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歴史・文化(欧米) 5

  

「肉食の思想 ―ヨーロッパ精神の再発見― 中央公論新社
鯖田豊之 著

  肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))


身分制、婚姻制度、都市形態などはどのように形成されたのか――ヨーロッパの伝統思想の根底にある「人間中心主義」について。また、ヨーロッパの近代思想である「自由と平等」や「民主主義」は、日本で機能するのか。これらを「食」という観点から一望する。


T ヨーロッパ人の肉食
 日本との肉食率の隔たり
 パンは主食ではない
 肉食はいつから始まったか

U 牧畜的世界ヨーロッパ
 日本では肉食はぜいたく
 牧畜に適したヨーロッパ
 ヨーロッパではパンはぜいたく
 精肉業者の社会的地位

V 人間中心のキリスト教
 動物を殺す動物愛護運動
 人間と動物との断絶
 キリスト教の結婚観
 
W ヨーロッパの階層意識
 「ほんとうの人間」を求めて
 立身出世の困難な社会
 マルクス主義の背後にあるもの
 インドのカースト制度

X ヨーロッパの社会意識
 都市の自由と市民意識
 他宗を大いに誹謗せよ

Y ヨーロッパ近代化の背景
 輸出可能な近代思想
 伝統と妥協する民主主義
 フィクションでなくなった「自由と平等」


 小章題は代表的なものだけ挙げています。

 ヨーロッパの食生活とは、野性味あふれる肉とパンをどちらが主食といわずバランスをとりつつ食べるもの。そして、日本食はとにもかくにも、米。昔に比べて肉をよく食べるようになったといっても、あくまでおかずの一品なので、「食の西洋化」といってもままごとのようなものだよ。

 ――という本です。本当(たぶん)。

 喩えはこうですが、もちろん美食の話ではなく、中身には文化論になっています。つまり――

 ヨーロッパでは、キリスト教に基づく「人間中心主義」が思想の根底にある。
 人と動物をはっきり断絶した論理は拡張され、人間の中にもヨーロッパ人:非ヨーロッパ人、キリスト教徒:ユダヤ教徒、支配者:被支配者など『階層意識』を生み出した。また、農業、都市の発展の過程で『社会意識』が形成された。
 この二つによって身分制ができ、これが近代になると国家意識や国民意識を生み出すことになる。また、伝統思想に対抗するかたちで『個人意識』が表出し、個人主義や自由という概念が生まれた。

 ヨーロッパは、いってみれば『階層意識』、『社会意識』、『個人意識』が三つ巴となってバランスしている。これは、何を主食と呼ぶでもなく肉類、穀類を食べるヨーロッパの思考から生まれている。

 そして、日本に入ってきた西洋の近代思想「自由と平等」「民主主義」は、白飯のおかずのようなもの。
 これらはそもそもヨーロッパの伝統思想とバランスすることで機能しているのだが、その一部分だけが日本に輸入されたため、日本の文化の中で機能するかどうか、過大評価はしない方がよい。


 ……こんな感じ。
 観念的でなくて面白いのですが、この「肉食・穀物食」の喩えが時にしっくりこなくて、ちょっと困りました。途中で読むのをやめようかと思ったのですが、次第に面白くなりました。放り出さなくてよかった。
 ヨーロッパと日本の地理的条件から食文化の成り立ちをみたT、Uはとくに面白かったです。

 ヨーロッパが寒冷な気候で、生産性の低い土地であるために肉(穀物よりも手間のかかる栄養源)に重点をおいた食事になり、パンはぜいたく品だった。
 一方、日本ではわざわざ自然を切り拓いたり田圃をつぶして家畜を飼わなくても、収穫率のよい米で食を賄うことが可能だった、という(大分、端折ってますが)。こういう説明には納得いくのでした。
 確かに、播種量と収穫量の比較をみると、麦(ヨーロッパ)と水稲(日本)でこうも違うかと驚きます。解説の「水田による稲作は、何千年という連作をしても障害のない唯一の方法といってもいい」という一文に感心したりして。

 V以降はヨーロッパに論点が絞られて、上のような話になっています。
 具体例を挙げながらの説明でわかりやすい。ただ、その例えをすんなり受け止められない場合は辛かった(涙)。
 欧米人の動物愛護の精神と肉食はなぜ両立できるのか――それは動物より人間の方が立場が上だから、という説明は、わかるのですが。その動物愛護って、いったいどこから出てきたのでしょう。そんなに古くからある概念とは思えないし。
 また、食物のタブーには環境条件だけでなく宗教上の条件もある、と語っているのだから、たとえばインドを取り上げるなら、ヒンズー教についてもっと掘り下げて語って欲しい、と思いました。

 横割り階級社会(しかも、階級間は断絶されている)のヨーロッパで、その身分制に対する反抗としてマルクス主義が生まれた、という箇所には、なるほどと思いました。
 中国共産党の宣伝文句を見て違和感を覚えるのは、こういう異なる背景で生まれた言葉が無造作に使われてるからなんですよね。階級闘争(これはさすがにちょっと古いか)とか、封建制とか農奴とか。社会主義の思想が異文化異文明の中でも機能するのか、という疑問はもう古いのかな。思想史はさっぱりわからないのですが。
 つまるところ。思想をまるのみに輸入するのは頂けない、と思うわけです。

 終盤では、そんな論調の日本文化論も顔を出してます。
 ヨーロッパの近代思想を背景ぬきで輸入した結果について、辛口に書かれていて面白い。昨今の走馬灯のごとき首相交代劇やムード重視の選挙、ってまさにこれだよなあ、と嘆息したのでした。
(2010.11.2)

 

「図説 ロシアの歴史」 河出書房新社
栗生沢猛夫 著

   図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本)


広大な大地に多民族が紡いできた悠久の歴史。近くて遠い国、ロシアの古代から現代までをひもとく永久保存版。なぜ、革命がおきたのか? いつ、専制は始まったのか? 謎に満ちた隣国の真実の歴史。


第1章 ロシアという国
第2章 キエフ・ロシア ― ロシア史の揺籃時代 ―
第3章 「タタールのくびき」 ― モンゴル支配下のロシア ―
第4章 モスクワ大公国 ― ユーラシア帝国への道 ― 
第5章 近代ロシア帝国1 ― 貴族と農奴のロシア ― 
第6章 近代ロシア帝国2 ― 苦悩するロシア ― 
第7章 ソヴィエト・ロシア ― 社会主義をめざすロシア ― 
第8章 ペレストロイカからロシア連邦へ ― 今日のロシア ―

 ロシア史全体をざくっと眺めたくて、図書館で借りてみました。写真や図版が豊富だし、何より抑制がきいた解説で視点が偏っていないのが良い本だと感じました。

 これまでロシアって、ヨーロッパ史、アジア史とのからみで断片的に触れるばかりで、「寒くて豪華で社会主義」なんて脈絡のないイメージしかなかった。私が学生だった時には、ロシアは民族や漠然とした地域名であって、あくまで国家は「社会主義のソ連」だったから、その長い過去の歴史を知るのはとても新鮮でした。

 北方からの異民族によって初めて国がつくられた、という半ば伝説のような時代からはじまり、キエフ公国の成立と分裂。このあたり、モンゴル(キプチャク・カン)という異民族との関わりを通して国やロシア正教が発展した、という点が面白かった。異教徒に対して寛容というモンゴルの方針が、支配の甘さや弱さにならなかったというのは興味深いです。

 そして、時代が下って17世紀から300年にわたるロマノフ朝の始まり。
 初期には全国会議という身分制議会のようなものがあって、まだ不安定な新政府を補佐していたが、やがて、皇帝の権力が強まるにつれて召集されなくなっていったそうです。
 そして、17世紀のロシア正教宗派の分裂によって教会の、世俗への影響力が弱まった。こうして、ロシア内部に「皇帝」「貴族」と「農民」という身分による断絶の構造が顕著になり、農奴制の問題を抱え込むことになる。
 その後、近代化の点で西欧に遅れをとったロシアの経済は落ち込み、工業生産や教育水準の向上が急務となるも、そう簡単にできることじゃない。一部の知識人や進歩的な皇帝のもとで試みられた変革が実を結ばないまま、やがて第一次世界大戦の中でロマノフ朝ロシアは瓦解することに。

 さまざまな変革はたしかに実を結ばなかったようにも見えます。
 でも、国民の間になんらかの意識形成をしていたからこそ、西欧に生まれた市民階級台頭の潮流がロシアにも浸透したのかも。そして、知識人層が厚くなった中から、次の政治体制が生まれたともいえるのでしょうね。皇帝が意図していたのとは違うかたちでロシアは近代化を成した、ということなんでしょうか。

 ソヴィエト連邦時代になると既知のイメージとだんだん繋がってきて面白い。
 スターリンの工業、農業政策は、のちの毛沢東の政策の根になるわけだけど、どうして計画農業の失敗と飢餓という事実が中国で生かされなかったのだろうと複雑な気持ちになります。この時期以降のロシアと中国は社会主義、ということで括られることもあるけれど、そこへ至る歴史はまったく違うのですよね。

 人と同じように、国も、自身で生み出し共有された社会構造や思考方法があれば、どんなに時代が隔たってもそこへ立ち返っていけるのかもしれないと思った。

 300年のロマノフ王朝期の社会構造(皇帝・貴族と農民)の残した遺産が、良きにつけ悪しきにつけ今もロシアを形作っているらしい……というのは、ざくっとおおまかすぎる感想ではありますが。面白い読書でした。
(2013.3.20)

 

世界史リブレット92
「歴史の中のソ連」
山川出版社
松戸清裕 著

  歴史のなかのソ連 (世界史リブレット)


ソ連という「社会主義国家」があった。新聞などでは文脈に関係なく「旧」をつけられている、あの国だ。ソ連は約七〇年にわたり存在し、世界に大きな影響を及ぼした。その事実は、社会主義が魅力を失い、ソ連という国自体が消滅しても、消えることはない。ならば、この国について、忘却にまかせるのではなく理解を深めるほうがよいのではないだろうか。歴史のなかの存在となった今、ソ連とはどのような国であったのか、考えつつ記したのが本書である。


20世紀におけるソ連
「社会主義国家」建設の苦悩
第二次世界大戦後の世界とソ連
「アメリカ合衆国に追いつき、追いこす」
「安定」から「停滞」へ
冷戦の終結とソ連の解体

 ロシアの近代史、つまりソ連時代を知りたくて手にしました。
 1991年のソ連邦解体は当時かなり衝撃的な出来事でしたが、それにしても20世紀の中で特異な存在感のある国だったんだなあ、とあらためて感じました。

 建国後の初期は体制づくりに迷走し、第二次大戦後はアメリカと覇権争いしていた。でも、内実はアメリカよりも経済力の点でかなり劣っていたんでしょうね。これまでどこにもなかった社会体制を打ち立てるわけだから、産みの苦しみがあったのも当然ですが。
 資本主義が席巻する世界において、「国による国民生活の保障」なんて考えをうたってみせたことは、それだけで大きな意味があったのでしょう。

 ソヴィエト政権が自国民にたいして各種サービスを提供する努力をし、その成果を宣伝して先進資本主義諸国においても労働者や知識人をひきつけたことは、「西側」諸国の政権にこれに対抗する必要を感じさせて、社会政策の充実に一役買ったことも事実であろう。
……略……
単純な至上主義ではない経済・社会政策が「西側」諸国にもった意味を否定することはできないであろう」



 「東側」があったからこそ、「西側の顔」がつくられたのかもしれない。

 でも、現実には多くの国民を飢餓で失いながらの運営。米原万里さんの本でいわれた「壮大なる実験場」という言葉がぴったりだと思いました。そして、実験は失敗に終わったのか。

 個人的に興味というか、目をひかれたのは、ブレジネフ時代の安定と社会停滞についての章。たとえ働かなくても食と職を保障する社会では労働意欲がそがれて、経済が停滞した、という――。

 私はベーシックインカムはいい考えだと思っているのだけど、こういう本を読むと「なぜうまくいかなかったのか」「いい方法はないのかなあ」なんて、考えてしまいます。
(2017.6.6)

 

「異端の人間学」 幻冬舎新書
五木寛之 佐藤優  共著

   異端の人間学


 野蛮で残酷、時に繊細で芸術に過剰なまでの情熱を傾けるロシア人。日本と近く、欧米に憧れて近代化してきたという似通った過去も持つ。だが私達は、隣国の本性を知っていると言えるのか。一九六〇年代からソ連・ロシアと深く関わってきた二人の作家が、文学、政治経済、宗教他あらゆる角度からロシアを分析。人間とは、国家とは、歴史とは、そして日本人とは何かを浮き彫りにしたスリリングな知の対論。


第1部 人間を見よ
第2部 見えない世界の力
第3部 詩人が尊敬される国
第4部 学ぶべきもの、学ぶべき人

2015年発行。ソ連、ロシアと深く関わってきた二人の対談。ロシアを通して歴史や国家、人間を語る一冊。
 後半は文学や哲学の話が深まり、どちらにも明るくない私にはもったいなかった(涙)でも、ロシア文化やロシア人のエピソードには興味津々でした。とくに宗教関連は佐藤優さんならではの分野なので、読めてよかったです。


 一番面白かったのが、古儀式派(スタロヴェール)(分離派)について。
 17世紀、ロシア正教会の宗教改革に反発して生まれた古来の儀礼を堅持する宗派。迫害を受け、国に属さず、一部は各地を放浪した信徒。極東、それどころか函館にまで住み着いていた、と知って驚きました。

 彼ら放浪信徒はロシア各地の農村で敬われ、匿われて信仰をつなぐとともに、のちのロシア社会の変革を一部で支えたらしい。
 たとえば、商業で力を得て、ロシアに資本主義経済の土台をつくった。また、彼らの生活共同体とそのネットワークが「ソヴェート(会議)」と呼ばれた、と。ソ連の政治体制とどのくらいつながりがあったかは、まだまだわからないですが、面白いなあ。
 ロシア宗教界の裏の事情というか、一絡げに「ロシア正教」と呼んでは見えないことがあるのですね。

 ロシア文化について印象的だったのは、文学、広く詩が親しまれているということ。
 現代詩人の詩が一般に知られて、誰もが暗誦できるなんて、日本ではちょっと想像できません。米原万里さんが子供時代にロシア語の文学を暗誦させられたというエピソードを思い出しました。

 他に娯楽が少ない中、文学の世界から力を得る――言葉の力が読み手の血肉になっていく。言葉の力が現実に生きているからこそ、国家権力による言論統制が生々しく見えます。
 スターリン時代の詩人アンナ・アフマートヴァという人が紹介されています。自宅軟禁された中で監視の目をくぐり、通いのお手伝いの女性に1、2フレーズを語って覚えさせ、家に帰ったらメモさせることで作品を「書き」続けた、というエピソードには鳥肌がたちました。

 日本では確かに詩は……さっぱり馴染みがありませんねえ。対談では、日本では暗誦の風習は節回しがついて演歌に流れていったのだ、と語られています。
 私は、日本人の言葉は絵画的な要素と相性がいい気がする。俳句などでも風景が目に浮かぶ、という楽しみ方をするし。耳よりも目で情報を得たいのかな、私たちは。


 そして、ずっと気にしている(ロシアに限らず)宗教について。

 人生で初めて出会った宗教的世界観の鋳型から離れることはできない、そして、宗教は布教ではなく、信仰者の姿によって見た人に広まっていくのが本来のあり方、という言葉には深くうなづきました。

 また、土着の文化と結びついて変化しない宗教は根付かない、という言葉にも、なるほどなあ、と思いました。
 もとからある文化と融合、さらに変化変容できる宗教が生き延びていく――たしかに、伝統宗教の懐の深さとか、変化しながらも根幹は揺らがない、磨き抜かれた感じってありますよね。
 アメリカで影響力があるキリスト教の「ユニテリアン」というグループは初めて聞いたので、機会があったら調べてみようかと思います。

 そして、毎度の私的メモ。

 近年の日本でのロシアへの関心の低さ、人材の薄さを語るエピソードはけっこう衝撃でした。
 「坂の上の雲」の時代から日本はロシアを意識して学んで、交流もあったのに、いつから変わったのだろうか。東西冷戦が終わったから、という気もするけれど、本当にそれでいいのか。社会主義陣営の敗北と語られることも多いけれど、壮大な社会実験の1部が終っただけと捉えることもできるのに。

 また、ソ連崩壊が西側に残した影響も大きい。
 アメリカを中心にした自由主義がソ連崩壊後に加速度的に発展し、累進課税の税率が下がり、富める人に富がさらに集中する傾向が強まった、と。
 ビル・ゲイツなどの超富裕層がファンドのかたちで社会に富を還元する――これは慈善事業ではない、むしろ人材と富の「囲い込み」なのだ、という説明に衝撃を覚えました。

 そんな世界の一部で、イスラム革命を行うための過渡的な国家として「イスラム国」が生まれた。その経緯はかつて『国家を無くすための暫定国家』としてソ連が生まれたのとよく似ている、という説明は頭のすみっこにしまっておこうと思います。

(2023.4.25)

 

「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」 PHP新書
亀山陽司  著

   地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理


 2022年2月に開始されたロシアによるウクライナ侵攻は世界を驚かせた。しかし、ロシアの歴史を振り返ると、モンゴル帝国、リトアニア、ポーランド、スウェーデン、オスマン帝国、ドイツなど常に四方の周辺諸国と戦争をし、国家消滅の危機にも陥りながら領土を拡大してきた。そのためロシアにとって戦争は歴史そのものであり、この国の偉大さを証明するものでもある。日本人には理解しがたいこうしたロシアの行動原理を、元駐ロシア外交官が、地政学、歴史、文化、対外政策などを複合して解説する。

序章 ロシアの行動を理解するために
第1章 ロシア帝国の4つの治政空間
第2章 ロシア外交の方向性を変えた19世紀
第3章 ヨーロッパの地政学 〜 世界大戦期のロシアとドイツ
第4章 ロシアン・イデオロギー

 9世紀のルーシ国家誕生から現在にいたる歴史、周辺国とのパワーバランスの移り変わり、民族意識の形成など、さまざまな視点からロシアを見つめ、読み解く1冊。

 前半はほぼロシアの歴史なのですが、ただただ戦争ばかり、というのが第一印象。カスピ海、黒海周辺から今の中欧、バルト海沿岸まで始終他民族との戦争ばかり。しかも、時代が下れば極東方面も何やら油断できない状態になって。ロシアという国が不憫に思えてしまいました。

 それと、ロシア正教がこの国の精神性、自己認識の根底にあることが感じられました。
 これまで何となく「カトリックとプロテスタントの距離感」くらいのものが正教との間にもあるようなイメージだったのですが、いやいやもっと違いそう。キリスト教とユダヤ教くらいだろうか。
 同じ神をいただくという点では近いのかもしれないけれど、むしろそれ故に違いばかりが目立つのかも。
 そして、このロシア正教について、日本の神道のように地域や文化と深く結びついた宗教に近いかも、という説明は目からウロコでした。

 それを踏まえて終章を読むと、ロシアという国の姿がニュースから窺えるものと重なったり、まったく重ならなかったりして面白い。

 たとえば、2020年のロシアの憲法改正。
 大統領の再選を可能にした点が日本ではクローズアップされたけれど、著者はむしろ注目点は、愛国心や大国主義を法に明確に載せたことではないかと語っています。
 そして、ロシアの文化的アイデンティティを持つ「同胞」の保護と記載された以上、一定以上のロシア人コミュニティを有する地域が「支援」の対象となるだろう、という説明には寒気が。
西欧と異なる、あらたな国家観の敷衍をロシアが目指しているのだとしたら、それを西欧社会(日本もふくめ)が『時代遅れ』などと軽視すれば、とんでもない誤解と乖離が生まれるのだろうことは想像がつきました。

 また、もうひとつ印象的だったのは、ロシアにとって戦争は「祝祭である」という言葉。
 もちろん、それを喜んで祝うわけではない。一定の期間をおいて繰り返される、それがなくては先へと進めないもの、誇りや自己認識の根底をかたちづくるもの――こんな感じでしょうか。

 ここを読んだときに、日本においての自然災害と似たようなものかな、と想像しました。
 よく、豪雪や津波、氾濫が起きる土地に何故住み続け、そこに帰っていくのかと傍からみれば思うけれど、自分の生活と切っても切れないものとして自然がある、という感覚は何となくわかる。もしくは、日本列島全体が逃れられるわけもない地震をただ観察して受け入れているようなものか、と。

 もしそうならば、今のロシア-ウクライナの戦争は勝敗を決するだけでなく(それも周辺国にとっては大問題だけど)、いかに落としどころを見つけるか、が重要なのかもしれない。
 周辺国としては、もちろん堪ったものではないですよね。過去の栄光だのしがらみだのはキリがないのでどこかで捨てて貰わなければならないし、アイデンティティは他者に迷惑をかけずに築いてほしい。

 それでも、これからも戦争は繰り返されるのだ、という前提をもった上で今の戦争の収まりどころを見つけられればと願うのですが。
(2023.6.25)

 

「フィンランド 豊かさのメソッド」 集英社新書
堀内都喜子 著

  フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))


「教育力」「福祉力」で発展する国フィンランド。充実した福祉、女性の社会進出、透明性の高い税金の使途……日本とは対極的とも言える、その成長の秘密は、どこにあるのだろうか。現地の大学院留学など、フィンランドで過ごした体験をもとに語る、不思議で豊かな国の素顔。


第1章 不思議でとても豊かな国 〜失業率20%から国際競争力1位へ
第2章 学力一位のフィンランド方式 〜できない子は作らない
第3章 税金で支えられた手厚い社会 〜独立心が旺盛でたくましい女性
第4章 日本と似ている? フィンランド文化 〜異文化コミュニケーション

 社会人留学された著者の見たフィンランドの日常を綴ったエッセイ。仕事で間接的に関わる国なので、興味がわいて手に取りました。日本ではノキア、ムーミン、白夜で知られていますが、最近ではtwitterのアカウント、フィンたんの方が有名かも(笑)日本より少し狭いくらいの国土に、北海道くらいの人口が暮らしているのだそうです。

 小国の資源は人である、という考え方から教育に力を注いでいる、という点が一番印象的でした。
 子どもの学校教育ももちろんなのですが、社会人の向上心にも応えるような社会制度が充実していること。いいなあ(爆)
もう少し大きく見れば、さまざまな状況の中で暮らしていける知恵や技術、独立心を育むことに熱心な国なのだろうなと感じました。

 日本では、フィンランド=福祉先進国というイメージだけが一人歩きしてしまってる気がしました。
「北欧の福祉国家」を指針にするのは悪くはないけど、実際にはそんなに簡単にできることではないな、とこの本を読んで考えました。制度づくりが難しいということではなく、日本には他人任せの気質や手を動かすことを一段下にみる風潮があると思うから。
 手を動かす、というのは生産性の根本だと思うんですよ。家一軒というのは無理としても、例えば備品や日用品を直せる技術があって、時間とそれを楽しむ感覚を相当数の国民の中に養えなければ、ちょっと無理じゃないかな、と。

 それは、ともかく。
 やっぱり、フィンランド行ってみたいなあ。特に「極端に口数が少ない」というフィンランド人気質の説明が面白かった。いいわ、たぶん私は合ってる。二週間くらいしゃべらなくても、全然問題ないからね。

 楽しく読ませてもらいましたが、表面的というか、ちょっと視界がせまいのが物足りなくて残念です。衣食とかテレビ、音楽などの話も読みたかったですね。留学体験をもとに書かれた本だから、ある程度仕方ないのですが。
(2013.6.12)

 

「図説 
プラハ ―塔と黄金と革命の都市―」
河出書房新社
片野優 須貝典子 共著

   図説 プラハ (ふくろうの本/世界の歴史)


「黄金」と賞される、ヨーロッパの美しき古都プラハ。「プラハを歩く」「プラハをめぐ人々」「プラハを楽しむ」の3章にわたり、綿密な現地取材とともに、その魅力を紹介する。

 プラハに残るボヘミア王国の歴史を物語る名所をめぐる一冊。後半にはオペラや美術、食文化にも触れられています。写真も美しくて、ざくっとチェコの歴史を知るのにいい本でした。

 特に、広く親しまれているらしい挿絵キャラクター「兵士シュヴェイク」、ドイツ語を話すことを強要された時期でもチェコ語で演ずることが許されたという人形劇に興味をひかれました。
(2015.2.11)

 

「チェコとスロヴァキアを知るための56章」 明石書店
薩摩秀登 編著

   チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】 エリア・スタディーズ


歴史遺産が残るチェコと素朴な景観が印象的なスロヴァキア。チェコスロヴァキア独立運動から社会主義化・崩壊、EU加盟へ向けての政治・経済政策、音楽や文学など、20世紀の大半を一国として過ごしてきた両国の魅力を描く。

第2章 チェコ人とスロヴァキア人 ― 兄弟? それとも夫婦?
第8章 チェコ国民社会の形成 ― 「国民」を作るとはどういうことか
第9章 スロヴァキア国民社会の形成 ― 選択された名称
第12章 第一次世界大戦とチェコ人・スロヴァキア人 ― 戦乱の中から生まれた共和国
第17章 改革は挫折したが…… ― 「プラハの春」から1989年まで 
第18章 ビロード革命と連邦解体 ― 平穏無事な大異変 
第19章 EUという列車に乗り込むために ― 冷戦後の国際社会の中で
第24章 工業国の伝統は今も ― チェコ経済の牽引車たち
第31章 スロヴァキア人のほろ苦い首都 ― 多民族都市のあとかたに生きるブラチスラヴァ
第34章 食生活 ― やはり家庭の味が最高
第41章 建築という巨大なる抒情詩 ― チェコの20世紀建築
第50章 人々に愛され続けてきた踊り ― スロヴァキアの民族舞踊
第54章 絵や人形が織りなす多彩な世界 ― チェコアニメ史概略 

 困った時のエリアスタディシリーズ(笑)チェコ辺りの歴史をざっくり知りたくて読みました。旅行の覚書もかねているため、まとまりがつかない文ですみません。(メモは長くなったので、下に押しさげておきます)


 どうも「チェコスロヴァキア」という国名を教わって育った世代だと『国が分裂した』ように思えてしまうのだけど、長い歴史の中ではむしろ一つの国家だった期間の方がはるかに短い、と知って驚きました。むしろ別々の国である方が自然ともいえる。
 連邦解体が比較的スムーズにできた理由はいくつも(例えば、政治方針の違い、内乱の忌避など)あるけれど、もしかしたらチェコもスロヴァキアもそれぞれに独立国であった経験を持っていたことが大きな要素になったのかもしれない。経験値は個人とおなじように国にも蓄積されるのではないかなあ、と最近思うのです。

 また、国家制度が変わるときにマイノリティ排斥の動きが出てくる、ということも。
 例えば、20世紀初頭に民族運動が高まった時期にユダヤ系ドイツ人、ユダヤ系チェコ人の中にシオニズムが生まれたこと、第二次大戦後のドイツ系住民の排斥、連邦解体後にロマへの差別意識が顕在化した、など。
制度から排斥されるマイノリティというのは、たいてい本質的には中に残る人と大差ないことが多い気がします。制度ができる前はなんとなく一緒に居て、なんの違和感もなかったはずなのに。立派な型ができて、そこからはみ出したものが「バリ」になるようなものかもしれない。

 ミュシャの絵と関連して気になった項目は、チェコの体操協会「ソコル」について。
 ミュシャはこのソコル主催の祭典(体操大会のようなもの?)のポスターを描いているのですが、長いこと私としてはどうもしっくりこなかったのです。
 確かに演劇やワインのポスターで名を成したのだから描いてもおかしくはないのですが、しかし祖国と民族のための大作「スラブ叙事詩」に取り掛かりながら、どうしてこんな小さな仕事を引き受けているのかなあ、と不思議に思ってました。しかし、ソコルは私が抱いていた印象とかなり違いました。
 そもそもは「弱い民族が生き残るための体力づくり」という社会ダーウィニズム的発想で19世紀末に結成された団体で、運動だけでなくコンサート開催、図書館運営など文化的な面も担っていたらしい。労音(勤労者音楽協議会)みたいなものでしょうか。


 第二次世界大戦前を覚えているような年配の方に話を聞いてみると、まず間違いなく思い出話を聞き出すことができる。ソコルとは古き良き時代の記憶を彩るエピソードの一つなのだろう。

かつては、身分や階級の区別なく同じ体操着を切ることに民主主義の精神を感じ、集団の一人として体操をすることに解放感を味わうことができたのかもしれない。



 なるほど、新しい思想のシンボルという位置づけが当時あったのなら、ミュシャにとっては「スラブ叙事詩」とソコルのポスターは同列で扱われる仕事だったのかもしれないですね。この章の著者も書いているように、私たちのような自由=当然の権利と思う世代にとってマスゲームは拘束と感じられるのだけど。世代や生きる社会によって物ごとの感じ方はがらりと変わるのだな、と痛感しました。


<私的メモ>
10世紀、モラヴィア国崩壊後、スロヴァキア、チェコ両地域は異なる歴史を歩みはじめる。
スロヴァキアは、16世紀にハプスブルク家によって統治されるまではハンガリー王国の一地方に。

一方、チェコではプシェミスル家が国を築き、11世紀には神聖ローマ帝国の領邦に。
14世紀に神聖ローマ皇帝カレル(カール)四世がプラハを「皇帝の都」としたことでチェコは発展する。しかし、ローマ教会の堕落を批判したフス派と教会の対立に端を発した戦乱が国中に広がり、その後のカトリックとプロテスタントの対立によって17世紀まで混乱の時代が続く。
16世紀、チェコとスロヴァキア両地域はハプスブルク帝国の重要な一部として発展。

19世紀にはハンガリーの民族運動の高まりに触発されて、チェコ語の地位向上や歴史の見直し、それまではなかった「スロヴァキア人」という民族アイデンティティも模索され始める。そして、ハプスブルク帝国の一員として第一次大戦を迎えた両地域は戦後「チェコスロヴァキア」建国。

「チェコスロヴァキア」は戦間期には独立国であったが、ナチス・ドイツの圧力下でスロヴァキアは独立宣言。一方チェコはドイツの「保護領(実質、占領下)」となる。戦後、再びチェコスロヴァキアに。
1968年の「プラハの春」をきっかけに連邦化が進み、1989年「ビロード革命」を経て民主化、「チェコおよびスロヴァキア連邦共和国」に。
そして、1992年末に連邦制度を解消してチェコ共和国、スロヴァキア共和国として今に至る。
(2015.5.17)

 

「中世ヨーロッパの農村の生活」 講談社学術文庫
J・ギース/F・ギース 共著  青島淑子 訳

  中世ヨーロッパの農村の生活 (講談社学術文庫)


原題「Life in a Medieval Village」。中世ヨーロッパの人口の大多数が生きていた場所である農村。その生活、社会の様子をイングランドの一農村・エルトンに焦点をあてて描く。

プロローグ エルトン
第一章 農村の誕生
第二章 エルトン誕生
第三章 領主
第四章 村人たち――その顔ぶれ
第五章 村人たち――その生活
第六章 結婚と家族
第七章 働く農村
第八章 教区
第九章 村の司法
第十章 過ぎゆく中世


 チェプストー城をとりあげた「中世ヨーロッパの城の生活」、フランスの都市トロワをとりあげた「中世ヨーロッパの都市の生活」に続く第三弾は「農村の生活」。現代のような都市のベッドタウンとしての村ではなく、政治・経済的な共同体である村の生活、領主と農民の関係などを描いています。
 ちょっと集中力に欠けた時期に読んでいたので、農民の中の身分の違い(自由民・不自由民)、土地所有の有無といった法的立場の複雑さがうまく掴めなくて残念。いつかまた、気をとりなおして読み直そうと思います。そんなゆるゆるとした読み方でも面白かったことは……

 何と言っても、覚書や犯罪記録、土地台帳に垣間見える農民の姿。
 収穫物をくすねて罰金を科せられた男。酒を飲みすぎて、帰宅途中に転んで頭の骨を折って死んだ男。隣人と争って、暴言を訴えられた者。説教師に野次をとばす女などなど。「今もいるよなあ、こういう人」と思うような例をたくさん読めるのが嬉しい。

 また、農民が領主から課せられた労働を拒んだ、という14世紀の記録には興味がわきました。これは、小屋住農ら20人が領主直営地の干草運びを行わなかったとして告訴された事件。

 彼らは法廷へやってきて、
「そういった作業は(領主の代官ほかの)要求があったときに愛によってこたえるのでないかぎり行うべきではない」
と陳述。
 
これに答えて、法廷の委員は「小屋住農たちは、領主の命に特別な愛によってこたえるのでない限り、牧草地の荷車に積む義務はない」


 この件がどう決着したかは記録が残っていないそうですが、こういう主張があったこと自体が驚きです。他にも、第九章では領主のために肥やしを運ぶのを拒否した農民側の主張が支持を受けています。「荘園は領主だけに都合のいいシステムではなかったし、農奴だけとびぬけて得なシステムというわけでもなかった」とも語られています。

 この他に目をひかれたこと。
 例えば、二圃式から三圃式へ移行したときの生産量の変化について。この本では、二つの間に大きな違いは無い、としています。でも、先日読んだ「中世の光と影」では確か生産量は飛躍的に伸びた、という話だったような?
 また、領主たちが荘園の運営にいろいろ工夫(あまり科学的根拠がないものも含めて)をこらしていた様子も面白かった。
 他の土地で入手した種を蒔くとか(なんか、どこかでよんだおはなしだ)、搾乳時期についての意見など、まるで農業技術開発のはしり、です。
 もう少し頭をすっきりさせてから再読してみたいです。
(2009.4.22)
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