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歴史・文化(欧米) 6

  

「イギリス・ニッポン 政治の品格」 展望社
高尾慶子 著

   イギリス・ニッポン政治の品格


政治はプロフェッショナルの真剣勝負。日本のように有名人だというだけで立候補しても当選しない。ベッカムが出馬しても笑いものになるだけだ。アマチュアに政治をまかせられるか、というのが英国人の考えだ。

 イギリス在住者の目で見た移民やムスリム観を読みたくて手に取りました。タイトルは『政治の〜』となっていますが、中盤までほとんどは親戚や著名人の人脈の脱線話ばかりで辟易しました。
 終盤ではイギリスの年金制度、ホームレス対策、移民社会などに軽く触れられていましたが、そこをもっと読みたかったな。移民問題は日本では意識しにくいので考えさせられます。イギリスはヨーロッパの中でも移民が多い国のようですが、

 こういう英国になってしまったのは移民のせいではなく、英国人の「寛容」だ。
 怠け者でまったく真剣ではなく、二言目には「Never mind!」と自分にも他人にも寛容で、なんでも許してきたから、働き者の移民に国を乗っ取られてしまったのだ。



 著者いわく、白人の英国人は金融か不動産かスポーツ選手を夢見るばかりで、ハードワークをしたがらない、と。移民受け入れの時には、移り住む側だけではなく受け入れる側の問題も同じように考えるべきだろうと思うので、この箇所は印象的でした。
 これって日本とおなじような構図なのね、そこで移民頼みというのも同じなのね、とちょっと不安を感じたのでした。「まあ、日本人はもうちょっとましかな、鉄道マンなり飲食店なり働きたい人はいるし……」と思ったところで、いや企業は日本人を雇うことには拘らない、もっと安い労働力にシフトしたいシステムを作ってるんだな、と気づいて今度は本当に背筋が寒くなった。まったく、このままじゃ企業が日本を滅ぼすよね(汗)

 そして、物足りなさもあったとはいえ、日本の外から見た、日本の政治感覚(というか、政治音痴感覚)についての言葉は身につまされるものがあり、面白かったです。
 まだまだよくわかりませんが、日本の社会制度、政治家の視線は私が考えていた以上にアメリカの方を向いてるのかも、と思ったり。「国民からお金をむしりとって、何も返してくれないのが政治」と漠然と考えてきたのはそもそもおかしかったのかも、と気づいたとか(率直単純すぎるかもしれませんが)。

 そして、ひとつの国の社会制度とはいろんな要素がからみあって出来てるものだから、いい部分を取り出して移植しよう、なんて虫の良いことはできないと肝に銘じておくべきだな、と考えたのでした。。
(2016.4.10)

 

「戦うハプスブルク家
   ― 近代の序章としての三十年戦争 ― 」
講談社現代新書
菊池良生 著

   戦うハプスブルク家 (講談社現代新書)


中世的秩序をゆるがし、新たな国家間システムを生み出す契機となった、ハプスブルク家(旧教)・新教諸勢力間の悲惨な長期抗争の推移をたどる。


第1章 ハプスブルク家の野望 ― 「第五君主国創設」と普遍帝国理念
第2章 三十年戦争始まる ― ボヘミア反乱
第3章 フェルディナント二世の絶対主義政策
第4章 皇帝の切り札ヴァレンシュタイン 
第5章 北方の獅子グスタフ・アドルフ 
第6章 ヴァレンシュタイン暗殺と戦争の行方 
第7章 リシュリューの帝国政策 ― フランス参戦 
第8章 ウェストファリア条約


 17世紀の三十年戦争と呼ばれるヨーロッパ全域を巻き込んだ戦争期間についての本ですが、イマジネーションは中世や近代にまで広がっていて面白かったで す。ハプスブルク家だけでなく、諸侯、諸国との対立の構図全体が独特の語り口で描かれていて読み進むのが楽しかった。中世的価値観や忠誠のありかたが変化 し、それがやがてナポレオン戦争時代、近代につながっていくという流れがわずかながら感じられた気がします。

 印象的だったのは、ひとつは「ヨーロッパの『帝国』の基はローマ帝国にあったということ。
 帝国を建てよう、というのは、ぶっちゃけて言えば「我々のやり方なら神に祝福されたいい暮らしができる。うまく行くんだから世界全部それでやろ う!」というやり方なのだと思うのですが。その実例が過去にあったということが当時の人々の頭に刷り込まれていたんでしょうね。ただ、神聖ローマ帝国は、

「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」


 ……なんて書かれていますが。

 ともあれ、諸侯が実益をあげる口実となったり、結束・反目の基準として機能した仮想システムみたいな実態だったのでしょうか。このあたり、もう少し調べてみたいなあと思います。ともあれ、ヨーロッパというのは、帝国発想が時を経て何度もよみがえる文化圏なのかなという気がしました。

 もうひとつは、言葉による普遍主義。ラテン語にとってかわろうとしたのはフランス語、スペイン語でした。スペイン語が南米で広く使われた状況をスペイン帝国(といったところか)と捉えたことがなかったので新鮮でした。

 さて、中世末期に登場した帝国理念に宗教戦争、普遍主義が結びつき、各国が戦争に乗り出していくさまが面白い。発端となった「プラハ城窓外放擲事件」は、ちょうどチェコの歴史で読んだばかり。15世紀のフス戦争時代にもあった窓外放擲は明確に反乱を意味する、という説明になるほどと思いました。

 そして、皇帝と選帝侯諸侯との結びつき、あるいは駆け引き。オーストリア・ハプスブルク家、スペイン・ハプスブルク家、それに包囲されたかたちのフランスのあせり。そこに乱入してくるプロテスタント派のスウェーデン、意外と何もしてくれないカトリック法王庁など、多くの勢力がせめぎあい、戦闘の絶えない時期が長引いていく。
 理念や宗教上の争いとして始まった戦争は、しだいに戦闘のための戦闘、契約(条約)のため、メンツのためといった混迷状況に。これはまるで、ブレーキをかけた後もしばらく止まらない車輪の暴走だな、という気がしました。

 スウェーデンのクリスチナ女王他の努力によってウェストファリア条約が結ばれ戦争は終結。せまい地域(ヨーロッパ)で主権国家が並立して生き残るための新秩序ですが、これもあくまでヨーロッパによるヨーロッパのためのしくみ。その後、ヨーロッパは絶対主義の時代に。その時期の国の形がそのまま近代国家の枠組みを作っていきます。

 来たる植民地経営時代の問題点を匂わせるような文もあり、中世後期から近代まで一気につながるという面白さを味わえました。
(2015.6.8)

 

「ハプスブルク帝国の情報メディア革命」 集英社新書
菊池良生 著

   ハプスブルク帝国の情報メディア革命―近代郵便制度の誕生 (集英社新書)


十六世紀、神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世により整備されたヨーロッパ郵便網は、ハプスブルク家の世界帝国志向がもたらした情報伝達メディアであった。 皇帝からその郵便制度創設を命じられたタクシス家はじめ商人たちもこの情報インフラにこぞって群がっていった。郵便網は瞬く間にヨーロッパ中に広がり、濃 密なネットワークを構築していく。そしてヨーロッパは郵便を駆使して最初の世界経済システムを作り上げた。近代郵便制度とは、グローバリズムがすすみ郵政 民営化がなされた今日、国家行政と郵便事業の関係を考える上で興味深い示唆に富む、ハプスブルク家の夢の産物でもあった。


序章 十六世紀のメディア革命
第1章 古代ローマ帝国の駅伝制度
第2章 中世の伝達メディア
第3章 近代郵便制度の誕生
第4章 郵便危機 
第5章 ヨーロッパ各国の郵便改革 
第6章 郵便と検閲そして新聞 
第7章 「手紙の世紀」と郵便馬車 
第8章 国庫金原理(郵便大権)の終焉と郵便の大衆化
終章 郵政民営化の二十一世紀


 中欧旅行でホルンの郵便局マークがなんとなく気になっていたので、手に取りました。郵便の到着を知らせるためにホルンを吹くとは知っていたのですが、イメージが全然違いました。私が考えていたのは、郵便を知らせるホルンが聞こえると、遠方のニュースを楽しみにしていた町や村の家々から人々が出てくる――というのどかな風景。しかし、実際にホルンが吹かれる状況は、もっと慌ただしかったらしい。

「速く、速く、速く、昼も夜も一刻も失うことなく飛ぶように速く」


 古代ペルシャにはじまり、エジプト、古代ローマと広まっていった郵便制度。ヨーロッパでは、最初は差出人から受取人へ届けるまでを一人の飛脚が担当していたのが(使い、ですよね)、宿場を設けて、人や馬を交代させて可能な限り早く情報を運ばせるようになった。このようなシステムをつくるには道路を整え、宿場を作り、運ぶ人間を確保しなければならない。しかし、戦況を知りたい国王、商売で遠方とやりとりしたい商人たちにとって、郵便は不可欠のメディアとなります。
 西ローマ帝国崩壊後、国による制度は崩壊したものの商人、巡礼者、修道僧によって手紙は運び続けられた。その発展のさまを当時の政治情勢、経済とからめて見ていく、わくわくする本でした。

 面白かったのは、郵便制度が生まれたことで中世の空間と時間の感覚が変わった、という考え方。
「時刻伝票」、配達人がどこに何時につくか、という記録をつけたことで輸送にかかる時間が把握される。また、宿場の設置によって距離感が明確に意識されるようになった。
 また、曜日や日にち感覚に影響したのじゃないだろうか。仮に毎週郵便が届くのだとしたら、教会が定める日曜日とは別の基点となるような曜日が生まれたのではないかと思うのです。

 また、18世紀になると郵便が庶民のものとなり、「手紙の世紀」「手紙過剰の時代」と呼ばれるほど膨大な量の郵便が行きかったらしい。


家でも旅の途中でもどこでも手紙を書く。
友情あふれる往復書簡を休みなく続けることは「神聖な義務」とみなされた。少なくとも二週間に一度は友人に手紙を書かなくてはならないのである。



 ……これって、現代のメールやLineで既読や返信を気にするのとそっくりですよね。
 手紙を書くことが広まった時の人々が感じたのは、パソコン通信が広く普及し始めた頃の衝撃に似たようなものだったんだろうか。あの、パソコンも持ってないのにWindows95を買おうと街頭に並ぶ人たちがいた時のような――懐かしいですね。そう考えると、パソコンが突然人生に飛び込んできた世代であることは、とても幸運な体験をできたということなのかもしれない。

 ハプスブルク家の、と題名にありますが、それより郵便そのものを面白く感じた本でした。
(2015.10.14)

 

「図説 チェコとスロヴァキア」 河出書房新社
薩摩秀登 著

   図説 チェコとスロヴァキア (ふくろうの本)


プラハの門をくぐり、激動の歴史の舞台へ。都市や古城が語る物語に耳を傾けながら、歴史に翻弄され続けた2つの国の軌跡をたどる。都市ガイドから王家系図、年表までカバーしたチェコとスロヴァキア史決定版。


第1章 プラハとブラチスラヴァ
第2章 地方都市を訪ねて
第3章 チェコ王国の繁栄と動乱
第4章 ハプスブルクの旗のもとで 
第5章 山国スロヴァキアの中世 
第6章 古城が語る歴史 
第7章 近代社会への足取り 
第8章 激動、大転換、分裂


 歴史やそれにまつわる場所がバランスよく取り上げられていました。年表や家系図もありがたい。旅行後に眺め読むと、行ったところの写真を見るだけで嬉しくなりました(笑)
 いつか行ってみたいと思ったのはターボル。フス派の急進派が迫害を逃れるために建て、共同生活をしていた要塞都市。山地にあって要塞らしく街路が入り組んでいる、という説明に実物を見たくなりました。

 その他、注目したところ。

 しかし、これを中世以来のチェコという国がハプスブルク家という王朝に征服されて滅びたかのように考えるのは正しくない。

「チェコ人はハプスブルク家によってドイツ語の使用を強制され、チェコ語は禁止された」という説明を今でも見かけるが、そうした事実はまったくない。チェコ語よりも国際的に通用する言葉として、ラテン語のほかドイツ語、フランス語、イタリア語などがしだいに優勢になっていっただけの話である。


 なるほどなあ、と思った。
 何百年も人が往き来し、いろんな家系から王を迎え、皇帝と宮廷が来たり去っていったり。さまざまな言語も使われていた。国という概念も今とは大きく違っていたはず。そこに、近現代の支配・被支配のイメージを持ち込むのは間違いなんだろう。
 そうしてみると、ハプスブルク帝国崩壊後にチェコの歴史や言葉が重要視されていたのは、失われたものを取りもどすというより、それまで漠然としか意識されなかった民族意識を求めた熱気だったのかもしれない。

 このあたりの考え方は、もう少し他の本でも読んでみます。
(2015.8.1)

 

「スラヴの十字路」 里文出版
嵐田浩吉 著

  スラヴの十字路


ドストエフスキー、チャイコフスキー、ショパンのワイダ、カンディンスキーにミュシャ、そしてオシムやストイコヴィチ。みんなスラヴの人。ヨーロッパ最大の民族グループ、スラヴの素顔。その社会と文化を知る。


序章
 スラヴ民族とスラヴ世界
 二つのキリスト教と二つの文化圏
 スラヴの言語とキュリロス

第1章 東スラヴの世界
 ユーラシア主義 ―古くて新しいロシアの自己認識―
 黒海とクリミア ―平和と繁栄の海へ―
 亡命 ―スラヴ世界の歴史的特徴―
 他

第2章 西スラヴの世界
 ポーランド史に刻まれた蜂起と抵抗
 中欧 ―復活した地域概念―
 パン・スラヴ主義 ―果たせなかったスラヴ連帯の夢―
 他
 
第3章 南スラヴの世界
 セルビア人の民族的聖地でもあるコソヴォ
 ダルマツィア ―イタリアの香り残るスラヴ地域―
 ロマ ―やまない差別と迫害―
 他

第4章 スラヴの芸術とスポーツ
 "前衛"のロシア
 スラヴの伝道師、アルフォンス・ムハ
 バレエ・リュッス ―二十世紀のバレエ革命―
 他


 ヨーロッパ最大の民族グループであるスラヴ民族。私はミュシャの「スラブ叙事詩」を糸口にしてこの本を手にしたので、チェコやポーランドの西スラヴ族を主に考えていたんですが。最大のグループはロシア人、ウクライナ人などの東スラヴ族で、ロシア人だけでスラヴ民族の半分近くを占めると知って意外でした。

 そうしてみると、「スラブ叙事詩」で1枚だけ描かれている「ロシアの農奴制廃止」もちょっと違う見え方がしてきた。ミュシャはもとは栄えあるロシアの祭典を華やかに描くつもりだったのに、実際にロシアに取材に出かけて、あの暗ーいどんよりした画風に変えたらしい。スラヴ民族の一大グループの国の現状を見て、どういう気持で構想を変えたんだろうか。

 また、これもちょっと予想外だったのですが、『東欧』って社会主義陣営というニュアンスを含んだ言葉だったのね。私は単に地理的な言葉と思い、冷戦時代にソ連に近い地域が社会主義国だったという認識しかなかったので。中高生時代にニュースや教科書で半端に聞きかじった知識やイメージって怪しいんだわ。。。

 閑話休題。中欧の国(チェコ、スロヴァキア、ポーランド、ハンガリー)は、文化も歴史もロシアとはかけ離れているにも関わらず、冷戦時代には『東欧』と分類されることに抵抗感を抱く人が多かった、という説明が印象的でした。また、その反動として、社会主義体制の崩壊後に『中欧』という地域連帯が生まれたということも。

 スラヴ民族の国々は広域にわたり、宗教も違えば言葉も文字も異なるし、文化も多様。
 それを敢えて国別という枠組みで捉えることで、各地域ならではの民族アイデンティティーの持ち方を感じられる一冊でした。
(2017.6.15)

 

知の再発見
「ヨーロッパ庭園物語」
創元社
ガブリエーレ・ヴァン・ズイレン 著
小林章夫 監修

  ヨーロッパ庭園物語 (「知の再発見」双書)


原題「tous les jardins du monde」。庭園は古くて、同時に新しい。失われたバビロニアの「空中庭園」から現代の庭園まで、様々な時代・土地の庭園を展望し、庭園に寄せた人々の思いを汲み取り、新たな庭園の物語へと誘う。

第1章 古代の庭園とイスラムの影響
第2章 中世の庭園
第3章 ルネサンスの庭園
第4章 フランス式庭園 
第5章 イギリス式庭園 
第6章 折衷主義から近代主義へ


 ヨーロッパの庭園の変遷を時代の思想や流行、経済などとからめて辿る本。
「庭」の源流は古代エジプトやギリシャ、バビロニアやペルシャに始まり、イスラム式の庭園がヨーロッパに伝えられて――そこから今日に続く西洋庭園が発展したんですね。

 中世ヨーロッパでは、庭園は楽しみのための庭と思索のための庭に二分される(修道院の薬草園などは後者)。そして、時の権力と結びついて庭園文化が大きな発展を遂げるのは、やはりフランスはルイ14世の時代。自然に秩序を、という思想を土台にして、自然を支配するかような幾何学的・人工的な庭園形式が発展する。
 その後、反動のようにして風景と解け合うような自然のかたちを生かしたイギリス式造園が生まれ、そして再び人工的な形式が見直されたり、市民階級の台頭とともに(貴族のためではなく)市民の憩いの場としての公園が作られるようになる――。

 だいたいこんな流れでした。

 フランス式の庭園では、建築に劣らず当時の思想や文学の影響を受けていることが感じられます(逆に影響を与える場合もあったのでしょう)。宮殿と庭園とは統一感をもって造られているのだから、庭園ってもっと美術や建築学と並べて語られてもいいんじゃないだろうかと思うほどです。いや、むしろ宮殿よりも熱い思いで作られたのでは、と思うこともありました(笑)
 また、人工的な庭園への反動である「風景庭園」という形式がイギリスの庭から生まれた、というのも面白いです。森や草原での貴族の狩猟趣味も関係があるのでしょうね。

 これらは楽しみのための庭ですが、思索のための庭の系譜がどうなったのかも気になります。修道院の庭以外のかたちには発展はしなかったのでしょうか。

 でも、一番ダイナミックな変化は、庭園の所有者が権力者(個人や家系)から市民階級に移った時ですね。造園スタイルががらりと変わってます。眺めるだけでなく、大勢がそこを歩き、触れ、時にはベンチで休む(笑)という楽しみ方の変化がその理由なんでしょう。「公園」ってこうやって生まれたわけですね。

 ヨーロッパの都市計画って、建築も公園(庭)もひっくるめて発展したのでしょうね。
そう考えると、日本の都市計画が土地柄になかなか馴染まないのも当然なのかもしれない。
(2017.8.8)

 

「グランド・ツアー 
 〜 英国貴族の放蕩修学旅行 〜
中公文庫
本城靖久 著

  グランド・ツアー 〜 英国貴族の放蕩修学旅行 〜


18世紀英国では、貴族の御曹子を国際人に養成するために欧州大陸に遊学させるグランド・ツアーが流行していた。だが、大陸で若きジェントルマンを迎えたのは、香り高い文化や伝統ばかりではなく、泥んこの悪路や宿屋の害虫だらけのベッド、そして百戦錬磨の詐欺師や娼婦も手ぐすね引いて待ち受けていた…本書では、旅立ちから帰国まで、ツアーの一行と一緒に各地を訪れ、旅の苦労と楽しみを時空を超えてともに味わう。

 18世紀ヨーロッパの貴族の旅行風景を、書簡を取り上げながら描き出した本です。いや、面白かった!
「我が息子には、パリでは貴族の共通語であるフランス語と社交マナーを、イタリアでは古代ローマにつながるヨーロッパ文明の源流に触れて教養を磨いてほしい」――そんな英国貴族の親たちの願いを木っ端みじんに打ち砕くような破天荒かつ自堕落な旅(笑)も多かったのですねえ。

 それにしても、第一印象。ともかく、汚くて臭い旅風景。

 パリから陸路で南フランス、北イタリア、そして最終目的地のナポリまでずっと泥と糞尿とノミ、シラミが登場。ああ、当時のヨーロッパはこんなに汚く、庶民は貧しく、治安が悪かったのだなあ。

 一応、幹線道路は幅は何m以上と決められ、並木を植えたり溝を掘ったり、周囲の木を伐りはらって見通しを確保しなければならなかったらしい。これは、盗賊に襲われた時に応戦する時間を稼ぐため、とのこと。
 また、ヴェネチア共和国に入る時には「健康証明書」を出さなければならず、これがないと検疫所に1か月も放り込まれた、と。船の入港時の疫病対策と同じですね。こういう、なにかしらの対策があることが当時の先進国だったわけですね。

 ともあれ、人がひしめき合い、怒鳴り声が絶えないパリの活気ある風景。また夜も眠ることなく輝くイタリアの都市の頽廃的な姿を読みながら、こうやってヨーロッパは発展してきたのだなあ、と考えるのも楽しかったです。

 もうひとつ興味深かったのが、身分というものの影響力。
 当時、貴族はどこへ行っても貴族。国境よりもどの身分であるか、の方が重要だったのですね。

 思えば、今と比べると民族とか国家の概念が薄かったわけで、だからこそ御曹司たちは言葉が通じないパリで社交界デビューを果たし、遠いイタリアでも現地の上流社会にすんなり入っていけた。
 貴族が外国の君主に仕えることがあるというのは、本や映画で度々見たけれど今一つピンとこなかったんですよ。
 こうして、貴族社会のヨコのつながりの強さがわかると納得できました。


 グランド・ツアー ――若さまたちのバカ騒ぎぶりへの言及が多いですが、その一方でやっぱり文化交流の意味も大きかったのだろう、と感じます。

 美術品の売買は(それ自体には批判もありつつ)経済効果もあり、当時の最先端文化がイギリスにもたらされる。
 また、芸術、建築、思想が他の土地へ流入していく時に、それを育んだ土地の空気を味わった者が居ると居ないとでは、根付き方が違うのでは、とも思います。たとえ多くは女遊びとギャンブル三昧であっても、異国の空気を呼吸した一部のまとも(!)な若者が故郷に変化をもたらしたのでしょう。

 そういう意味では、グランド・ツアーは貴族階級が力を持っていた時代だからこそ成立した文化交流イベントだったのかも。
(2022.11.22)

 

「池上彰のそこが知りたい! ロシア」 徳間書店
池上彰 著

  池上彰のそこが知りたい! ロシア


日本とロシアの関係はどうなるのか? 北方領土問題の行方は? 池上彰が完全解説する最新ロシア事情。池上彰は言う。「ロシアは北方領土問題を解決したがっているんです」。さらには「ウクライナ問題」「野党指導者の暗殺」「アメリカとの新・冷戦時代」「中国との急接近」「独裁者プーチンの野望」……。日本人が知っておくべきロシアと日本の「密接な関係」とは。

第1章 緊迫! ウクライナ情勢
第2章 「北方領土返還」の条件
第3章 "スパイ国家"ロシアの闇
第4章 ロシアが仕掛ける「新冷戦時代」 
第5章 「東西冷戦」はいかに始まったか? 
第6章 ソ連はなぜ崩壊したか 
第7章 "プーチン帝国"の野望
第8章 ロシア周辺諸国が紛争地帯に
第9章 "資源大国ロシア"はアジアを目指す



 不凍港を求めて周辺地域へ侵出、というロシアの不変の動機(といっていいよね)は馴染みがありましたが、もうひとつ、内向きというか防御体勢の思考があるとは気づいていませんでした。
 つまり、第二次大戦で多くの戦死者を出した経験から、周辺に緩衝地帯をおいておきたいという動機。大国は周囲を威圧することもできるけれど、裏を返せば「取り囲まれている」という強迫観念を常に抱えているのかも、と思いました。

 また、近年のロシアといえば、強引なクリミア併合が記憶に残っています。また、ウクライナをはじめ東欧への政治圧力もなかなかえげつない。
 その理由のひとつに「かつてのソ連国内事情が、ソ連崩壊で国同士のトラブルになってしまった」という点があるのが興味深かったです。
 いまの東欧諸国には旧ソ連の軍事工場が多くあったため、軍事機密を知る国が西欧とつながりを深めることをロシアは恐れている。また、ソ連時代に国内でクリミア半島をウクライナに「預けた」つもりだったのが、そのまま国家が独立してしまった、など。確かに「歴史なんだから仕方ない」で済ませるには大事なんですねえ。

 その他、ソ連崩壊後のロシアがオイルマネーで国力をつけたこと、シェールガスの実用化で世界の資源の流れが変わり、その中でロシアが極東地域(中国・日本)との関係を重視していること――こういう大きな流れを思い描くことができてよかったです。

 ちなみに、池上さんは「相性のいいプーチンと安倍さんがトップの座にあるうちが北方領土問題解決の可能性が高い」とみているようですが、どうなりますかね。プーチンさんはともかく日本ではまた首の差替えの気配が漂ってきていますけど。
(2017.8.8)


「ロシアの正しい楽しみ方」 旅行人
「勝手にロシア通信」編集部 著

  ロシアの正しい楽しみ方


フツーじゃないこと、理解しがたいこと、不便なこと。いろいろある国、ロシア。それをいったい、どう楽しめばいいのか。プロブレムに遭遇したら、腹を立てたり、不平をこぼしたりするのではなく、とりあえずビックリして、それから笑えばいい。バカにして笑うのではない。嬉し恥ずかし滑稽ロシアに、愛しさと敬意をこめて、笑う本。


 2001年発行のソ連邦解体前後の旅行エッセイ。社会主義国のサービス業事情、日用品のデザイン、コワモテに見えて実は親切なロシア人との交流など、社会ががらりと様変わりした様子を身近な感覚で読めるのが楽しかったです。

 私が大好きなロシアのグラフィックデザインいろいろを集めた写真が嬉しい。チラシや案内板、キャンディの包み紙、タバコのパッケージなどはどれも素朴で味わいのあるデザインばかり。でも、なんで全部カラーじゃないんですか〜(涙)。ぬかりなくカラーページに載せられたロシアの民話に題材をとった切手シリーズは思わずため息がもれる美しさ。ほ、欲しいよう。

 また、「招待状」なしでは旅行できないという不思議不可思議(※今は違います)。現地ガイドの青年を日本へ「招待」しようというプロジェクトでは、書類の用意から高額手数料の用意などがいちいち面倒だったことが伝わりました。(そして、結局「招待」できなかったらしい)

 スナップ写真とイラスト、各ページの下にはマトリョーシカのような女の子のパラパラまんが。巻末には『かけあしロシア史 勝手に年表』として、キエフ・ルーシ建国から宇宙ステーションミールの落下(2001年)までをざっくりとまとめた表が収められて、隅から隅までロシアへの愛があふれる本でした。
(2018.11.10)


「ロシア 闇と魂の国家」 文春新書
亀山郁夫 佐藤優 共著

  ロシア 闇と魂の国家


「ドストエフスキー」から「スターリン」、「プーチン」にいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「闇」「魂」とは何か。かの国を知り尽くす二人が徹底的に議論する。

第1章 スターリンの復活
第2章 ロシアは大審問官を欲する
第3章 霊と魂の回復


 ロシア人の宗教観について読めるかな、と手に取りましたが、哲学やロシア文学を知らないとまったく読めませんでした。こんな玉砕読書は久々。。。。orz

 気になった点だけ覚書としてメモ。

ロシア人の信仰と精神性にある要素。
「大地信仰」「謙譲、謙遜、自己犠牲への衝動(ケノーシスについて)」
(抽象的な神ではなく)人間のかたちをしたキリストへの親愛。
死ぬために生きる、という死生観。日本人の死生観との共通点。


ヨーロッパであり、アジアであること。
ロシアの中のアジア性。
モスクワ文化とペテルブルグ文化。


「全体と個人の融和志向(ソボールノスチ)」
タルコフスキー『ノスタルジア』


19世紀末 チェコのネオ・スラヴィズム
ロシア思想界を二分した西欧派とスラブ派


国家設立の試みと共産主義の出会い。
広大な国土と他民族を束ねるための、ナショナリズムを超える理念や神話の必要性。
スターリニズムはヒューマニズム。人間のためにやるべき事をしてこなかったキリスト教を補完(挑戦?)するものとして生まれた。
ロシアの統治は独裁しかありえなかった。


「物語」の回復
中国なら科学的発展観、ヨーロッパはEUという物語。
ソ連崩壊後の混乱の中で失われたものと、その気づき。
ロシア人は「魂」が弱っていることに気づいた。軍事大国としての「魂」、文化な「魂」、宗教的な「魂」の復権への自覚と努力
(2022.8.15)

 

「ロシア人しか知らない本当のロシア」 日経プレミアシリーズ
井本沙織 著

   ロシア人しか知らない本当のロシア


食品スーパーに行列が続き、わずかな缶詰類で空腹を癒したソ連末期。高級外車が街を走り、不動産ブームに沸く今日のロシア―。モスクワで生まれ、ソ連崩壊とその後の経済破綻を経験、日本に帰化した女性エコノミストが、自らの体験と経済専門家としての分析を加えながら祖国を活写する。


 ソ連邦崩壊時期に日本へ留学、その後帰化したエコノミストによるロシアの経済と日常風景。2008年発行の本です。

 ソ連邦解体後の経済破綻とそこからの立て直しについての章は、数字が苦手な私は苦労させられました。。。

 そもそも社会主義下で政府主導の計画経済しかなかった社会が、市場経済に直面してどれだけ混乱したことか。ビジネスを立ち上げ、成長していった人は才覚だけではなく多分に運にも恵まれていたんだろうな。そもそも企業が税金を払えない、または汚職にまみれたお上には払いたくない、ってすごい世界。

 ソ連崩壊時、そしてその後のアジア通貨危機の影響を受けて銀行預金が“紙屑になった”経験に涙した多くの庶民の苦労はどれだけのものだったのでしょうね。
 そして、1〜2章に描かれるのは、その後の2000年代のロシア。原油高騰による好景気の時期だったそうですが、著者がたまの里帰りで目にしたモスクワの変貌ぶりのエピソードは印象的。別世界かと思いました。24時間営業のスーパーの乱立、マンションバブル、狂騒的な消費ブーム――別世界かと思いました。

 ソ連時代、人々は70年もの間「計画」の下での生活を強いられてきた。市場経済になって「計画的な」過去から開放された人々が「計画性のなさ」を楽しんでいるのを大目に見るのもいいだろう


 ただ、そのロシア経済の根本にある問題にもふれられています。

 中長期的な経済展望が政府から出されはするものの、ソ連時代の政府初の政治・経済計画とよく似ている。不透明な税制度、石油依存の経済体質、そして(現在はどうなのかわかりませんが)「結局、ロシア経済の主役は民間ではなく政府」という言葉が頭に残りました。

 4章だけはちょっと話題が変わり、ロシアの祝祭日について。
 社会体制が大きく変わる中で、無くなった祭日、意味があいまいなまま残った祭日、日にちが動いた祭日。お祝いのために特別なごちそうを作ったり、贈り物をやりとりしたり、と楽しい話題でした。
(2022.9.10)

 

「風刺画とアネクドートが描いたロシア革命」 現代書館
桑野隆 監修 / 若林悠 著

  風刺画とアネクドートが描いたロシア革命


風刺画・コマ割りまんが102点とアネクドート(ロシアンジョーク)で、ボルシェビキの権力闘争、社会主義国家の建設、トロツキー追放からスターリン独裁まで、ロシア革命・新生ソヴィエトを読み解く超ユニークな1冊。


 珍しい角度からロシア〜ソ連を見られるかも、と手に取りました。
 ロシア革命真っ最中から、レーニン、スターリン体制と時代が進む様子をリアルタイムでとらえた風刺画ばかり。これも一次資料の一種ですよね。

 共産主義の理想に向かおうとするレーニンやトロツキーをはじめとする若者のパワーと狂気に圧倒されました。
 周囲はもちろん、時に自分の命も理想社会のために投げ出そうとする――後世から見れば狂気と思える行動なのだけれど。
 その中で、さほどの功績もなく保身と野心の塊のようなスターリンが独裁者にのし上がっていく。そして、一方で、スターリンよりむしろレーニンの後継者にふさわしい功績をあげたトロツキーが歴史から抹殺されていったことが、たくさんの風刺画から浮かび上がってきます。

 実際、世界史で習ったりその後に読んだ本でトロツキーに触れたものは少なかった気がする。しかし、当時のリアルタイムの社会情勢を映す風刺画には、スターリンよりもトロツキーを取り上げたものが多いらしい。
 当時と現代では見えるものがまったく違うという点が非常な驚き&新鮮な視点でした。

 また、スターリン時代の大粛清や飢饉は他の本でも読んでいましたが、ここでは一般庶民の視線が感じられました。
 スターリンの暴走は庶民には伝わっておらず、たくさんの人が自分の窮状は「役人のせいで、スターリンは知らないだけ」と考えていたとは意外。もっとも、今はロシアから独立したウクライナのような地域では、ホロドモールなどロシアへの反発と恨みは根深いものですが。

 共産主義が単にロシアのためだけの思想なら、この時代に世界に広まることもなかった。事実、国家よりも民衆のための社会という理想に重きを置いた政治活動家もいた。
 それなのに、彼らの理想社会となるはずだったソビエト時代を振り返るアネクドートは特に皮肉に満ちたものが多い気がしました。


レーニンが乗っていた列車が止まった。見ると前方にレールがなかったので、レーニンはレールを敷いた。

スターリンが乗っていた列車が止まった。見ると前方にレールがなかったので、スターリンは鉄道関係者を射殺した。

フルシチョフが乗っていた列車が止まった。見ると前方にレールがなかったので、フルシチョフは後方のレールを外して前方にとりつけた。

ブレジネフの乗っていた列車が止まった。見ると前方にレールがなかったので、目を閉じて列車が進んでいると思うことにした。


アンドロポフとチェルネンコの乗っていた列車が止まった。見ると前方にレールがなかったので、二人はブレジネフと同じ方法をとることにした。

ゴルバチョフの乗っていた列車が止まった。見ると前方にレールがなかったので、ゴルバチョフは窓を開け、「レールがない! レールがない!」と世界に向けて叫んだ。



 蛇足ですが。
 アネクドートはわりにすんなり理解できるのですが、風刺画は意外とツボがわからないことが度々ありました。
 その中で、MADことミハイル・ドリゾの作品はぴんと来る。ヒトラーとスターリンを並べた、顔のない絵にはどきっとしました。
 また、それまで1枚絵が多かった風刺画に「コマはこび」のスタイルを持ち込んだ風刺画家だそうで。現代の「まんが」に慣れてると、コマ割りのテンポが馴染みやすい気がします。
 中でも、世界中で故郷ロシアを懐かしむ人を描いた一連の風刺画は傑作ですねえ。

(2023.1.40)

 

「ロシア点描 ― まちかどから見るプーチン帝国の素顔 ― PHP
小泉悠 著

   ロシア点描 ― まちかどから見るプーチン帝国の素顔 ―


「ロシア政府とロシア人は別」と簡単に割り切ることはできない。では両者の関係がどうなっているのかということを、なるべく柔らかく、わかりやすく説き、「ロシアという国は何か」について、理解を深める必要がある。我々が今、なぜこのような悲劇を目の当たりにしているのかを理解するための補助線になればよい、というのが願いです。

第1章 ロシアに暮らす人々編
第2章 ロシアの住まい編
第3章 魅惑の地下空間編
第4章 変貌する街並み編 
第5章 食生活編 
第6章 「大国」ロシアと国際関係編 
第7章 権力編 



 ロシア軍事研究家が暮らしの視点から語るロシア――あとがきにあるように空気感をなるべく大事にしたエピソードが満載で、特にソ連時代から残る街並みや地下鉄の話が面白かったです。

 ソ連といえば(?)集合住宅。
 時の権力者の志向を反映して、広くて豪華だったり、反対に共同生活を前提に簡素だったり、あるいは全国民向けの画一的な設計だったり――さまざまなスタイルが「コムナルカ」「スターリンカ」「フルシチョフカ」そして「プーチンカ」と呼ばれて今も使われているらしい。

 重厚、がっしり(でもちょっと不便)というデザイン感覚は、以前にハンガリーやチェコで見た建物と通じる。かつての東側陣営が共有していた文化の血脈、みたいなものかなあ。

 そして、第二次大戦時代からの防空壕を兼ねた地下鉄は、厚い扉を閉めればシェルターになる。
 現在のウクライナでこの地下鉄に市民が避難したり、今も使われる「フルシチョフカ」の住宅がロシアによって爆撃されている。その映像を見て著者は、この戦争がいかにも理不尽、かつ時代錯誤なものと語っています。

 建築といえば、みんなが大好きというダーチャも登場しました。
 週末に通うには遠いとか家のサイズもいろいろで、日本語でいう「別荘」の豪奢なイメージとは少し違う。でも、その別荘地のご近所さんづきあい、いわばダーチャ人脈というのは面白いですね。
他の章で語られる典型的なロシア人気質と併せ読むと、日常生活とは別レイヤーの絆があることが感じられました。地域社会の厚みというか、安心感になるのかもしれませんねえ。

 あ、ロシア人気質はこんな風に語られてます。
 よそよそしく見えて、親しくなれば親身になってくれる、でもこちらにも同じ熱さを求められる。保護対象と見るや、面倒見が良くなる。
 他にも、「容易には統治されないという自負心」「ルールと言われると、つい破りたくなる」「物事がちゃんと動けば、100点満点の完璧なんて求めなくていい」「平時でも有事でも、そこそこ生活が回ればパニックにはならない」とか。最後のあたりは、マスク不足でおたおたする日本人には耳が痛いです。

 ついでに、サンクトペテルブルグとモスクワっ子の違いも面白かった。
 生き馬の目を抜くような大都市でちょっとガサツといわれるモスクワと、古くからロシア文化の中心地で洗練された雰囲気のあるサンクトペテルブルグ。大阪と京都、みたいな感じですかね。
 他のロシアの本を読んでいると、この2都市の違いや対抗意識(?)にしばしば触れられているので、ちょっと覚えておこうと思います。

 さて、こういう生活面の話もかなり面白かったですが、後半は著者ならではの内容でした。

 自らを『大国』と自負するロシア。その自意識ゆえに他国にたいしても『大国が相手をするにふさわしい国か』という目線で値踏みするのだ、と語られています。では、大国とは何かといえば、同盟に依存することなく自国の主権を守り、それをできない同盟国をパワーをもって支配下に置く国、と。

 この考え方でいくと日本なんてまったく主権国家ではないですね。
 今は亡き安倍・元首相がロシアとの関係に期待したものは、かなりの部分は幻想だったのではという気さえしました。
 そして、プーチン大統領の目標が西側中心のポスト冷戦秩序を終わらせ、非西側国家の発言力を強める「ポスト・ポスト冷戦秩序」ならば、そうなったら、と考えると……あまり良い予想にはなりません。

 とはいえ、実際の国際社会は大国の論理だけで成り立つわけではない。
 経済力、科学技術力といった要素も無視できないことをロシア政府はどこまで理解しているのか。ロシアに限りませんが、大国という自負はそのまま視野の狭さにもなり得るのかも、と感じました。

 最後に、これは私的メモですが、ウクライナ正教会について。
 これまでロシア正教会の一部とされてきたのですが、2019年にトルコのコンスタンティノープル総主教庁がウクライナ正教会の独立の地位を認めたそう。これをきっかけに、ロシア正教会がコンスタンティノープル総主教庁との断交を発表した……らしい。

 どのくらい政治判断が含まれたのか、両国社会にどのくらいのインパクトがあったものなのか。気になりました。
(2023.4.10)

 

「ソビエト帝国の崩壊 ― 瀕死のクマが世界であがく ― 光文社未来ライブラリー
小室直樹 著

 ソビエト帝国の崩壊 ― 瀕死のクマが世界であがく ―


1980年8月、本書は小室直樹氏のデビュー作として刊行され、40万部超のベストセラーとなった。小室氏は一躍時代の寵児となり、様々なメディアで言論活動を行うようになる。91年、予言通りにソ連は崩壊する。なぜ小室氏だけにこのような分析が可能だったのか? 予言の背後にある理論はどういうものだったのか? 今でも色あせない学問的価値を持つ名著を復刊。

1 ソビエトの内部崩壊がはじまった
2 ソビエト軍は見せかけほど恐くない
3 日本を滅ぼす平和・中立≠フ虚構 



 今のロシアの根っこにまだあるであろうソ連が気になって手にとりました。
 さらっと読むと、ソ連の経済問題や特権階級、ああそうだよね、と思うのだけど、ちょっと待って。元の出版は1980年。ソ連が健在だった頃の論考と思うと、その予言?の的確さに鳥肌たちます。

 特に面白かったのが、資本主義と異なる経済感覚、社会主義国には理念上はないはずの特権階級について。
 金があっても物がない、ものをいうのは札束よりコネ、といったエピソードはよく読むけれど、そもそも資本主義と社会主義社会の経済の違いについて語る際に「商品の価値」を使用価値と交換価値に分けて論じた点が新鮮でした。

 また、共産主義は思想だけれど、ごく一般の人々にとっては宗教のように捉えられることがある。そして、多くの民衆にとってはスターリンという個人と共産主義が同義で、彼らはスターリン批判をどう受け止めるのか、という説明も。
 宗教や心理学についての著者の博識あっての視点なのだろうな。

 まったく、どこを読んでもパキパキと音を立てそうな緻密な論理。それを支える多分野にわたる知識がにじみ出てくるようだと感じました。それを読み込む力が自分にないのが、ただ悔しいもの。

 最終章は日本について。
 国際社会の中で日本に求められる役割、担うべき義務と担うことを求められない事柄を、国民も政治家も理解していない、と。
 法律上の問題などは今はどうなってるかわからないけれど、戦争と平和についての日本人の寝ぼけぶり、有事の際に国際法に無知であるために一般市民は身を守ることもできない、という言葉には寒気がきました。
(2023.11.4)

 

「おそロシアに行ってきた」 彩図社
嵐よういち 著

 おそロシアに行ってきた


プーチン、共産主義、ソビエト連邦、ピロシキ……。また最近では、ロシアで撮影された奇想天外な動画や写真を『おそロシア』と呼んで楽しんでいる人も多い。しかし、俺をはじめとして、多くの日本人はほとんどロシアのことを知らないのではないだろうか。



 今年は重めのロシア本を読むことが多かったので最後の〆は楽しく、ということで旅行記を選びました。

 私は知らなかったのですが、著者は旅行作家としてこれまで「ちょっと行きづらい土地」を選んで旅して来た方らしい。たしかに、選ぶ目的地がウラジオストク、カリーニングラード、イルクーツクという点だけでも興味そそられる旅行記でした。あ、普通にモスクワとサンクトペテルブルクにも行かれてます。

 東西に長い国土を横断するシベリア鉄道の時刻表がモスクワ時間であるとか、かつてレニングラード包囲戦で飢えと鼠の被害に苦しんだサンクトペテルブルクに猫の記念碑があること、またその包囲戦のさなかに書かれた少女・ターニャの日記について現地のおばあさんから教えられたエピソードが印象的でした。
 また、各地で郷土資料館のような施設を訪れては、その土地の歴史も簡単に説明してくれるのが嬉しい。

 同行者の編集さんがドストエフスキーのファンで聖地巡礼するエピソードも面白いです。やっぱり、ロシア文学って熱狂的なファンがいるのだなあ。

 ちょっと物足りなかったのは、写真。はんぺんで釘を打つとかバイカル湖の水際とか、これを画像で見たかった!というところと微妙にずれた写真が多いのが残念でした。

 訪れた土地が大都市かシベリアと両極端なので他の町にも行ってほしかったな、とか、モンゴル、ブリヤート系文化とロシア文化がどんな風に共存しているのか、身近でリアルな感想も聞きたかったです。
(2023.12.31)

 

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