれているのはごくあたりまえの考え方なのですが、かなり変わっている(と思われる)ご主人との生活でそれを淡々と守り続けるところが、大変な器量の方だなあ、と思いました。
(2002.12)
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