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歴史・文化(欧米) 1


「鉄の文化誌」
東京図書出版会
島立利貞 著 

   鉄の文化誌


古墳時代から近世までの製鉄技術の移り変わりと、それによって生まれた鉄製品が当時の人々にどのように受け入れられていったかを紹介している。

 鉄が作られる技術、鉄によってつくられる道具が互いに深く関係しながら発展してきたところが面白かったです。特に当初は品質の悪い鉄として捨てられていたものが、技術の向上によって利用できる形に生まれ変わっていく。原材料の良し悪しではなく、純粋に人間の発明、技術向上が鉄生産において勝利をおさめていく点が興味深かったです。鉄製品の例は武器、建築物、鉄道が多かったのですが、できればもっと生活に密着したもの(例えば農具、調理器具など)についても取り上げて欲しかったと思いました。
(2003.9.30)

シリーズ社会経済史 9
「イギリスの製鉄業」
早稲田大学出版部
J・R・ハリス 著  武内達子 訳

 イギリスの製鉄業 (シリーズ社会経済史)


イギリスに鉄がもたらされてから、製鉄技術が大きく進歩する近代までをとりあげる。

(石炭導入以前の製鉄をとりあげた一章まで読了)
 経済史シリーズの一冊であるせいか、採算がとれるかどうかという視点での製鉄所考が興味深いです。資料収集している時代からはずれるため二章以降は読んでいないのですが、大陸各国とは異なっていたイギリスの製鉄事情にも触れてあるようだったので、いつか読み返してみたい一冊です。
(2005.7.21)

「銅の文化史」 新潮選書
藤野明 著 
(2003.8.28)

「中世騎士物語」 新紀元社
須田武郎 著 

   中世騎士物語 (新紀元文庫)


 架空の人物ジェラールの目を通す形で、中世の騎士の生活や風習、戦術を紹介する。

 中世の騎士の生活ついて大まかに紹介されていて、入門書として手にとりやすい。「人名」「地名」に複数言語での表記をつけたり、原語の綴りを記載するといった工夫がありがたいです。でも、挿絵がまんがみたいで、ちょっと妙。(2014追記。リンクさせたのは新版かもしれません。もしかしたら、絵も変わってるかも?)
 武器の変遷、剣や槍で戦っていた時代の戦術や陣形の組み方などの話が興味深かったです。これまで陣形というと、戦いの初めの兵の配置という平面的なもの、図像としか捉えていなかったのですが、戦いが始まり時間が経つうちに変化する軍全体の形を前もって想定しておく、いわば四次元の空間設計のようなものなのかな、と思いました。
 他国の軍の奇抜な陣形を見たら「あんなばかなことをして」と思ったでしょうし、それが中々効果をあげたなどと噂に聞けば、次の戦いの時はうちでも取り入れてみようと、各国の王は考えたんでしょうか。どうも短絡な思考ですが。兵の力量はさておき、戦術、布陣が戦いの勝敗に結びつく。そんな可能性を始終考え続けている戦術家とはどんな人たちだったのだろうと、ふと考えました。
(2005.2.16)

「傭兵の二千年史」 講談社現代新書
菊池好生 著 

   傭兵の二千年史 (講談社現代新書)


古代ギリシャから現代まで続く戦争の歴史を作ってきた傭兵の姿を追う。スイス傭兵部隊とドイツ傭兵(ランツクネヒト)部隊を大きくとりあげている。

 私は戦争はいつの時代でも醜く残酷なものだろうと思いますが、それに関わる人たちの事情や心情は想像しがたいものがあります。戦争を否定する教育を受け、性別、年齢から言っても戦争から遠い立場にあるからです。他方、戦争はあって当然、武器を持つことを「大きくなったら」の夢に描く子がいる国もあります。現在、いろいろな社会があるように、歴史上にもいろんな事情の社会と考え方があったのだろうと思います。

 この本に書かれている傭兵たち。金のために腕を、時に命を売った彼らをみじめな姿と見ることもできます。でも、もしかすると当人たちにとっては、命を失うよりみじめな思いをしたこともあったのかもしれません。血が騒ぐ、儲けてやる、男をあげてやる、という思いもあっただろう、ひょっとしたら大義を真剣に信じた者もいたかもしれない。
そんな人が、ある日気がついたら迎えてくれるはずの故郷や家族を失っていたとすれば。その理由を理解できなかったならば、それこそ悲劇なのかもしれない。そんなことを考えました。
(2005.10.1)


「物語 スイスの歴史」
中公新書
森田安一 著 

   物語 スイスの歴史―知恵ある孤高の小国 (中公新書)


ケルト人が住んでいた紀元前700年代から、西暦2000年までのスイスの歴史を辿る。多言語、多文化の連邦国家、永世中立国はどのようにして生まれ、ヨーロッパ各国の政治外交の中でどのような位置を占めてきたのか。

 これだけ長い歴史が新書にまとめられているので、ものすごい駆け足の歴史物語です。物語と銘打っているので一般読者層に向けだろうと思いますが、駆け足すぎて要点がわかりにくい部分があり、少々もったいない。私の読解力不足のせいもありますが。
 今のスイスの原型ともいえる盟約者団の成立した13世紀頃の章は、特に興味深かったです。ハプスブルグ家他の領地争いの中で、共同体の自由と自治を確立、周辺国につぶされないだけの力を蓄えていく様子が簡潔にまとめられています。他国へ傭兵や労働力を提供し、金銭を払って得た「自由と自治」、これを守るためにも更に代償が必要となる。ある意味、あたりまえのことなのですが、これが誰か特定の支配者ではなく地域住民によって決められたというところが、独特の歴史だと思いました。自由と自治は、安くない……。

 ところで、政治も歴史にも疎いとはいえ我ながらひどいかも、と反省したのですが。「永世中立国」って、イコール非武装だと思い込んでいましたが、違うのですね。
 外務省のHPを見たら、今のスイスは「徴兵制・戦時動員22万」だそうで。総人口に対する割合を出してみましたら、2.9%。他のヨーロッパの国より低いとはいえ大して変わらない。いや、各国で軍備体制が違うから、この計算も大雑把すぎるけれど。
 武装の中立国、非武装と言いつつもあれこれ持ってる国、中立を放棄する国、非武装だけど中立ではない国……それぞれ事情があります。自由と自治は安くない、でも人の命も安くない、といろいろ考えさせられました。
(2005.10.20)


「中世の星の下で」
ちくま文庫
阿部謹也 著 

   中世の星の下で (ちくま学芸文庫)


中世ヨーロッパの庶民はどのような生活をしていたか。現在に残る言葉、風習などから当時の社会意識や宗教観を考察している。1970〜80年代に雑誌に掲載された文をまとめた本。

 ヨーロッパといえばキリスト教世界という一面しか知らなかったので、庶民の中で語り継がれたキリスト教化以前の民話とか残っていた風習が取り上げられていて興味深かったです。子供を亡くして嘆き悲しむ母親の夢にその子があらわれて、涙で着物が乾かないから泣かないで欲しいと頼む民話、日本では厄除けに塩をまくように石を投げるとか、東洋と通じるものがヨーロッパにあったというのが面白いです。
(2003.6.29)

中世ヨーロッパ万華鏡1
「中世人と権力」
八坂書房
G・アルトホフ 著 柳井尚子 訳

   中世人と権力-「国家なき時代」のルールと駆引-中世ヨーロッパ万華鏡1


国家も三権分立もなかった時代、どのようにして政権が握られ民衆が統治されてきたのか。野蛮な闇の時代とされてきた中世ヨーロッパの新しい読み解きを提示する。

 中世研究を一般読者向けに語ったもので、原書はドイツのラジオ放送との共同企画として出版されたもの。
 自分の知らないことを知ると、何を考えるようになるのか。これは比較的想像しやすいけれど、その逆は難しいと思うのです。
「もし○○を知らなかったとしたら、自分はどう考え、行動しただろう?」
 こんなことをつらつら考えていたので、この本のテーマはツボにはまりました。国家なく、現代の法とは違う決まりごとで動いていた世界はどんな風だっただろう、と考えるのは楽しい。

 構成はわかりやすくできてます。中世に欠けていたもの、それを補っていた社会システムや風習、そして時代が下るうちにそれがどのように変化したのか。これが大構造で、それぞれ具体的な例を挙げながらの説明、しかも各章末には総括まで書かれて至れり尽くせりです。

……が、私には少々難しかった(涙)。話題が話題ですから訳語が難しくなるのは仕方ないのかもしれません。一般向けといってもドイツ人の一般向けだから、あちらの歴史人物に馴染みが薄いと身近な実例ではないんですよ。しかし、着眼は興味深かったので、勉強して出直します、はい。
(2005.7.31)


「路地裏のルネサンス」
中公新書
高橋友子 著 

   路地裏のルネサンス―花の都のしたたかな庶民たち (中公新書)


14〜15世紀のフィレンツェの庶民の生活の様子を、当時書かれた風刺小話集「三百話」を交えて紹介する。例えばある農家の4世代にわたる資産や家内人数の増減、公の資料に描かれることのない下層身分の女たち、同性愛といったタブーであった風俗も取り上げている。

 当時の物価と月収をあげながら「流行の上着丈にしたものはいくらの税金」「傷害事件は、傷ひとつにつきいくらの罰金」と、紹介されると、人々の反応を想像して楽しかったです。いわば贅沢税を払っても、子供に仕立てのいい服をあつらえる金持ちもいたというあたり、今でもありそうな話です。犯罪と刑罰を取り上げた章では、罪と罰の感覚が現代とはこうも違うのだと驚きながら読み進みました。顔の傷は名誉を傷つけるから罰金が高いというように被害者を考慮した規定もあれば、加害者が男女いずれかであるかによって罰の与え方を変えるというみせしめの意味の強い刑罰(鼻をそぐとか!)もあったそうで。それがどんな経緯を辿ってなくなって現代に至ったのか知りたくなりました。
(2004.11.18)

「ライン河の文化史」 講談社文庫
小塩節 著 

   ライン河の文化史―ドイツの父なる河 (講談社学術文庫)


ライン河上流から下流まで、周辺の風景を描き町を旅しながら、人々が河と森林を守ってきた歴史を語る。
(2004.1.15)

世界史リブレット23
「中世ヨーロッパの都市世界」
山川出版社
河原温 著 

   中世ヨーロッパの都市世界 (世界史リブレット)


中世ヨーロッパにおいて都市がどのように形成され、その実態がどのようであったか。また近世にかけて国家が誕生する中でどのような意味を持っていたかを語る。

 絵や図解が多くておおまかな歴史を知る手がかりとして読みやすいです。社会の仕組みの説明に重点が置かれてますが、当時の人口統計や挿絵によって市民の生活の様子がわかるのが嬉しい。職業集団、宗教と結びついた各種の信心会(隣組助け合いみたいなものなのかな?)と、都市に住む人が様々なカテゴリーに属していたことがわかります。現代の都市住まいとは意味が違うのだ、と興味深かったです。
(2003.5.19)

世界史リブレット24
「中世ヨーロッパの農村世界」
山川出版社
堀越宏一 著 

   中世ヨーロッパの農村世界 (世界史リブレット)


中世ヨーロッパにおける農村の誕生と発展の過程を追う。当時の気候や風習、領主制度と農業経営との関連を探っている。

 同シリーズ23(上記)にも言えますが、民俗という視点からだけでなく人口統計や地図、気候の科学的なデータをあげながら当時の農民の生活が想像できるのがいいです。一言でヨーロッパと言っても気候や土壌、自然環境が各地で違う。道具の発展によってその土地に見合った農業を作り上げていく過程が、また、貨幣の使用が広まる時代の農業経営と市場原理との関係も取り上げられていたことがリアルな感じで面白かったです。
(2003.12.20)

世界史リブレット25
「海の道と東西の出会い」
山川出版社
青木康征 著 

   海の道と東西の出会い (世界史リブレット)


ヨーロッパとアジアの交易が盛んになった13世紀からコロンブスによるアメリカ大陸の発見、16世紀のマゼランとエルカーノによる世界一周航までの「大航海時代」の概要が書かれている。

 コロンブス以降の航海事業の流れについて、頭の中を整理しようと借りてみました。背景となっているモンゴル帝国が勢力をのばしていた頃の東西交流の様子にも触れられていて、よりわかりやすかったです。これまで知っていたヨーロッパ人のアジア観「香辛料と黄金がたくさんある所」に加えて、「イスラム世界を向こう側から挟み打ちにしてくれる(かもしれない)勢力」という見方を知って、興味がわきました。

 この本は、とことんヨーロッパ人の視点で描かれているので「新世界」侵略の経緯には呆れてしまいます。早い者勝ちで「うちの土地!」と宣言するとか、当事者(現地人)ぬきで第三者が土地の所有権を争う構図。南米については知っていましたが、アフリカ西岸がこれほどヨーロッパ人に注目されていたとは知りませんでした。目的は、ひとつにはオスマン帝国の勢力伸張で香辛料の値段が上がり、代価にするものとしてスーダンの金を求めたため。アフリカ西岸から陸路で大陸内部へ向かったようです。また、穀物不足であったポルトガルにとって、モロッコの穀倉地帯は魅力的だったため。どちらにしても、勝手ですね。
 また、ポルトガルとスペインの航海権の境界線を定めたトルデシリャス条約と、それをめぐる経緯は面白かったです。時の教皇アレクサンデル6世(チェーザレ・ボルジアの父)が自身の権力の足場固めのために関わっていたこと、最終的に決定した境界線の位置とブラジルがポルトガル領となったこと、など……。重ね重ね、どちらにしても勝手な話なのですけど。

 しかし、航海者にもいろいろな人がいたのだなあ、とおかしくなります。カリカット(インド)と交易したくて海を越えて行ったのに、土地のイスラム商人の船を沈めて、結局、相手国との関係をこじらせて帰ってきた人もいたようです。

(おまけ)
 懐かしい船の名前が出ていたので、写真を引っ張り出してみました。世界一周航を果たしたヴィクトリア号の復元船(別ウィンドウ)。2005年、東京湾に寄港した時の姿です。遊覧船みたいな、小さな可愛い船でした。
(2006.9.1)

世界史リブレット29
「主権国家体制の成立」
山川出版社
高沢 紀恵 著 

   主権国家体制の成立 (世界史リブレット)


 16〜17世紀のヨーロッパに起こった数々の戦争。その政治的・宗教的背景と、戦争を経て生まれた主権国家という仕組み、それを支える秩序の意味を問う。

 中世ヨーロッパ関連の本を読んでいた流れで手にとりました。というのは、私が「国」という言葉に対して描くイメージでは本がうまく読めないことに気がついたので。何故、いろんな家の人が入れ替わり立ち代り王になるのか? 何故、そうもあっさり忠誠を翻すのか? 何かおかしい、わからない。今と昔では「国」という言葉の意味が違うんじゃないだろうか、と。

 もっとも、この本で扱われているのは16〜17世紀(近世)なので、中世の封建制度の話は冒頭に触れてある程度です。
 中世的な世界の秩序(教皇と皇帝を中心とした世界)が危機を迎え、代わって諸侯の治める領邦が勢力をのばしていく16世紀初頭の情勢。また、ルターの宗教改革の影響で「一体となったキリスト教世界」という理念が失われ、カトリックとプロテスタントの宗教的対立をきっかけとした紛争が続く17世紀。各国の事情が書かれています。

 中世的な秩序や思想が、時代の流れとともにしだいに薄れていく様子がわかりやすく書かれていると思います。ヨーロッパの国家というのは、まさに戦争の中から生まれたものなのだと強く感じました。また、(おおまかながら)軍隊や租税制度の変化という点からも国家の体制が整えられていく流れを追っています。

 そして、主権国家どうしの対立、抗争の中から国際法が生まれる。キリスト教的「正しさ」から離れた秩序が生みだされた――ここでようやく現代人の私にも想像がつく社会の姿があらわれてきました。

 急流を中世から近世まで溺れかけつつ川下り、行く手に見覚えのある時代が近づいてきた――こんな状態です。でも、中世との距離感がうっすら捉えられてきた気もします。面白いです。また、元気に中世の本を読もうと思います。
(2007.6.24)

「プラートの商人〜中世イタリアの日常生活〜 白水社
I・オリーゴ 著 篠田綾子  訳

   プラートの商人―中世イタリアの日常生活


14世紀イタリアの実在の商人フランチェスコ・ダティーニが残した帳簿、覚書、手紙が19世紀後半になって発見された。「ダティーニ文書」と呼ばれるそれらの史料をもとに、中世イタリアの生活を描く。

「その船がバルセロナに無事着いたというが、お前は予言者じゃない。万一何か起こったとしてみなさい。保険をかけずに送ったことをきっと後悔しただろう。もう一度だけ言うぞ」

 これはフランチェスコが共同経営者の不手際を叱責した手紙です。こんなやりとりを昔も今も商売人たちはしているのか、と思うと不思議な気持ちになります。史料の「ダティーニ文書」というのは彼の書いた帳簿や支店への命令、また単身赴任状態だったため、妻に家の切り盛りについて指示した手紙など多岐にわたるものだそうです。それを元にして当時の商売の様子や民家の生活の様が描かれていますが、こういうのは事例が細かいほど面白い。いくら読んでも飽きません。

 当時の商売に興味があったのですが、商品生産の工程や経費、流通経路の説明が詳細なので、全体像を思い描きやすいです。例えばフランチェスコは毛織商人なのですが、羊毛の買い付けと輸送、羊毛を洗って繊維を整えて紡ぐ、布を織る、仕上げ作業と、それをヨーロッパ各地で販売する過程が説明されてます。たまたま私はこれらの毛織の作業を実体験したことがあるのですが、実際、手間暇が途方もなくかかる作業です。ですので商人が利益を回収できるまでに3年かかったという説明は誠に納得いきました。こんな具合に、当時の商人たちが何%の利益を得たのか、得られない危険をどうやって回避していたか、推察されているのが嬉しいです。また、交換レートを使って利益を生む、ということがこんなに昔から行われてたのかと感心したり、その一方で「高利貸しはキリストの時代から忌み嫌われていた」といって金利商売を非難する時代でもあったことが興味深かったです。
   商売一本の彼を諌める友人セル・ラーポの手紙も引用されていることで、人間フランチェスコの姿がより鮮明に浮かんできます。手紙文の間から、信心深く穏やかなセル・ラーポと完璧主義で時に傲慢ですらあるフランチェスコの友情が感じられ、14世紀も今も変わらない人つきあいの楽しさが伝わってきました。

   商売の話に劣らず面白かったのが妻との往復書簡。「枕カバーがないです。そちらに置いてあるのでは?」「いや、そんなことはない。もう一度そっちで探せ」「「やっぱりありませんよ」などとやりとりしているのは面白いことです。
(2004.12.30)

「中世イタリア商人の世界」 平凡社
清水廣一郎 著

   中世イタリア商人の世界―ルネサンス前夜の年代記 (平凡社ライブラリー)


14世紀前半、フィレンツェの大手商社で働き、上層市民としてプリオーレ(執政官)まで務めたジョヴァンニ・ヴィッラーニ。その著作「フィレンツェ年代記」を通して、中世商人の生活、市民意識、歴史観を描く。

『西暦1300年、教皇ボニファティウス8世はこの年を聖年とする宣言を行った。』
『この年のローマへの巡礼者は200万人にも上ったという……この群集の中にフィレンツェの若い商人ジョヴァンニ・ヴィッラーニがいた』

 こうして始まった中世の話、夢中になって読んでしまいました。内容はしっかり中世世界の紹介です。

 アルプスを越えて北ヨーロッパに支店網を築きあげたイタリア商人たちの仕事ぶり、王侯貴族や教皇庁の御用商人としてヨーロッパ世界の経済を動かしていた様が伝わってきます。ヴィッラーニはフィレンツェでも大手のペルッツィとブオナッコルシ商社の両方に勤めていたそうですが、これはバブル期に三井、三菱に勤めるようなものでしょうか。もっとも、2社(ペルッツィとブオナッコルシ)とも破産してしまうんですが(生臭い話だ)。
 当時の上層市民の理想の人生というのは、商人として成功して都市政治に関わる職につく、ということだったそうです。ヴィッラーニもまたフィレンツェの要職につくのですが、やがて失脚。そして、1340年代以降、フィレンツェの経済自体が傾いていきます。その原因を年代記の記述や他資料から探った「危機の時代」「破産」の章は読み応えあります。かたい話ではありますが、ブオナッコルシ社の破産について、ヴィッラーニの記述と歴史事実との食い違いを指摘するなど、推理小説でも読むような感覚が面白かったです。
 ダンテとヴィッラーニは同時代(ダンテの方が15ほど年長)の人間で、ヴィッラーニがダンテの作品から影響を受けた、などという話もされています。私はダンテを読んだことがないのでわかりませんが、そういう視点で読んでも興味深い本かもしれません。
(2006.5.4)

「ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ
 幻のフィレンツェ海港化計画
朝日選書
R・D・マスターズ 著 常田景子 訳 

   ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ―幻のフィレンツェ海港化計画 (朝日選書)


ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ、2人の天才が取り組んだ、アルノ川の流れを変えるという事業に光をあてた本。その計画は宿敵ピサとの戦争の武器であり、更にはフィレンツェと海とをつなぎ貿易航路とするという目論見でもあった。結果としては失敗に終わったこの計画を追い、それが人々に残した遺産について語っている。

   登場人物2人の経歴と出会いを描いた前半はかなり面白かったです。マキアヴェッリがダ・ヴィンチへ仕事を依頼したことを、報告書や手紙の中から推察するあたり、探偵小説の謎解きのような雰囲気です。
また、この2人の姿が未踏の土地を目指す冒険家に見えたことも印象的でした。キリスト教理に反すれば社会的に抹殺される恐れもあった時代の中で、ものを観察して、時にはタブーをおかしながら真理に迫ろうとしたダ・ヴィンチ。当時広く知られてはいなかった、彼の軍事建築家としての才能を認めて登用したマキアヴェッリ。自身の知性が示す方向へ、誰も持ったことのない思考方法で進んでいく姿は、知の冒険家と呼びたくなります。盛期ルネサンスのミソってこういうことなんでしょうか。
   惜しい、と感じたのは、この本の要であるはずのアルノ川工事の計画と実行の部分がとてもわかりにくいこと。説明が少なく、図版が何とも不親切なこと! 地図が小さすぎて地名も矢印の意味もわからない(涙)。「モナ・リザ」の図版など、この本には必要不可欠ではなかったはず、その代わりにフィレンツェ〜ピサの地図でも大きく載せて欲しかったです。ダ・ヴィンチの計画全容と実行上の問題点があいまいで、この事業を後世の視点からとらえなおすという意図がどうにも伝わらない、という不満が残ります。
(2004.11.7)

「マキアヴェリ、イタリアを憂う」 講談社選書メチエ
澤井 繁男 著
4062582775マキアヴェリ、イタリアを憂う
沢井 繁男
講談社 2003-09

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「君主論」と、統治についてのマキアヴェリの思想の読み解きというのがこの本の主要な内容なのですが、「君主論」そのものを読んでいないので概要は省略させて下さい。

 出張したら上司が病気で先に帰ってしまい、権限もないのにひとりで商談を進めなければならなかったサラリーマンの報告書というのはなかなか読み応えあります。(いや、それだけの本でもないのですが)
自分は統治者ではない、一官吏であると自覚していた人物の、それだからこそ思い描くのかもしれない理想の統治者と統治のあり方というのが熱を持って迫ってくる本でした。

 長年、マキアヴェリとはTVの政治評論家みたいな人、と思っていたのは大変無知なことでした。詩人であり自ら外交官であったとは、まさにルネサンス人のひとりだったのですね。すみません、間違えてて、と本を読みながら謝っておりました。
書中の人物に謝る……そんな珍妙なことをしてしまうほどに、マキアヴェリの人物像が生き生きと描かれています。生誕や青年時代の逸話といったことにはあまり触れられていません。あくまで著書の読み解きと外交官マキアヴェリの見たイタリア半島情勢を描いた本です。
それでも、というか、だからこそ。一人の人間としての彼の姿を近くに感じられるのかも、と思います。それは知人を思い出す時に顔だちよりも、話したことや雰囲気の方が強く脳裏に甦るのと似ています。

 この時代の本を立て続けに読んでいるのですが、マキアヴェリやらチェーザレ・ボルジアやら、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、加えてアメリゴ・ヴェスプッチやらがごろごろ出てきて、まるでオールスターゲーム。すごい時代だったのね、と妙に感動してしまいました。

(2004.12.10)

「君主論」 岩波文庫
N・マキアヴェリ 著
 河島英昭 訳

   君主論 (ワイド版岩波文庫)


国の維持には何が必要か。力量ある君主とはどんな人物か。彼はどう行動するべきか。小ロレンツォ・デ・メディチへ献呈された統治術についての文。

   今から500年前に語られた言葉ですが、まるで目の前に著者がいて講演しているかのように生き生きとした力ある文章。机上の空論ではなく、当時の「現代」を観察し「現実」に役に立つことを願って書かれた、そのリアルさゆえの力強さだと感じました。
ビジネス書として読む人がいるそうですが、私はこれには違和感があります。文章は「○○ならこうすべきではない。何故なら……」といった調子で明快ですが、当時知らない人はいなかった出来事を実例にあげた警句の意味は、見た目より深いのだろうと思います。ヨーロッパ各国の情勢や事件を知らないと、とんでもない誤解をしてしまいそう。これは16世紀の人物が、聖書の逸話もアレクサンドロスの東方遠征も並列で例に挙げながら「現代」の政治を語った本。21世紀の政治を同じようには語れないはず。そのまま流用しないで、と企業戦士上司諸氏にお願いしたいところです。このまんまの上司がいたら嫌だわあ。
 随所に現れる、詩のような比喩に驚かされました。

「(川=運命は)平野に氾濫し、樹木や建物を破壊し、こちらの土地を削ってはあちらの側へ運ぶ……」
「運命は常に女に似て、若者たちの友である」


 「君主論」は論文というより理想を描く文学作品に見えます。統治術自体が、マキアヴェリにとっては国家という精緻な作品を描くための画法のようなものだったのではないか、と思うのです。詩でも論文でも、統治術でも、どんな手段であってもいいから理想の本質に迫り、それを形に表わそうとする意思を文章の間に感じました。それは同じ時代、芸術家でも科学者でもあったダ・ヴィンチが禁じられた人体解剖を行ってまでして描画を重ね、人間の身体に迫ろうとしたのと、どこか似ているような気がします。
(2004.12.17)

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