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歴史・文化(世界一般) 3 |
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「秩序なき時代の知性」 | ポプラ新書 佐藤優 著 |
秩序なき時代の知性 佐藤優が今もっとも注目するさまざまな分野のプロフェッショナルたち。古い常識や思想を超え今の時代を掴むには、新しい知性が必要。権力になびかず時代を嘆くこともない、最先端の柔軟な思考は、先の見えない時代を生きるうえでの力強い助けになるはずだ。 第1章 <哲学> 古代の哲学者は政治についても言及した (國分巧一郎) 第2章 <経済・働き方> お金があるから幸せとは限らない (小暮太一) 第3章 <法> これからの法と「民意」の捉え方 (水野祐) 第4章 <福島・原発> 福島を考えることは次世代の日本を考えること (開沼博) 第5章 <歴史> 日本には「物語の復権」が必要である (與那覇潤) 米原万里さん本を読む中で知った方。神学研究出身とは意外でした。そうか、こういう勉強をした人が外務省へ入るのかあ、と妙なところに納得。 著者注目のさまざまな分野の人物との対談集。分野はばらばらに見えるけれど、それが著者の頭の中ではつながるわけで。そこを想像するだけでも刺激を受ける対談集でした。 とはいえ、私が目をひかれるのは実例や行動をともなう思想なのです。哲学には(も)向きませんな。 5章に出てきた、国による歴史感覚の違いとは。 大きな物語としての歴史の概念はもともと西洋のものです。 私たち日本人は循環的な時間認識になりやすい。「紅白歌合戦」を見ながらどんちゃん騒ぎをして、「ゆく年くる年」でゴーンとやって、一年をやり直す。円環をつくる儀式なんですよ。(佐) 稲作に基づく民間信仰がそうだと言われますよね (與) 「紅白」云々はともかく、確かに『円環』は直感的に理解できる。 それと同じくらいの身近さで他文化の時間や歴史感覚を学ぶのは難しいけれど、少なくとも意識して感じていかないことには理解できず、それを踏まえての対話も実現できないのでしょうね。 そして、わかってはいるけれど、「権力を抜きにして歴史を論じることはできない」と、はっきりと言われてしまった。そうですよね。私はどうしても軟弱な、時代が違っても変わらない人心のようなものを軸に考えがちなので、がつんと殴られた気分でした。 また「人権」の対義語として「神権」と語る箇所も。 これも西洋的発想からの誕生で、キリスト教の神の権利が地上へ委譲されたものとして生まれた言葉。そして、その延長上に民主主義が形成される。だから、神権思想が主流であるアラブ地域では人権とそこに基づく民主主義が機能しない――。 なるほど、と感じました。 しかし、キリスト教基盤が(ほぼ)無いにも関わらず、民主主義と人権を受け入れる日本は、いったいどういう国なんでしょうね。他人事みたいですけど。 2章にちらっと出てきたアートの著作権の話も興味がわきます。 数年前のオリンピックのエンブレム騒動について、法的には著作権侵害が成立する可能性は低かった、というコメント。「著作権法上では、単に似ているだけでは権利の侵害とはならない(水野)」らしい。 私はデザイン畑の人間としては「似ていない」と考え、水野氏は「素人目には似ていると感じるのもわからないではない」けれど「法的には似てる/似てないの問題ではない」。さらに民意なんて要素まで、あの論争には加わっていた。ややこしい話ですが、それに対する弁護士としてのコメントはさすがに説得力のある説明。 アートや広告の世界はまさにパロディやオマージュですが、境界が曖昧です。まず、コンテクスト・文脈があって、その文脈をどう超えるかという形の表現になる。 では、「盗用」との違いはどこにあるかというと、オリジナルに言及されることで価値が上がるか、そうではないかで線引きされると思っています。 |
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(2022.5.1) |
「この世界を知るための教養」 | アスコム 佐藤優 著 / 田原総一朗 責任編集 |
この世界を知るための教養 「知の武装」で未知の脅威から身を守る。ポピュリズム、ナショナリズム、新・帝国主義、非介入主義、汎ゲルマン主義、シーパワー、ユーラシア主義、ランドパワー、グローバル化、第三次世界大戦…日本と世界をズバリ先読み。 第1章 「ポピュリズム」「ナショナリズム」〜日本〜 第2章 「新・帝国主義」「非介入主義」〜アメリカ〜 第3章 「汎ゲルマン主義」「シーパワー」〜ヨーロッパ〜 第4章 「ユーラシア主義」「ランドパワー」〜ロシア・中国〜 第5章 「グローバル化」「第三次世界大戦」〜これからの世界〜 佐藤優&田原総一朗 両氏による対談形式の1冊。題名がなんとなく恥ずかしいですが。。。 世界各地域の着目点がバランスよくまとまってわかりやすい。そして、比較的新しい出版(2017)だったので手に取りました(とはいえ、コロナとロシアのウクライナ侵攻によって世界はがらっと変わってしまっているわけですが) ポイントは、世界のシステムは「国家」「民族」「資本」のバランスから成っている、というコメント。 今はグローバル化(だけが)が進みすぎて、ある場所では「国家」が、ある場所では「民族」が反動のように変化しているのが現状、という説明でしたが、そういう視点からヘイトやナショナリズムを見ようとしたことはなかったので新鮮でした。 さて、もっとも期待したのがロシアの章。ここは佐藤さんの独壇場ですよね。 プーチンが独裁者というより、プーチン周辺の利権集団がそう見せることで利益を得て、プーチンは彼らのバランスをとっている、という説明は興味深いです。 また、今(2022年)となっては、こういうつもりだったのかな、と気になるコメントも。クリミア併合についての箇所ですが、 国境線は関係国の合意なしに変更しないというのが、戦後世界の重要なルール。 そのルールを、プーチンのロシアが勝手に変え、しかもそれが通ったわけです。かつては、あんなに大きな半島を手に入れるためには戦争をしなければならなかった。それが、戦争はせず、軍事的圧力をかけながら、一応は民主的な手続きに見える住民投票によってクリミアをウクライナから独立、それを併合というやり方をしたんです。 そして、意外と見落としていた視点があったのが日本(おいおい)、ヨーロッパでした。 日本については特に日米安保について。 そもそもアメリカから経済的&軍事的に自立している国の方が世界では少ない。日米安保はアメリカにとっても重要なので、アメリカに相手にもされない国になる方が危険――といった現実的な意見でした。日本国内からだけ見るのとはひと味違う考え方なんだなあ、と。 そして、戦後の北方領土をめぐるロシア(ソ連)との駆け引き。 4島をめぐって、「占拠」したのか「放棄」したのか、「黙っていただけ(嘘はついてない)」、アメリカの顔色も窺いながら、という駆け引きの中から最終的に安倍元首相がプーチンとの会談で光明をつかんだところで終わっています(2017年出版の本なので)。この後の展開も知りたくなってきましたよ。 ヨーロッパの章では、ドイツの存在感の大きさにあらためて気づきました。 確かに歴史からも経済力からもドイツの強さは承知していますが、周辺国から原発エネルギーを購入あるいは難民受け入れさせるなど衛星国化するような手腕に、ひと筋どころか鋼鉄ロープ3本撚りくらいしないとつきあえない国だな、とちょっと寒気がきました。 ここで、ヨーロッパ/アメリカ関係の緩衝役であったイギリスのEU脱退がどう影響するかが注目点、と。 また、EU内の格差拡大については、共通通貨になったことでバランス調整が利かなくなった、という説明が気になりました。 ギリシャの経済破綻を例に、異なる通貨であれば、ある国が不況でも為替変動があることで景気をよくするメカニズムがはたらくのだが、と。このあたり、すぐには把握できないのですが。。。 いずれにせよ、政治家ブレーンたちの折衝も含めて、政治は表も裏もどろどろですね。どこまで興味を持てるかはわかりませんが、知っておいて損はない話ばかりでした。 終章で書かれた宗教の復興も注目でした。 20世紀は東西対立が民族紛争や宗教対立を封じ込めていたが、21世紀にはそのタガがはずれた、と。日本人にはどこかピンとこない視点なのでは、という気がしました。 例えば、アメリカ大使館のエルサレム移転が宗教問題となって、アメリカを再びテロの標的にする可能性がある、と語られています。背景には、長老派キリスト教徒の「聖書に書かれたように、エルサレムが再びイスラエルのものになった」という感覚がある、というのですが。 ここを読んで、個人的にはぞくっとしましたね。そういうタイプの教会に通ったことがあるので。本気でそう信じているのですよ、彼らは。 かつてのイスラエル建国を聖書の預言成就と捉えたアメリカ人たち――もちろん全員ではないでしょうが、一定数の人は今もそう信じている。信仰は自由ですが、ことイスラエル周辺のことについては、アメリカ人はもうちょっと考えた方がいいんじゃないだろうか。 また、最近のニュースで気になったのですが。岸田総理がローマ教皇と会談してますけど、宗教面からもロシアと対立する立場を表明したと考えていいのかしら。各国の首相・大統領と会うのとは、ちょっと違うと思うのですよ。 日本人にぴんと来ないだけで、宗教界のどろどろに足を突っ込んだのではないかと思ったのでした。 |
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(2022.5.9) |
「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」 | インターシフト ガイ・ドイッチャー 著 椋田直子 訳 |
言語が違えば、世界も違って見えるわけ 原題「Through the Language Glass」。古代ギリシャの色世界から、未開社会の驚くべき空間感覚、母語が知覚に影響する脳の仕組みまで―言語が世界観を変える、鮮やかな実証。 第一部 言語は鏡 第1章 虹の名前 第2章 真っ赤なニシンを追いかけて 第3章 異境に住む未開の人々 第4章 われらの事どもをわれらよりまえに語った者 第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い 第一部 言語はレンズ 第6章 ウォーフからヤーコブソンへ 第7章 日が東から昇らないところ 第8章 女性名詞の「スプーン」は女らしい? 第9章 ロシア語の青 リンクはハヤカワ文庫版へ。 人が世界を認識する時に、言葉はどんな働きをするのか――世界を映す「鏡」としての言葉、そして知覚に影響をもたらす「レンズ」としての言葉、というふたつの構成で語られています。 具体的には色の知覚、空間の把握、言語の性別を例にあげていて、どの調査実験も自分も参加できそうな(そして、同じ結果を体験しそうな)もので興味深かったです。 特に興味をそそられたのは、色彩と言語のはなし。 色の違いを知覚する能力は時代、人種を問わないのに、それを表現する言葉が異なるのか。「黄」を見て「赤」と表現するのには文化背景、地理的背景が影響しているのでしょうね。 また、言語の性別(男性形、女性形、中性)が、話し手の知覚にどのように影響するのか。 ドイツ語とスペイン語では、男性名詞/女性名詞が逆転している言葉が多いらしく、単語と関連を感じる言葉を選んだり、それにふさわしい女声/男声を選ぶという方法で、言語の性別が人の意識に与える影響を調べたそうで。 これは、私も外国語を学ぶ中で漠然とながら感じた現象だったので、興味深く読みました。 蛇足な感想ですが、空間を視線基準(話し手から見て左、右)ではなく東西南北で把握、説明する民族がいる、というエピソードもありまして。彼らは見知らぬ場所で方角を把握するのに、植生や木の樹皮の状態などから総合的に判断しているそうです。これは面白いですね。 また、色彩についての章は19〜20世紀の自然科学の進歩の歴史を通して語られていて、いまだからこそ「そりゃ非科学的でしょう」と一笑に付されるような論文が大真面目で書かれていたことも面白かったです。本当に、学問というのは手探りともどかしさのうちに進歩してきたんですねえ。 |
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(2023.10.1) |
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