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エッセイ・詩歌 13

  

「明日は、いずこの空の下」 講談社文庫
上橋菜穂子 著

  明日は、いずこの空の下


 十七歳の夏スコットランドで迷子になり、研究の地オーストラリアで羊の尻尾を食べ、イランの遺跡を前に母と二人息を呑む―旅は苦手なのに、二十ヵ国以上を巡った作家上橋菜穂子が、異国の地で見聞きし、食べ、出会い、心動かされた出来事を表情豊かに綴る。


 旅先での出会いを中心に書かれたエッセイ。異国で見たことのない風景、その土地ならではの風習と出会った時に感じた距離感、ずれ、共感といったものが、著者のファンタジーの基礎になっているんだなあ、と感じる一冊でした。

 イギリスで数百年も前に壁に刻まれたルーン文字、オーストラリアの岩山でかつては調理のすり鉢として使われていた無数の穴の跡――過去の小さな痕跡から見えるものが、あの作品、あの場面になったのかしら、と考えるのも楽しい。
 時間も空間も離れたところで生きていた人へひとっ飛びに思いを馳せる、スピード感のようなものも感じられました。

 特に岩山のすり鉢のエピソードは印象的でした。

 何世代にもわたって、同じ場所で同じように使われてきた大地の道具。

 私たちが日々出会う技術はその発端も、途中の連なりも分らぬまま、いきなり私たちの目の前に現れてきます。でも、狩猟採集の暮らしの中の技術は、その多くが、きっとこんな風に、人の手や足の、ほんの少し先にあったのでしょう。



 異なる文化の暮らしのテンポ、道具ひとつからも別世界が見えることの不思議。
 そして、そのまなざしで自分の暮らしをあらためて見直すと、何とも奇妙で面白い現代社会だ、という気もするのです。

(2022.12.10)

 

「痛い靴のはき方」 幻冬舎文庫
益田ミリ 著

  痛い靴のはき方


イヤなことがあって、イヤだと思っていたら、別のイヤなことが。でも、そのおかげでひとつ前のイヤなことが煙にまかれてぼやけていく。イヤなことがある日も、ない日も、さいごは大好物のサバランや、デパ地下のアップルパイ、トラヤカフェのかき氷で終わらせれば元気が湧いてくるというもの。かけがえのない日常をつぶさに掬い取るエッセイ集。


 読むと心のコリがほぐれるようで、そして読み終わった後に腰を落ち着けてなにごとか考えようという気持ちになれるので、この方のエッセイはけっこう好きなのです。美味しいものが満載で、あれこれ買いに行きたくなるのでちょっと困るのですが(^^;)

 気に入ったのは「パーキングの『空』が『そら』に見えた、やさしいイラスト。

 そして、花粉からの避難で北海道を訪れたひとり旅の話。お気に入りのパン屋を見つけて、そこを基点に札幌の街をぶらぶらと楽しむ。こういうのどかで豊かな旅に憧れますねえ。私は貧乏性であれこれ予定を詰め込んでしまうので。そして、人生を楽しむ方法を知っている著者でもこんな一言が。

 人生はいつも<わたし>より前にいて、腰に結ばれたロープで引っ張られているような気持になる


 こんな時はやっぱり本を読んで過ごすのだなあ、と親近感がわきました。

 そして、タイトルの「痛い靴」の話には、少しびっくりしました。
 文字通りパンプスを履くと足が痛い、ということなのですが。あれ、痛くても慣れさせて履いてるんですね。最初は時間を区切って、慣れてきたら半日、一日と時間を延ばして慣れていく、それでも痛いけれど履く、らしいです。それで慣れる、という点に一番驚きました。

 私は腰を痛めそうになったのでパンプスは諦め、自動的に服装規定の厳しい企業への就職は諦めたので複雑な気分ですよ。

(2022.3.12)

 

「銀座缶詰」 幻冬舎文庫
益田ミリ 著

  銀座缶詰


街中で若い女性に配られるポケットティッシュを差し出されなくなった。自分より若い人とご飯を食べる時、お開きの時間を気にするようになった。それでも、まだたくさんしたいことがあって、夜遊びだってする……。40を過ぎて気づく、既に失われたかけがえのない「若者」だった時間と、尊い「今この瞬間」を掬いとる、心揺さぶられるエッセイ集。


 おなじみののんびりエッセイ。サラリーマンの通勤のおともにすると殊更じんわりする世界ですねえ(笑)
 なぜか年齢をねたにした回が多かったけれど、著者が自分の年を何かと思い出す時期に書かれたということでしょうね。楽しみや夢中になることを持ってる人は、素で年を忘れるもの。私も思い当たるところがあるので、苦笑いまじりの読書でした。

 このほんわり感の底には、子ども時代から家族や近所の人から受けたあたたかなまなざしがあったのか、と納得したのは「大切にしてもらった成分」。
 そう、愛された記憶が体にしみ込むって、家族にかぎらず対人関係の基本ですよね。じわじわと体を包んでしみ込んでくる――それを絵にしてしまうのが、イラストレーターのエッセイの楽しいところでした。

 時にクレームめいたエピソードもあるけれど、言っていることは当然だし、どれもさらっと書かれて嫌な気持ちにはなりません。
 この「さらっと」書けるというのが、なかなかできることではないと思うのです。

(2022.4.12)

 

「言えないコトバ」 集英社文庫
益田ミリ 著

  言えないコトバ


「おひや」「おもてなし」「結婚しないんですか?」「今の子供は…」など、世間でよく耳にするけれど、気恥ずかしかったり抵抗があったりして、自分ではうまく使えない。そんなコトバはありませんか?時代の流れや相手との関係性で姿を変えるコトバ。「あるある」と思わずうなずいてしまう、何気ない日常の一コマを切り取ったほんわかコミックエッセイ集。


 言えない言葉にはいろんな理由がある。自分のキャラクターに合わなくて、世代が合わなくて、文章はみても口に上せないコトバ、等々。
 その居心地の悪さを表現するような、見出しの手書き文字がおかしい。うんうん、そういう所在なさがあるんだね。言えないことにもやもやを感じて理由を考えて、でもたいていはもやもやが晴れないまま、というおかしいエッセイでした。

 確かに「おひや」とか「おてもと」は言わないなあ。「チャリ」は年齢限定されそうだし。服の試着の時に言われる「ちょっとしたパーティー」ってなんだ? そして、「古き良き時代」って口に出すことはなさそうです。

 可笑しくて面白い言葉もあれば、口にするとちくりと心を刺す言葉もある。「つかえない人」とか「育ちが悪い」なんて口にしない方がいい。心のそこに澱のようによどんでしまいそうだから。

 そして、いいなあ、と思った言葉。


 仲良しの友達が困っていたら、助けたいとは思っている。だけど、それは「親友」じゃなくて「友達」だからでいい。親友は、もういらない。
(「親友」)


 元気はもらえなくはないが、なにもないところにはやってこない。元気になれた何割かは、本来持っている自分の力のおかげでもあると考える方が、より気力も増すように思えるのだった。
(「元気をあげる」)

(2022.5.1)

 

「上京十年」 幻冬舎文庫
益田ミリ 著


  上京十年

OL時代に貯めた200万円を携えいざ東京へ。イラストレーターになる夢に近づいたり離れたり、高級レストランに思いきって出かけ初めての味にドギマギしたり、ふと老後が不安になり相談窓口に駆け込んだり。そして父から毎年届く御中元に切なくなる。東京暮らしの悲喜交々を綴るエッセイ集。


上京エッセイは自分の知らない東京を教えてもらえるので結構好きです(笑)
 東京では標準語で話しても、実家に帰って家族や地元の友だちとは方言で、東京とは違うリズムやペースで話す、というのがかなり羨ましい。バイリンガル(え?)、いいなあ。

 今回気に入ったのは、各章の扉に載っている上京川柳。これも益田さんの作ですよね。


強くなる 汚れるわけじゃないと思う

あと何回 母の料理を食べるだろう

悲しみがない怒りなら まだましだ

美味しいもの 大事なひとを思い出す




 もちろん本文の方も、はっとしたり、くすっと笑うエピソードがたくさん。

 映画の試写会と思い込んで、制作発表会へでかけてしまうなんてツワモノすぎる。
 そして、カルチャースクールの更衣室で聞こえてくる世間話。介護や病気など日常の難題を抱えながらも、週に一度はフラメンコを踊ろうとする、見知らぬ人の強さにほれぼれしたり。

 また、自分が嫌いな人は嫌いなままでいい。嫌な人のためにいつまでも自分が傷つく必要なんて無いのだ、と。そういう強さを持ってもいいじゃないかと気づく時もある。


 ――この素直さが、この方のエッセイの良さなんですよね。


(2022.5.14)

 

どくだみちゃんとふしばな 4
「嵐の前の静けさ」
幻冬舎文庫
吉本ばなな 著

   嵐の前の静けさ


「経営者とは、部下を鼓舞して良さを発揮させつつ、自分はその数千倍働きたい人」「人と人がいる。お互いを好きになる。だから少しずつ歩み寄る。ふたりで空間を創る。それが順番」。事務所を経営してわかったこと、恋愛の自然の法則―。悩み解決のヒントを得られ、自分で人生の舵を取る自信が湧いてくる。


 「note」の連載エッセイの書籍化。シリーズエッセイの4から手にとってしまい、とまどい気味。
「ふしばな」とは「不思議ハンターばな子」の略なのだそう。散文形式のどくだみちゃんと、ブログ形式のふしばなの記事が交互に同じテーマを語っているようですが、まだその区別の味わいをつかめません。ぼちぼち読んでいけば、わかるかな。

 noteではおおむね週1回くらいのペースで連載されていて、そのほどよい(?)まめさ加減は本になっても気持ちいい。多分「日記」だと内容が薄くて、月1回だと重すぎるのだろうな。近年の題材に多いスピリチュアル系の味わいはそれほど濃くなくて、私の好みでした(4以外はわかりませんが)。

 人間観察の鋭さはやっぱり随一。


 魚をなるべくいじらずにさっと捌くみたいに、
 肉を何回もひっくり返さずに炎の様子で焼き加減を測るみたいに、
 最小限に時期を捉えて動くことがなによりだ。

 人生をぐちゃぐちゃいじくりまわして考え、行ったり来たりしながら結局動かないでいるのが、きっと一番疲れる。




 弱点はそのままに。
 かなりのスキルがある人たちが、まるでそこだけ見えないかのように「やらないこと」が必ずある。
その「抜け」をよく見てみると、その人のとても重要な部分に不思議な形でつながっているのです。


 長所の真裏に、小さな要石みたいにある「抜け」。
 最小限に留まってくれているうちは取り除かなくていい。

 取り除いたら、長所の方がなにかまずいことになる、そんな気がします


 凡人まっしぐらに生きてる私は「わかっちゃいるんだけど」と呟くしかできないけど(汗) 何かの折に思い出せたらいいな、と思う金言でした。

(2022.3.28)

 

どくだみちゃんとふしばな 5
「大きなさよなら」
幻冬舎文庫
吉本ばなな 著

  大きなさよなら


「ほうっておいても、あっという間にそのときは来る。みんな同じように地上から消えて、思い出だけが残る。だから、泥水を飲むような思いをしたり、甘い蜜を舐めたり、月を眺めたり、友達と笑いながらごはんを食べたりしてゆっくり歩こう」。大切な友と愛犬、愛猫を看取り、悲しみの中で著者が見つけた人生の光とは。


 ペットや友人の死を経験しての著者の心境が綴られた1冊。もともと生と死、生命力といったテーマを持ち続けている作家さんなのですが、いつになく重く感じたのは私の状況のせいかしら。この巻は読むタイミングが難しいなあ、と感じましたね。

 でも、自分の体も心も大切にメンテナンスすることが、いつか自分を救うのだということがよくわかる。


 癒しは電撃的に訪れたりしない。構えができている人に「目をあけてごらん」という感じでじょじょにしみこんでいて、気づいたときには世界に色が戻っているんだと思う。


(2022.3.28)

 

どくだみちゃんとふしばな 6
「新しい考え」
幻冬舎文庫
吉本ばなな 著

  新しい考え


しいたけをたくさんもらったら、炒めて煮て炊き込んで、食卓はしいたけづくし。翌日やるべき仕事を時間割まで決めておき、朝になって全部変えてみたり、靴だけ決めたらあとの服装はでたらめで一日を過ごしてみたり。ルーチンと違うことを思いついたときに吹く風が、心を活かすエネルギーになる。気分や天候にあわせ自由に日常を紡ぐ名エッセイ。


 紙本とnoteの違いはあっても「待っている人のために言葉を尽くして語る」という著者の姿勢がずっと変わらないことにほっとします。

 最後まで笑っていられたら人生勝ちなんだと思った。病気に自分の持っているいろんなものをあげちゃいけない。
 人生を病気が柱であるものに変えてはいけない。楽しむ主導権は自分なんだ、誰にも渡さない。



 結局は、自分のまわりのごく小さい十人くらいの輪にいつもほんとうに平和にしっかりとかかわれたら、それぞれがまた十人を担当して、大きな化学変化が起きうる。



 言葉のこだわりは他の多くの作家さんと同じだけど、それを「届けることへのこだわり」が伝わってくる。届けるために媒体を選び、時には何かをばっさりと切り捨てる覚悟もしてるのがすごいと感じました。

(2022.11.15)

 

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