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現代小説 17

   

「天皇の料理番 上」「下」 集英社文庫
杉森久英 著

  天皇の料理番


明治の半ば、一枚のカツレツに出会った福井県の少年。上京し、裸一貫で西洋料理の世界に飛び込んでいく――。日露戦争以降の東京で、激動の時代と共に、力強く成長していく篤蔵の物語。


 うまいものを作りたい――それだけを考えて福井の田舎町から飛び出して、東京の西洋料理界に居場所をもとめる高浜篤蔵の物語。

 前半はちょうど日露戦争の時期。庶民の日常に戦況のニュースが差しはさまれるかたちで、当時の東京の風景が描かれて面白かったです。
 庶民にとってはバターや肉がまだまだ馴染み薄いものだったのに、それでもハイカラ好みの学生や上流社会の習慣が徐々に一般に広まっていく様子が想像できました。

 下巻はかなりの駆け足。フランス留学で名実ともに西洋料理シェフの地位をつかんだ篤蔵。才能だけでなく努力を惜しまず、きかん気といいながらも筋を通すところは通す態度で周囲の信頼を得る姿はすがすがしいです。

 終盤は太平洋戦争と戦後までが描かれて、日本の西洋料理界の変化がよくわかる。特に宮中の厨房ということで、世間よりは「昔ながら」を残してはいるのでしょうが、やっぱり人の意識の変化とは無縁ではないのだなあ。

 欲をいえば、戦中の宮中の様子をもっと読みたかった。天皇家がもっとも変化したのは戦中戦後だし、物資不足の折の宮中料理を描けるのはこの作品だけだったのでは?

 休みなく読み進んでしまうのは、篤蔵の勢いなのか、文体が自然で読みやすいのか。
 ときどき、男性作家から同性読者への甘えみたいなものを感じて、ちょっと辟易することもあったけど、メインの読者層とは世代違いということで我慢します(^^;)
(2023.1.10)

 

「蒼ざめた馬を見よ」 文春文庫
五木寛之 著

  蒼ざめた馬を見よ


ソ連の体制を痛烈に批判した小説をめぐる恐るべき陰謀。レニングラード、モスクワ、ソフィアなどを舞台にした初期の代表的傑作集。


 「異端の人間学」の中で、ロシア人の考え方がよく描かれている、とコメントされていたので読んでみました。昭和41〜44年に発表された短編が収録。ソ連健在、東西冷戦只中の時代ですよね。戦後の日ソ関係をベースにした骨太な印象の作品で、どれも読みごたえありました。

 特に印象的だったのは「蒼ざめた馬を見よ」「天使の墓場」。

 ソ連の老作家が書いた体制批判小説を入手した日本人新聞記者が巻き込まれた陰謀を描く「蒼ざめた馬を見よ」。
 新聞社から秘密裏に命じられた仕事、亡くなったロシア文学者を最期まで苦しめた過去の出来事、と絶妙に人の好奇心をかきたてるエピソードに動かされて記者・鷹野はレニングラードに向かう。厳しい監視体制のもと、老作家ミハイロフスキイとの接触を試みる鷹野が得たものは――。

 作家自身からの拒否(のポーズ?)、いたるところにある監視の目をかいくぐって幻の小説を求めていくのだけれど、その障害のひとつひとつが後になって別の意味を帯びてきます。まるで、オセロのコマを返すように事態が急展開する終盤に鳥肌がたちました。


 そして、雪山登山の高校生グループと引率の教師が山中で目撃したものを追う「天使の墓場」。
 雪山で遭難した時に目にした飛行機の墜落事故。だが、救助を求めて下山した黒木が聞かされたのは高校生らが行方不明のままで、墜落事故などない、という説明。事実を主張した黒木は精神科病棟へ隔離される。だが、事件を調べていた記者と出会い、背後に政治がらみの巨大な陰謀があることを知らされる。

 何もかもを雪が覆いつくしても、目撃者が社会的に抹殺されても、残骸が秘密裏に撤去されても。それでも残るものがある、という展開に息をのみました。これはネタバレなので書けないのですが。

 物語としては、この続きを読みたい。黒木の抵抗が実を結んだのか否か、を知りたい。
 でも、作者が描こうとしたのは、人が隠そうとしても隠し切れない真実の痕跡があること、それをどう扱うか、なのだと思う。

 もし、黒木が雪山で斃れても、この証拠はほぼ永遠に消されることなく残り続ける。
 もし、事故の証拠を公表して世間に真実が暴かれたら……と考えたところで「蒼ざめた馬を見よ」の顛末を思い出して言葉に詰まってしまった。
 むしろ、このように結するしかない物語なのだ、と感じました。

 どの作品にも言えるのだけど、戦争末期から戦後にかけての出来事が人々の心にどんな傷を残したのか、そのリアリティを感じる力が読者にあるか無しかが問われる一冊でした。

(2023.5.25)

 

「三ノ池植物園標本室 上」「下」 ちくま文庫
ほしおさなえ 著

  三ノ池植物園標本室 上

  三ノ池植物園標本室 下


会社を辞めた風里は、偶然見つけた古い一軒家に住み、三ノ池植物園標本室でバイトをはじめた。教授と院生たちなど、風変わりだが温かな人々と触れ合う中で、刺繍という自分の道を歩みだしていく。そして、風里が暮らす家には悲しい記憶が眠っていた。かつてそこに住んでいた人たちの思い、わだかまりの糸を風里はほどくことができるのか。


 この著者さんの文章には穏やかさと痛いほどの激しい思いが入り混じっているのだけど、この作品は両方が絶妙にとけあってる感じでした。

 激しい芸術家とそれに振り回される家族の人生。
 それを、そっと見守っている平凡だけれど穏やかな人たち。

(詳細は伏せておきますが)風里の家にかつて住んでいた天才書道家と娘の葉(よう)、葉の友人や恋人、その子ども世代と繰り返されるモチーフが呪いのようにも見える。
 一番つらい、というか、苦しんだのが、葉と恋人なんでしょうね。文字の原始のちからに翻弄された葉と、その狂気から逃げるように去った恋人、彼が生涯苦しみながら作り続けた作品に、また子ども世代がとらわれてしまう――。
 だから、上巻で描かれる風里の何気ない日常風景や、明るい展望をいだいて景観づくりをしている飛生に救われるのですよね。このバランスが絶妙でした。

 また、植物の生命力が人間の「呪い」を越えていく瞬間が幾度も描かれています。桜の花吹雪、野原においしげる草、夕闇の部屋にうかぶ柘榴の色。

 植物は静かに止まっているように見えて、実は常に動き続けている。狂暴ですらある生命力をそなえた植物の姿が、風里の成長と重なるようでした。大人しくみえたのに、あっというまに自分の才能を生かす道をみつけ、好きな人のもとへ飛び込んでいく。
 その力が、物語を明るい方向へ導いてくれて、読んでいてほっとしました。

(2023.8.15)

 

紙屋ふじさき記念館1  
「麻の葉のカード」
角川文庫
ほしおさなえ 著

   紙屋ふじさき記念館1  麻の葉のカード


編集者の母と二人暮らしの百花はある日、叔母に誘われた「紙こもの市」で紙雑貨の世界に魅了される。会場で紹介されたイケメンだが仏頂面の一成が、老舗企業「紙屋ふじさき」の親族でその記念館の館長と知るが、全くそりが合わない。しかし百花が作ったカードや紙小箱を一成の祖母薫子が気に入り、誘われて記念館のバイトをすることに。


 伝統的な和紙の美しさと、現代的な紙小物の楽しさを味わえてうれしい。紙雑貨といっても可愛らしさばかりに流れず、キリっとした美意識を見せてくれるところがとても気に入りました。

 手先が器用で、人と話すよりは手作り作業が好きな主人公の百花。
 和紙企業の御曹司ながら、広報活動にまったくというほど熱意のない藤崎館長。

 和紙の魅力を広く世に伝える――には、絶望的な組み合わせの二人が、手探りで記念館を整えていきます。登場する和紙と和紙製品は、文字で読んでもため息がでるほど美しい。これ、本当に作って販売してくれないかなあ。
 百花がつくる試作品など、ものの「かたち」が読み手にくっきりと伝わるのがすごいですよ。他の小説もですが、著者の言葉の選び方にも見惚れるばかりでした。

 百花の亡き父が残した小説がおもわぬ人間関係を結んだところで、1巻は終わり。はやく続きが読みたいです。
(2023.7.31)

 

紙屋ふじさき記念館2  
「物語ペーパー」
角川文庫
ほしおさなえ 著

  紙屋ふじさき記念館 2 物語ペーパー


百花と莉子は美濃和紙の産地で紙すきを体験して和紙の歴史を学ぶ。また、藤崎産業に勤める一成のいとこ・浩介の記念館訪問をきっかけに、記念館存続のために一成と百花は奮起することになる。


 著者の作品には珍しく嫌味なキャラクター・浩介が登場して、物語がぐっと深まり、かつ進展しました。やっぱり、いつも受け身の百花や不愛想で人付き合いのない一成はこのくらいのショックがないと気構えが固まらないのか(笑)

 百花の変化にはちょっと驚きました。これまでは「これ、いいなあ」「ちょっとやってみたいなあ」と行動して、出来上がったものを誰かに拾い上げてもらう、ということが多かったけれど、はじめて「こういうのを作りたい。これがいい。これを見て!」とアピールしてるんですよね。それも、友人ではなく、知り合って間もない社会人に。大きくなったなあ(大学生だけど)
 そこまで成長できたのは、前社長夫人の励ましや職人たちの言葉のおかげ、いや、亡き父からも後押しされたからかな。

 和紙を取り巻く人々それぞれのこだわりというか、「紙の力」への信頼が物語の芯にあるのが感じられて嬉しく読み終えました。
(2023.10.15)

 

言葉の園のお菓子番1  
「見えない花」
だいわ文庫
ほしおさなえ 著

  言葉の園のお菓子番1 見えない花


書店員の職を失った一葉は、祖母が生前に参加していた「連句」の会を訪れるようになる。ひとつの句に次の句が寄り添って新しい世界を紡いでいく――連句の場のもたらす深い繋がりに一葉は背中を押され新しい一歩を踏み出していく。


 仕事をやめて所在なく過ごしていた一葉(かずは)は、仲のよかった祖母の残したノートの中に自分あてのメッセージを見つけます。「お世話になった句会に、季節のお菓子を届けてほしい」
 四季にあわせた桜餅、最中、豆菓子……祖母の選んだ菓子を持っていくだけのつもりだったのに、思いがけず連句の魅力にはまっていく様子が丁寧に語られています。

 俳句、短歌でなく、連句――初めて知りました。決まりごとは難しそうですが、複数の人の句によって新しい流れが生まれたり、思いがけない視点に気づく、というところに惹かれました。
 様々な句があっていい。丈高い独創的な句ばかりでは、連句は成り立たない。軽くて前後の句を輝かせるような句も必要、という言葉がいいですね。

 仕事もなく、何をするべきかと悩む一葉ですが、書店員時代につくったポップをきっかけに新しい人間関係もつながっていきそう。思えば、ポップも他の何かを輝かせるためのもの。ポップと連句、どんな風に一葉の生き方に関わってくるのか、続きも楽しみです。
(2023.9.4)

 

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