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ファンタジー小説 1

「白い霧の予言」 早川文庫
K・ラッシュ 著  木村由利子 訳 

  白い霧の予言 (ハヤカワ文庫FT)


吟遊詩人バイロンと魔術師シーモアは領主の怒りを買い、共に領地を追われて王都を目指す。一方、カイロットの王子エイドリックは権力を握ろうとする貴族によって都を追われ、死んだことにされてしまう。友人の助けを借りて、彼も王宮へ帰ろうとする。精霊イーノスに護られた王国の物語。

 バイロンの過去、エイドリックの旅、女領主アルマの行動といういくつものエピソードが次々と結びついて急展開を見せる後半が読みどころです。こんな意表を突く種明かしはそうそうありません。クリスティの「アクロイド殺し」くらい驚く、とだけ申し上げておきます。登場人物も、いくつもの名を持つ詩人、才能薄い(笑)魔術師、政治手腕に恵まれた美女、と印象鮮やかです。
(2003.6.13)

始原への旅立ち 第一部
「大地の子エイラ 上」「中」「下」
評論社 
J・アウル 著 中村妙子 訳 

先史時代、現在のヨーロッパに住んでいた人類の祖先たちの物語。よそもの(クロマニョン人)の子供エイラは両親を失い飢えで死にかけていたところを、ネアンデルタール人の、氏族と呼ばれる人々に拾われて彼らの間で育つ。姿かたち、能力の異なる人々、意思伝達の方法すら違う異種族の中で、エイラはよそものの娘と呼ばれながら育っていく。

「現代人が当然のこととして受け入れている多くのもの、考えが存在する前の時代は、いったいどんなふうだったのだろう」
 先史時代を物語の背景としてとりあげた動機を語った著者の言葉です。好奇心をもって当時の生活を調べ、実際やってみたという著者の書く文章は、一見瑣末に見える説明も読者が当時の世界を頭に描くために不可欠なもので、説得力があります。数年前、先史時代をとりあげた小説が多く書かれた時期がありましたが、その中でも検証に裏打ちされた考察、壮大な構想という点で群を抜いて秀逸な作品だと思います。
 「言葉」が通じないのではなく、「言葉」という意思伝達を知らない人とどうやって心を通わせるのか。何気ない日常の動作や行動習慣は、どこからが人独自のものなのか、それがなければ人ではないのか? こんな疑問を突きつけられて、現代人の私はとまどうばかりです。

 この物語と私が出会ったのは高校生の頃。現在も追いかけ続けているシリーズとしては一番長いつきあいとなります。この疑問をずっと抱いて、答えを探しながら後の巻を読みすすんでいますが、まだ満足いく答えには辿りついていません。始原への長い旅です。

(2005/3現在 集英社より「エイラ 地上の旅人 ケープベアの一族」大久保 寛 訳として刊行)

   ケーブ・ベアの一族 (上) エイラ 地上の旅人(1)


(2004.10.12)

始原への旅立ち 第二部
「恋をするエイラ 上」「中」「下」
評論社 
J・アウル 著 中村妙子 訳 

ブラウドとの諍いと禁忌を破ったために、エイラは氏族を追われて一人、西へ向かって旅立つ。氏族ではなく自分と同じ「よそもの」一族を探すために。エイラはこれまで培ってきた経験と持って生まれた洞察力やひらめきの力によって、野生の動物と一緒に見知らぬ草原での生活をはじめた。一方、母なる大河に沿って、2人の兄弟が長い旅をしていた。いくつもの部族と出会いながら彼らは東へ向かう。

 たった一人で知らない土地で、どうやって人間は生きていくんだろう? 前半のエイラの孤独な旅の生活は、この物語のエッセンスが一番色濃く出ている部分だと思います。集団で狩をして生きてきたエイラは、どうやって一人で獲物を捕えるのか? 火種を携える者が他にいない時に、どうやって炉を起こすのか?何も助けがない時に、どうやって難問を切り抜けていくのか、その様子が細かく書かれていて実際に体験しているような錯覚をしてしまいます。ドキュメンタリー映像を見ているような文章だと思いました。
 後半、ジョンダラーとエイラが惹かれあい、一緒に狩をし、旅をする様子は初々しくて本当に可愛らしい。2人ともそう若くはないという設定なんですが(と、いっても20歳くらい。太古の昔、30で壮年という時代の話ですので)、大人がこんな美しい恋をするというのが、何回読んでも嬉しく胸がわくわくする本です。けっこうエロティックな描写があるので、書店で児童書コーナーにあるのを見るとぎょっとしますが(いや、最近では見かけないのも寂しいんですが・涙)、これは10代の子にも読んで欲しいなあと思います。可愛らしさで飾った少女小説の恋よりも、初恋らしいのが不思議です。
(2005/3現在 集英社より「エイラ 地上の旅人 野生馬の谷」佐々田 雅子 訳として刊行)

   野生馬の谷 (上) エイラ 地上の旅人(3)

   野生馬の谷 (下) エイラ 地上の旅人(4)

(2004.10.30)

始原への旅立ち 第三部
「狩をするエイラ 上」「中」「下」
評論社 
J・アウル 著 中村妙子 訳 

エイラとゼランドニー族の男ジョンダラーはマムトイ族のもとに身を寄せた。馬の親子を仲間として連れてきたエイラは彼らを驚かせるが、やがて一族と馴染み、マムート(シャーマン)の養女となる。マンモスを狩る一族の中で、エイラは氏族とは違うよそ者の生活を覚えていく。一方、ジョンダラーはエイラをつれあいに、と望んでいたが、それを伝えることができずにいた。

 氏族の生活しか知らなかったエイラの世界が一気に広がって、マムトイ族や未だ見ぬ人々に思いが向かうようになる、驚きや楽しみ、悲しみが詰まった巻でした。狩の方法や祭りの衣装の描写が細かくて、知らない物と向き合った時のエイラの思いが自分のもののように感じられます。
 この巻のマムートの登場によって、氏族のもつ呪いわざや癒し手の技術に説明がなされます。1、2部で描かれてきた世界を外から見る目を、エイラがついに持ったということなのでしょう。
 ジョンダラー、エイラ、ラネクの三角関係がもどかしい。このシリーズは住む国が違うとか民族が違うどころではない、桁違いの異文化コミュニケーションの話なのですが、そこに恋愛が入ってくると……もう、気を揉むしかありません。ところで、この三人の場合は二人の求婚者に対して一人(エイラ)が異文化なのですが、もしこれがジョンダラーかラネクが異文化だったら。想像するとちょっと怖いです。愛憎劇になるか、コメディになるかは彼らの性格次第。
(2005/3現在 集英社より「エイラ 地上の旅人 マンモスハンター」白石 朗 訳として刊行)

   マンモスハンター (上) エイラ 地上の旅人(5)

   マンモスハンター (中) エイラ 地上の旅人(6)

   マンモスハンター (下) エイラ 地上の旅人(7)
(2005.3.7)

始原への旅立ち 第四部
「大陸をかけるエイラ 上」「中」「下」
評論社 
J・アウル 著 百々祐里子 訳 

エイラとジョンダラーはマムトイ族と別れ、ヨーロッパ大陸を西へ向かう。ジョンダラーの故郷、ゼランドニー族の住む地まで、1年はかかろうという旅がはじまった。

 マンモスやドナウ・デルタに住む動物との出会い、旅路を進むにつれて表情を変える原始ヨーロッパの自然が美しいです。見知らぬ部族との出会いはジョンダラーの拉致という形ではじまり、冒険がいっぱいの巻でした。
 このシリーズは巻を重ね、エイラがよりたくさんの人間と出会うにつれて、彼らの美点も欠点も深く描かれるようになります。前の話では障害をもった子供が、この話では虐待を受けた女たちが大きく取り上げられています。彼らの抱く胸のねじれるような憎悪や恐れの感情は、人間社会の中からなくなることはないのかもしれません。
 それでも、暴力や憎しみという重荷を次の世代に残すまいとするエイラの姿に「癒し手」という言葉がよくあてはまるように思います。彼女の身分を表わすために「薬師」「治療師」「巫女」など様々な言葉が使われています。原始時代では、それらは互いに近いものだったのかもしれない。単に身体を治すだけではなく、いろんな意味で傷ついた人間を癒すエイラの姿を見ると、そんな気がしてきます。
 気になった点は翻訳。この巻だけ翻訳者の方が前と違うためか、物語の雰囲気がずいぶん変わってしまっています。違和感をおぼえ易い会話文だけでも、言葉遣いを統一して欲しかったと思います。
(2005/3現在 集英社より「エイラ 地上の旅人 平原の旅」金原 瑞人・小林 みき 共訳として刊行)


   平原の旅 (上) エイラ 地上の旅人(8)

   平原の旅 (中) エイラ 地上の旅人(9)

   平原の旅 (下) エイラ 地上の旅人(10)
(2005.5.5)

エイラ 地上の旅人 第五部
「故郷の岩屋 上」「中」「下」
集英社
J・アウル 著 白石 朗 訳 

   故郷の岩屋(上) エイラ 地上の旅人(11)

   故郷の岩屋(中) エイラ 地上の旅人(12)

   故郷の岩屋(下) エイラ 地上の旅人(13)


氷河を越え、長い旅路の末にジョンダラーとエイラはついにゼランドニー族の住む地へ着いた。複雑で大きな社会を営むゼランドニー族の中では、他の部族とは異なる仲間意識や争いがあった。また、これまで出会った人々と同じようにエイラを温かく迎えてくれる人も多くいた。ジョンダラーとの縁結びの儀式を心待ちにするエイラだったが、「大地の女神に仕える者」大ゼランドニにその霊的な素質を認められ、ゼランドニとなることを強くのぞまれるようになる。

 この巻から出版社の異なるものを読むことになりました。私は評論社版の方が翻訳が好きなので、1〜4部(10冊!)を集英社版で買いなおす予定はありません。訳の違いによる違和感については我慢、日本語で読めるだけで良しとしようと思います。
でも、ちょっと愚痴を言わせて下さい〜。そもそも著者が大人向けに執筆した本を、評論社は何故児童書として出版し、あれこれエピソードを削ったのでしょう。見知らぬ人をエイラが思い出すので、私は困ってるんですよ! 何がどんな伏線になっているかわからない段階で(だって、続きも執筆されてませんから)話を削るって無茶なことです。

 さて。上・中巻は読みづらい、正直言えば面白みに欠けていたように思います。前作から10年も楽しみにしていたので期待が膨らみすぎたのか、あるいは翻訳が変わったせいかとも思いましたが、海外のファンサイトでも厳しい意見が出てました。「人物がソープオペラなみに薄い」「もっとわくわくさせて欲しい」など。確かに登場人物はそれぞれ面白くはあるのですが、葛藤も愛情もどこか表現が薄っぺらな感じがします。

 原始世界について堅実な下調べをされる著者なので、そういう点では相変わらず魅力的です。ゼランドニー族の社会、文化の描写は現実味があって、安心して物語世界にひたることができました。ただ、1、2部あたりと比べると説明的すぎて、すんなり頭に入ってこないのでした。
 下巻になると、ゼランドニたち仲間内での緊張感、エイラとジョンダラーの間で軽口も交わされるようになる、など読み物として楽しめるようになりました。前半でゼランドニー族社会の描写が出来上がったということでしょうか。ということは、第6部は人間ドラマに期待できるのかもしれません。

 そういえば、お話とは関係ないのですが。噂のゾレナの登場、その容姿は衝撃的でした。だって、ジョンダラーが故郷を出ざるを得ない原因となった、禁じられた運命の美しき女性ですよ。エイラとのドラマがあるとすればここだと思ったのに。人間を超越したような巨体になって(涙)。現代とは美の基準が違いますし、職業柄(?)それでいいのでしょうけど、結構ショックです。

 第5部まで来て、エイラにも第二子が誕生。ネアンデルタール人とクロマニョン人、ふたつの人類のゆく道を象徴するような二人の子供がどのような運命を辿るのか。続きを待つことにします。出版は15年後くらいかなあ(涙)。
(2006.1.2)


エイラ 地上の旅人 第六部
「聖なる洞窟の地 上」「中」「下」
集英社
J・アウル 著 白石 朗 訳 

   聖なる洞窟の地 (上) エイラ 地上の旅人 (14)

   聖なる洞窟の地 (中) エイラ 地上の旅人 (15)

   聖なる洞窟の地 (下) エイラ 地上の旅人 (16)


時は今から三万年以上前、神に仕えし者・大ゼランドニから後継者に指名されたエイラは、夫ジョンダラー、娘ジョネイラと暮らしながら修行に挑む。完結編。

 ついに完結編です。高校時代から読み続けて、無事に読み終えましたよ。完結させてくれた著者と、最後まで邦訳を出してくれた出版社に感謝です。

 最終編は、ジョンダラーの故郷に根をおろしたエイラが女神ドニに仕えるゼランドニとなる道を歩み始める物語。
 エイラはゼランドニー族の聖なる洞窟で女神に捧げられた壁画と詠唱にふれ、祭司となる修行を続けます。しかし、大きな犠牲とひきかえにエイラに示された知識はゼランドニー族の世界を一変させてしまう。――つまり、子どもの誕生に男も関与しているのだ、と。
 これまで子どもは女神によって女に与えられると信じられてきた。子の親は母親であり、そのつれあいはそれだけの立場でしかなかった。それが、男も「父親」というものになって「自分の子」を持てるのだと人々は知ってしまった。
 でも、この事実がジョンダラーを含めゼランドニー族の人々をさほど幸せにしていないように見えて、何ともいえない気分です。
 子を兆させたのは本当につれあいの男なのか、つれあいのいない女の子どもは誰の子どもになるのか、こういうことを問い始めると、これまでの炉辺の人間関係が、ひいてはゼランドニー族の社会構造が変わってしまう。これがどれほどの衝撃であったかは、他の男と抱き合うエイラを見て嫉妬にかられ、我を失ったジョンダラーの怒声にあらわれているようです。

 こいつは俺の赤ん坊をつくってる!

 この理屈の通らない言葉は哀れな感じさえします。
 ふと気づいたのですが。女性は子どもが自分の子であることを知っているけど、男性はわからないんですよね。女を信じる、信じないという問題になってしまうんだ。女にとっては、ばかばかしいくらい自明なことなのに。そして、三万年たっても一部の男性は自分が子作りに関わっていることをまだよく理解してないんじゃないかと思ったりする。。。

 ともあれ。女神と人との関係が永遠に失われたことに気づいている人はまだ数少ない。多分、大ゼランドニら数人。それが誰の目にも明らかになった時に、ゼランドニー族やマムトイ族らの社会は危機を迎えるのでしょう。
 氏族が進化の行き詰まりに入り込み、デュルク(ダルク)がいてもいずれは滅亡してしまうように、ゼランドニー族やマムトイ族も絶えてしまうのだろうか。エイラによってもたらされた変化を受容できるのか――その答えをうっすら予感できるかたちで物語は終わっています。

 ジョンダラーの女々しさは相変わらずで、この人たちは一生こんな誤解をし続けるのかもなあ、と思うとため息。ごたごたはマムトイ族の地においてきたと思っていたのですけどねえ。
 ストーリーの原型は「狩をするエイラ」(集英社版「マンモスハンター」)で出尽くしたと感じたので、後半がちょっと間延びしてみえました。
 こんな不満もありますが、なにより最終巻を読めて本当に嬉しかったです。
(2013.6.23)


「ケルトの白馬」 ほるぷ出版
R・サトクリフ 著  灰島かり 訳

   ケルトの白馬


古代ケルト人が緑の丘に描いた「アフィントンの白馬」。この絵は何故、どのようにして描かれたのか。その謎に対するひとつの答えとしての創作物語。

ランサムを読んだ時も思ったのですが、もっと早くこの本に出会いたかったなあ。

 読みながら、昔話や伝承物語の雰囲気を思い出しました。長い年月をかけてたくさんの人によって語り継がれるうちに、言葉がみがかれてエッセンスだけが残る。その濾過された一番濃密なしずくが、この本になったのかとさえ思いました。これを一人の作家が書いたのだということに、静かな感動を覚えます。
 仲間のうちの僅かな者しか認めていなかったルブリンの才能を評価したのが、敵の族長であったということが何とも皮肉で、複雑な気持ちでした。もし違う出会い方があったならば、また別の世界が生まれていただろうと思うのです。その場合には「アフィントンの白馬」は生まれなかったのかもしれませんが。

 文章に酔うようにページをめくり、そして言葉が自分の血肉になるのを息をひそめて待っていたい、と思わせるような一冊でした。
(2005.6.10)

「太陽の戦士」 岩波少年文庫
R・サトクリフ 著  猪熊葉子 訳

   太陽の戦士 (岩波少年文庫(570))


青銅器時代、鉄がもたらされはじめた頃のイングランドに住む少年の物語。片腕のきかないドレムの胸にかかること、それは成長して槍の戦士とみとめられることが叶うかどうかということだった。オオカミ狩に失敗すれば、死ぬか、氏族から離れて生きていかなければならない。

 何とも厳しい時代、世界です。氏族の一員として生きていくために、武器の扱いを覚えなければならない。片腕のきかないドレムは、それを工夫と人一倍の努力によって身につけなければなりません。そして、はじめてのオオカミ狩に成功すれば戦士と認められて、氏族に連なることができる。もし、失敗した場合は……

 自分の立場、愛犬、誇りのために幾度も挑み続けるドレムの力強さにみとれていました。きかない右腕を垂らして短剣をかまえる姿を、著者は「力強い優雅さ」「奇妙な人なみでない美しさ」と書いています。印象的な場面でした。
 自分の生きる場所を得るために挑み続ける姿は美しい。片腕のきかないことなど、それとは何の関係もない。誰もが何かしら「足りないもの」「欠けてるもの」がある。それは、その人自身が美しいかどうかとは無関係なのだ、と考えさせられました。

 画家でもあった著者の文は、古代の風景を言葉でスケッチするようです。ドレムの母の織る布の緋色、太陽の光、色づく葉や草の匂いが鮮やかです。そして、ノドジロ(犬)が好きだ〜
(2005.9.20)

デイルマーク王国史 1
「詩人たちの旅」
創元推理文庫
D・W・ジョーンズ 著 田村美佐子 訳 

   詩人(うたびと)たちの旅―デイルマーク王国史〈1〉 (創元推理文庫)


かつてのデイルマーク王国に今は王はなく、南部北部に分裂しており、伯爵たちが諍いを繰り返しながらこの地を治めていた。詩人と呼ばれる旅芸人クレネン一家は、途中の町で興行をうちながら北部をめざしていた。末息子のモリルは伝説の詩人の名をもらって、まだ未熟ながらも家族の誰とも違う音楽の才に恵まれていた。

 架空の王国ということを忘れてしまうほど、物語世界がリアルでした。特に登場人物は誰をとっても個性的で、行動に嘘くさいところがありません。けんかをする子供たち、末っ子モリルのふてくされ具合、母レニーナと父クレネンの出会いの物語と昔のいざこざ。彼らは考えたり迷ったりするけれど、必ずしも正しい決定をできないところがまたいい。わからないことは悩んだ末に放っておくことにしたり、失敗して逮捕されてしまったり、全員が生き生きとしていました。
 現実的な場面描写もあれば、軍勢を前にしたモリルが楽器を奏でるという幻想的な場面もあり。これが違和感なく結びつくところが、他のファンタジー小説とちょっと違う魅力になっていると思います。
 翻訳もとても自然で読みやすい。「運び屋」「詩人(うたびと)」なんて雰囲気のある言葉が嬉しいです。でも、できれば「ショー」は別の言葉の訳をつけて欲しかったかな。

(再読後、追記)
 クィダーの力をどうやって引き出そうかと考えるモリルの姿がよかったです。力まかせに「こちらを見て」というのではなく、控えめに「よかったら見て下さい」というのでもなく。自分らしい、自分にしかできないやり方で何かをしようという考え方が印象的でした。ちょっと、理屈にたよった書き方のような気もしましたが……
 最終部分。実際に古いクィダーの力を取り出し、詩人として歩き出してしまったモリルの所在無さ、落ち着かなさといった感情が細やかに描かれていたのがよかったです。
(2005.1.21)

デイルマーク王国史 2
「聖なる島々へ」
創元推理文庫
D・W・ジョーンズ 著 田村美佐子 訳 

   聖なる島々へ <デイルマーク王国史2> (創元推理文庫)


ホーランドによくある名をつけられ、ありふれた貧しい暮らしを送るミットの胸には、いつか美しい理想の土地へ行くという憧れが刻まれていた。しかし、生きていくだけでいっぱいの毎日の中で夢は次第に遠のき、領主に対する反乱組織の一員となったミットは領主ハッドの命を奪うことを考えるようになる。

 不思議なファンタジー小説です。神さまみたいな人も出てくる、魔法の言葉もあって超常現象も起きる架空の王国の話なのに、魅力はそこ(だけ)にあるのではないようです。ミットの暮らす町の小汚い風景や、いわゆる駄目な母親、伯爵家内の醜い確執といったもろもろの事情や情景描写が自然で、物語世界がするすると胸に収まってしまうのが快感です。

前巻読了時も思いましたが、子供から見た親の姿が独特ですね。最初は温かくて楽しい両親と思っていたのが、次第に情けなさ、身勝手さが見えてくる。子供は他人としての親の姿を観察するようになる。かつての自分や友人を振り返ってみると、これは十代の子供の視点だと感じました。もう少し歳を重ねると、その見方も変わってくると思うのですが、そんな人物も登場しないかしら、と密かに期待してしまいます。

「ファンタジーは苦手。だってありえないことばかりが起きて、説明が長くて、カタカナの名前が覚えられないから」
 私は時々そう思うので、ファンタジー小説を開く時は少し身構えてしまうのですけど。そんな読者を笑い飛ばしてくれそうに元気な登場人物たちが素敵でした。

(再読後、追記)
 ゆっくり読むと、貧しいミットと伯爵の子供たちの価値観の違い、距離感が丁寧に書かれていたのに気づきます。ヒルディが癇癪をおこして刺繍を施されたベッドカバーを引き裂いてうさばらししていますが(ああ!)、ミットの母親は刺繍の下職をして安い賃金を得ているのです。
(2005.7.20)

デイルマーク王国史 3
「呪文の織り手」
創元推理文庫
D・W・ジョーンズ 著 三辺律子 訳 

   呪文の織り手 <デイルマーク王国史3> (創元推理文庫)


<川>のそばに住む少女タナクィと兄弟姉妹は住んでいた村から追われ、家に祀られていた三人の神の像とともに川を下る。織り手であるタナクィは目にする出来事や出会った人々のことを物語としてローブに織り込む。

 最後の節で、あら、知ってる人がぽろぽろ……どうやら、これはもう一冊読まないと話が終結しないのでしょうか。というわけで、とりあえずこの巻のみの雑感。

・名前が明かす真実という仕掛けが面白いです。タナクィだけきょうだいと違う名がつけられたのは、母の案なのでしょうか。
・カルス・アドンに惚れました。
・織機でローブを織る、というところで、ふと思い出した織物の話。貫頭衣を最初から服の形に織るという技術があったと聞いたことがあります。一度も鋏を入れない、縫い目もない衣装は呪術的な力を持つとされていたそうです。

……本当に雑感になってしまった。
 正直言うと、少々わかりにくかったです。タナクィが織るローブ(物語)を読むわけですが、織りながら回想してるという場面に出会うと混乱してしまうのです。神々の世界と人間の世界がクロスオーバーしているということが、一度納得できるまでは不条理についていけなかったりしました。
 そして、ふと辿りついた感想。「この本はこれでいいんだ。だって織り手は織るだけで全体像は見えないんだから」
織ってる途中は「ここはこうなる、はず」と想像するだけです。部分が全体の中でどんな効果をもつかは織りあがるまでわからないもの。これは強引、でしょうか。

(再読後、追記)
 いろいろ、やはりわからなかったんですが(笑)。構造は面白かったです。
現実は次々と流れていくのに、タナクィのローブはなかなか織り進まず、意味を読み解くことができないというのは気が揉める。最後に、さあ、ローブが織りあがる、ずれていた二つの時計がぴたりと合うぞ! というのが読みどころです。

 そういえば、このタナクィのローブというのは物語の中で現実を写し取る、織りとどめるという、いわば受身の存在なのですが、最後の最後だけが違う。ローブにカンクリーディンを消し去る<唯一の者>を織り描いたことが、現実のカンクリーディンに対して力を奮うことになる。主従、現実と幻、勝者と敗者が逆転することになるのですが、その瞬間をあえて書かないという、何とも凝ったつくりの話ですね。
(2005.9.1)

デイルマーク王国史 4
「時の彼方の王冠」
創元推理文庫
D・W・ジョーンズ 著 三辺律子 訳 

   時の彼方の王冠―デイルマーク王国史4 (創元推理文庫)


現代の少女メイウェンは二百年前の世界に送り込まれて、ノレスという人物になっていた。女王になろうとしているノレスへの刺客ミット、詩人のモリルらとともにメイウェンは王冠を求める旅に出る。

 まず4巻の感想。
 懐かしい顔が懐かしい姿で、あるいは意外な姿で出てきます。愉快だったある人は俗物になって、自信たっぷりだったある人は不安そうな顔をして……現実の人間もこんな風に印象が変わることがあると思います。人物を、本当に丁寧に描いてあるのが魅力的です。
 メイウェンの時代とミットの時代が、肖像画や言葉で結ばれている。この描写がよかったです。アミル大王は宮殿の名に意味をこめ、メイウェンは残された肖像画に別れた後の友人達を思う。二百年という長い時間を越えて、メイウェンはミットと言葉を交わそうとする。そんなことも出来そうな気がするのは3巻に出てきたあの人のおかげです。

全巻通しての感想。
 負けた。一、二回読み返してみても、やっぱりわからない(笑)。これは楽しみ方の問題か、読解力の問題なのか。
 同じ神さま(?)が南部と北部で呼び名が変わる、時代によっても変わる、名前が複数ある(涙)、詩人の歌に歌われるのがいつ頃の時代なのかわからない。三巻に登場のカルス・アドンの一族の背景が本文だけではわからない(巻末用語集のみに登場)。癖の強いファンタジーという感はあります。
 でも、謎は多いけれど、複雑な設定がわかり始めれば更に面白そう。また時間をおいて味わってみたいと思わせる話です。

欲しかったもの。
 まず別冊用語集(笑)。巻末の用語集は4巻分まとめてある方がよいと思うのですが、原作ではどうなっていたのでしょう。そもそもネタバレの説明もあるので(笑)、4巻共通にしてもいいと思いました。
 あと、外伝としてセンブリス女王の時代やハリグランドについても読みたいです。著者はもうこのお話を書く予定はないのでしょうか? 聞いてみたいです。
(2005.10.10)

デルフィニア戦記 1
「放浪の戦士 1」「2」「3」「4」
中公文庫
茅田砂胡 著 

流浪の国王ウォルと異世界から来た少女リィは王座を取り戻すため、そしてウォルの亡き父の敵を討つために王宮を目指す。シリーズの第一部。

 異世界ファンタジーなのだけれど、読んでいると時代劇か戦国物の映画を見ているようなテンポのメリハリと演出が楽しいです。何と言っても型破りな主人公たちが魅力的。普段は何事にも鷹揚で細かいことに拘らないウォル(彼が事あれば剣をとり、戦う様子は迫力あります)、美しい容姿と人間離れした能力を持つリィ。この二人共が獅子か虎というような野生の獣の気迫と潔さを持っている。互いに馴れ合わず、信頼はしても寄りかからない二人の関係が読んでいて心地よいです。
 この第一部の注目はカリンさんの大活躍でしょう。第二部にも出てくるのか、楽しみにしたいです。


   放浪の戦士〈1〉―デルフィニア戦記 第1部 (中公文庫)

   放浪の戦士〈2〉―デルフィニア戦記 第1部 (中公文庫)

   放浪の戦士〈3〉―デルフィニア戦記 第1部 (中公文庫)

   放浪の戦士 <4> デルフィニア戦記 第1部 中公文庫

(2003.2〜4)

デルフィニア戦記 2
「異郷の煌姫 1」「2」「3」
中公文庫
茅田砂胡 著 
内乱の末に国王の座を取り戻したウォルとこの国に王女としてとどまることになったリィ。才覚ある王のもとで平和な日々が続くかと思われたが、周辺国からデルフィニアを狙う手がのびる。公爵家内の騒動、リィを狙う刺客。そして隣国タンガからは王女に対して、当人にすれば「ばかばかしい」話が持ち上がった。シリーズの第二部。

 リィ付きの侍女シェラが新しく登場してずいぶん賑やかになりました。容姿の設定から勝手に推測していますが、ウォル、リィ、シェラの3人が主人公になるような展開になるのかな、と先が楽しみです。政治がらみの話になってくると男性キャラクターの活躍に注目してしまいます。公爵家当主のバルロと普段は一見「眠る牛」のウォルの議論が私的な見どころでした。


   異郷の煌姫〈1〉―デルフィニア戦記 第2部 (中公文庫)

   異郷の煌姫〈2〉―デルフィニア戦記 第2部 (中公文庫)

   異郷の煌姫〈3〉―デルフィニア戦記 第2部 (中公文庫)

(2003.6〜9)

デルフィニア戦記 3
「動乱の序章 1」〜「5」
中公文庫
茅田砂胡 著 
有能な王のもと、少しずつ安定を築いていくデルフィニアだが、敵がつけ込む隙もまだ残されていた。国内の不満分子に目をつけた隣国の陰謀、ファロット一族の暗躍、国王の拉致という大事件に始まるシリーズの第三部。

 上のような政治的な大きな事件と、登場人物たちの日常がバランスよくからんでいて、次々と読み進んでしまいました。あっちこっちで恋の花咲く展開があり、実ったものも、発展途上のものもあるので、いつ決着がつくのか気をもみます。このお話には剣をふるったり、腹の据わった性格の女性キャラクターが多いですが、ラティーナの強さが印象的です。もちろん剣を取っての戦いではリィが並はずれて強いのですが(でも女性と呼んでいいのか迷う)、捨て身で行動を起こす点では一番ではないかと。
 序章というタイトル通り、デルフィニアを取り巻く世界が見えてきて、それを支えている登場人物たちが生き生きと暮らす様子が見えたところで、この章はお開きのようで。次章が楽しみです。


   動乱の序章〈1〉―デルフィニア戦記 第3部 (中公文庫)

   動乱の序章〈2〉―デルフィニア戦記 第3部 (中公文庫)

   デルフィニア戦記 第III部 動乱の序章3 (中公文庫)

   動乱の序章〈4〉―デルフィニア戦記 第3部 (中公文庫)

   動乱の序章〈5〉―デルフィニア戦記 第3部 (中公文庫)

(2004.1〜8)

デルフィニア戦記 4
「伝説の終焉 1」〜「6」
中公文庫
茅田砂胡 著 
デルフィニア、タンガ、パラストの緊張は高まり、周辺の国々をも巻き込んでの戦が始まる。また、戦女神と名高い王妃の命を狙う者が繰り返し王宮に忍び寄ってきた。そして、戦の中で王妃がタンガに捕らえられた頃、デルフィニア王の前に風変わりな青年が現れる。

 最近、珍しく発売を楽しみにしたシリーズでした。歯切れいい言葉、とぼけた味わいが好きです。

 次々起こる事件にはらはらする、という点ではT部、U部の方が気に入っていますが、後の巻になるにしたがい、登場人物の活躍が楽しかったです。
主役、準主役の人物はみな自分の力で動き、戦い、ばりばりと道を開いていきますが、脇役の女性の強さが印象的でした。王様の奥さん(王妃でなく?)ポーラや少ししか出なかったサンセべりアの王妃さまです。するべきことをして、信じるべきことを守って身をわきまえる。シンプルな行動が持つ動かしがたい強さです。

 王妃の男らしさ(?)も清清しくて、当然のように帰る、という姿に返す言葉が出なくて、腹が立つというか寂しい気持ちでした。ちょっとは泣かせてくれよ、という感じ。

 一見、甘い雰囲気が物語全体に漂って読み心地いいのですが、時々現れる辛辣な言葉やリィのまっすぐな視線が忘れられません。



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(2005.2〜12)

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